とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第一話





 女の悲鳴が聞きたかった――事件後、男はそう証言したという。



四十代の男性、無職。独身で、親しい友人も恋人もいない。家賃滞納でアパートを追い出されて宿なし、持ち金もなく路上で細々と生活を続けるしか出来ない。その根気すら、続かない。

時間だけが残酷に過ぎていって、心身共に栄養が失われていくばかり。何をするのも億劫だった男はやがて自分以外の全てに責任を押し付け、他人を恨み、世界を呪った。

男は、許せなかった。自分の不幸を、他人の幸福を断じて許せなかった。なのに努力することだけは嫌がって、一番楽で安易な手段を選んでしまった。考えるのも、面倒で。


武器を、手にしたのである。



「お、おいおい、あいつ……」

「ひっ、あの人!?」 「……やべぇ、だ、誰か、警察呼べよ……!」


 その日は、容赦なく晴れていた。カンカン照りの、真夏の日。日差しが強くて、蒸し暑い。日本特有の暑さが猛威をふるい、人々の思考から容易く平常心を奪った。

平日、駅前の大通りは朝から行き交う人が多くて、ロータリーも車で混み合っている。誰もが目に付くその場所で、汚れた一張羅の男はニヤついた顔で刃物を手にぶら下げている。

家庭用の長包丁、スーパーで売られている道具。金がなかった男は盗みを働いて、他人を殺せる力を手にしたのである。万引きで得た強さに、男はご満悦であった。

女であれば誰でもよかった。男は強烈に異性を求めていた。一度も自分には訪れなかった、甘い時間。四十年間溜め込んだ欲望が、殺意にまみれて解放されていた。

子供でも、大人でも、赤ん坊であっても、かまわない。切り刻みたい、泣かせたい、狂わせたい。誰でもいいから、誰でもいそうな駅前を選んだ。ただ、それだけだった。


――買い物帰りのフィアッセ・クリステラが狙われたのは、不運としかいいようがなかった。


「おい、ねーちゃん」

「……っ、っっ……!」


 外国人の。見目麗しい、金髪の女性。地味な服装でも到底隠せない、同性をも魅了する豊満な肢体。声をかけて呼び止めた男は、舌舐めずりする。

男女問わず周囲から悲鳴が上がり、罵声と怒声が乱れ飛ぶ。フィアッセだけが、悲鳴を上げない。買い物袋を落とし、顔を青ざめて涙を滲ませて必死に首を振るだけ。

恐怖に身体を震わせながら周囲に目を向けるが、誰も助けようとしない。誰もが、誰かが助けに入るのを待っている。正義の味方が、ヒロインを救うのを期待している。


当事者に――ましてや、被害者には絶対になりたくないから。


子供は親に助けを求める。若者は大人に救いを求める。大人は警察に応援を求める。老人は神様に奇跡を求める。そして、誰も応えようとはしない。

男はけたたましく笑って、涎を垂れ流しながら包丁を振りかざした。女は男が襲いかかってくるのを見て、腰を抜かした。刃が胸に突き刺さるのに、抵抗ができない。

間もなく訪れる悲劇に、誰もが悲鳴を上げた。絶叫した。歌姫の声なき声が、あらん限りに飛び出した。


"たすけて"





――俺が飛び込んだのは、その時だった。





「やっと平和な日本に帰って来たのに、また通り魔の登場か。どうなっているんだ、この町は」


 フィアッセに切りかかろうとしていた男の襟首を無造作に掴んで、そのまま力いっぱい地面に引きずり倒した。男はぐげっ、と気持ち悪い声をあげて苦悶する。

治ったばかりの利き腕はリハビリさえも必要とせず、自然に力が込められる。夜の一族の後継者達の血、吸血姫の祝福を受けて完全に元通りになっていた。

本当にそのまま元通りで、それ以上でもそれ以下でもない。欧州の覇者たちの血であるにも関わらず、特別な力は何も授かっていない。単純に治っただけだった。

本来は完治不能な大怪我だ、治っただけでも僥倖なのだがちょっと不満だった。カレン達には、俺らしいと苦笑されてしまったしな。俺は嘆息して、倒れた男を見やる。

力尽くで倒したのに、男は包丁を手放さなかった。その姿に強い共感と――それ以上の怒りが湧いた。フィアッセを背に庇って、男と向き合う。


「この町へようこそ、昔の俺」

「あん……?」


 地面に唾を吐きかけて、男は立ち上がって俺を睨む。何を言っているのか分からず、余計に苛立ったらしい。俺も別に、男に聞かせるつもりで言ったのではない。

町中で包丁を振り回す、だらしのない風体の男。周囲は奇異と忌避の視線で男を見つめている。男は他人の目を煩わしそうにしながらも、受け流していた。


この男は、昔の俺だった。そして、未来の俺でもあった。アリサ達と出逢わなければ、俺はきっとこうなっていただろう。


男を一目見て、分かった。男が過去どう生きてきて、どうして今に至ったのか。未来に何を求めて、凶行に出たのか。その全てを、容易く理解できた。

俺も山から棒切れを拾って、他人に振り回していたのだ。天下を取るなんて馬鹿なことを言って、恥も知らずに傲慢に生きていた。

剣で生きると言っておきながら、剣の修業なんてロクにしなかった。なりふり構わず他人を傷付けていれば、そのうち強くなると勝手に思っていた。

俺とこいつの、何が違うというのだろう。何が違って、こうなったのだろう。俺も男も鏡のように相手を見つめて、苛立ちを強めた。


分かるのは、もう決して分かり合えないということだけだ。


「馬鹿なことしやがって……そんな真似したって、何も得られないぞ」

「うるせえ! 偉そうに、説教するんじゃねえよ!!」

「そうやって否定してばかりいるから、自分を心から肯定できないんだ。そのくせ、誰からも認められたいと身勝手に思っている。馬鹿じゃねえのか。

他人を好きになれない奴が、他人から好かれると思っているのか」


 説教なんてするつもりもない。女帝を倒したあの時に、俺はもう過去と決別している。俺はこいつのように、最低のクズだった。だからこの町でやり直すと、決めたんだ。

男は、包丁をかまえる。刃物の使い方がなっていないとカッコよく言えればいいのだが、生憎と俺も知識だけのド素人だった。師匠には厳しく教えこまれたが、怪我の為実践稽古はしていない。

  技量は互角、というよりお互いにそんなものありはしない。才能なんてないから、ずっと停滞して腐っていたのだ。ブザマなだけの、弱者であった。


でも少なくとも、あの愛らしいロシアの殺人姫よりは勝ち目はありそうだ。


男は意味不明な罵声を吐き散らして、包丁を振り回してくる。素人でも殺意があれば包丁は凶器となり、男は殺人者へと化ける。下手をすれば、殺される。

戦術を考える暇もなく、男は俺に突進する。刃はまっすぐ、突き刺すつもりなのだと分かり一点に集中。タイミングを見て、蹴り上げる。男の手より、俺の足のほうが長い。

後の先を取ろうとして――男の手から、包丁が落ちる。驚くよりも先に体が動いて、爪先より練り上げた足で男を"蹴り裂いた"。


足で相手を切り裂く技、断空剣。男は、倒れた。



「ふぅ……何だ、これ――串……?」



 包丁を握っていた男の手に、鉄串が突き刺さっている。掌の中心を完全に貫通していた。こんな串で、骨まで貫いているのか!?

この男は確かに刃物の扱いは素人だったが、この乱戦時に男の刃物だけを狙えるなんて相当な技量だった。タイミングを狙っていた俺が滑稽に見えるほど、見事な瞬間。

待てよ……? この串、似たようなものを見たことがあるぞ。何だったかな、ガキの頃にテレビか漫画か何かで見たような気がする。えーと……あっ、そうだ!


確かこれ、手裏剣の一種で――


「ぐおっ!? 何だ、フィアッ――」

「……! ……!!」


 背に庇っていたフィアッセが胸に飛び込んでいて、そのまま号泣する。頭の中にわいた疑問すら焦がす、熱い悲しみと喜び。俺に縋ったまま、涙に溺れていた。

殺されそうになったというのもあるのだろうが、俺を抱き締める彼女の腕力の強さには強烈な安堵があった。もう二度と離さないという気持ちが、痛いほどこめられている。

彼女は、とても心優しい。海外に出てテロ事件に巻き込まれた俺を、きっと心配してくれたのだろう。だが、この頑なさにはそれ以上の何かが感じられる。


感動の再会、ではなかった。彼女から伝わる体温はとても温かいのに、どこか病的な冷たさが伝わってきた。どうして、こうも悲壮的に泣いているのか。


「おかーさん、あの人テレビに出ていた"サムライ"さんだよ! わるものを、やっつけてくれたよ!」

「マ、マジかよ、本当に和服を着てやがる!? マジもんの、サムライだぜ!」

「私達を助けに来てくれたんだ、ありがとう!」


 フィアッセを問い質そうとするが、その前に俺が問い質されてしまう。あっと言う間に人々に囲まれて、拍手喝采を浴びせられてしまった。なになに、何が起きたの!?

涙に濡れる外国人女性を抱き締める俺の姿をどういう目で見ているのか、感動の嵐であった。口々に褒め称えては、感激と感動に打ち震えている。

俺はほとんど何もしていないに等しいのだが、彼らにはそうは見えないらしい。男の手に刺さった串も、フィアッセの涙の理由も、彼らの目には写らない。

とりあえずフィアッセを一度離して、倒れている男を取り押さえる。すぐに警察も到着するだろう、帰国早々とんでもない騒ぎに巻き込まれてしまった。


溜息を吐いて俺は気絶している男を見やり、地面に転がっていた包丁を拾い上げる。


「こんなものに、頼りやがって。他人を傷付けて、自分の何を変えられるってんだ。
――なーんて、今も剣を手放せない俺が言えた台詞じゃねえけどな」

「――」

「けどよ、同類。刃物を置いて他人と話すのも、そう悪いもんじゃないぜ」


 面倒なことも多いけどな、苦笑いと共に自嘲する。刃物で女を殺そうとした犯罪者、最低であるがゆえに俺はこの男に思い入れを抱いているのだろう。受け入れる事はもう二度と無いだろうが。

包丁を、手にする。久し振りの刃を見ても、何も感じなかった。昔はあった剣への憧れは、今は感傷めいた懐かしさに変わっている。こんな俺には、あの竹刀がお似合いなのかもしれない。

それに、いきなり通り魔に遭遇する事態に出くわしたのだ。手も治ったし、早く自分の剣を手にしたい。


「一ヶ月ぶりだな、フィアッセ。フィリスの奴は、元気にしているか? あいつ、預けた俺の剣をちゃんと大事に――

お、おい、何で泣き出すんだよ!? どうしたんだ、一体!」


 フィアッセは泣きじゃくりながら、鞄からペンと手帳を取り出した。そのまま簡単にメモ書きして、俺に見せる。

とてもシンプルに、こう書かれていた。















『あの子は、死んだの』
















<続く>








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