とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第三十六話






 元々天狗という名は中国において、凶事を知らせる星を意味する言葉である。平地民が山地を異界として畏怖し、山で起きる数々の自然現象を怪異な現象として天狗の仕業であると叫んだ。

人にて人ならず、鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、足手は人、かしらは犬、左右に羽はえ、飛び歩く者――その正体こそが、天狗。彼らが群れをなして、天狗一族となった。

鳥のくちばしと翼を持った鳥類系天狗の形状を色濃く残す妖怪こそ、烏天狗。夜更けに川面を飛び交い、河流れる魚でさえ取る事が可能な精度の高い飛翔能力こそ、彼らの脅威とも言える。


ただし、狭いトイレの中では全く無意味な能力である。


「抜刀術、右の型か。竹刀なんぞでは技を生かせぬわ、未熟者め!」

「抜刀術は出来ないが、その理念は生かせるぞ」


 ――強い、その一言に尽きる敵。暗殺という手段を取ったのは、あくまで効率を重視したからだ。実力は恐らく騎士団長級、天狗一族は選りすぐりの刺客を送ってきた。


自分が未熟者ではある事は否定しない。そして自覚しているという事は、罵詈雑言の類とはならないという事だ。敵の罵倒を受け流し、あくまで攻防にのみ専念する。

竹刀である以上、抜刀術に拘る必要性は微塵もない。技の形ではなく本質を語ってくれたのは、御神美沙斗師匠である。理念に通じれば技へと為らずとも、剣の本質へと到達する。

右足親指の付け根と右膝を軸にして、時計回りに身体を転身させる。飛び交う羽根を逆袈裟に斬って、敵と向き合う。妖怪は猛然と向かってくるが、その動きはあくまで直線である。


右足を引き、切先を下げてそのまま振りかぶる。直線状に動く敵は回避が難しく顔を顰めるが、羽を広げて跳ぶ。しかしここは手洗い場、天井は低く結局動きは止まってしまう。


そこへ左足を踏み出して、真向より斬る。これこそ、右の型の意義。抜刀術とはならなくても、拘らなければ剣術として活かせる。跳んでも飛べない敵には対処できない。

さりとて敵は天狗、飛べずとも羽はある。羽撃かせて迫りくる竹刀を撃ち落とし、鋭い爪で猛然と俺の顔を切り裂かんとする。戦場では、天を制する者が優位となる。


だがあくまで、ここはトイレだ。内心渋々ではあったがトイレの床を転がって、竹刀を投げる。無駄な抵抗だと天狗は竹刀を払ったその隙に、俺は洗面台に飛び乗った。


「右の型、断空剣」

「! 何たる邪道、足で剣の動きを模するか!?」


 柄に手をかけるのと同時に敵を向き、腰を上げてゆく事が右の型の抜刀術。この腰の動きを利用して足を跳ね上げて、洗面台を蹴って敵を蹴り飛ばした。

敵はかろうじて回避したが、広げた羽は急に畳めない。そして俺の目標は、その広げた羽。羽毛が舞って、敵の羽に一閃の傷が入る。切り飛ばす事は出来なかったようだ。

確かな効果は望めなかったが、俺の技量を考えれば希望的観測でしかない。失望こそしたが、絶望はない。床に降りるのと同時に、先程投げて転がった竹刀を拾い上げた。

本腰を入れて望む。正面の敵に対して逆袈裟で返し、一歩下がった敵に対しては袈裟で斬る。敵は攻防を繰り返す中で、ようやく自分の失態を悟った。


異形を成す自分の身体が、ガタついている――トイレとはそもそも突起物が多い場所、縦横無尽に暴れ回れば当然各所にぶつかって傷がつく。


「つまらぬ小細工を持ち掛ける。人間らしい、浅はかな戦法よ」

「生還が目的だ、勝利には拘らない」


 馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。俺はもう自分の精神状態を思い知っている。剣の意欲に欠けている以上、勝利を望む心さえ毒にしか為りえない。

憎たらしい女ではあるが、デブとの試合は大いに役に立った。剣への意欲がなく、剣への特別は失われた。剣士であるべき姿勢にも拘る必要はもうない。

ならば何故、剣を取るのか。どうして、剣を手に戦わなければならないのか。この先、どうやって生きていくのか。考えなければならないことは多い。


そして敵は、俺が考える事を許してはくれない。ならば戦うしかない、何の価値もなくなったこの剣を手にしても。


「不意打ちに失敗した以上、俺を暗殺するのは不可能だぞ」

「望むところよ。我が命が尽きようとも、貴様の命を奪えば本望だ」


「そんなアンタが羨ましいよ」

「何……?」


 手を引けとは言わなかった。護衛や騎士団がすぐにでも急行してくる事を、この天狗は知っている。俺が保有する戦力を正しく理解した上で、この奇襲に命懸けで挑んでいる。

任務に忠実な人間を見ていると、剣士であろうとした自分に重なってくる。かくあるべきという考え方は思考の停止でしかないのだが、さりとて別の生き方は出来ない。

我が道を行くという在り方は頑固一徹と言われようと、本人が望む生き方だ。他人にケチを付けられても、自分が望んでいるのであればそれこそ本望であろう。


口出しは一切、しなかった。正しいのか、間違えているのか、勝敗で決めるしかない。


「貴様こそ、肝心の仲間はどうした。大口を叩く割には、誰一人来ないではないか」

「今も、俺を守ってくれているさ」

「……」


 俺の言葉に、天狗は固く嘴を合わせた――やはり単独で俺を狙ってはいなかった、数か月前に襲い掛かってきたやり方と同じだ。天狗は一族、集団で刺客が放たれている。

今頃セッテ率いる騎士団が天狗一族の刺客達を速やかに制圧し、聖騎士が観客や保護者達を安心させるように、目に見える形で警護を行っている。この会場は夜の一族の姫君達にあらゆる観点から支配されている。

肝心の俺の警護は、妹さんが行っている。俺のみならず、俺の戦いに至るまで護衛を行っている。誰一人巻き込まぬように周囲を警戒した上で、影に隠れて経過を見守っているのは分かっていた。


俺の命が少しでも脅かされれば、すぐにでも戦場へ飛び込んで来るだろう。まだあの子は俺を剣士として尊重してくれている、なんと嬉しき護衛であろうか。


「貴様の名を知っているが、敢えて名乗らぬ。名もなき刺客として、貴様の命を頂くぞ」

「いいだろう」


 剣に眠る霊魂、アリシアとオリヴィエに呼びかける。重火器に匹敵する羽根の弾丸を風で吹き散らし、妖怪と呼ばれる伝説上の生き物を破邪の剣戟で追い払った。

トイレの扉が吹き飛んで、天狗が通路へと飛び出す。すかさず相手が周囲を見渡して舌打ち、通路もまた細長くて狭い。せっかくの羽が十二分に生かせない。

外へ飛び出そうとする敵に対して拳を振るうが、若造の拳と鼻息を鳴らして払われ打撃を返される。喧嘩には慣れているが、鍛え上げられた戦士とチンピラでは格が違う。胸に突き刺さって、苦痛の声を上げてしまう。


目の前が暗くなるが、舌を豪快に噛んで耐える。原始的な気付けに敵が呆れた顔をするが、頭突きをかますと今度が敵がうめき声を上げてよろめいた――チャンス。


剣における突きは単純に見えて、実は斬るよりも技量が要求される。線ではなく点での攻撃は、急所を狙わなければ分厚い肉体に効果を与えられないからだ。

もっとも、敵が天狗であれば話は別。硬い肉体ではなく、柔らかい羽を狙えば急所もクソもあったものではない。放った突きは、簡単に羽に突き刺さった。

そのまま腕力を駆使して振り抜くと、天狗は壁にぶつかって床に転がった。痛手を与えた感触に頬を緩ませず、関節を緩ませて膝から踵へと動かしてそのまま踏み付けた。


「なかなか小賢しい真似をする」

「! 二階へ上がるつもりか」


 されど敵とて然る者、無様に転がり回るのではなく体勢を変えてその場から退避。通路の向こうにあるのは階段、わざわざ足をかけずに飛び去っていった。

立体的な動きが加わると、地に足がついた戦いをする剣士が圧倒的に不利だ。ガルダ戦でよく分かっている。魔龍戦では、自分のそうした怠慢でミヤが殺された。


二度と、同じ過ちは繰り返さない。だからもう、剣士であることにも拘らない!!


「人魔一体」

『ネフィリムフィスト!』


 一秒経過、俺に取り憑いた聖王が通路を端から端へと一気に駆け抜ける。
 二秒経過、階段に到着した聖王は地を蹴って、一気に二階へと駆け上がる。
 三秒経過、二階へ到着した聖王が敵を発見、壁に足をかけてそのまま縦横無尽に走り抜けて――


「ば、馬鹿な――たかが人間が、壁走りだと!?」

『アクセルスマッシュ』


 偉大なる聖王の魔力がこめられたアッパーカットが炸裂――幾重にも張られた天井を次々と突き破って、天狗を大空へと吹き飛ばした。

四秒経過。


『ナックルブレイク』


 壁を走り、穴の空いた天井を駆け抜け、大空へと飛び上がって――螺旋を描きながら宙を舞っている敵を、撃ち落とした。


「これで、五秒だ」

「ガ、ハ……!」


 上空から叩き落された敵が落ちた先は、試合会場。オリヴィエは急降下して――そのまま試合会場の屋根を蹴り貫き再び試合場へと降りて、憑依が解けた。上空からの着地の衝撃で、試合会場に大穴が空いた。

俺が会場内で戦っている以上避難は出来ないとの判断か、試合会場には関係者一同が勢揃いしていた。屋根を砕いて降りてきた俺に呆然とするデブ達はともかくとして、白旗の面々は落ち着いたものだった。

流石と言うべきか、天狗はまだ息があった。本来であれば殴られたくらいでは墜落しないだろうが、羽が傷付けられていては話は別。落下速度を完全には殺せない。


頭から血を流しながらも、天狗は起き上がった。


「我らが悲願、貴様に邪魔はさせぬ」

「理想を捨てられない者の末路は、俺とて同じ。最後まで付き合おう」


「……フッ、命を奪う敵とこのように話すものではないな」

「全くだ、俺もあんたを憎めそうにない。所詮、似た者同士だ」


 笑い合うが、俺達は殺し合っている。眼前に迫り来る爪は目潰しではなく顔そのものを潰しにかかっている、剣を構えて制止。一種の鍔迫り合いになるが、腕力であれば負けない。

押しも引くもせめぎ合いが続くが、根負けしたのは向こうだった。我慢比べは、弱者であった経験を持つ人間が有利。長く辛い時期を耐えた長さが、優位を分ける。

剣を突き飛ばして、そのまま爪で縦横無尽に襲い掛かってくる。一進一退の攻防となれば今度は我慢ではなく、技量の差が分ける。我慢したままでは、単に傷つくだけだ。


瞼を切られた俺は敵の頬を切り、額を裂かれた俺は敵の耳を切り飛ばし、胸を抉られた俺は敵の腕を切り裂いた。そして――



爪が肩に刺さった瞬間、剣先が敵の胸に突き刺さる。



「……」

「……」


 俺は全身から血を流し――敵は、口から血を吐いた。


「……魔を払う、剣か。今や我ら一族も世界に乱を起こす闇でしかないというのか、剣士よ」

「言ったたろう、人間も天狗も似た者同士だ――誰にでも心には、光と闇がある」

「闇を抱えてまで、何故光ある剣を振るわんとする?」


「俺が、聞きたいよ」


 天狗は、倒れない。血を吐いているのに、立って羽を広げている。聖王に落とされて羽はもうボロボロだ、どれほど跳ぼうと大空へと飛び立てない。

剣を取る。俺が死ぬまで、敵は殺すことを止めない。それこそ命に変えても、止めないだろう。血反吐を吐き散らしながらも、爪や牙を振りかざす天狗は悪鬼そのものに見えた。

だとするならば血を流して剣を振り回す俺は、一体敵にどう見えているのだろう――似た者同士だと、自嘲する。傷つき、疲れ果てても、剣を振るのを止めたりはしない。


もう楽しくも何とも無いのに、意欲も何もないのに、剣には何の価値だってないのに、



俺は今日も、剣を振るっている。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「"面抜き胴"」


 天狗が俺の顔に爪を突き立てようとした瞬間、胴に入り込んで胸を切り裂いた。タイミングを誤れば首をもがれていたが、天空を駆ける敵と渡り合った俺にミスはなかった。

恐ろしい速さで迫り来る天狗は鷹を思わせる鋭さであったが、魔龍に比べれば鷹も形無しだ。もっとも鷹と龍を比較する事自体、どうかしているか。

苦笑いしながら剣を振って、敵の血を払った。


「……創愛。私の目の前にいるあの剣士は、どなたですか?」

「世界が、英雄と呼ぶ人――それが今の、私達の幼馴染よ」


 手加減は何一つしなかったが、どうやらまだ命はあるらしい。促すと聖騎士が心得た様子で走り寄り、倒れ伏す天狗を運んでいった。手強い敵だった……あんな妖怪に狙われているのか。

それにしてもやはりフィリスの言う通り、俺は敵を斬る事に躊躇しなくなっている。ただ強敵だった天狗との戦いに比べて、デブとの試合には大きな意味があった。

剣には価値はない。剣士でいることに意味はない。その事実を痛感しただけでも、一歩前進だろう。心の在り方は、確実に変わったのだから。


顔から夥しく流れる血を拭い、俺は唖然としているデブへと向き合った。


「待たせて、すまなかった。三本目を、始めようか」

「……っ!」


 デブは形の良い瞼を震わせて、首を横に振った。試合場へ上がって膝を付き、丁寧な仕草で頭を下げる。昔は俺が強制させた土下座を、自分から進んで行う事で礼とする。

女心というのは、幼馴染でも分からなかった。













<続く>








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