とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第十九話
目が覚めてから、生きているのだと感じる。日常では感じられない生の実感、普段自分が懸命に生きていない証拠でもあった。
ダラダラと、大した理由もなく生きているから飽いてしまう。平和な毎日が苦痛だなんて贅沢の極み、心が腐り始めている兆候だ。
生きていて良かったと、今は思う。懸命にやったから生きているのだと、せめて思いたかった。
ただ生き延びたからと、安心してはいけない。此処は平和な日本の日常ではなく、異端な海外の戦場なのだから。
似たような事は、過去にもあった。忘れもしない、2ヶ月前アースラで起こした馬鹿げた騒ぎ。
巨人兵との死闘で生死の境を彷徨い、前後の状況が掴めず疑心暗鬼に陥ってクロノ達に迷惑をかけてしまった。
どんな状況に陥っても、まずは落ち着いて確認する事。自分一人の命で無いのなら尚更、浅慮な行動に出てはならない。
他人から学んだことを生かして、他人を守る手段とする――目が覚めた時気にかけたのは自分ではなく、他人だった。
"カ、カーミラ!"
"――自分よりも先に主を案ずるなんて、感心な心がけね。常に、私の下僕たる自覚を持ちなさい"
……心配するだけ損をした気分にさせられる。出逢った頃は苛々させられたが、最近はこの傲慢さも照れ隠しのように思えてきた。
目を開ける。白い天井、装飾のない真っ白な壁。自然の風景が見える窓だけが飾りとなっている、白亜の空間。
大きなベットが2つ並んでおり、俺とカーミラが寝かされていた。手厚い看護と、集中治療を施されて。
例の隔離施設に連れ戻されたのかと一瞬思ったが、すぐにその不安は消えた。俺まで救う理由なんてない。
カーミラは俺より先に意識が戻っていたようだ。隣のベットから、弱々しい笑みをこちらに向けている。
"気分はどう? 5日も寝込んでいたのよ、お前は"
「5っ――ゲホ、ゲホ、ゲホっ!?」
"目覚めたばかりなのよ、声を出す体力もないわ。声なんて出さなくても、お前の意思は私に届いている"
気のせいか、カーミラより呼び掛けられる声に優しさを感じた。血の繋がりも、受け入れているようだった。
念話も出来ないのに、他人と意思疎通が出来るなんて不思議な感覚だった。人と吸血鬼、種族も違うというのに。
その繋がりを求めたのも俺というのが、何とも可笑しく思える。
"此処は何処だ? 俺達は逃げ切れたのか"
"逃げるという表現は気に入らないけれど、その通りよ。私達は匿われて、治療を受けたの"
"俺もそうだが、お前もよく助かったな。どちらかを犠牲にしなければ助からないと、言われていたのに"
"輸血を受けたのよ。私はある御方の血を――お前は、私自身の血を"
"お前の命が危なくなると、何度言わせ――!"
"下僕の意思など、考慮にも値しないわ。私の血を与えると言ったのだから、お前は黙って受け入れればいいの"
瀕死に陥った俺を救うために、カーミラは忍と同じく自分の血を分け与えたのだ。恐らく、自らの意思で。
夜の一族の女が異性に血を与える、その行為の意味は知っている。少女は、恥らっていた。
一歩間違えていたら、自分が死んでいた――吸血姫の命懸けの求愛行動に、男が応えるのは怒りではない。
"ありがとう、カーミラ。助けたかったんだが、逆に救われたな"
"……フン、手間のかかる下僕を持つと苦労させられるわ"
貴族なりの照れ隠しというものが、あるらしい。恥じらい方にも気品があり、言葉の毒も甘く感じられる。
お互い助かったが、生きる希望は見えていない。道に誤れば悩み苦しみ、立ち往生もするだろう。
生きてさえいれば、なんて卑怯で無責任な言い方だ。理由もなく生きていくのは簡単だけど、辛い。
一人では、こんな自分を変えられないからこそ――繋がりが、必要となる。
"ある御方というのは、あの老人の事だろう。何者なんだ、一体"
"私達が目覚めた事に気づき、間もなく此処へ来るでしょう。彼から直接、話を聞きなさい"
形式的とはいえ、ドイツの貴族の令嬢が敬意を表す相手なのだ。夜の一族の中でも位の高い人物なのだろう。
剣も折れて、集中治療を受ける身体では警戒も緊張も意味が無い。鉛弾どころか、医療機器の電源を切れば死ぬ。
戦う事は出来ないけれど、戦う事を止める訳にはいかない。気を許さずに、気を張って待ち受ける。
隣で眠る、命の恩人の為にも――瞳を閉じる吸血姫の、穏やかな寝顔を絶やしてはならない。
「目が覚めたようだね。カーミラの血がこれほど見事に適合するとは、驚いたよ」
身なりのいい老人。隔離施設で俺が車を強奪した相手、被害者が犯人の見舞いに訪れた。
丸眼鏡をかけた、初老の男性。暖かい笑みと共に、流麗な日本語で怪我の回復を喜ぶ言葉を口にする。
紳士の貴賓と風格を持つ、灰色の髪の老人。警戒心どころか、俺のような人間にも好意を与える魅力を持っていた。
「出来れば病院へ連れて行きたかったのだが、君を取り巻く事情は極めて複雑だ。加えて、ヨーロッパ全体が今揺れている。
今の君やカーミラに必要なのは高度な医療ではなく、傷ついた身を休める環境だ。
私の別荘へ連れていき、治療をさせたよ。目が覚めたのなら、もう大丈夫だ」
初対面に近しい、しかも車を強奪しようとした相手に隙を見せてはいけないのだが、迂闊にも安堵してしまう。
ドイツへ来てからというもの、吸血鬼にマフィアにテロリストと、不穏な状況が絶え間なかった。常に気を張って、戦い続けた。
老人の申し出と厚意は確かに、俺が一番望んでいた事だ。体勢を立て直す意味でも、落ち着きたかった。
もう一度老人を見る、悪い人間には見えない。だがこの世界では、無邪気な少女が笑って人を殺す。
「くっ……どうし、ゲホっ……」
「回復したとはいえ、無理は禁物だよ。大丈夫、声に出さずとも君の意思は私に届いている。
君にもしもの事があれば、私がカーミラに殺されてしまうよ。この子は君を、ずっと案じていたのだよ」
"余計な事を、クドクドと……下僕、その男の甘言に騙されては駄目よ。大勢の女性を甘い言葉で誑かす悪魔なのよ"
「誤解だよ、カーミラ。女性には甘い囁きよりも誠意を見せるのが大切だ」
"どの口が、誠意などと――"
「彼は君に誠意を見せたのではないのかね。それとも、君を信用させる為に嘘を並べ立てたのかな?」
"この男は私の願いを、真心を持って叶えようとした。侮辱するのは許さないわ!"
……なるほど、この老人の事がよく分かった。女性の心の琴線に触れるのが、非常に上手い。俺には出来ない芸当だ。
挑発という毒気のある行為ではなく、真実を追求する事で女性の本心に接した。人との付き合い方に、慣れている。
若さという武器を差し引いても、俺とこの老人とでは男としての魅力に大きな差がある。カーミラでも勝てない存在だ。
他人に好かれるという事がどれほど難しいか――ジュエルシードや、守護騎士達との一件で思い知っている。
"お前とも意思疎通が出来るのか、この老人は"
"!? か、勘違いしては駄目よ、下僕! 私が自ら血を与えたのは、先にも後にもお前一人よ。
言葉一つで股を開くような下劣な女達と、一緒にしないで!"
"お前のプライドの高さはよく知っているよ"
他人を寄せ付けなかった、孤高の吸血姫。護衛を気分で殺そうとした事は今でも許せないが、気位の高さは本物だった。
血を吸った俺も殺されかけたのだ、彼女の誇りの高さは信頼に値している。純度の高い血だからこそ、利き腕は一時的に回復したのだ。
俺の意思は、彼女にも伝わる。疑いのない気持ちに触れて、少女は安堵していた。老人も心なしか、嬉しそうに見える。
"どうして俺を助けた。車を奪おうとしたんだぞ"
「カーミラを救うために、私の車を奪って逃げようとしたのだろう。緊急避難だ、君を責めたりはしない。
行為自体は褒められたものではないが、君の無謀で――その勇気ある行動は、賞賛したい。
カーミラは私にとって孫も同然、身内を救ってくれた君を助けるのは当然だよ」
"なるほど、確かに言葉は巧みだな。あの行動の意味を、アンタが悟れない筈がない。
俺を取った行動は、直接カーミラを救う事にはならない。
あの施設に居れば、少なくともカーミラの命は問題なく助かっていた。俺が連れ出した事で、彼女まで命の危険に陥ったんだ。
もう一度聞くぞ。どうして、俺を助けたんだ?"
俺にとってマンシュタイン家は敵だが、カーミラにとっては違う。あの家はカーミラを救うべく、俺の血を使おうとしたのだ。
カーミラ自身も、最初は俺を犠牲にして助かろうとしていた。俺が彼女に敗北を与えて、心変わりしたのだ。
人間同士の繋がりまで、第三者が分かる筈がない。表面的に見れば、重傷を負ったカーミラを連れ出す行為は殺人と同義だ。
「夜の一族は、血を重んじる。この身に流れる血を全てとし、血統を連ねる事を己の責務とするのだよ」
"答えになっていない"
「百聞は一見にしかず、君の国の言葉だ。百の言葉に千の行為よりも、血の一滴が重い。
君が心から彼女を救おうとした事は、君自身に流れるカーミラの血が教えてくれたよ。
そして君の行為を彼女がどう受け止めたのかも、含めて――
私が、君を救ったんじゃない。
君が救われたのは、君自身がカーミラを救ったからだよ。君が取った行動の結果なんだ、胸を張りなさい」
どれほど無謀な行為であっても、他人を救おうとしたから――他人は、自分を助けようとしてくれた。
もしもあの時カーミラを見捨てて逃げたら、俺は助からなかった。助かったとしても、また何も得られずに終わったのだろう。
この俺が……自分自身で、何かを掴めたのか。
"あんたは一体、何者だ"
「彼女の祖父だよ。私の事は気軽にお兄さんとでも呼んでくれ」
"……そう呼ばれて嬉しいのか、あんた……"
くそ、食えない爺さんだ。お礼を言いたかったのに、茶化されて黙らされてしまった。
自分の取った行動を正面から賞賛されたのは、初めてだった。褒められた事はあったが、本心で他人を救おうとはしなかったから。
というかフィリスも桃子もリンディも、どいつもこいつも俺を美化しすぎなんだよな……だから、俺も変わっちまった。
「よければ、君の事を聞かせてくれないか? どうやら夜の一族の事も詳しいようだ」
"そうよ、何故お前が一族の事に詳しいの? まさか……私以外の者と、"誓い"を立てているの!?
日本の一族なら共に来ている筈、アメリカやロシアとの事前の接触は考えづらい。
後は――フランスの『貴公子』か、イギリスの『妖精』?
許さないわ、今すぐ破棄して私と正式に誓いを立てなさい!"
黙っていたかったが、この先彼らの協力がなくては動きようがない。実際、身体はもう無理が利かない。
利き腕を治しに来たのに、怪我は増える一方。敵は多く、マフィアにテロリストと、超一流の悪党共ばかりだ。
戦うためには、味方が必要だ。そして味方を作れるかどうかは、俺自身にかかっている。
さくらや忍達の協力を拒否したのは、自分自身で人間関係を作りたかったからだ。
夜の一族の会議に出席して、欧州の覇者達と接触する。全員の血を手に入れるには、全員との関係を作らなければならない。
一番苦手とする戦い、他人との交流。己に不向きだと分かっていたから――自ら、戦場へ出向いた。
弱い自分すら受け入れられる、強い男になる為に。
さあ、名乗りを上げよう――呼吸器を、外した。
「俺の名は、宮本良介。あんた達夜の一族に、用があって来た」
<続く>
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