とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第三十六話







 餓えた獣は恐ろしく危険だ。犬や猫であっても本気で襲われたら、大の男でも悲鳴を上げる。

愛に餓えたマフィアの猛獣、玩具代わりに銃を与えられた少女は放し飼いにされており、涎を垂らして獲物を探している。

法は首輪とならず、倫理を血に濡らして、少女は孤独に生きてきた。愛と憎しみを、グチャグチャに混ぜ合わせて。

友好は、安全の証にはならない。目障りならば殺す、心から愛していても――やはり、殺すのだ。


「この部屋にいるの、ウサギ? クリスだよ、ずっと捜していたんだから」


(……声だけ聞いていると、女の私でもメロメロになるほど可愛らしいんだけど)

(見た目も犯罪的に可愛いよ。だからタチが悪い――妹さん、さっき話した要領で頼む)

(分かりました)


 部屋までつきとめられたが、確実ではない。自分の勘と、俺の声を頼りに辿って来ただけだ。まだ対処は出来る。

正直ドアをノックされた時は飛び上がるほど驚いたが、既に冷静になれたのは戦う術を学んだから。

敵への認識を誤らなければ、無謀な行為には出ない。すぐに剣を振り回していた自分を、あの人はきつく戒めてくれた。

妹さんはドア越しに、訪問客に向けて詰問する。


「どちら様ですか?」

『――"王女"……? ここは貴女の部屋なの?』

「そうです」

『……』


 ポーカーフェイスとは、顔だけではない。一流のギャンブラなら表情だけではなく、相手の声や仕草等からでも手札を見破る。

超一流のロシアンマフィアに、中途半端な嘘は通じない。愛想笑いやお世辞、社交辞令の一切をあの娘は殺してきた。

その点において、月村すずかという少女は別格。あの娘の深遠なる精神を読み取れる人間は、この世にはいない。

地獄の閻魔でも見破れない、無感情な嘘。だからこそ、この場を任せられる。


『ウサギの声が聞こえたの。この部屋にいるでしょう、開けて』

「兎はいません」

『……ウサギはね、クリスのボディーガードなの。クリスを護ってくれる、可愛いウサギちゃん。お気に入りなの、返して』


(……ボディーガードなのに、どうしてペット扱いされているの?)

(……海外の文化は、俺にもよく分からん)


 ドイツの吸血姫は俺を下僕扱いするし、海外に来てから俺は全く人間扱いされていない。陛下とか呼ぶ、極端な奴もいるしな。

何にしても、並大抵の執念じゃない。後任のボディーガードも、片っ端から再起不能にしているらしいからな。

俺がいずれきちんと向き合わなければ、犠牲者はこれからも増え続ける。


「この部屋にはいません」

「返して」

「いません」


「Чёрт побери(くたばれ)」


 ドアを貫いて放たれる、濃密な殺気。分厚いドアを隔てて、ベットの下に潜んでいた俺にまで突き刺さる。

面白がって一緒に隠れていた忍が、その場に崩れ落ちる。美貌を青白く染めて、呼吸困難に喘いでいた。

肌から汗が、傷から血が流れ出す。敵意なんて生易しいモノじゃない、無慈悲かつ凶悪な殺意。ただ念じるだけで、人を殺せる。

躊躇っている場合じゃない。俺は忍を強く抱き寄せて、口付けをする。舌を絡めて、口内の唾液と血液を飲ませた。

異性の体液でも、夜の一族の女には薬となる。忍はどうにかなるが、妹さんは――


「この部屋にはいません。お帰り下さい」

『……っ』


 微動だに、していない。揺るがず、騒がず、動じずに、マフィアを相手に一歩もひかない。


妹さんは飛躍的に強くなっているが、まだ人の域を出ていない。銃を持ったマフィア相手には到底敵わないだろう。

死を前に恐れないのは、覚悟が出来ている為。明鏡止水、己の使命に殉じてあの娘は死ねる。

俺の為に生き、俺の為に死ねる少女。月村すずかの人生は、既に完成されていた。

直立不動の壁に、銃弾は通じない。殺意をぶつけても、跳ね返るだけだった。


……殺意が消える。無言で立ち去ったらしい。探し回る声も聞こえない、大人しく部屋に帰ったようだ。


「ありがとう、妹さん。助かったよ」

「御力になれたのなら、何よりです。お姉ちゃんをベットに寝かせましょう」


 ベットの下から這い出して、妹さんと二人で担いで忍をベットに寝かせる。体液を飲ませて、忍の容態も落ち着いていた。

――やはりというべきか、俺への殺意は消えていなかった。むしろ距離を取って、より強く獲物を求めている。

このまま会わずに誕生日を迎えれば、死体が次々と生み出されるだろう。歯止めが効かなくなれば、誰にも止められなくなる。


「剣士さん、あの人は"哭いていました"」

「"声"が、聞こえたのか?」

「血に濡れた手を握ってくれた剣士さんの温もりが消えて、あの子はずっと震えているのです」

「妹さんは、あの子が怖くないのか?」


「剣士さんを護る為ならば、如何なる恐怖も打倒します」


 この子もまた、末恐ろしい少女だった。今はまだ小さいけれど、いずれは手足も伸びて身体も発達する。

美の片鱗を見せる女の子が成熟したその時、誰よりも強く美しい女性になるだろう。王女から、女王となって。

大人となった月村すずかは、世界すら魅了する存在となる。自分の傍で天下の華が開くとは、何という皮肉か。

未来を見るためには、今を生き残らなければならない。残念ながら、今のままでは死を回避出来ないだろう。

逃げているだけでは、埒があかない。


「クリスチーナ・ボルドィレフ、あの娘は俺が止める。その時が来たら手出しせず、見届けてくれ」

「分かりました」

「――俺では勝てない、とは思わないのか?」

「はい、剣士さんは必ず勝ちます」


 ……今気付いたんだけど、妹さんは俺の事を話す時ハキハキと喋るよな。雑談には無言か、短く返答するだけなのに。

世界会議ではどんな発言をするのか楽しみであり、恐ろしくもある。どういう展開になるか、想像もつかない。


さて、と――


「妹さん、今訪ねてきた娘がどの部屋に帰ったのか分かる?」

「はい」


 妹さんは、世界に存在する全ての"声"が聞こえる。仕組みは正直よく分からないが、一人一人を完璧に把握しているのは間違いない。

部屋番号を聞き、受話器を手に取って内線を繋げる。上手く、話を持っていければいいのだが。

帰った部屋が、あの娘自身の部屋でありますように――なかなか出なかったが、しつこくコールして呼び出した。


『Аллё(もしもし)』

「クリスチーナ御嬢様、俺です」

『ウサギ……ウサギなの!?』


 声だけで殺しかねないほど不機嫌だったのに、俺だと分かった瞬間喜色に染まる。声だけ聞くと、本当に可愛らしいのだが。

気を緩めてはいけない。こいつはロシアンマフィアの後継者、気の狂った殺人鬼なのだ。

話の持っていき方を間違えれば、犠牲者は俺一人では済まない。


「長らく御嬢様のお傍を離れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。怪我で動けず、伏せっておりました」

『クリスを護ってくれたんだもん、全然怒ってないよ! 今でもクリスのボディーガードは、ウサギだけ!
ディアーナがね、ウサギの代わりをいっぱい連れてきたんだけど、全員壊して捨ててやったよ』


 仮にもプロのボディーガードを、こうも容易く倒せるのか。話には聞いていたが、こんなのに狙われていると思うと泣きたくなる。

ボディーガードなんて絶対いらないが、姉のディアーナが求めたのは妹の心を守れる人材。

悪魔の妹と心を通い合わせる、人でなしを必要としている。


「誠に申し訳ないですが、しばらくはお嬢様の下には戻れません」

『どうして!? ウサギは、クリスのボディーガードだよ! それとも、他の誰かに雇われているの?

――逃げるつもりなら背中から撃つよ、ウサギ。どうなの……? ねえ、ねえ、ねえ!!』


 ベキベキと、何の罪もない受話器を握り潰す音が聞こえてくる。こ、子供の腕力じゃねえ!?

やはり電話をかけておいて正解だった。先ほどの短いやりとりで、妹さんとの関与を疑っている。追い払っただけで安心してはいけない。

対決は避けられないが、戦闘は今禁止されている。今後の為にも、一手打っておかなければならない。


直接戦えないとあれば――対話による駆け引きで、少女の殺意を切り裂いてやる。


「実を言いますと、命を狙われているのです」

『ほ、本当に!?』


 先程も言ったが、こいつに嘘は通じない。口先だけで誤魔化せば、怒りを買うだけだ。


「本当です、何度も撃たれました。傍にいるのは危険です」

『"龍"かな……クリスに手出しできないからって、ウサギを狙うなんて許せない!』


 俺の命を狙っているのは、お前だぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!


何度も撃ちやがって、てめえ! お前の傍にいるのは危険なんだよ!

これ以上ないほどの、真実。何で殺人犯に、命の心配なんてされなければならないのか。弁護士を呼びたい。


『大丈夫だよ、ウサギ。クリスが護ってあげる! 個人か、組織ぐるみか分からないけど、全員皆殺しにしてやるから!』


 だったらコメカミに銃口当てて、引き金を引いてくれ。それで一件落着、平穏な人生が戻ってくる。

自分で言っておいてなんだが、頭が痛くなってきた。息を吸うように人を殺せる少女、こんな化け物を本当に変えられるのか?

仲良くなればいいのではない。友達でも恋人でも家族でも、こいつは笑って殺せるのだ。


「いいえ、自分で解決します。お嬢様の手を煩わせません」

『……クリスと、一緒にいるのは嫌……? クリスの事、怖い?』


 狂っていても、やはり敏い。感情の機微に敏感で、距離を取ろうとしているのを薄々察している。

本音を言えば殺されるし、嘘を言ってもバレて殺される。そして、誰もいなくなる。

無邪気な暴君に、ボディーガード達は全員壊された。彼らの犠牲を無駄にしないためにも、同じ過ちはおかせない。


「今は怖いですが、すぐに怖くなくなります」

『?? どういう事……?』

「すぐに、クリスチーナお嬢様よりも強くなりますから。その時は銃を捨てて、大人しく俺に護られて下さい」


 受話器越しに、息を呑む音が聞こえる。本心を言った、自分自身が今強くなる理由。変わる事のない、願いを。

覚えておけ、"殺人姫"。日本の剣士は、死の運命さえも切り裂く。


『……いいのかなー、そんな事言って。クリスは、マフィアのボスになるんだよ。
マフィアに喧嘩売るつもりなの、ウサギ? ちゃんと、答えて』


 大抵の――いや、これまでこいつに関わった全ての人間がこう言われて黙らされたに違いない。

こいつはそれほどまでに、強い。ロシアンマフィアはそれほどまでに、恐ろしい。


強くて、怖いから……こいつに誰も近付かず、独りぼっちになって狂ってしまった。



「マフィアのボスになんてなれませんよ、お嬢様は。だって、俺が倒しますから。

俺に負けたら、ボスになるのはやめて――俺の友達になれ、クリスチーナ・ボルドィレフ」



 友達同士は対等な関係、人間が夜の一族と肩を並べるには誓いを立てるか――血を飲むしかない。

クリスチーナは己の名に誓い、俺の殺害を宣言した。ならば俺は自分の命をかけて、お前を斬って血を飲んでやる。


今はまだ戦えないけれど、俺はお前から逃げたりはしない。今ここに、誓いを立てた。


『……っ……』

「!? ど、どうした!」


『う、ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!』


 子供ではない。赤ん坊が、泣いている。恥も何も知らない生まれたての赤子が、泣き喚いていた。

何故泣いているのか、分からない。分かるのは、この娘は今まで泣けなかったのだという事。泣くことも、許されなかった。

マフィアは、泣いてはいけない。弱者を泣かせて生きている。弱い立場になっては、断じていけない。


だったら、俺がこいつを弱くしてやる。俺が強くなればいい、強くなる理由なんてそれで充分だ。


電話を切る。今晩の安全は確保された。間もなく、アメリカからの使いがやってくるだろう。

権力者達の闘争、剣の通じない相手。こうした電話のやり取り、駆け引きがこれから先も必要とされる。


みえないものを、みろ――この戦いを通じて、俺はまだまだ知らなければならない。















 


















































<続く>







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