とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第四十八話
                              
                                
	
  
 
 銃弾飛び交う戦場の最前線に唯一人で立たされる、とは今の状況を言うのだろうか? ほんの少しのきっかけで掃射されて死ぬ。 
 
血を重んじる夜の一族の世界会議、世界を牛耳る者達に血が目的であると知られてしまった。最大の禁忌、殺人よりも重い罪。 
 
敵意なんて生易しいものではない。一言でも間違えれば殺される。法律も通じない闇の舞踏会、倫理すら通じずに葬り去られる。 
 
嘲笑うのは、罪状を読み上げた女裁判官。イギリスの女帝が哀れみの目で、調理場に送られる豚を見下ろしている。 
 
 
 
――馬鹿め。 
 
 
 
「あんたは根本的に勘違いしているよ」 
 
『聞き違いとでも言うつもりかい? 日本人特有の曖昧な言い回しはこの場じゃ通らないよ』 
 
「確かに俺はあんた達夜の一族の血を求めて、ドイツまで来た。見ての通りの怪我でね、一族の再生力でしか治らないと確信している」 
 
 
 たった一度の邂逅、十分足らずの会話。あれであんたは俺を分析したように、俺もあんたを理解していた。 
 
俺から全てを奪った、残酷で容赦のない徹底した手腕。敵となったら、骨までしゃぶり尽くす。無力な民は、女王に献上するのみ。 
 
弁論の戦いであっても、容赦なく殺しに来る。言葉で俺を殺すには、テロリストの疑いをかけるのが一番。無実であろうと、関係ない。 
 
 
そこまで想定していた俺が、何の対策も練らずに戦場に立つ訳がなかろう。これは、負けられない戦いなのだ。 
 
 
『理由はどうあれ、あんたはアタシらの血を狙ったんだ。許し難い事だよ』 
 
「あんたはそこを勘違いしている。俺は狙っていない、血を求めていると言ったんだ』 
 
『曖昧な言い方は通じないと、忠告したはずだよ。逃げ口上は、アタシらへの侮辱と取る』 
 
「耄碌したか、"女帝"。これ以上俺をガッカリさせないでくれ」 
 
 
 銃を突き付けられているのに、不遜な態度を取り続ける。敵は俺を殺す気なのだ、殺意を見せる敵に命乞いは意味が無い。 
 
世界会議は言葉のみを武器とする。言わば個々の発言力こそが、武力や権力を超える戦力となるのだ。存在感を見せるのが、肝心。 
 
 
映画と同じだ――絶体絶命の危機であるからこそ、堂々とした振る舞いは観客を魅せる。 
 
 
「テロリストは不老長寿に固執し、俺は回復能力を求めている。似ているようだが、決定的に違う。 
癒しを求めるには、祝福が必要。ただ血を飲むだけじゃ駄目なんだ、己の血を与えるに足る相手であると認められなければならない」 
 
 
 自分の腕に巻かれた包帯を、引き千切る。生々しい負傷の痕、浅黒い血がこびり付いた傷が刻まれている。 
 
 
「そうでなければ、血は俺を拒絶するだろう。そうでなくとも俺は人間、あんた達夜の一族とは異なる種族だ。 
人間同士でも、血液型に違いがあれば身体は拒絶する。分かるかい、女帝殿? 血を奪うなんて、以ての外なんだ。 
 
略奪は、強者に与えられる特権。弱者は一人では生きられないから、相手に支えてもらわなければならない」 
 
 
 自分一人では、生きられない。先月決定的に敗北して、惚れてくれた女を泣かせてようやく思い知った結論。 
 
狼達の集う会議場で、自分は羊である事を宣言する。それは新たな敗北であり、何よりの釈明となるのだ。 
 
 
白旗を上げることで、逆に優位に立つ――そんな戦い方を知らない女帝は、ここへ来て初めて戸惑いを見せた。 
 
 
『……だから、アタシらに血を恵んでもらおうと? 金や力よりも尊き血を、己を鼓舞出来ない敗者に分けろというのか!』 
 
「力が弱ければ、強者に勝てない道理なんてない。弱いからといって、戦えない理由にはならない。 
自分が弱者であることを認めた上で、俺はアンタ達にこうして挑戦しに来た。剣も持たず、裸一貫で。 
 
友情や愛情だけが、必ずしも相手の理解を得られるとは限らない。だからこそ平和的に、かつ攻撃的にこの場に馳せ参じている。 
 
あんたはイギリスの女王、奴隷と握手する身分ではない。あんたと分かり合うには、戦って勝つしかないと思っている。 
俺は宣戦布告をして、あんたはそれを受け入れたはずだ。なのに、裏切り者扱い――心外だ。正直なところ、失望させられた。 
 
 
あんたもこの場に席を置く身ならば、堂々と俺を負かせてみろ」 
 
 
 これは、お互いのプライドを賭けた戦い。強者と弱者、どちらが強いのか。その意義をかけて、同じ戦場に立っている。 
 
負ければ、互いの血を差し出す。この場において血は命に等しい、敗北すれば死ぬだけだ。 
 
 
死を最初から覚悟していた者と、己の敗北を予想もしなかった者――その差が明確に、表面化する。 
 
 
「……」 
 
「……」 
 
 
 さあ、銃を撃てるものなら撃ってみろ。俺を狩れるものなら、やってみろ。その瞬間、お前は誇りを失うのだ。 
 
俺は死ぬが、お前は敗北する。絶対に、お前の勝利にはならない。敗者の血を、後継者として誰が認めるものか。 
 
 
弱者を切り捨てようとしたその時に、お前はもう負けていたのさ。アリンコ一匹踏み潰すだけで、お前は全てを失う。 
 
 
『――ちっ、憎たらしいガキだね。アタシの頬を堂々と引っ叩く身の程知らずは、イギリスにはもういないよ』 
 
「残念だったな、俺は日本人なんだ」 
 
『お前を正直、見くびっていたよ。なかなかいい男じゃないか、踏み潰すのが正直惜しくなった』 
 
「せいぜい足の裏を噛まれないように、注意しろよ」 
  
『くっくっく……長よ、アタシの発言を取り下げるよ。この馬鹿に、裏切りなんて賢い真似は出来っこないさ』 
 
 
 女帝が自らの発言を撤回した、この事実に他ならぬイギリスの陣営が戦慄した。在り得ぬ話、会議場全体がどよめきに満たされた。 
 
世界会議は、学校の学級会とは訳が違う。一つ一つの発言に力があり、個人の約束が国家の公約になる。取り下げれば、威信を失う。 
 
無茶苦茶を言っても押し通すのが常であり、理不尽であれど敵を殺すのに手段は選ばない。外交で引き下がるのは、敗北と同じだ。 
 
 
まして相手はアンジェラ・ルーズベルト、イギリスの女帝であり長に並ぶ古老。人間如きに、屈服するなどありえない。 
 
 
長本人も事の成り行きに驚愕を隠しきれず、各陣営の主だった面々も俺を脅威の眼差しで見つめてくる。 
 
俺の同盟者であるカミーユは王子様でも見るような目で頬を紅潮させて興奮、忍なんて目を輝かせて拍手喝采。 
 
アリサは素知らぬ顔を決め込んでいるが頬をニヤつかせており、推薦人であるさくらまでご満悦であった。 
 
 
そんな中、気になったのが――ヴァイオラ・ルーズベルトの視線。沸き立つ面々の中、無感情に俺を見つめている。 
 
 
熱も何も感じられないが、強い視線。目があっても逸らさずに、俺を真っ直ぐに見ていた。無垢で、そして綺麗な瞳に俺だけを映して。 
 
逆に強烈な嫉妬と憎悪を向けるのが、女よりねちっこい氷室遊の視線。こっちはもう、無視する。 
 
 
何しろ、こっちは消耗しきっているのだから。 
 
  
「……大丈夫ですか、剣士さん」 
 
「手汗をかいた。想定しててもこの緊張だ、無策で挑んでいたら殺されていたよ」 
 
 
 
 銃を突き付けられて、笑っていられるほど俺はタフではない。突き付けられるのが分かっていたから、堂々と出来たのだ。 
 
むしろ通り魔事件やジュエルシード事件、そして今日に至るまで呆れるほど考え無しだったことに戦慄する。 
 
手足が壊されるのも、無理もない。生きてこられたのが、奇跡。何て馬鹿な戦い方をしていたのだと、呆れ果てる。 
 
 
神咲那美を傷つけたのだ、絶対に負けられない。その為ならば、どんな手でも使う。結局、俺も女帝と同類なのだ。 
 
 
夜の一族に関する情報を片っ端から集め、知り合った人達全員に話を聞き、夜も寝ずに戦い方を模索した。 
 
脳から血が流れるほど情報を刻みつけて、この会議に出席した。なのに、結果は辛勝。疲れ果てている。 
 
あの女にプライドがなければ、殺されていただろう。憎むべき好敵手、矛盾に満ちているがあの女には相応しい。 
 
 
『裏切り者ではないのは、分かりました。ですがそもそも、何を指して「裏切り」とするのでしょう?』 
 
「むっ」 
 
 
 手を上げたのはロシアの貿易王、ディアーナ。暴力ではなく、経済で裏社会を制圧した金の暴君。ロシアンマフィアの、切れ者。 
 
ホッとする間も与えずに、追求を図る。実質俺の今の雇い主なのだが、俺に肩入れする気は全くないらしい。 
 
むしろクリスチーナの護衛をサボってばかりだったので、怒っているのかもしれない。マフィアは、怪我による休暇も許してくれない。 
 
 
『我々夜の一族の血を求めている以上、貴女は夜の一族の秘密を知っている事になる。 
今の貴方の立場は限りなく黒に近い、グレーなのですよ。血を求める相手によっては、それこそ血で血を洗う戦いとなるかもしれない。 
となれば、貴方が誓いを立てた一族の者まで巻き込まれる事になる。 
 
 
申し訳ないですが――戦争となれば、同族であろうと容赦はしませんよ?』 
 
 
 ロシアの麗しき白の美姫が、微笑みに表情を染める。嗜虐的な笑みは、異性の心を恐怖で震え上がらせる。 
 
この期に及んで何だが、あのクリスチーナの姉である事を思い知らされる。金の力でも、人を抹殺出来る。 
 
怜悧冷徹な一手、対戦相手を脅迫して戦わせずに勝つ手段。犯罪は時に正論よりも効果的だが、この場合相手が悪かった。 
  
不敵に笑い返してやると、ディアーナは眉を潜める。俺の余裕の意味を、綺堂さくらが説明してくれた。 
 
 
『この場を借りて申し上げます。彼は、私達夜の一族とは一切契約を結んでおりません』 
 
『――禁忌を犯したのですか、貴女は』 
 
 
 夜の一族の秘密を知った人間は、選択を迫られる。誓いを立てて秘密を守るか、全てを忘れて縁を切るか。 
 
契約を結ばず秘密を知る人間は、夜の一族の歴史上一人も居ない。禁忌を犯した一族は、秘密を知った人間ごと抹殺される。 
 
だからこそ、一族の誓いは尊ばれる。世界会議の出席が正式に認められた幹部であっても、裏切りは許されない。 
 
 
『彼は夜の一族との契約を断りました。ですので私が彼自身の記憶を奪い、縁を切りました。 
彼は――自分自身で記憶を取り戻して、再び会いに来たのです。対等な、関係を望んで』 
 
『自分で記憶を取り戻した!? ありえねえだろ、そんなの。 
おい、ねーちゃんよ。そいつに情が移って手を抜いたんじゃねえか、お前さんは』 
 
 
 ロシアンマフィアのボスの暴力的な物言いに、他の陣営から反対の声が一切出ない。絶対に、ありえない話だからだ。 
 
記憶が奪われるというのは、過去を失うのに等しい。出逢った過去がないのならば、存在を認識するのも不可能となる。 
 
記憶喪失といっても、病気ではないのだ。自然に記憶が蘇るなんて、絶対にない。だからこそ、これまで秘密が守られた。 
 
 
ここぞとばかりに、氷室遊が立ち上がる。好機を逃す男ではない。 
 
 
『家を出た身とはいえ、さくらは血を分けた家族。身内の恥は、身内が雪がなければならない。 
この男の記憶は、この僕が全力で奪い尽くしましょう。邪魔者は居なくなり、会議も円滑に進められます。 
ましてこの男は、我々の血を狙っている。自分の妻が狙われているとなると、尚更見過ごせない。 
  
もうじき妻となるこの美しき女性は、僕だけのものなのだから』 
 
 
 ……お前の奥さんは、お前に目も向けていないぞ。夫の独占欲に満ちた愛の台詞に、欠伸を噛み殺していやがる。 
 
カーミラの血は強引に奪ったので、夫が氷室であっても少々後ろめたい感じはする。結婚前の女に噛み付いたのだからな。 
 
 
当の本人は血を通じて俺の心情を察したのか、にやにや笑っている。貴族のくせに、浮気を楽しむな。 
 
 
あの男はどうでもいいとして、これはチャンスだ。上手くやれば氷室だけではなく、欧州の覇者達全員を出し抜ける。 
 
妹さんやファリンに続く、俺の切り札。今度は俺がカードを切ってやる。俺は、立ち上がった。 
 
 
「いいぜ、やってみろよ」 
 
『言っておくが僕は手を抜かないぞ、下民。お前如きでは、僕には一切抗えない』 
 
「綺堂さくらは全力で俺の記憶を奪った。一度は奪われた俺だからこそ、言える。彼女は、一切手を抜かなかった。 
 
彼女の全力にも負けなかった俺が、お前に負ける筈はない。尻尾巻いて家を出た兄貴が、家を守り抜いた妹に勝てる筈がないだろう」 
 
『貴様……脳味噌が焼かれるまで、術をかけ続けてやる』 
 
「四の五の言わずにとっととやれ、受けて立ってやる。記憶を取り戻したら、お前の完全な敗北だからな。 
 
どうだ、カーミラ――夫が負ければ、あんたの血を俺に授けてくれ」 
 
『いいだろう。夫は我が家の次期当主だ、敗北すれば大人しく差し出してやる』 
 
 
 ノータイムで取引が成立。一同が唖然とするほど、微塵の躊躇もない。そこはせめてちょっとは悩めよ、と俺でさえ思った。 
 
でも、同時に嬉しくも思う。昨日とは違って、出来レースではない。俺が本当に氷室に敗北する可能性もあるのだ。 
 
 
カーミラ・マンシュタインは自分の夫よりも、下僕とする俺の勝利を信じてくれる。負けられないな、これは。 
 
 
『ま、待ってくれ、カーミラ!? 夜の一族の女が異性に血を与える意味を、分かっているのか!』 
 
「まだ正式に婚姻していないでしょう。仮にも、別の男が私を奪いに来たのよ。 
 
貴女は私のために、戦ってはくれないの?」 
 
『そ、そんな筈はない! し、しかし、万が一ということも――』 
 
 
『……自信がないのね……少なくとも彼は、記憶を奪われるのも承知で契約を断ったのよ。 
人としての誇りを重んじ、一族と対等な立場になるべく尊厳をかけて戦った。だから、彼はこの場に参席する権利を与えられたの。 
 
……貴方との婚約も、見直す必要があるかもしれないわね』 
 
『待ってくれ、カーミラ! 僕は、僕は――!!』 
 
 
「別に、あいつじゃなくてもいいぜ。他の誰でも、かまわない。 
綺堂さくらを侮辱するのであれば、この場で異議を唱えるといい。俺は、誰の挑戦でも受ける。 
 
 
さあ、名乗り出るといい――勝負の世界に、人間も化物も関係ない。対等に、戦おうじゃないか」 
 
 
 日本、ドイツ、ロシア、イギリス、フランス、アメリカ――各陣営を、見渡す。 
 
彼らは絶対的強者、俺は非力な弱者。能力どころか存在そのものに差がある。だからといって、勝敗は決まらない。 
 
 
万が一負ければ、彼らは血を奪われる。威信を賭けた争いであるが故に、彼らは万が一を極端に恐れる。 
 
 
俺は全てを奪われた。だから、どんなものでも賭けられる。敗北が死であっても、恐れない。何もないのだから、恐れるものもない。 
 
彼らは違う。彼らは国さえも背負っている。何も捨てられない人間は、捨ててしまう決断も出来ない。リスクは、本能が避ける。 
 
俺の挑戦に、手を上げるものは一人もいなかった――この瞬間さくらの尊厳は守られ、"公式に"カーミラの血も得られる事となった。 
 
 
そして、何より。 
 
 
俺はようやく――彼らと、対等になった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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