とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第三話
警察という組織は社会の治安を維持する責任を課された行政機関であり、国民の安全を守る義務がある。その組織の一員である警察官は民を守ってくれるが、民を全員愛しているのではない。
彼らとて人間、好き嫌いは当然ある。清く正しく生きている人間と、勉強も労働もせずに旅する浮浪者との扱いは当然異なる。社会に奉仕しない人間まで、彼らは積極的に守ろうとはしない。
自由気ままな一人旅をしていた頃、俺にとって警察は野犬より警戒に値する脅威であった。動物より同じ人間の方が風当たりが強く、補導されそうになった事なんて数え切れない。
勉強は若者の義務、労働は大人の義務。義務を果たさない人間を、手厚く保護する必要もない。たとえ善行を行っても、彼らは悪行のみを中止して罰する。人間扱いなんてされなかった。
そんな俺が今、まるで国の英雄であるが如く歓迎されている。取り調べとは名ばかりで、まるで重役接待を受けている気分だった。俺の一挙一動に大袈裟に反応されるのは、何とも不気味である。
帰国早々に遭遇してしまった、通り魔事件。犯人逮捕に貢献して今、海鳴警察署で事情聴取を受けている。署長にわざわざ出迎えられての、歓迎歓待ではあったが。
通り魔を一人捕まえたというだけで、これほど警察から感謝されたりはしない。身元不明、保護者不在の浮浪者。勉強もせず遊んでいる十代の若者に警察がまずすべきなのは、注意だろう。
今の世の中、ヒーローなんて必要とはされていない。英雄願望で刃物を振り回す大人に立ち向かうなんて、迷惑極まりないのだ。怪我でもされたら、責任は何故か警察が負わされるのだから。
なのに、この歓迎ぶり。理由は察している。先月、世界中であれほどド派手に俺は宣伝されてしまったのだ。この国を担う政府が、俺という存在そのものを外交の道具にしているとも聞いている。
学生証や免許書よりも分かりやすい、身元保証。国家の神輿となっているから警察も手荒く扱えないというのも、皮肉が利いた話だった。神輿なんぞ手荒く扱うべきであろうに。
そして唯一浮浪者だった俺を差別しなかった人間はもう、この警察署にはいない。
『リスティ・槙原さん? 彼女は先月、警察の民間協力を辞められたよ』
先程あいつが警察署に居たのは通り魔事件発生ではなく、俺の帰国を知らされての待ち伏せだったらしい。リスティはもう、警察関係者ではなくなっていた。
あくまで民間協力という形だったが、リスティは警察の一員として積極的に市民の安全を守るべく働いていた。あいつなりに正義があり、守るべきものがあったのだ。
フィリス・矢沢、フィアッセ・クリステラ。そのどちらも奪われて、大切なものを喪って、守るべきものを見出だせず、正義を無くしてしまった。
俺は大きな思い違いをしていたのだ。健常者であるというだけで、あいつも立派に失っていた。俺への憎しみだけで、動いていただけなのだ。
フィリスは意識を、フィアッセは声を――リスティは正義を失って、完全に壊れてしまっていた。
(どうして)
フィアッセもリスティも生きてはいるが、生き甲斐を失っている。幸福なんて到底掴めないだろう。この先愛する者の死を待つだけの、人生の敗残者に成り果ててしまったのだ。
俺は、知っている。人間とは、ただ生きているだけでは駄目なのだ。自分もそうであったように、一人で生きてはいけても、生き続けていくには理由が必要となる。
歌が歌えない歌姫、正義のない警察官。新しい目標を見つけられたとしても、以前の彼女達ではなくなっているだろう。俺が知っている彼女達はもう、いない。
フィリスが死ねば、残る二人もガラス細工のように砕け散る。
(どうして、こうなった)
丁寧な事情聴取、接待じみた取り調べも、ちっとも頭に入ってこない。それでも受け答えが出来ているのは、今だに他人事だと思っているからだろうか?
俺の責任だと、リスティは激しく責め立てた。俺と出逢ったから、フィリスが不幸になったとハッキリ言われた。耳の鼓膜が震え、今でも頭の中に鳴り響いている。
俺が、他人を殺してしまった。剣士として生きる決意をしたこの俺が、他人を傷つけてショックを受けている。今更、他人を殺したことに罪悪感を感じている。
俺は――
「帰国早々、本当にご立派ですな。凶悪な通り魔から非力な一般市民を守った。日本が誇るサムライですよ、貴方は」
「侍……この、俺が?」
「ええ、勿論! 私の息子も、貴方の活躍をテレビで見てすっかりファンに――」
「何が……何が、サムライだぁぁぁーーー!」
ドイツの英雄、世界平和の象徴、日本のサムライ。それほどご立派な人間ならば、何故自分の身内を傷つけている! どうして、恩を仇で返している!?
椅子を乱暴に蹴って立ち上がり、取り調べをしていた刑事に殴りかかる。口汚く喚き散らし、横暴に暴力を振るい、意味不明に暴れ回る。
純真な乙女達の血で治した手で、無関係な人間に危害を加える。人の優しさを説いた医者が、出逢った人達が温かくしてくれた心を、血と涙で染め上げる。
全ての人間を裏切って、俺は罪を犯す――そうなる、はずだったのに。
「い、だだだだだだだっ!?」
振り上げた拳が、拳を形作る指が、指にはめられたデバイスが激しく締めつける。頭に上った血さえ絞り上げるように、指輪は俺を強く制する。
湖の騎士シャマルの、クラールヴィント。俺自身の意志では外せない、戒めの道具。目の前で困惑する刑事をよそに、指輪は光を放っていた。
指輪は――指輪の主はたった一言、告げた。
"やめなさい"
八つ当たりしようとしていた俺を諌めるどころか、まるで俺自身を労るような声。怒りではなく、悲しみに染まったその声に、俺はようやく冷静になれた。
蹴飛ばしてしまった椅子を戻して座り、刑事さんに平身低頭。恐縮する俺を、刑事さんは戸惑いながらも笑って許してくれた。
旅の疲れが出たのだろうと、その後の事情聴取も簡略化されて予定よりも早く終了。身元保証人に綺堂さくらの名を出して、取り調べは終わった。
高町や八神の名は、おいそれとは出せない。世界会議を経て、俺の身元は夜の一族が保証してくれる事となった。警察から彼女に連絡を取り、事の経緯は伝わった。
といっても、彼女はもう何もかもご存知だったが。
『帰国早々どうして通り魔に遭遇するのよ、まだ一日も経過していないのに。貴方は一体、どんな星の下に生まれたのかしら』
『忍はどうでもいいけど、妹さんには大丈夫だと伝えておいてくれ』
『久し振りの日本を一人で満喫したいと、すずかを帰したんでしょう。ニュースで知って、私も何度も連絡してきたのよ。
すずかだけではないわ。カレン様やディアーナ様からは真っ先に説明を求められたし、クリスチーナ様なんて報復を求められたのよ。ヴァイオラ様やカミーユ様も見舞いに行くと、聞かないし。
何度かけても、貴方の携帯電話に繋がらないから大変だったわ』
繋がらないのではない。他の誰かに繋げられる余裕がなかったのだ。俺を護ってくれる妹さんの声も聞きたくはなかった、今だけは。
帰国してきた時とは違う意味で、今は一人になりたかった。何かに追い立てられるように、俺はさくらに事情を説明して電話を切る。
引き止めようとする警察を飛び出して、俺は町中へと足早に歩いて行く。とにかく、懐かしい町を見たかった。何も変わっていないのだと、思いたかった。
そう、思いたかったんだ。
「……何だよ、これ……」
一ヶ月、たった一ヶ月留守にしていただけだ。たかが31日、簡単に変わるものじゃない。単なる一ヶ月で、急激な変化など望めようもない。そう思っていたのに、裏切られた。
俺の知っている海鳴町は、何処にもなかった。面影だけを残して、町が発展している。昔の良き名残だけを明確にして、海鳴町は見事に発展していた。
歩く度に風景が変わり、思い出を上書きしていく。田舎町といえば聞こえはいいが、過疎化しつつあった町が完全に復興されていた。
急な都会化、自然を犠牲にした発展であれば、嫌悪もしただろう。そうではない。海鳴の良き自然、風土を尊重して、町に新しい息吹が与えられている。
どういう意図があって、こんな真似をしたんだ。どう見ても明らかに、利益なんて無視している。海鳴の大いなる発展と、生きる人々の幸福を願う意思だけが働いていた。
利益だけの商売なんてありえない。誰かが利益を生み出せば、誰かが損をする。これほどの素晴らしい変化を生み出せば一番損をするのは、肝心の金を出した人間だ。
町に生きる人々にとっては、喜ばしい限りだろう。この町に生きる俺だって、喜ぶべきなのだ。でも、でも――!
「まさか――これも、俺が原因なのか……」
目を背けたかった。俺が帰りたかった場所は、変化していた。俺だけが、取り残されている。そして、その変化の理由は他ならぬ俺なのだ。
気が狂いそうだった。まるで町まで、俺を責めているみたいだった。全部、何もかもが書き換わっている。俺のせいで、何もかも変わってしまっている。
俺は、走った。とにかく、見たかった。変わっていないものを、確認したかった。そうでなければ、どうにかなってしまいそうだった。
変わってしまった町でも、道順だけは間違えない。どれほど変わっても、方角だけは変わらない。絶対に間違えない自信はあった。
あそこならきっと、変わっていない。あそこは皆に愛されていた。変化するなんて、ありえない。今でも変わらずに、建っている。少し、休憩しよう。
誰もが落ち着ける、憩いのお店――翠屋に、顔を出そう。
『閉店しました』
――時計を、確認する。閉店時間まで、まだ時間はある。今日は休みなのか? だったら何故、閉店の看板に消えようのない埃で汚れているんだ。
喫茶店の扉をノックする。激しく叩く。人の気配はない。ははは、何を言っている。俺は気配なんて読めない。クリスチーナのようにはいかない。誰かがいても、気づかない。
誰も、いない。店長は、何処へ行った? 店員のフィアッセは――フィアッセ? そ、そんな……フィアッセがああなったからなのか?
「……う、嘘だろ……へ、閉店って……明日は開くんだよな? そうなんだよな!?」
返事はない。ある訳がない。誰も居ないのだから。店長が――桃子が、喫茶店を捨ててしまったから? 嘘だ、あいつはこの店を家族同然に大事にしていた。
――家族? 家族は、どうなった。フィアッセは、どうなった。あいつは桃子の家族なのに、声が出なくなった。接客なんて、出来ない。笑顔が、消えてしまった。
彼女達の笑顔を奪ったのは、誰だ……?
悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。俺じゃない、俺のせいじゃない。じゃあ、誰のせいだ? 誰と関わって、こうなってしまったんだ。
何処へ行けばいい。高町家は、崩壊してしまった。八神家? あいつらに、騎士達にどんな顔を見せろと言うんだ。何もかも、滅茶苦茶にしておいて。
俺は、走った。人からも、町からも、離れて、ただひたすらに走った。縋りつくように、俺は逃げ場所を求めた。だから、あそこへ行こうと思ったんだろう。
俺が変わり始めた原点、大切な出会いの場。アリサと出逢った、廃ビルに。
『取り壊し工事中につき、関係者以外の立入り禁止』
"お前が、この町に来なければ、よかったんだ"
――ごめんなさい。
<続く>
|
小説を読んでいただいてありがとうございました。
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。
メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。
[ NEXT ]
[ BACK ]
[ INDEX ] |
Powered by FormMailer.