とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第八十五話
人に恨みを買うことは、それほど珍しいことではない。そもそも剣士を生業としていれば、人に好かれる方が難しい。他人を傷付けて、生きているのだから。
負の感情は誰でも持っているが、人それぞれで異なる。通り魔の爺さん、幽霊のアリサ、使い魔のアルフ、大魔導師のプレシア、夜天の守護騎士達。敵となった者達の敵意を、今でも覚えている。
俺が未熟者ゆえか、人の気配を感じ取るのは今も出来ない。けれど修羅場を多く潜り、生き死にの戦いを何度も行って、他人から向けられる害意は何となくだが肌で感じ取れる。
ティオレと名乗る、老婦人。優しい笑顔が魅力的な女性から感じ取れる感情は、濁りのない負の念であった。
通り魔のような敵意ではない。アリサのような嫌悪ではない。アルフのような殺意ではない。プレシアのような憎悪ではない。守護騎士達のような拒絶ではない。
多分自分自身でも制御の出来ない、感情。正しく生きて来た人間だからこその、相反する気持ち。他人を心から憎めない故に、心の中に隠せず他人に向けてしまっている。
いっその事敵ではあれば、どれほど楽であったか知れない。単純に、斬ればいい。人に恨まれることを恐れるようでは、剣士なんてやっていけない。敵は、倒すしかない。
海鳴で、あの優しい町で斬る以外のやり方を知ってしまった。だからこそ敵を前にしながら、剣を納めて話をする。
「ごめんなさいね、呼び立てるような形になってしまって。どうしても貴方と、直接お話がしたかったの」
「日本語が堪能な女性は大歓迎ですよ、マダム」
「ふふふ、ティオレでいいわ。公式の場ではないもの、もう少し気軽に話しましょう」
あまり何度も席を外したくはないのだが、英国の上院議員であるアルバート氏の強い要望があってティオレ婦人と非公式にこうして話をしている。
相手の言い分からすると、俺個人の事を知っているらしい。どうして、とは問わない。敢えて問うのであれば、何故俺との対談を望むのかであろう。
確かに俺の顔や名前は世界に広まっているが、今だけのものでしかない。何処にも所属せず、何者でもない俺は、今のままでは何も成さずに、静かに存在は消えていくだろう。
だからこそ自分から積極的に他人との対話を求め、他人を理解して他人に理解されるべく、孤軍奮闘している。少なくとも、今の俺は他人から求められる存在ではない。
そんな俺と話をしたいと思ってくれる他人は、本当にありがたいと思う。感謝をしたいのに、彼女の敵意が許してはくれない。
「随分と、ご活躍されているそうね。まるで映画のヒーローに巡り会えたような気分だわ。
貴方がこのパーティに参席されていると聞いて、久しぶりに胸が踊ったのよ」
「お恥ずかしながら、彼女は君との出会いを心待ちにしてはしゃいでいたのだよ。道中も、浮かれてしまって困ったものだ」
「大袈裟ですよ、幾ら何でも。悪党退治は、映画のようにはなかなかいきません」
生き残れただけでも奇跡的、口から出そうになった謙虚を強引に飲み込んだ。日本人の美徳は、海外では通じない。カレンがパーティ前に強く戒めていた。
つい先日まで尊大だった俺は海鳴町で殺された。自己愛的な自信なぞ、絶対の強者の前には紙屑のように脆かった。砕かれて自信は失われ、劣等感に満ちた敗北を与えられた。
テロリスト達との戦いも、自分の実力だけとは思っていない。誰かが助けてくれなければ、死んでいた。ならばこそ、生き残れた事を誇らなければ仲間の厚意が報われない。
他人と繋がれたからこそ、今の自分がここにいる。仲間達こそが、俺が世界に誇れる財産であった。
「ここドイツで起きた一連のテロ、どの事件においても祖国イギリスの民間人や要人が多く巻き込まれてしまった。何とも、痛ましい限りだ。
君の尽力がなければ、死傷者が出ていただろう。彼らを代表して、君に礼を言いたかった」
「死傷者が出ずに済んだのは、本当に良かったです。どの事件も規模が大きく、個人で被害を食い止めるには限界はあった。
彼らを本当の意味で救ったのは、痛ましい事件を早期に処理して安全に故郷へ送り届けた貴方達政治家のお力でしょう。
大人の力がなければ、ガキはいきがれませんよ」
「子供の正義感、というだけでは立ち向かえないでしょう。貴方は、立派だわ」
海外へ来て多くの他人と知り合い、向き合って来たつもりだったが、まだまだ他人を理解するには遠い。彼らがどういう心境なのか、今一つ理解できない。
お世辞や社交辞令ならば分かるのだが、彼らは本気で俺を褒め称えている。テロリスト達から弱き人々を救ったのだと、英雄であるかのように称賛してくれている。
それが本音だというのならば、何故俺にこうまで敵意を向けてくるのか。本人達が自覚していないのだから、聞き出すことも出来ない。
英国の上院議員に、権威ある老婦人。何とか支持を仰ぎたいのだが、本心が見えない内はアピールする機会も見えない。理解も出来ない他人に、支持されたくはない。
「つい先日起きた要人襲撃事件、ロシアンマフィアと悪名高きテロリスト達が手を組んで世界より非公式に集った要人を人質にせんとした。
もしも彼らの企みが実現していれば、過去に例のない規模のテロ事件となっていただろう。民間人もいた。情報が伝わった時は、青ざめてしまったものだよ。
一見平和に見えるが、まだまだ世界各国は火種を抱えている。テロリスト達の要求次第で、世界情勢が炎上していたかも知れない」
――言われてみればそうだ。俺はてっきり全員殺すつもりだと思っていたのだが、連中はアンジェラ達を最初は人質に取るつもりだったのかもしれない。
彼らは世界に名立たる欧州の覇者達、人質に取れば夜の一族だけではなく世界の手綱に握れる。ディアーナの親父さんは生粋のマフィア、それほどの野心を滾られていたに違いない。
たとえマフィアのボスが俺を殺さなくても、テロに屈さない各国が強硬手段に出ていたかもしれないのだ。そうなれば、少なくとも民間人の俺の命なぞ考慮しなかったであろう。
どうせボスは俺個人を血祭りに上げるつもりだったのだろうが、つくづく阻止出来た事に安堵の溜息がこぼれ出てしまう。世界中を震撼させたテロ事件、よく生き残れたものだ。
生き残れた理由があのアホ娘である事に納得出来ないものがあるが、束の間の平和を喜ぶべきだろう。
「日本政府は、一連のテロ事件を解決した君を今も懸命に捜索している。無論日本だけではない、ドイツ連邦共和国も君の安否を知りたがっている。
あくまでも公式的に、ではあるがね。実際、君はこうして無事な姿でパーティに参加している」
「襲撃事件に巻き込まれた日本人関係者も行方不明と聞いております。一刻も早く、保護を求めるべきだと思うわ」
ようやく、本題に入ってきた。最初に持ち上げておいて、自然な流れで自分の話したい内容に持って行く。他人との会話に、敵との交渉に慣れている証拠であった。
立派な忠告ではあるが、そもそも忠告とは相手の行動や思想に難があるから指摘しているのである。悪口や嘲笑ではない分、反論しづらく反撃の糸口が掴めない。
コミュニケーション能力がまだまだ劣っている俺では、政治家相手に太刀打ちは出来ない。剣を置いた時点で、俺の不利は確定的だった。ここまでは、ある種予想通りとも言える。
意外だったのは、俺への批判が的を得ていたものであること。本当に、俺に非があって逆に驚かされた。
「ご意見はごもっともですが、俺にはこのドイツでやるべき事がありまして」
「このパーティに参加しているのも、何か理由があっての事なのかね」
問い詰められている? いや、違うな。少し相手の出方を伺おう。
「せっかく招待されたのですから、お招きに預かるのは当然のことでしょう」
「君への歓迎と感謝を目的としているのならば、パーティへの参加を優先するのは仕方がないとも言える」
相手を肯定することで、否定に繋げる。露骨であって、露骨ではない。尻尾が掴めない相手の会話術に、臍を噛む思いだった。
このまま翻弄されていては、相手に飲み込まれるだけ。相手は政治家なのだ、いざとなれば俺の安全を最優先として保護を名目に連行される可能性もある。
あっ――それで、非公式の場としているのか。やられた……!
「……性質が悪いですよ。こっちにも事情があるのに」
「こうまで君の情報が表に出てこないのは、君自身を重用する何者かがいるという事だよ。求められる理由が必ずしも、良いことであるとは限らない。
君はもう少し、自分の立場を理解した方がいい」
俺が勘付いたことに気付いても、アルバート氏は少しも悪びれない。人格者であるが、食わせ者だ。ヴァイオラのママさんが紹介するだけの、人間ではあるということか。
助けを呼ぶべきだろうか? 駄目だ、強制送還する理由を作るだけだ。そもそも一連のテロ事件に関わっておいて、後始末もせずに自分勝手にしているのは無責任であり自分を危うくしている。
それでもこうして活動出来ているのか、さくら達が協力してくれているからだ。俺をマスメディアから守ってくれているのも、カレン達の力添えがあっての事だ。自分の力ではない。
アルバート氏の言い分は、分かった。しかし、この老婦人はどうして俺を――?
「それに、ご家族の方も心配されていると思うわ。一時期、テロリストによる貴方の死が世界中に報じられたもの。
その後生存は確認されたとはいえ、貴方は次々とテロ事件に巻き込まれている。私が貴方の家族ならば気が気でなくて、夜も眠れないわ。
事情があるのも分かるけど……貴方を心配するご家族がいるのも、忘れないでいて欲しいの」
――善意の押し付けは、時として悪意にもなりえる。人を見る目がないにも、程がある。自分の思い違いに、俺は心底呆れ返った。何度失敗すれば、自分の馬鹿さ加減を改善できるのか。
自分でも変わったつもりだったが、性根はなかなか変わらんものらしい。要するに俺は、善意を疑っていたのだ。押し付けがましい親切に、裏があるのだと勘ぐっていた。
家族を心配させている子供に、良い感情を向ける大人なんていないだろう。さりとて、それが明確な悪意とも限らないのだ。心配の、裏返しでもある。
自分の事情しか考えていない俺とは違い、ティオレ婦人は第三者の視点から世間事情と御家族の心情を考慮して俺の行動を咎めている。
その気持ちを敵意と表現するのは、人それぞれ。大人の注意を聞かない子供だっている。けれど、それが正しいのかどうか問われれば――返答に、窮するだろう。
世間が手放しで俺を絶賛する中で、彼らは冷静に俺と家族を心配してくれたのだ。俺個人を、どこまでも心配して。俺の家族の為に、心を痛めてくれて。
うちのめされた、気分だった。テロリスト達には勝てても、本当の大人には全然太刀打ち出来ていない。それは、俺が子供だからに他ならない。
泣きたくなった。が――大人ならば、自省だけで絶対に人に涙を見せたりはしない。変わりたいのならば、行動に移せ。後悔するだけで、終わるな。
「……家族に連絡はしたいのですが、どうしても出来ない事情があります」
「事情……?」
「ここだけの話にして欲しいのですが、俺は今特定勢力と戦っています。安易に保護を求めたり、誰かに連絡を取れば、その誰かを巻き込んでしまうんです。
確実に安全とは言えない以上、連絡はできない」
「! 詳しく、話を聞かせてくれ」
ドイツの氷室遊、アメリカのカレン・ウィリアムズ、イギリスのアンジェラ・ルーズヴェルト。テロリストの残党と、ロシアンマフィアの刺客。そして、行方不明の異世界の科学者。
奴らに弱みを見せれば、必ずつけ込まれる。家族に連絡すれば、確実に所在を突き止めるだろう。日本政府に保護を求めれば安全ではあるが、解決にはならない。
日本に生きて帰りたいのならば、勝利するしかない。ここまで来てしまったのだ、もう。どちらかが破滅するまでは、終われない。妥協も出来ない。
あいつらは、自分の家族も容赦なく権力の道具にする。まして、敵の家族であれば躊躇なく巻き込めるだろう。罪悪感を感じさえもせずに。
俺は、首を振った。何度問われても、頑なに俺は首を振るしかなかった。
「アルバートさん、ティオレさん。俺は、安全を必要とはしていないのです。共に戦ってくれる仲間を、俺は必要としている。
だから、このパーティに支援を求めて来ました。お気遣いは本当にありがたいのですが、お気持ちだけで十分です」
「ここ一ヶ月で起きたテロ事件の数々に、君が巻き込まれているのは偶然ではないのだろう!? 君のような民間人では、無理だ!」
「俺が貴方達に打ち明けられない事情は――政治家である貴方ならば、理解できるはずだ」
ガキの戯言だと一笑しないだけでも、十分だった。あまりにも荒唐無稽な俺の話を信じてくれている。二人が、本当の敵ではないだけでよかった。
「海外で、この敵地で貴方達のような優しい人達に出会えて嬉しかったです。ありがとうございました」
二人に握手をして、俺は自分なりに優しく救いの手を払いのけた。彼らに頼れば生きて帰れる、その可能性を自分で摘み取ったのだ。
支援を求めてきて、まさかの気遣い。救いの手が出てきて少々戸惑ってしまったが、金や権力による支援よりも遥かにありがたかった。
心配してくれる人達が、海外にもいる。ただそれだけでも、俺は決して一人じゃない。孤立無援では、断じてない。戦うことが、出来る。
アンジェラ達は決して、世界を滅ぼす敵ではない。けれど、俺はあいつらを許せない。
家族を道具にしたあいつらを――海鳴の理念を否定する連中を、たたき斬ってやる。自分の手を、治して。
「待って」
「――何でしょう?」
「本当に、ごめんなさい。敢えて、私は貴方にきちんと名乗らなかった。非礼を、お詫びするわ。
私の名は、ティオレ・"クリステラ"――英国にあるクリステラ・ソングスクールの校長を務めております」
「私は、アルバート・クリステラと言う。私達の名に、聞き覚えはないかね?」
「クリステラ――まさか、フィアッセの!?」
「貴方に英語を教えているあの子の、両親よ。宮本良介君、貴方がフィアッセを本当の家族のように大切に思ってくれているのなら――
私達を、信じてはくれないかしら?」
「君を、全面的に支援したい。君に代わり、君の無事を君の家族に伝えよう。君の家族は、私達が必ず守る。約束しよう。
ありがとう、素直な気持ちを聞かせてくれて。勝手な話だが、君へのわだかまりが解けたよ」
こうして、後顧の憂いは完全に絶てた。見えない不安に脅かされる日々は、今終わったのだ。海鳴での繋がりがまた、俺を救ってくれた。
これでもう高町家を、八神家の連中を巻き込むことはない。自分の戦いに、専念できる。後は、敵を倒すだけだ。
人間関係は複雑怪奇、何度も悩まされたものだが――やはり、素晴らしい。人との出会いにこそ、新しい可能性がある。俺は、確信できた。
他人がいれば、俺は必ず強くなれる。
<続く>
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