とらいあんぐるハート3 To a you side 第十一楽章 亡き子をしのぶ歌 第八十八話
――記憶喪失という病気には、いくつかの種類がある。
記憶を思い出すことが出来ない、記銘障害。新たな事を覚えることができない、追想障害。俺の場合は前者に当たると、銀髪の女性が診断してくれた。
頭部類に外傷は見当たらなかったので、心因性による記銘障害なのだろう。大きな精神的ストレス等の心的外傷が原因となって、発症してしまうのだ。
不快な体験や出来事などにより、精神に傷を負って記憶が失われてしまったらしい。
「特殊な魔導を用いれば、精神への攻撃も可能だ。過去のお前は自ら進んで戦場へ向かい、戦い続けた。強大な魔導師と戦った結果、精神に大きな負荷がかかった」
「なるほど……それで精神療養も兼ねて、俺は今此処にいるのか」
「平和で退屈かもしれないが、今のお前には必要な事だ。まずは身体を落ち着かせて、心を休めるといい」
微笑みさえも美しい女性に案内された先は、山と海に囲まれた自然豊かな世界であった。
動植物が楽しげに生きており、空間の全てが安らぎに満たされている。どこかで見たような素朴な田舎の光景だが、生憎と俺達以外に人の気配はなかった。
緑に満たされた世界の中心に一軒家があり、女性の柔らかな手に引かれてお邪魔する。素朴な家だが不便は感じられず、静かに過ごせそうな生活環境が整っている。
落ち着いた状況の中で、俺は女性に声をかける。
「記憶がなくて申し訳ないんだが、俺と一緒にいてくれるあんたは誰なんだ」
「私はリインフォース、お前と永遠を誓った仲だ」
「え、永遠……? それってつまり、恋仲ということか」
「生憎と結婚はしていないが、お前に望まれるのであれば叶えよう。身も心も、お前に捧げている」
「うーむ、尚更申し訳ないな……それほど大切に想ってくれている人を、忘れるなんて」
「お前は長年、私を――私達を苦しめ続けた運命から、開放してくれた。お前が起こした奇跡には、感謝という言葉では言い尽くせない恩を感じている。
この気持ちが愛だというのであれば、私はお前を愛していると言い切れるだろう。
心苦しく思う必要は何もない。今日から私がずっとお前の傍にいる――心安らかに、生きてくれ」
リインフォースと名乗る、銀髪の女性。顔も名前も覚えは全く無いのだが、一目見れば忘れられない美貌を誇っている。愛情溢れる眼差しでさえも温かく、透き通っている。
誰でも着ているような平凡な服装でも、彼女の整った肢体は隠せない。蠱惑的な肉体を際立たせてしまうだけで、異性の目を容赦なく奪ってしまう。
これほどまでの女性に愛されている自分という人間、よほど出来た男だったのだろうか。鏡でも見たいのだが、逆に落ち込んでしまいそうなのでやめておく。
平和な家に優しく迎えられて、俺はどんな顔をしているのだろうか。笑っているのだろうか、それとも――
「心に傷を負っている以外では、特に身体は異常はなさそうだな」
「立ち話をしていても疲れるだろう。家に入って、ゆっくり話そうじゃないか。今日から時間は幾らでもあるのだから」
「あんたほどの女性と、ここで今日から一緒に暮らすのか。なんだか実感がわかないな」
「記憶がなければ無理もない。過去のことを無理に思い出さなくてもいいんだぞ」
「いや、そうはいかない。あんたと今日から一緒に生活するんだ、愛する人との思い出は共有したいからな」
「私のような女を愛してくれるというのか、ありがとう。
思い出はこれからたくさん作れるさ、私達は愛し合っているのだからな」
気持ちは正直ついていけていないのだが、リインフォースのように優しくて綺麗な女性ならすぐに愛せるようになるだろう。自分の気持ちを打ち明けると、とても嬉しそうに笑ってくれた。
二人出会いを確認したところで、自分の家に入る。飾ったインテリア等は特にないのだが、生活に不自由するような雑居ではない。家の中を見回って、二人の家を実感していく。
部屋割を決めようと思ったのだが、一緒の部屋を懇願されたので照れ臭くはあったが承諾する。素直に頷くと、リインフォースは顔を真っ真っ赤にしつつも手を握り返してくれた。
間取りを決めた後は、二人でテーブルを囲んでお茶を飲む。環境が変わったことによる戸惑いも彼女と一緒にいるだけで落ち着いてきたので、そろそろ肝心なことを聞いてみた。
「俺自身のことについて聞いてもいいか」
「先程も言ったが、無理も思い出す必要はないんだぞ。思い出はこれからでも作れる」
「焦ってはいないんだ、特に。お前が一緒にいてくれるのであれば、俺は幸せに生きていけそうだからな」
「ありがとう……お前のその言葉だけで、私も幸せな気持ちになれる」
「ただ出来れば、あんたが好きになってくれた男になりたい。あんたが愛してくれた男について、聞かせてくれ」
家の中を彼女と歩き回って気付いたのだが、日常的な知識や経験は全く消えていなかった。会話をしていても大抵のことは理解できたし、生きていく上で必要な知識は揃っている。
足りないのは、人間であった。俺という人間も含めて、頭の中には何も残っていない。リインフォースと話していても、彼女のことを思い出すことは出来なかった。
不思議なのは愛する人を思い出せない事を、彼女が少しも悲しまない事だ。リインフォースを愛する気持ちを無くしているというのに、彼女がただ優しく微笑んでいる。
思い出す必要なんてないのだと、気遣ってくれている。聖女でもない限り、愛とは執着するものではないのだろうか。
「お前の気持ちは、よく分かった。私との関係を大切にしてくれるその想いは、本当に嬉しい。ならば、お前には思い出の品を渡そう」
「お、いいね。そういうのがあるのなら、ぜひ受け取りたい」
「少し待っていろ」
……? 少し、ほんの少しだが――彼女が初めて、哀しそうな顔をした。
俺と一緒にいるだけで幸せそうにしていた彼女が、束の間見せた肖像。まるで春風に消えてしまったかのように、すぐに彼女は微笑みを取り戻して立ち上がる。
少しの間別の部屋へ行ったかと思えば、すぐに戻ってくる。手に持っていたのは、一冊の書籍。飾った想定も何もない、何処にもありそうな本だった。
彼女は手にしていた本を、そのまま俺に手渡した。
「お前が過去、大切にしていた品だ」
「どれどれ……何だ、何も書かれていないじゃないか」
「目次を見てみろ」
ペラペラとめくってみるが、本の中身は空っぽ。挿絵も文章も何も記載されていない、白紙の本。何で俺がこんな本を大切にしていたのか、まるで分からない。
首を傾げていると、リインフォースが綺麗な指で表紙をなぞって教えてくれる。目次なんぞなかったと思うのだが、もう一度本を開いてみる。
するとそこには、先程白紙だった筈のページに目次が刻まれていた――と、何だこれ。
1.八神はやて
2.アリサ・ローウェル
3.ミヤ
4.アリシア・テスタロッサ
5.リニス
6.綺堂さくら
7.月村すずか
8.月村忍
9.ノエル・綺堂・エーアリヒカイト
10.ファリン・綺堂・エーアリヒカイト
11.カーミラ・マンシュタイン
12.カミーユ・オードラン
13.トーレ
14.チンク
15.ドゥーエ
16.シュテル・ザ・デストラクター
17.レヴィ・ザ・スラッシャー
18.ロード・ディアーチェ
19.ユーリ・エーベルヴァイン
20.ナハトヴァール
21.リスティ・シンクレア・クロフォード
22.リスティ・槇原
23.フィリス・矢沢
24.セルフィ・アルバレット
25.オリヴィエ・ゼーゲブレヒト
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666.リインフォース・アインス
「目次に、それぞれ人の名前っぽいのが記載されているな」
「……」
「数字のような名前があるから、本当に人の名前なのかどうかは定かではないけど」
「……私の、名前……」
「うん? ああ、最後の目次にお前の名前が記載されているな。
なんだ、お前の本名はリインフォース・アインスというのか――えっ、何で泣いているんだ!?」
「お前は、あの戦いを通じて私の願いを叶えようとしていたのか……お前を裏切った女の事を一番に考えて……それを、私は……!」
最後の目次に刻まれた名前を見た瞬間、リインフォースは泣き崩れてしまった。悲しみに上擦るように、喜びの悲鳴を上げて。
正直何を言っているのか分からないので困惑するしかないのだが、俺も男である以上泣いた女をそのままには出来ない。大切に想っていたようだからな、俺という男は。
惚れた女を泣かせたままにしておくなんて、男にすることではない。幸いにもどういう対応すればいいのか、ここへ来て学ぶことが出来た。
落ち着くまで、側にいてやることだ。こいつが、俺にしてくれたように。
「大丈夫、何も悲しむことなんてない。お前には、俺がいるだろう」
「……うん。そうだな、私にはお前がいる。お前さえいれば、私がそれでいい」
「そうか」
「運命に縛られて生きていくのは、もう疲れた。頼む、何処にも行かないでくれ」
「何処にも行かないよ」
何処にも行ったりしないさ――何処へ行けばいいのか、分からないのだから。
不自由なことなんて、なにもない。人間なんぞ、夢や希望を抱かなくても生きていける。住めば都なんて便利な言葉くらいは、覚えているからな。
ずっとふたりで抱き合ったまま、お互いに夢の様な時間を過ごす。娯楽も何もない生活でも、こいつさえいれば俺は幸せだった。
何もなくたって、俺は――
……
……
……何か、なかっただろうか。
「リインフォース、俺はこの本の他に何か持っていなかったか」
「……何が言いたいんだ」
「何か、何か持っていた気がするんだが――むぐっ!?」
――そうだ、俺はなにかこの手に持っていた気がする。もしかして俺は『そいつを無くしたから』、記憶も心も失ったのではないだろうか。
それが何なのか思い出そうとすると、リインフォースが口吻をしてくる。舌まで絡めて、積極的に俺を求めてきた。
甘い女の香りに包まれて、自分に浮かんだ疑問が消える。そうだな、もう無くしてしまったものだ。きっと、大切でも何でもなかったのだろう。
俺にはリインフォースが居るんだから、それでいいじゃないか。
「お腹が空いただろう、食事を作ってくる」
「おお、楽しみにしていよう」
「ふふ、期待していてくれ。お前の好きな和食くらいは、作れるぞ」
清潔なエプロンを着ながら、愛する彼女は鼻歌交じりにキッチンへと向かう。うーん、美人の彼女のエプロン姿もいいもんだ。
カップル自慢なんぞ柄でもない気がするが、こういうのは彼女が出来るとやってみたくなるものらしい。なんだか、楽しくて仕方がない。
彼女の後ろ姿を見惚れるのもいいのだが、リインフォースの邪魔になってしまう。とはいえ、ぼんやりするのも何だしな。
茶の間に映ると、テレビが置いてあった。ニュースでもやっているのか、電源を入れてみる。
「おっ、なんか面白そうな映画がやっているな。
なになに――『魔法少女リリカルなのは Detonation』?」
『――オルティアさん。申し訳ありません、父上が囚われてしまいました』
『深刻な事態ではありますが、戦闘等により不在となる場合も我々は想定しておりました。作戦パターンをβに切り替えます。
聖騎士様にセッテさん、よろしくおねがいします』
『お任せを。必ずや、お役目を果たしてみせましょう』
『陛下は大丈夫、必ず勝つ』
<続く>
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