とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 最終話
男は、名を名乗らなかった。俺も、問わなかった。何者であるのか、名前ではなく正体を知りたかった。他人を知る旅の終わりとして、この男を俺は理解したかったのだ。
相手もそのつもりで、わざわざこんな強引かつ理解不能な手段を用いて俺に接触してきたのだろう。妹さんや護衛チームも呼ばず、俺は白衣の男が映し出されたテレビの前に座る。
一度話しただけの関係なのだが、言葉に詰まる事はなかった。他人との交流には相変わらず慣れないが、弁論だけはこの一ヶ月し尽くしたからな。
「一応、あんたには礼を言っておく。あの時くれた小銭で、次に繋げられた」
『礼など不要だ。たった小銭一枚で、随分と私も楽しませてもらった』
世界会議で欧州の覇者たちと権力闘争してきたせいか、単なる言葉一つ一つに意味や意図を読み取る癖がついてしまった。少ない言葉から、自然と情報を読み取ろうとしてしまう。
男は慇懃無礼に、観客気取りで俺という人間を観ていた。率直にそう言って、俺が勘付いた時の反応を伺っている。覗き見されて、不快に思わない人間などいないだろう。
だがそれはあくまで、自分が人生の主人公であると思っている人間の感覚にすぎない。
「それほど舞台が面白かったのなら、おひねりくらい渡すのが礼儀だぜ」
『君の国の文化には疎くてね、申し訳ない。なにぶん、君の繰り広げる演劇に夢中になってしまったんだよ。文字通り、魅せられてしまった』
白衣の男は少しだけ意外そうに、それでいてその意外性を心から楽しむように笑顔を見せる。ずば抜けて頭のいい男だ、意外な反応をされても間を置かずに反応してくる。
アリサと同格の叡智を感じさせながらも、天才性は俺の中では重ならない。アリサと同じである事を拒絶しているのではなく、明確な違いが何処かにあるのだと自分の感性が訴えていた。
その感性が正しいことを証明するように、男は叡智の仮面を脱ぎ捨てて素顔を剥き出しにする。
『初めて君と出逢ったあの時、期待と失望を同時に感じた。出逢い方こそ奇抜であったが、考え方や行動原理はさほど特別製を感じなかった。私の誘いに乗らなかったのは、意外ではあったがね。
とはいえ、興味は持てた。自分自身の夢を探求しながらも、君の夢を興味深く分析させてもらったよ』
「行動ではなく、敢えて夢と曖昧な言葉で濁すのは何故だ。芝居が好きだから、芝居がかってでもいるのか」
『ふふ、すまないね。私らしくもなく、興奮しているのだよ。何しろ必死で分析しても、君の考え方や行動は常に私の想像の上をいった。
もっとも「ウーノ」に言わせれば、あくまで"斜め上"だそうだが』
くつくつと、男は身体を揺らして笑っている。熱弁を振るうその姿は、憧れていたヒーローやアイドルと対面したファンのようだった。この瞬間を、本当に楽しみにしていたのだろう。
無邪気なものだが、警戒こそしても悪意は感じられなかった。自分がどれほどファンであるかを、報告されるのは恥ずかしいというかこそばゆい。
生憎と俺は芸能人でも正義の味方でもないので、子供の憧れには応えられそうにない。
「舞台をどこまで観ていたのか分からないが、あんたは思い違いしているぜ。この物語は、一人舞台では成立しない。
脚本もない舞台では、大勢の役者と信頼出来るスタッフがいて初めて物語が生まれるんだ。皆が居たからこそ、客であるあんたを楽しませられた」
『君の意見には賛同は出来ても、納得までは出来ないな。君が居なければ、あの舞台は既に崩壊していた。人間達の醜い欲望によって、台無しになっていただろうね』
夜の一族の長が懸念していた後継者争いは異世界の技術を招き入れ、ロシアンマフィアとテロリスト達による抗争にまで発展してしまった。
俺は確かに彼らを助けたが、救世主を気取るつもりはない。この男の言う欲望は、他ならぬ俺自身も持ち合わせている。俺は自分の為に海外へ来て、神崎那美を置き去りにしたのだから。
男は欲深き人間を馬鹿にしているように見える。事実、見下してはいるのだろう。だが――
「けれど、その人間達のおかげで俺も救われたんだ。持ちつ持たれつじゃないか、世の中ってのは」
『私の見た限り、君は人間を純粋無垢に賛美はしていないだろう。否定的だったが、今は少しだけ肯定しようとしている――違うかね?』
「……そういうあんたも、人を見る目が変わってきているんじゃないのか」
男は人間を卑下していながらも、人間という在り方に興味を抱いている。本当に人間を嫌っているのならば、そもそも関心さえ抱いたりはしない。
一人で旅していた頃の俺は他人には本当に無関心で、好きになろうともしなかった。そのせいで他人を知らず、他人に負け続けてきた。自由ではあったが、俺は無価値だった。
この男は多分、俺とは違う。だが、このまま行けば俺のようになるだろう。人間に興味をなくしてしまえば、簡単に切り捨てられるようになる。
海鳴に流れ着かなければ、いずれケチな犯罪でもして一生を棒に振っていた。頭のいいこの男が、俺のようになってしまえば――
俺は、身を乗り出した。今の俺ならばきっと、過去の自分とも向き合える。
「あんたが俺の行動を読めなかったのは当然だよ。あんたの口振りからして、俺しか観ていなかったんだろう。ならば、分かるはずがない」
『君を理解したかったのだ、君を追うのは当然だろう』
「人間ってやつは、他人を知ることで変わっていくんだよ。自分の行動が他人に影響を与え、他人から影響を受けて自分も変わっていくんだ。
あんたは頭がいいかもしれないが、神様じゃない。いや、全知全能の神だって人の心までは読めないだろうよ。
観客席から訳知り顔で舞台を見ているだけじゃ、他ならぬあんたは何も変わらない。そんなあんたが、俺を読めるはずがない。
――と、自分でも内心気づいていたから、こうして俺に話しかけてきたんじゃねえのか?
案外あんたが一番分かっていないのは、自分自身かもしれないぜ」
男は、言葉を失っていた。俺の言葉に感銘を受けたのではなく、吟味しているように見える。まあ別段、特別なことは何も言っていないからな。
説教なんてするつもりはない。昔の自分には心底むかついているから、思いつくままに言ってやっただけだ。大事な人生を我が物顔で歩いていた自分が、本当に許せなかった。
『私が、私という存在を知らない――なるほど、その通りかもしれない』
「難しいことを言ったつもりはないがね、俺だって今の自分が最終地点だとは思っていない」
『ほう、更なる高みを目指すつもりなのかね』
「今がスタート地点なんだよ、俺は。何せ、学校にもロクに行かなかった悪ガキなんでね」
俺が苦笑すると、男はそれは感心できないと笑った。お互い名前も知らない関係なのに、何だか可笑しくて笑い合ってしまった。
男の人生観に共感を覚えないように、男も俺の言葉には特に心を揺さぶられるものはないだろう。それでもいいと、俺は思う。
誰とも話さずに引き篭ってしまえば、自分本位に歪んでしまうだけだから。ずっと一人だった俺は、そんな自分がどれほど醜いか知っている。
『一つ、聞きたい。君から見て、今の私はどう見えるかね』
「成功者――輝かしい将来が約束されている、才能ある人間。レールの上を、歩いている」
『皮肉と嫌味を交えていながらも、妬みはなさそうだ。馬鹿にはしていないようだね』
「レールを踏み外して自由に生きるなんて、お利口な生き方じゃねえからな。終点が何処かも分からないのに、好き勝手に走り回るなんてどうかしているよ。
自分の生き方なんて、そう簡単に見つかるもんじゃない」
今にして思えば、俺は旅に出て何処へ行きたかったんだろうな。剣で強くなる、天下を取る。そんな影も形もないものに縋って、迷走ばかりしてきた。
複雑なのは、旅に出たからこそ海鳴に辿り着けたのだ。あの町の人達に出会えて変われたのは、住み慣れた孤児院を自分の意志で出て行ったからだ。
だから人生というのは、難しい。男も、その点を指摘する。
『用意されたレールの上を淡々と歩くだけの人生というのも、退屈極まりないものだ。例えレールを壊してでも、飛び出したくもなる』
「その気持ちは分かるさ、俺もそうした。あんたもそうするつもりなら、止めたりはしないよ。見た感じ、俺より立派な大人だけどな。
ただ何処に行くのか、ちゃんと決めておいた方がいいぜ」
その言葉を聞いた瞬間、今度という今度こそ男が雷に打たれたように硬直する。俺をまじまじと見つめ、呆けた顔をして黙りこんでしまった。
おいおい、今の忠告こそありふれたものだろう。何にも特別なことなんて言ってないぞ。どこに衝撃を受ける要素があるというのだ。
テレビの向こうで、男は額に手を当ててよろけてしまう。
『ふっ――フハハハハ、ハハハハハハハハハハハ!!!』
「な、何だ!? どうした、いきなり!」
『はははははは……この私ともあろうものが、運命というものを感じるとは!』
「本当にどうしたんだよ、いきなり!」
『ウーノ、支度をしてくれ。今からすぐに、日本へ向かう』
「は……?」
『は……?』
俺と全く同じ反応を、映像の向こうで誰かがしていた。俺も大概突拍子のない男だといわれるが、こいつも負けず劣らずであった。
男の突然の思い付きに、テレビからでも分かるほど誰かが慌てていた。
『しかしドクター、今あの国へ行くのは危険です。御存知の通り例の捜査チームが独自で動いており、"評議会"からも警告と要請が――』
『"親"が用意した隠れ家にずっと引き篭っていても、安全なだけで退屈極まりない。レールの上を歩くのはもう、やめにするよ』
『れ、レール……? あのドクター、陛下と何の話をされたのですか!?』
『それとウーノ、"おひねり"というのはどういった文化か調べておいてくれ』
知らなかったのかよ!? 知ったかぶりで納得させられた俺が馬鹿みたいじゃねえか! いや、そんな事はどうでもいい。おいコラ、俺の国で何をするつもりだ。
画面をゲシゲシ蹴って男を呼び出すが、テレビから聞こえるのは男のはしゃぐ声ばかり。こいつまさか、俺の言葉を真に受けて行動するつもりじゃねえだろうな!?
ところが出てきたのは男ではなく、一人の女だった。
『お初にお目にかかります、陛下。こうした形ですが、お逢いできて光栄です。ええ、実に』
『は、はあ、あの……何か、怒ってません?』
『折角長年用意した計画をことごとく潰して下さって、ありがとうございました――ええ、本当に。
日本でお逢いできる日を、楽しみにしておりますね。直接お会いして色々言わないと気が済みませんし、ええ。
ふふふ、ふふふふふ……』
――シャットアウト。女の笑顔を最期に、映像が消える。そのまま電源も消せばいいのに、テレビの画面には実に意味深なノイズが走ったまま。ホラー映画顔負けの怖さだった。
寒気が走る。何なんだ、あいつら。くそう、マジでブルって震えが――頭まで痛く……
……あ、れ……?
そのまま、倒れた。
「――馬鹿は風邪引かないというけど、知恵熱出して寝こむ奴をどういえばいいのかしら。アホ?」
「侍君、会議中ずっと頭を抱えていたもんね。脳みそが、ショートしちゃったのかも」
「大丈夫ですか、剣士さん」
「……テレビに、女がぁぁぁ……」
「ノエル姉様。主の話では何も映っていないテレビ画面越しに女性から脅しを受けたとのことです」
「ローゼ。良介様はきっと、疲れておいでなのよ」
「良介様はずっと孤独に、悪の女幹部と戦っていたんです。今度からはわたし――こほん、一号がきっと助けに来てくれますよ!」
「……う〜、アリサ……」
「はいはい、来月から全部あたしが考えてあげるから寝てなさい」
こうして俺は寝込んだまま、飛行機で日本へと運ばれた。クリスチーナ達に、大笑いされて。うぐぐ……最後の最後まで、しまらねえ……
膝枕してくれているアリサは嘆息して、熱にうなされる俺を気遣うように手を握ってくれている。
少女に握られた利き手は、とても温かかった。
<END>
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