とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第十八話
                              
                                
	
  
 
 自分以外の誰かを守るというのは、本当に大変なことだ。自分自身だけではなく、他人の命も背負っている。 
 
今の俺は文字通り、背中にドイツ人の少女を背負っていた。どれほど体重は軽くとも、人間一人分の重さ。 
 
 
三階から飛び降りて、地面に着地した瞬間――胸が引き裂かれる音が、確かに聞こえた。 
 
 
「いっ!? ぎっ、がぅ……!」 
 
"しっかりしなさい、我が下僕!? 
 
くっ……私に翼があれば、この程度の高さなど問題にもならないというのに!" 
 
 
 悲鳴も苦悶も、上げてはいけない。人目につけば連れ戻されて、今度こそ殺される。苦痛に浸る余裕なんて無いのだ。 
 
茂みに潜み手で口を塞いで、痛みも苦しみも何もかも無理やり飲み込んだ。閉じた口の代わりに、眼や鼻から汚水が溢れる。 
 
のたうち回れば、背中のカーミラを地面に落としてしまう。馬鹿げた論理かもしれないが、一度でも手放せば背負う資格を失う気がした。 
 
一度決めたからには、最後まで責任を持つ。他人を守るには、守り続ける強い意思を持たなければならない。 
 
 
"……見上げた根性だわ、褒めてあげる" 
 
"そりゃどうも" 
 
 
 ショック死しかねない辛い痛みに、耐えれた事ではない。一度取った少女の手を離さなかった事を、感謝している。 
 
主としての威厳を取り繕う少女なりの礼だと分かり、血と涎が溢れる口が笑みに歪んだ。声を出せれば、笑っていたかもしれない。 
 
無理にでも笑いたくなるほどに、与えられた絶望は大きかった。 
 
  
三階の窓から飛んだ時に――俺は、見てしまった。 
  
 
"けれど、お前の選んだ選択は間違いだった。もう一度言うわ、私を殺しなさい" 
 
"それ以上言ったら、許さないぞ" 
 
"窓の外を見て分かったでしょう? 私を連れては、逃げられない――此処は、マンシュタインという国なのよ" 
 
 
 窓の外から見えた光景は、山だった。大地を見渡せる高い山の頂上に、俺は運ばれていたのだ。 
 
世俗から遠く離れた、隔離施設。山の上に建てられた病院、麓まで気が遠くなる程に遠い。人なんて、絶対に立ち寄れない場所。 
 
恐らく、夜の一族のみを専門とする施設。此処で人が死んでも、世間に伝わることはない。 
 
 
"私を背負って飛び降りたから、傷口が開いた。もう意識を保つだけで、精一杯でしょう? 
私の血を飲みなさい。私を支配したお前ならば適合し、身体も回復するわ" 
 
"血を失えば、今度こそお前は死ぬ" 
 
"殺しなさいと、言っているのよ。これは罪ではないわ、私の一番の願いなのよ" 
 
"俺を支配すると言ったのは嘘なのか!?" 
 
 
"現実を見なさい。お前も私も、時間がないの。どちらかの命を優先しなければ、二人とも死ぬわ。 
私はお前の主なのよ。下僕を犠牲にして生き延びるのは、私の矜持が許さない" 
 
 
 隔離施設とはいえ、孤城ではない。人が行き来する以上は車道があるし、山には獣が通る道だってある。 
 
ただ車道から下っても麓まで遠く、ふらついて歩いていても追手に捕まる。獣道を歩けば、途中で体力も気力も無くして死ぬだろう。 
 
目眩がしたのは、血が足りないからではない。血を飲まなければ生き残れない、この絶望感からだ。 
  
"……お前の気持ちだけ、受け取っておくわ。お前の事は今で憎んでいるけれど、その強い感情が束の間私を留めてくれた。 
私の血を飲んで、早く逃げなさい。身体さえ回復すれば、お前ならきっと生き延びられるわ" 
 
 
 何とも、魅力的な提案だ。彼女の言う事を聞けば、きっと楽だろう。多分、生き残れるとは思う。 
 
俺には帰りを待ってくれる人もいる。一緒に戦ってくれる人もいる。大事に思ってくれる、女の子もいる。 
 
 
多くの他人と出会えた事にはきっと、意味も価値もある――俺は、そう思いたいんだ。 
 
 
"車を奪って、逃げよう" 
 
"……何ですって?" 
 
"見れば駐車場があるみたいだし、運転手を脅して近くの町まで運ばせる。ドイツに来て一度は経験している、任せろ" 
 
"前科を誇らしげに語らないで!? お前は、どうしてそこまでして――!" 
 
"何回言わせるんだ。諦めたから、お前は俺に負けたんだ。そんな奴の言う事を聞けるか" 
 
 
"っ……お、お前は……っ……大馬鹿よ……!" 
 
 
 俺の中の血に在る少女の意思は、涙を堪えるように震えていた。だから、俺も痛みを堪えて頑張ろうと思う。 
 
死んでたまるか。死なせてたまるか。死んで、花実が咲くものか。死なせて、自分を許せるものか。 
 
運命が決めた事でも、神様が下した決断でも、俺は抗ってやる。死ぬのが救いだなんて、絶対に認めない。 
 
 
自分と、他人――両方を選べる、男になってやる。 
 
 
安二郎が俺の死に様を笑いに見に来てくれれば、また車を奪ってやるのに。生憎と、そんな上手い偶然はない。 
 
偶然といえば――安二郎の秘書ドゥーエが、何か色々言ってたよな。運がどうとか、機会が何とか。 
 
確かにここまで運に見放されると、己の凡庸さを痛感する。良い機会どころか、テロだの何だと裏目に出てばかりだ。 
 
運の尽きとなるかどうか、俺は茂みから出て施設の駐車場へと向かう。中庭を走り、正面玄関の脇を通らなければならない。 
 
幸いにも中庭には自然が多く、身を潜める場所は多い。歩き難いが、常に隠れて移動する。 
 
 
とは言っても、やはり事が思い通りにはいかない。正面玄関前で、誰かが騒いでいる。ちっ、簡単には逃がしてくれないか。 
 
 
"白衣の連中と、身なりのいいジジイが一人――お前の所の身内か?" 
 
"……" 
 
"聞いているのか、おい" 
 
"お前、もしかして彼の車を奪うつもりなのかしら?" 
 
"……お前の返答次第だ" 
 
 
 俺の質問の意図を理解した上で、質問に質問で返してきた。ニュアンスから察するに、どうやら知っている人間らしい。 
 
主導権争いで勝利した以上、意思決定の権利は俺にある。カーミラ本人は俺の背中で眠っており、意思だけが生きている形だ。 
 
ただ俺を殺そうとした連中ならば容赦なく脅せるが、カーミラの身内を襲うのは多少の抵抗はある。本当に、多少だが。 
 
いざとなれば、躊躇いはしないけれど。 
 
 
"ふふ、そうね――マンシュタインではないわ" 
 
"分かった" 
 
 
 腹を括る。隔離施設に訪れた来訪者、あの老人を脅して車を出させる。いざとなれば、暴力を使う事も辞さない。 
 
白衣の連中は揃って老人を出迎えて、何やら必死で説明している。会話の内容は聞こえないが、あの慌てぶりからして俺達の事だろう。 
 
隔離施設の責任者か、事の首謀者か。遠目から伺えるのは、彼らに指示出来る側の人間であるという事。脅迫にはもってこいの、相手。 
 
もしも夜の一族ならば、人外の能力を持つ可能性もある。年寄りだからと甘く見ず、いざとなれば道連れにする覚悟で攻める。 
 
白衣の男達は必死で頭を下げて、病院内へ。老人は何やら不機嫌そうな顔をして、病院前に停めていた車に乗った。 
 
賓客かと思いきや、運転席に乗り込んだ。一人で来た――その事実が、慎重に期していた俺の背中を押してくれた。 
 
 
カーミラを背負い直して、俺は走る。速度は小学生の全力疾走に負けそうだが、短い生涯で一番懸命に走った。 
 
 
流れるのは徒労の汗ではない。苦痛に塗れた血、銃弾を撃ち込まれた胸から毒々しく流れ出ている。 
 
傷ついた肺は機能不全、呼吸もままならず咳き込みながら走る。視界なんてもう、定まってもいなかった。 
 
確かなのは、背中に感じる少女の温もりだけ。少女の重みは俺に疲労よりも、元気を与えてくれる。 
 
車が走り出す前に、助手席の扉を強引に開けてカーミラと共に滑りこむ。 
 
 
『車を、出せ。拒否すれば、お前を、殺す』 
 
 
 フィアッセとアリサに学んだ英語を一単語ずつ、迫力を込めて伝える。相手の喉元へ掴み、締め上げながら。 
 
老人は苦痛よりも驚愕に満ちた顔で、俺とカーミラを交互に見つめる。悪いが、愛想よく挨拶をしている余裕はない。 
 
施設側も異変に気づいたのか、白衣の連中が慌てて走ってくるのが見える。捕まれば、終わりだ。 
 
 
『車を出せ!』 
 
 
 くそっ……目が霞んできやがった。頭もぼんやりしてくる。身体が意識を、強制的に落とそうとしている。 
 
それでも、老人に向ける視線は逸らさなかった。何が何でも生きるのだと、必死の思いをぶつける。死に物狂いで、脅迫した。 
 
老人は意外と力強く喉を掴む俺の手を離し、カーミラと並んで俺を助手席に座らせる。 
 
白衣の連中が駆け込むより一瞬早く、車は発進された。見る見る内に遠ざかり、施設も山の景色に溶け込んでいく。 
 
 
そこまでが、限界だった――俺は助手席に、崩れ落ちる。ちく、しょう……いき、る、んだ…… 
 
 
 
「――君には一度是非会いたいと思っていたが、このような形で出逢う事になるとは。噂通りの、型破りな男のようだな」 
 
「ハァ、ハァ……に、ほん、ご……?」 
 
「いや、人の噂などあてにはならないか。死んだと聞かされた男がこうして生きているのだからな、ふふ」 
 
 
 話している言葉の意味は分かるが、頭には入ってこなかった。指一本動かす気力もない。 
 
老人は崩れ落ちる俺を優しく見つめ、カーミラに視線を向ける。年季の入った、深い視線を。 
 
 
「事情は分からないが、君からは彼女の血の鼓動を感じる。まさか、気難しいカーミラとまで関係を結んでいるとは。 
彼女こそ、夜の一族そのもの。人ならざる者を、何故救おうとしたのかね? 君自身を、危うくしてまで。 
 
人は、同じ人でさえも救えずにいる。人外となれば尚の事、分かり合うのは難しいというのに」 
 
 
 人とは死を前にすると、自分の心に素直になる。きっと、自分の口から出る言葉も。 
 
 
「……救える、さ……」 
 
「何故、そう思う?」 
 
 
「……自分の事を信じてくれる人が、いれば……救われる……生きようと、頑張れる。 
 
俺、も……そんな人が、いたから……変わろうと、思った……変われるのだと、信じている…… 
 
  
俺は――信じている」 
  
 
「――訂正させてもらおう。君は噂以上の、強い男だ。カーミラと出逢ってくれて、本当にありがとう」 
 
 
 ち、がう、俺は……弱い。よ、わい、から……一人では……変われな、かっ―― 
 
……。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
"――この男は、私の下僕。手荒に扱えば貴方といえど容赦はしませんわ、長殿" 
 
「お前の見舞いに来たのだが元気そうでよかったよ、カーミラ。安心しろ、お前も彼も必ず助ける。 
この男を万が一にも死なせたら、さくらに恨まれてしまう」 
 
 
 
 
 
"人の上に立つ器の持ち主は、おのずと――よい機会に恵まれるものなのです" 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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