ヴァンドレッド
VANDREAD連載「Eternal Advance」
Chapter 12 -Collapse- <前編>
LastAction −ユメノオワリ−
――早く帰って休もう。
一歩一歩重い足取りで泥道を踏み締めながら、男は呪詛のように呟き続ける。
三日間に及ぶ徹夜続きの激務で、心も身体も絶え間なく休息を訴えていた。
軽い眩暈と重い疲労、道端でも寝転がれば一秒経たずに眠る自信がある。
鉛のように重い息を吐き、疲れに濁った瞳を真上に向けた。
――淀んだ空気に満たされた、灰色の空。
都市の合間で、製造中の金属音が不愉快に耳を鳴らす。
歩道には汚臭漂うゴミ、放置された廃材、薄汚い家屋の群れ。
見上げれば無愛想な灰色の建物が並んでいて、数ある工場の煙突から真っ黒な煙を吐き出している。
男が生まれた国――タラークの中心都市は人も建物も淀んでいた。
軍事国家として建国されて、第二・第三世代が誕生した時代。
外敵に備えて国力を高め、軍事技術を増強する意味を、男は軍人として理解出来ている。
国家の一員として不眠不休で働いているのも、外敵に備えての必要な任務だ。
先月は貴重な物資を運ぶ補給艦が、どこぞの海賊の襲撃に遭ったと聞く。
最新鋭の軍艦イカヅチの製造が正式決定されたこの時期、気を緩めるべきではないのは承知している。
とはいえ人間である限り、疲れがどうしても溜まる。
祖国にはそれなりの愛国心を持っているが、人が住める環境かと問われれば首を傾げざるを得ない。
もっとも、自分はまだマシだ。生きる自由やこれからを選ぶ権利を持っている。
労働階級――三等民に分類される人達は、国家の歯車として朝早くから夜遅くまでこき使われている。
労働の代価として最低限の栄養分ペレットのみを与えられ、鬱屈した労働環境で働かされる毎日――
生まれた瞬間に国から分類された人間は、疑問すら持てず日々の暮らしに埋もれて消えていく。
彼らの生きる環境を少しでも良くする為にも、上に立つ自分達が働かなければならない。
少ない資源に痩せ細ったた大地、この惑星は人が住むには過酷である。
一刻も早く軍事力を高めて、豊かな領土を手にする必要がある。
――女だけの国家メジェール、鬼共が住むには不相応な世界。
タラークもメジェールもさほど自然環境に差は無いが、タラークよりは恵まれている。
相手は人間の腸を食らう鬼、容赦など不必要。
国家よりそう教わられて育ち、軍人として自分の人生を国に捧げている。
不満に感じた事は無い、国の為に死ぬ覚悟もある。
腐敗と汚臭にまみれた今の現実を見る度に、国への改善意識も高まっていく。
ただ、その方法が惑星メジェールの略奪となれば、少しばかり疑問はわく。
そもそも女に対しての具体的な知識は、国家から与えられたものだ。
軍人になって数年――軍事経験もそれなりに積んだが、敵との接触はごく僅か。
自分の目で見た敵の姿、メジェールの資料等を確認すればするほど、女とはどういう存在か分からなくなってくる。
馬鹿げた発想だが……まるで同じ人間ではないかと思えるほど。
男は首を振る。
やはり疲れているようだ、帰って休眠を取ろう。
ようやく与えられた休暇である、今後の任務に備えて身体を休めるのが最適だろう。
無造作に伸びた髪を払い、だらしない無精髭を撫でる。
鏡を見れば酷い顔だろう――苦笑いした瞬間、轟音が全身を突き刺した。
雷鳴が激しい衝撃と閃光を放ち、都市が悲鳴を上げる。
指先から全身の神経に強烈な痺れが蹂躙し、男は堪らず膝を付く。
あまりの衝撃に声が出ない。
悲鳴は轟音にかき消され、喉の奥まで押し込められた。
顔を伏せて数分――世界は沈黙を取り戻す。
全身に響く衝撃にしばらく身動き一つ取れなかったが、やがて恐る恐る立ち上がる事が出来た。
まだ眩暈は酷いが、ジッとしているのも危険だった。
国を守るのが軍人の務め――大規模な衝撃の余波で怪我人が出たかもしれない。
鳴り響いた音を聞きつけて、落ち着きを取り戻した住民もやって来るだろう。
偶然でも現場に居た者として、原因を探らなければならない。
可笑しなもので、予想だにしない事態で疲れまで吹っ飛んでしまった。
男は苦笑いして、現場へと急行する。
視界を焼き尽くした雷鳴――落雷が起きた場所へ。
考えられるのは工場の事故、施設の一部が爆発した可能性。
休む暇もなく働かせている機械だ、不具合を起こすのも無理も無い。
珍しい事故では無いだけに、頭が痛い問題でもある。
万が一爆発の規模が大きければ、工場ごと吹き飛んで死傷者が出ている危険性もある。
二次災害が発生しない内に、救助作業を行う必要もある。
男は現場へ急行して――目を剥いた。
荒れ狂った爆雷の中心に――血だらけの人間が転がっていた。
夥しい血を垂れ流し、死骸のように捨てられている。
身に着けている服は破れ、いたる所に穴が空いている。
皮と肉と血管がズタズタ、傷の無い箇所は存在しない。
誰が見ても死んでいる。男も一目見て生存の可能性を捨てた。
――歯と唇の隙間から、か細い空気が漏れなければ。
男は慌てて駆け寄り、負傷者の蘇生処置を行う。
戦場で実体験した賜物か、男の動作に躊躇いはなかった。
汗を流して懸命に処置を行い、負傷者の命を繋ぎ止める。
状況は極めて危険、何もしなければ負傷者は間もなく死ぬ。
職場の医務室へ連れて行くのも愚行、その前に死亡する。
むしろ――この状態でまだ生きている負傷者の強い精神に、感服するべきか。
口から漏れる呻き声、力なく吐く呼吸の一つ一つにしぶとさがあった。
何としても生き延びる。
何が何でも諦めない。
指先を震わせて、男にもたれかかりながら――負傷者は生きる為に、足掻いていた。
負傷者の執念に、我知らず男は息を呑む。
地獄から這い上がろうとする底力、断崖絶壁にしがみ付くしぶとさが負傷者の生を辛うじて繋ぎ止めている。
男は懸命に考える。
最新鋭の医療施設は望めなくても、手当てをする場所さえあればどうにかなる。どうにかする、絶対に。
弱い民を守れずして、何が軍人か。
男は悩みに悩んでり――思い出した。
――貧民街、この近くに知人の酒場がある。
偏屈な老人だが、彼ならば事情を聞かずに受け入れてくれる。
自給自足の生活で、医療道具も確かあった筈だ。
とにかく一時的にでも処置を施さなければ、到底助からない。
現場をそのままにするのは心苦しいが、人命には代えられない。
男は負傷者を抱えた瞬間、血に濡れた顔が浮き彫りになる。
――負傷者は、まだ十代の少年だった。
「記憶喪失!? 事故の事も何も……?」
「ああ。ベットを占領して、毎日ボケっとしてやがるよ」
グラスを丁寧に磨きながら、風格のある年配の男が無愛想に言い放った。
労働階級の住居や工場が並ぶ区域――貧民が住まう場所の外れにに古びた酒場が存在する。
飾り気の無い外観だが、退廃的な雰囲気が独特の空気を醸し出している。
数人がやっと座れるコの字型のカウンターに、殺伐とした飴色の天井や壁。
カウンターは奥で折れ曲がり、沢山の種類が並ぶが並ぶ冷蔵庫が置いてある。
華やかさこそないが、静かな時間を好む人間に重宝される酒場だった。
元々男も賑やかな場は苦手で、世間から隔離されたこの酒場に時折立ち寄っている。
主は変わった人間だった。
古き年月を重ねた外見から第二世代初期――もしくは第一世代に該当する人間。
タラークは世代重視、特に軍事国家を建国した第一世代は尊敬の対象。
第一世代の頂点に立つグラン・パは神の如く敬われる。
この世代の多くは国家の重鎮として政治や経済に深く関わり、絶大な権力を手にしている。
なのに彼は都市の片隅の小さな酒場を趣味で開いていて、世間から離れて住んでいた。
休暇で幾度か店を訪れた際に、カウンター内に一人座って本を読む姿を見かけている。
情報類は一般的にデータで保存されており、紙の媒体はその殆どが姿を消しつつある時代――珍しい光景と言えた。
負傷者の治療に此処を頼ったのも、以前任務で負った怪我を見咎められて治療を受けた事があってこそだった。
応急処置程度を期待して運び込んだのだが、文句の一つも言わずに主は軍人の自分が驚くほど見事な治療を行った。
結局重傷を負った少年はそのまま酒場の二階で集中治療、男は主の指示で医療器具や薬を施設から運ばされた。
隠蔽工作含めてその辺の対応は大変だったが、その甲斐あって少年は意識を取り戻した。
――ようやく安心した矢先に、この痛々しい診断結果である。
酒場の主の話では、目覚めた少年は自分の名前も思い出せないらしい。
自分の身寄りや階級、所属、身元の何もかもが記憶から消えている。
事故の後遺症の可能性が一番高いが、気休めにもならない。
男にとっても頭の痛い話だった。
あの奇妙な事故はその後現場調査が行われたが、大規模な衝撃が起きた原因は不明。
近隣の建物に影響は無く、住民にも影響は少なかった。
日々重労働を強いられる三等民にとっては、少ない休眠時間を妨げる騒音程度にしか思わなかったようだ。
目撃者は無く、怪我人は一人を除いて居ない。
つまり――重傷を負った少年だけだった。
少年の身元を調べるにも、手掛かり一つ見つけられない。
着ていた服は破れてゴミ捨て場行き、身元に繋がる持ち物もなかった。
負傷者の血液や遺伝子を採取して検査を行ったが、奇妙な事に国民登録情報に少年のデータが存在しないのだ。
男社会のタラークは、通常クローン技術で生まれて遺伝子情報の登録が行われる。
生まれながらに背番号を背負わされ、階級が与えられるのだ。
そのデータが存在しない――場合によっては、大事になる。
最悪未登録により処分される危険もあった。
国家に忠実な男は悩みに悩んだが、彼は非情に徹し切れなかった。
せめて少年の口から事実を知りたかったが、それも叶わず。
結局彼は報告を行わず、少年の存在は記憶と共に国から消滅した。
――救いがあるとすれば、この偏屈な友人が少年の身柄を引き取ってくれた事だろう。
理由を聞くと、
「記憶喪失なら、生きる理由も目的も何もねえ。国にも認知されねえ死人だ。
遠慮なくこき使ってやる」
……時折様子を見に来よう、苦笑いと共に彼は固く誓った。
此処は貧民街、労働階級の溜まり場。
客も滅多に来ない酒場となれば、国から目を付けられる事も無い。
自分が便宜を図れば、少年は少なくとも生きていける。
あの事故現場で彼を救った以上、自分には彼を見守る責任がある。
思い出も何もかもを喪った辛い身の上だが、せめて生きてくれれば――そう願って。
過去を取り戻せなかったとしても、未来はまだ掴めるのだから。
彼の新しい人生に、今日は乾杯しよう。
少し高価な酒を注文すると、主人は愉快げに笑う。
「呼び名もねえんじゃ不便だからよ、名前も付けてやったよ」
聞いて、男は笑った。
記憶喪失という事実に陰鬱になっていた自分が、恥ずかしい。
なるほど……彼は生まれ持った宿命などない。
階級も照合も、過去も思い出も何も無い自由な存在。
純粋な風のように、何にも縛られず空を飛べる――
「カイ・ピュアウインド――覚えてやってくれ」
<END>
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