とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第十四話







 木の板を並べただけの簡素な駅、駅員も見当たらない。駅周辺の過疎化も著しく、利用者が激減して交換設備しか置いていないらしい。

山に囲まれて、畑地と原野が広がるだけの無人駅。田舎の名物、といえば失礼かもしれないが、都会よりもこういう景色は好きだった。

木箱が一つ置いてあったので、100円玉を一つ入れる。払わなくても咎められたりしないが、お金を払う価値はある。

満天の星空が輝いている、静かな夜。手荷物一つぶら下げて、俺は構内へと入った。

2面2線のホームと、木造駅舎。ホームは板張りだが屋根はなく、小さな待合室のみ。その中に、


一人の女性が座って、本を読んでいた。


満天の、綺麗なお月様。月明かりの下で、女性は孤独に読書を楽しんでいた。電車を待ちながら、独りで静かに。

小さな本を見つめる、漆黒の瞳。焦茶色の長い髪の、細身の女性。厳かな雰囲気のある、綺麗な女の人だった。

女性は片手に持って、本を読んでいる。タイトルも書かれていない、小さな本。手記だろうか?


「そんな所に立っていないで、座ったらどう?」


 視線は下に向けられているのに、声はホームに立っていた俺にかけられる。電車もまだ来ないようなので、俺は言う通りにした。

待合室は狭かったが、男女二人ならば丁度良い空間だった。手荷物は下に置いて、俺は大人しく腰掛ける。

話しかけて来た女性は特に顔も上げずに、本を読んでいる。見たところ、荷物も何も持っていない。


「見たところ旅行者のようだけど、何処へ出かけるつもりなのかしら」

「特に当てはない。気ままな旅の途中だ」

「目的もなく、ぶらついているだけの浮浪者なのね。自由を勘違いする人間というのは、本当に哀れね」


 一言返答しただけなのに、猛毒に満ちた憐憫を頂いた。何故、見知らぬ女にここまで言われなければならないのか。

しかも自分で聞いておきながら、俺に一瞥もない。変わらず本を読んでいて、俺には興味の一つも示さない。

電車を待つ間の暇潰しならば、手元にある本だけで補ってもらいたい。


「目的地はないが、目的はある」

「差し支えなければ、聞かせてもらえる?」

「成長する為だ」

「だったら旅になんて出ず、学校へ行って勉強しなさい。強くなりたいのならば、自己鍛錬すればいい。
一人旅なんて所詮、現実逃避。厳しい現実から目を背けて、その場凌ぎで逃げているだけよ」


 強い反論だが、俺個人を激励する意味は含まれていない。要約すれば、お前は馬鹿だと言っているだけ。教養のある女性の、悪口だった。

反発心はある。言い訳だって出来る。学校も修行も、結局はお金が必要となる。余裕のない人間には、生きるのも時間を費やす。

暴力を振るう事も、文句を言う事も、簡単だった。出来るけど、俺はそうしなかった。


「全く、その通りだ」

「あら、簡単に認めるの。意外とつまらない男なのね」

「事実を否定しても仕方が無いだろう。武者修行の旅に出たのに、俺は全然強くなれなかった。
毎日一生懸命剣を振っていたけど、自己満足していただけ。他人と戦ったら、簡単に潰されたよ」


 寂れた駅には人影も、物音もない。真夜中の無人駅は寂しいだけで、温もりは少しも与えられない。

此処で一人座っていたら、思考が空転しそうだった。孤独というのは自由だが、成長する事は決してない。

その事に気付けただけでも、俺は旅に出てよかったと思っている。


「でも、俺は変わる。変わってみせる」

「人なんて、そう簡単には変われないわ。自分で分かっているのに、また旅に出ようとしている。
結局、お前は逃げているだけ。愚かしい限りね」

「逃げる為じゃない。前へと進む為に、旅に出るんだ。

自分できちんと考えて、自分の足で必死になって――目的地を、見つける」


 多分今の俺には自分の居場所も、目標を見つける事も無理だろう。他人に関わらなかった分、俺は何も知らない。

純粋に力をつけたいのならば、彼女の言う通りに腰を据えた方がいい。そうしなかったのは――


女性は本を閉じて、初めて俺に向き合う。表情は厳しいが、視線は何処か優しい。


「もう一度聞くわ。お前が旅に出る目的は?」

「――自分の知らない人間と、出逢うためだ」

「最初からそう言えばいいのよ。自分には、正直になりなさいな」


 他人と出逢い、関係を持つ。人と繋がる事でどのような事が起きるのか、実際に関係を持ってみなければ分からない。

世界中の人間と友達になれるとは、思っていない。敵となる人間も居る。分かり合う事が出来ない人間だっているはずだ。

人間関係とは複雑で、本当に面倒で、厄介極まりない。多分どれだけ成長しても、ずっと悩まされる。
目の前の女性も、その認識は持っているようだ。呆れたように嘆息する。


「人と出逢う為の、旅――他人に優しくされるよりも、自分が傷つく方が多いわよ」

「傷一つつかない強さなんてありえないだろう」

「ふふ、確かにそうね。お前はとても弱くて醜いけれど、勇気だけはあるのね。あくまで、人並みに」


 酷い言われようだったが、不思議と腹が立たない。上品に人を罵倒する女との出逢いは、案外と面白かった。

真夜中の無人駅で、世間話じみた会話をする。口数の多い人ではなかったが、会話が途切れる事はなかった。


やがて――女性は持っていた本を広げて、再び読み始める。


「つまらない男だったけど、話は少しだけ楽しめたわ」

「そりゃどうも」

「もう行きなさい、やる事があるのでしょう。列車を待つ余裕なんて、お前にあるのかしら?」


 やるべき事、成すべき事。成さねばならない事。女性に冷たく追求されて、俺は思い出した。その全てを。

何が起きているのか、正直に言えば分からない。けれど何をしなければならないのか、ハッキリと分かっている。


待合室を出て、線路へと降りる。急いで、行かなければならない――あの戦場へ。


「方向が逆よ。下っていけば戻れなくなる。お前が進むのは後ろではなく、前なのでしょう」

「一応、礼を言っておくよ。あんたとはまた、会えるかな?」

「気が向いたら、会ってあげてもいいわよ。そうね、その時は温かいチョコレートをごちそうしてあげる。
心を冷たく閉ざしてはダメよ。与えられた温もりを大切に、健やかに育ちなさい」


 愛より強いものだと、この世には存在しないのだから――月明かりの下で、女性はそう言って軽やかに微笑んだ。

線路に沿って走っていく。目の前は真っ暗で何も見えないけれど、レールがある限り迷わずに進める。

不思議な魅力を持つ、女の人。薄々気付いているのに、彼女の名を問う。


カーミラ・・・・、お伽噺の吸血鬼よ。お前の物語を、ここで楽しく読ませてもらうわ。
未来なき哀れな旅人に、一滴分・・・の血の祝福があらんことを。


もしも負けたら、心臓に杭を打ち込んでやるから』


















 瞼を焼く熱気、鼻を抉る異臭、口内を舐める黒煙――指を締め付ける激痛が、俺を呼び覚ました。


「っ――あだだだだだだっ!? ク、クラールヴィント……?」

『闇の書の改竄を確認、臨時起動』


 薬指に填められた金の指輪が、機械的な音声で語りかける。夜天の魔導書が改竄された……?

目を開けると、豪炎が天井まで舐め尽くしていた。辺り一帯が火の海に沈んでおり、高級ブランド品が焼けている。

頭が妙に重いと思ったら、倒れた陳列棚がのしかかっていた。傷ついた身体には重すぎて、一ミリも持ち上げる事が出来ない。

何が起きたのかは、自分の足元を濡らす血の量で理解した。死にかけている。


「……このまま意識を失ったら死んでたな……」


"方向が逆よ。下っていけば戻れなくなる・・・・・・。お前が進むのは後ろではなく、前なのでしょう"


 吸血鬼カーミラ。物語だけの、架空の存在。実在しない、と世間では認識されている異端者。

闇に住まう者達、夜の一族。現代社会に大きな影響力を持ちながらも、存在は影に隠れている。その伝説も、暗闇の中。

彼女が実在する吸血鬼であれば、もしかして――血に染まった、自分の手を見つめる。


『バリアジャケット及びシールドの起動、失敗。逃走を推奨します』

「やっぱり、ミヤがいないと魔法も使えないか……才能がないなんて、分かっていた事だけど」


 苦々しく笑う。自嘲ではない、絶望なんてしている暇はない。自分には何も無い事なんて、海鳴町で嫌というほど思い知った。

世の中は、思い通りにはいかない。だからといって、諦めてたまるか。これから先も生きて行く為に、今を足掻く。


動こうとするが、陳列棚に潰されて動けない。重い棚を切ろうとしたのがまずかったのか、動く方の手が反動で麻痺している。


剣は、床に転がったまま。棚に激突して、頭が猛烈に痛い。炎に炙られて、皮膚から熱気が伝わって痛い。

このままジッとしていたら死ぬ。何とか動こうとするが、身体に力が入らない。迫り来る陳列棚と衝突して、既に死に体だった。


唯一自由なのは、利き腕――


『――、〜〜〜〜!!』


 爆音や轟音とは明らかに異なる、引き裂くような女の悲鳴。生々しい血を拭って、顔を起こした。

金髪の少女の首を掴む――蒼い髪の、吸血鬼。真っ白な喉に向けて、牙を突き立てようとしている。

少女は泣きながら必死でもがくが、その抵抗さえも楽しんでいるようだった。嗜虐的な笑みを浮かべて、舌を舐めている。

ふと吸血鬼が顔を横に向けて、俺を見やる。棚に潰された俺を――抵抗も出来ない、俺を見て。



哂った。





"自分には、正直になりなさいな"



――ドクン――



"狼は、吼える事を恥じたりはしない"






「う、がああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!」


 陳列棚が浮き上がり、天井に突き刺さる。利き腕から血を盛大に流しながら、剣を握って立ち上がる。

動かなかった利き腕が、動く――

月の姫の輸血、癒しの巫女の魂、一滴分の血の祝福――その全てであり、どれでもなかった。

目が眩むほどの怒り、頭が真っ白になる憎悪、身体中を焼き尽くす憤怒。自分自身の、素直な感情。


己の全てを――今、さらけ出す!


"な、何故だ! 何故死なない、何故立ち上がれる――何故、戦える!?"

「その女に、手を出すんじゃねえ!!」


 猛然と、斬りかかる。吸血鬼は金髪の少女を慌てて放り出して、黒翼の翼を広げる。

真上から剣を叩きつけると、二番煎じだと嘲笑して飛び上がる。切っ先は床に突き刺さり、吸血鬼は真上から飛び掛ってきた。

俺は手首を回転させて、逆風に剣を斬り上げる!


「利き腕が使えれば、この程度の事は出来るんだよ!!」

"くっ、芸達者な猿が!"


 空中で回避するが、逃げ切れずに片翼を切り裂かれて呻く。本物の剣ではないので、切り傷はつけられない。

初めて痛みを与えられて、吸血鬼はよろめく。その瞬間を見逃さずに、俺は刺突を繰り出した。

物干し竿を使ったレンとの、朝の訓練。斬るのと違って、突きは避けづらい。実体験が、俺に技を選択させた。


どれほど力が強くとも慣れていない技は回避できず、枝の先が少女の胸に突き刺さる。


床に転がって喘ぐ吸血鬼を、店の奥まで全力で蹴り飛ばす。炎が噴き上がり、吸血鬼の全身を紅蓮が包みこむ。

俺は息を整えて、血を吸われそうになった少女の元へ駆け寄る。この子は確か、アメリカの大富豪の娘……?

日本語では通じそうにない。俺は少女に手を差し伸べた。


「今の内に外へ逃げるぞ、ついてこ――ぅっ!」

「――、――!」

「ハァ、ハァ……い、いいから早く!!」


 大量出血に目眩がする俺に、少女が心配気に白いハンカチで拭こうとしてくれる。ワガママそうだったが、悪い子ではないらしい。

人の親切に甘えていられる状況ではない。感情が爆発して痛みが麻痺している間に、全ての行動を終わらせなければ。

利き腕の感覚が、急激に鈍ってきている。やはり、完全回復とはいかないようだ。


差し出された少女の手を握って、店の外へと走る。温かい手――命の、温もり。彼女との約束通り、手放したりはしない。


無事に外へと出られたが、安全地帯とは程遠い。銃声はまだ、絶え間なく聞こえている。

俺は少女を連れて、物陰に隠れる。護衛の必須品として、ディアーナに渡されたのがポケットに……あった、幸いにも壊れていない。

携帯電話に登録された番号にかけると、すぐに主人が出てくれた。


「爆弾テロに巻き込まれて、俺一人では手に負えない。至急、応援を頼む」

『状況はこちらでも把握しております。クリスは無事ですか?』

「本人が戦っているが、敵の人数が多い。何とか逃がすから、迎えに来てくれ」

『既に向かわせています。五分以内に到着するでしょう。ご無事で』


 他人には頼らず、独力で問題を解決する。今までの俺はそうしていて、他人を巻き込み続けた。

自分の力で難題に挑む気概は持ち合わせているつもりだが、分はわきまえる。今の俺は護衛だ、自分よりも他人を優先しなければならない。

持っていた携帯電話を、アメリカの娘に渡す。少女は受け取りどこかへ電話して、必死な声で助けを呼んでいる。

これほどの事件だ。アメリカとロシアは、間違いなく動く――援軍が到着するまでは、守り抜かなければならない。


だが。


「ソコに隠れている日本人、コチラを見ろ」

「――てめえらっ!?」


 変なクセのある日本語で呼びかけられ、恐る恐る物陰から顔を出す。

黒服の男達、銃を持ったサッカボールの少年。その全員がニヤついた顔で、取り囲んでいた。

両手を上げた、ロシアの少女を。


「ヒト助けはお国柄だロ、ジャパニーズ。出て来なければ、このガキをコロす」


 神様というのは、あくまでも俺を試したいらしい……

自分と他人、どちらを優先するか。この状況では、片方しか選べない。


くそったれ――



















































<続く>







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