とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第二十七話
"妖精"とは、世界で最も美しい幻想の一つである。幻想譚で語り継がれる、純粋なる存在。小柄で可愛らしい、羽の生えた精霊。
カミーユの婚約者ヴァイオラ・ルーズヴェルトは、イギリスでは妖精と讃えられている。彼女は幻想が如く、美しい。
評判に嘘偽りがない事は、写真で判明している。剣一筋で生きてきた俺でさえも、一枚の写真に心を奪われたのだから。
カミーユの紹介により、彼女との正式な面会が叶う。どのような女性なのか、正直なところ興味があった。
『ヴァイオラ、ボクだよ。君に会わせたい人がいるんだ、部屋に入っていい?』
『合言葉をお願いします』
『合言葉? そんなの、決めていたっけ!?』
『決めていないですよ、何を言ってるんですか。馬鹿馬鹿しい』
『君が言ったんだよ、君が!』
「婚約者に、おちょくられてどうする」
言葉の意味は分からなかったが、綺麗な英語である事は分かった。無知を大いに馬鹿にされたが、カーミラが翻訳してくれる。
顔と名前しか知らなかったが、ヴァイオラは意外と剽軽な女性のようだ。この程度で気を抜いたりしないが、話くらいは聞いてくれそうだ。
部屋の前に立つ護衛も、フランスの貴公子カミーユが相手ではフリーパス。日本の剣士だけ止められた、畜生。
テロリストとの戦いで、剣は折れている。念入りにボディチェックされて、カミーユに続き彼女の部屋を訪れる。
「ヴァイオラ、紹介するよ。誘拐犯からボクを助けてくれた命の恩人、宮本良介さん。
君もニュースで顔は見たでしょう? ボク達、今日正式に知り合ったんだ」
……何か、身内に恋人として紹介されている気分である。妙な言い回しをしやがって、こいつめ。
いきなり日本語で話されてややビックリしたが、彼女もどうやら日本語は通じるらしい。金持ちには、語学堪能な人間が多いな。
「……」
一方、紹介された側はお互いに無言。声も出さず、相手の目をジッと見つめていた。吸い寄せられるように。
人が環境をつくり、環境が人をつくる――叡智と気品で、磨かれた女性。同じ人間とは到底思えない、美しさ。
女帝の遺伝子を受け継いだ妖精は、少女の瑞々しさと大人の風格を危ういバランスで成立させていた。
この世の富貴を味わい尽くした権力者達すら恋焦がす、イギリスの夜の一族。ヴァイオラ・ルーズヴェルト。
誘拐現場で立ち合った際も、彼女が俺に視線を向けていたのは知っている。嫌な気はしないが、居心地は悪い。
彼女のような綺麗な女の子に見初められたと自惚れるほど、俺は真っ直ぐな生き方は出来ていない。
事実、彼女も俺自身には興味を持っていない。ヴァイオラが関心を示しているのは、彼女が持つ一冊の本。
「この本に、見覚えはありませんか?」
「その本!? やはり、あんたが持っていたのか!」
金の十字架が飾られた表紙の、魔導書。八神はやてが所有する古代の遺物、夜天の魔道書である。
彼女の両手に収められた魔導書は静謐な雰囲気を漂わせているが、その実呆れ果てた思念を俺に送ってきている。
魔道書の中で眠る女性が、早く我が手に取り返せと命令してきた。余程、対処に困り果てたようだ。
本の中に収められていても、魔導書には彼女の意思がある。自立した行動も取れるので、彼女一人ならば逃走は不可能ではない。
異国の地で主以外の手にあれど、彼女が大人しくしていたのは俺が来るのを待っていた為。頭の下がる思いだった。
俺の生存を信じてくれたからこそ、俺が此処まで辿り着くまで耐え忍んでくれたのだ。胸が、熱くなる。
彼女だけではない――守護騎士達もきっと、俺が誓いを果たすのを待っている。絶対に、期待には応えてみせる。
「私もこれまで多くの書物を手にする機会に恵まれましたが、これほど魅力を感じさせる古書に巡り会えたのは初めてです。
ギルディングが施された、インキュナビュラ。表紙のみならず、頁や装丁に至るまで不思議な素材が使用されている。
なのに活字の一切はなく、記載されているのは――手彩色の、ミニアチュール。絵に込められた想いが、伝わってくるようです」
八神はやて、アリサ・ローウェル、ミヤ、アリシア・テスタロッサ、リニス、綺堂さくら、月村すずか。
夜天の魔導書の頁には、彼女達の願いが描かれている。一枚一枚に願望が刻まれており、尊き祈りが篭められていた。
他者に彼女達の願いを晒されて不快に感じなかったのは、彼女がその願いを美しいと、言ってくれたから。
その想いを汲み取ってくれたからこそ、頁に添える彼女の手つきが優しいのだろう。
「よろしければこの本、お譲り頂くことは出来ませんか?」
「悪いけど、大事な本なんだ」
要求すれば、高額でも買い取ってはくれそうだった。自分の望みを叶えるべく、貢物として差し出すのもいいだろう。
そんな考えが浮かんだのは、断った後だった。完全に順序が逆、笑い出したい気分だった。
心境の変化と呼べる大袈裟なものではないが、自分も少しは変わってきているらしい。
ただ状況の変化に比べて、自分自身の変化はあまりにも遅かった。どうしようもない程に、追いついていない。
「分かりました。初対面なのに、失礼なお願いをして申し訳ありません。
改めて初めまして、日本の御方。ヴァイオラ・ルーズヴェルトと申します。
このような立派な本をお譲り頂いて、ありがとうございました」
「やるとは言ってないだろう!? 前後が食い違っているじゃねえか!」
お前らは、俺に尊敬されたくはないのか!? 敬意を払わせてくれよ、頼むから!
忍だったら容赦なく殴るが、仮にもお願いする立場の人間が暴力を振るう訳にはいかない。我慢だ、我慢だ。
話を聞いていたカミーユは、ヴァイオラの反応に目を丸くしている。お前の婚約者だろう、教育くらいしろ。
「――なるほど、お母様の言っておられた通りですね……カミーユ、貴方にも分かったの?」
「ううん、ボクもエレノア様からリョウスケの事を聞いて、君に会わせたくなったんだ」
「何の話だ、一体……?」
優雅に椅子に腰掛けたヴァイオラが、不自然なほどに俺の顔を下から覗き込む。距離感を感じさせない、迫り方。
ヴァイオラ・ルーズヴェルトの言葉に同調し、カミーユも意味ありげに頷いている。何なんだ、こいつら。
まるで、俺の事を前から知っていたかのような口振り。カミーユが、その経緯を説明する。
「彼女の母親エレノア・ルーズヴェルト様が、君をお見かけしたらしいんだ。覚えているかな?」
「……ひょっとして、目から血を流して騒ぎ立てた人?」
「そうそう、その事も謝っておかないといけないね。エレノア様は決して、君を不審に思った訳じゃないんだ。
エレノア・ルーズヴェルト様は高名な占い師でね――人の"運命力"を、視る事が出来る」
「運命だぁ〜!?」
自分でも分かるくらいに、俺は嫌な顔をした。占いに興味はないが、俺は運命というものはあると思っている。
そう思わなければやってられないほど、俺はこれまで運命から数々の艱難辛苦に与えられた。今でもそうだ。
困難や苦労、悲惨な境遇――呪われている、人生。俺独りであれば、潰されていた。
自業自得なのは分かっている。自分を変えようとしなかったから、同じ苦しみや悩みに何度も襲われたのも自覚している。
俺にとってこの海外の旅は自分を変えるのと共に、運命を打破する為でもあった。
「じゃあ何だ、あの人に俺の運命を見て目から血を流したのか? どんなに呪われているんだよ、俺の未来」
「運命とは、確定された未来ではありません。これから先、貴方が他人とどう接していくかで変わってきます。
貴方と他人との縁、出逢いという名の運命がお母様には視えるのです。
"運命力"とは、人と人との結びつきの強さを示すもの。特別な能力ではなく、大小あれど誰にでも備わっている。
お母様ほどではありませんが、私にも視えます。貴方の運命力は、ずば抜けて強い」
「与太話だ」
「これほどの強さであれば、貴方自身も感じているはずです。自分自身の、運命を――私達夜の一族との、強いつながりを。
貴方がこのドイツの地へ来たのも、己の運命に導かれての事なのです」
ドイツへ腕の治療に来たのは、夜の一族である綺堂さくらの提案。共に来たのも、夜の一族の女である月村忍。
俺を守るのは一族の正統後継者である月村すずか、異国の地で最初に縁があったのはドイツの吸血鬼。
カーミラにホテルから落とされて、ロシアの一族の車に落下。観光に出たら、アメリカの一族を守りテロリストと戦った。
隔離施設から救い出してくれたのは、一族のお偉いさんである老紳士。そして今、カミーユとヴァイオラに会っている。
広大なヨーロッパ大陸へ来て、俺は夜の一族としか会っていない。偶然にしては、続き過ぎている。
「運命は……変えられないのか?」
「運命とは、確定された未来ではありません。全ては、貴方次第。
これから先、貴方が他人とどう接していくかで変わってきます。
私に会いに来られたのも、この本の返却だけではないのでしょう。貴方の意思を聞かせて下さい」
薄気味悪い感覚、己の足元に危うさを感じる。婚約の破談ははたして、本当に俺の意志なのだろうか?
イギリスとフランスの同盟、カミーユとヴァイオラの婚約を破談にしなければさくら達の立場が危うくなる。それは分かっている。
不安に思うのは、彼女達を助けようとするこの気持ち――これは、良い変化なのか?
人の優しさを、もはや否定はしない。他人を思いやる気持ちは、時に無限の強さを生み出してくれる。
だが、それほどの強さが俺のような人間にまで宿るのだろうか? 優しくなれたからといって、強くなれるとは限らないのだ。
――結局、これだ。自分に、自信がどうしても持てない。負けが込んで、負け犬根性が染み付いている。
強い自分がイメージ出来ないから、不安や迷いが生まれてしまう。強くなるキッカケが見つからなくなる。
やっぱり、今の俺一人で強くなるのは無理だ。誰かに教わらなければならない、本当の強さというものを。
その為にも、今は他人と積極的に関わっていく。ぶつかり合って、血を流す事になろうと。
「彼にも言ったけど……俺は、あんたとカミーユの婚約を反対しに来た」
「分かりました」
えっ、簡単に受け入れてくれた……? 予想外の展開に、勢いが削がれてしまう。
思わず期待してしまいそうになったが、彼女の表情が俺の期待を裏切っていた。
「でしたら、貴方の誠意を私に見せてください」
「誠意……?」
「貴方がどれほどの御方であっても、深い志を知らないままに望みを受け入れる訳にはまいりません。
ほんのちょっとしたことです。
私の言う物を持って来ることが出来たのならば、貴方の真心を認めましょう」
竹取物語じゃねえか!? 結婚を断るのではなく、破談を断る理由にかぐや姫の伝承を持ち出しやがった!
実にまずい展開である。先程カミーユを黙らせられたのは、この竹取物語を脅迫材料にしたからだ。
お姫様が出す試練を、貴公子は乗り越えていない。それを理由に破談を迫ったのに、今度は俺が試練を理由に拒否されようとしている。
言葉に詰まった俺を、イギリスのかぐや姫は無感情に見つめる。
「まさか、とは思いますが――当家とオードラン家の大事な縁談を、真心も見せずに自分勝手に壊そうと?」
「じょ、上等だ。何が欲しいのか、言ってみやがれ」
ぐおおおお、まずい、実にまずい展開だ。ここで持ってこれなければ、破談に出来なくなってしまう。
とはいえ、かぐや姫が望んだ品というのはお伽噺にしか聞かない宝ばかりで、手に入れるのは困難なのだ。
蓬莱の玉の枝、火鼠の裘、龍の首の珠、燕の産んだ子安貝――世界中を捜し回っても手に入らない、代物。
竹取物語を知っているのならば、まず間違いなく入手不可能な品を要求してくる。
くそう、剣も折れてしまった剣士に何を渡せるというのだ!
「"妖精"を、連れてきて下さい」
「……、よ、妖精……?」
「本物の妖精を、私に見せてください」
ヴァイオラ・ルーズヴェルトが俺に望んだものは、確かにお伽噺にしか存在しない。
でも、えーと……
「リョウスケ、やっと見つけました! うぇ〜ん、このホテル広すぎて、迷子になっちゃい――むぎゅっ!?」
「どうぞ、御覧下さい。貴方が御望みになった、"妖精"です」
悪いな、夜の一族の御姫様――俺は他人の願いを叶える、魔法使いなんだ。
<続く>
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