とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第六十六話
――人間という生き物は、急に水中に引きずり込まれると、恐怖よりも混乱してしまう。その混乱が冷静な判断を乱して、溺死する結果を招いてしまう。水場のない環境では、余計に。
本棚に寄りかかった瞬間に背後から引きずり込まれて、沼の中。棚ではなく沼、底のない沼に延々と引きずり込まれていく。落下感がないのが、余計に恐ろしい。
何が起きているのか分からないまま、視界が闇に閉ざされている。考えが纏まらないまま、闇に飲まれていく。このままでは危険だと本能が訴えても、思考が纏まらない。
人間であれば、死んでいる。されど剣士は、人ではない――人を斬る存在だ。
「"解放"」
時空管理局の本局においてデバイスは取り上げられる事はないが、制限は課せられる。戦闘機能は通常封じられるが、所詮竹で出来た模造品であれば規制の対象外である。
俺の命令をキーワードとして、竹刀袋に封じられていた刃が解放。剣士は生存本能よりも、殺人本能が上回る。自分への危機よりも、他人への危害を優先する。最悪の人でなしなのだ。
あらゆる封印、あらゆる常識、あらゆる倫理から解き放たれた剣が、怒りの声を上げる。心技一体、人は聖王へと転生する。
小さい子供姿のオリヴィエが、肩に乗った。
"幼子であれど、我が子に手出しは許しません――粛清!"
「ウキャー!?」
意外と愉快な悲鳴が上がった途端に、引きずり込まれていく感覚が消失。勢いが止まって、ようやく冷静さを取り戻した。慌てふためいていた自分の不甲斐なさに嘆息して――気付いた。
呼吸が、行えている。沼の中というのはあくまで感覚でしかなく、本当に水中に引きずり込まれた訳ではないらしい。だからこそ、聖王オリヴィエを解放出来たのだろう。
肩に小さな手が乗っているのを、自覚する。咄嗟に振り解こうとして、思い止まった。何処に引きずり込まれたのか分からない状況で、敵であろうと手を離すのは危険だ。下手するとそのまま落ちる。
どういう状況でどういうつもりなのか分からないが、いくら何でも無理心中するつもりはないだろう。竹刀を手にして、鋭く斬りつけるように語りかける。
「地上へ上げないと、お前を殺す」
「こ、ころすとかちょっとひどくないかな!?」
相手が何者か問わず、相手が何のつもりかも語りかけない。無駄な問答は一切排除して、自分を活かすか殺すかの要求を突きつける。此処は敵の土俵であり、敵の思惑の渦中にあるのだから。
マフィアやテロリスト達と戦い、交渉したことで培った経験則。攻撃されたのであれば、妥協は不要。然るべき対処と、然るべき態度を持って、敵対してこそ勝機を見出だせる。
その心積もりで挑んだのだが、意外にも幼い声で驚愕を口にされる。明らかな子供、高町なのは達と同じ少女の声。青い果実を切っても苦味が出るだけで、美味くはない。
だからと言って態度を軟化させるほど、お人好しではない。ミッドチルダでは少女でも人を殺せる力量を持っている、侮れない。
「二度は言わないぞ」
「ふふーん、いいのかな。"ディープダイバー"をかいじょすれば、パパさんはいきうめだよ」
――魔導師ではなく、能力者。恐らく、セッテ達と同じ生まれ持った能力を宿す少女。能力は恐らく、地面を潜る力を秘めている。少女は自由自在に、文字通り地面を泳げる。
少女の発言と前後に起きた出来事を検証して、自分なりに持っている知識を元に推測する。事例が多々あるので助かった。セッテ達と出逢っていなければ、訳も分からず恐慌していたことだろう。
この少女が恐らく、先程地面に沈んでいったあの娘だ。追跡者が大胆にも襲い掛かってくるとは思わなかったが、俺としては話が早くて助かる。
確かにこの状況は、敵の思うままにある――だが俺という人でなしを、お前は軽く見ている。
「なるほど、つまりお前と一緒なら能力は解除出来ないな――ガシッ」
「うきゃー、なにするの!?」
肩に置かれた手を引き寄せて、思いっきりしがみ付く。強引に抱き締めているのと同じだが、案の定花も恥じらう少女は悲鳴を上げた。言っただろう、剣士は人でなしだと。
日本では事案に該当するセクハラ行為だが、戦場では何が起ころうと許される。世間の評価など、俺の知った事ではない。自分の歯を折って龍の目を潰した俺を侮るなよ。
嫌がって大暴れしているが、能力を解除する気配はない。やはり同乗していると、能力は対象者にも適用される。任意の操作は不可能なのだろう、そこまで便利な能力ではない。
勿論単純に少女の柔らかな身体を堪能する余裕なんぞない、メチャクチャ締め上げている。
「はーなーしーてー!」
「二度は言わない」
「むぐぐ、クールパパさんめ。『きみのむすめ』はないてるぞー!」
「訳分からん事を言ってないで、早く戻せ」
――余裕ぶっているが、実はビビっていた。泳ぐ速度は異常に早い、地面の下を豪快に泳ぎ回って振り解こうとしている。ずば抜けた能力と、卓越した身体能力だった。
抱き締めてみると細い身体ではあるのだが、肉付きは決して悪くない。水泳選手のような、無駄のない引き締まった身体。能力に合わせた身体を持ち合わせている、結構ヤバイぞ。
少女の精神が未熟なのが、救いだった。多分妹さんやセッテのように使命感に特化した精神性だったら、多分俺の方がもたずに離していただろう。それほど推進力が高い。
もしもこの少女が順調に育てば、恐ろしい戦士になっていただろう。今この時点で勝敗を決められるのは、むしろ幸運だった。
「こ、こうさん、こうさーんします!」
「よし、上へ上げろ」
「うう、みてろ……アタシはしまいのひとりにすぎぬのだ……」
涙目で声を震わせながらも、負け惜しみを言っている。ちょっと可愛らしく感じられたが、愛嬌ある部分を見せたからと言って容赦はしない。固く抱き締めていると、浮上していく感覚が蘇った。
オリヴィエを解放しないとヤバイ相手だった。どんな背後があるのか分からないが、まずはクロノ達を呼んで素性を確認しなければならない。子供であろうと、尋問は必要だ。
何とか勝利できたが、能力そのものはかなり便利で危ない力だ。少女が悪意を持って能力を行使すれば、幅広く悪事を行えるだろう。きちんと、締め上げなければ。
浮上していくとやがて視界が晴れ渡る、どうやら戻ってこれたようだ。地面の中ではよく見えなかった少女の顔を見て――えっ!?
「金髪、じゃない!?」
俺の胸元で涙目のままこちらを睨みつける少女の髪は、自然豊かな緑の綺麗な髪――先程の追跡者とは、髪の色が異なっている。
その瞬間、竹刀を逆手に取った。
"息子よ、後ろです!"
「ツインブレイズ」
怨霊に忠告されるまでもない――剣士の殺気は、同じ剣士であれば容易に感じ取れる。逆手に取った竹刀を、手捌きにより薙いだ。見事な剣戟が、鳴り響いた。
剣士の華麗な剣を何とか弾いて、舌打ち。先程の緑髪の少女が、消えている。俺の注意が逸れたその瞬間に、地面に潜って逃げたのだろう。女の子とは思えない判断力と反射神経だった。
竹刀を、構える。緑髪よりもやや幼い顔立ちをした、少女剣士。カチューシャをつけた、茶色のロングヘアーの少女。少女ながらに美しい容貌をしており、麗しく目元が整っている。
苦々しく、顔を歪めた。緑髪の強襲で懸念した精神性、使命に満ちた揺るぎなき決意がこの少女にはあった。
「おはつにおめにかかります、おとうさま」
「"お父様"……?」
問答無用の狼藉、戸惑いつつも周辺を確認。クロノ達と一緒にいた先程の所とは、全く違う。どうやら、無限書庫の深層にまで落とされたようだ。
周囲を確認しても、人影が全くない。高く並べられた本棚は、壁にしかなっていない。誰かの救援は期待できそうになかった。
娘達を呼んでもいいのだが、相手は少女である。剣士であろうと少女を相手に助けを呼ぶのは、多少躊躇われた。
剣士であろうと、少女。少女であろうと、剣士――この認識が、俺の判断を鈍らせたのかもしれない。
「"宮本"をうけついだわたしの剣、"ツインブレイズ"――剣をふるわせていただきます」
――この少女は今、何と言ったのか。情熱を失った自分に変わって、剣を振るう。俺の名を受け継いで剣士になるのだと、少女は美しく宣言した。
冗談だと思いたかったのに、立眩みがする。眩いばかりの決意には、最強であるという自負が宿っている。その力強い瞳が、誰よりも俺の目を宿している。
竹刀を握りしめる手が、震えている。容姿も何も似ていないと言うのに、その目と意志が俺の生き写しであった。剣を振るうことが当然であるのだと、その目が語っている。
剣士として生きる事に、何の疑問も持っていなかった――今の俺とは、違って。
「剣士になんて、なるもんじゃない」
そして今、俺は何と言ったのか。自分は剣士に戻ろうと躍起になっている中で、俺と同じ目をした少女には人として生きることを促している。
自分のような人でなしにはなるなと、少女に忠告している。どの口がほざくのか、どんな顔をして言うのか、どんな意思を持って少女を否定するのか。
剣を、握りしめる。少女でありながら、何と完成された立ち振舞いなのか。呆れ果てるほど真っ直ぐで、見惚れてしまうほど立派に剣を構えている。
少女は、言った。
「おとうさまのように、なりたいのです」
それは――その言葉は、その意志は他の誰よりも見過ごせなかった。
嫉妬なんていう、浅ましい感情ではない。羨望なんていう、身勝手な気持ちではない。尊敬なんていう、立派な思いで出はない。
この子は、持っている。
「ならば」
俺が失っていた――情熱を、持っている。
「俺を倒して、自分の証を立ててみろ」
この子と戦えば――思い出せる。
「まいります」
瞬殺の、双剣士。二刀の戦士を相手に、高らかに剣を鳴らした。
<続く>
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