とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第十話
                               
                                
	
  
 
 世界に、空白は存在しない。大陸には名前が付いていて、大地には生命が根付いている。誰のものでもない世界は、いつも誰かがいる。 
 
何時の時間も関係ない。陽が沈んでいる夜の世界にも国があり、王がいて、広大な暗闇の領土を保有している。 
 
ドイツの夜は夜の一族の名家、マンシュタイン家が実効支配。何人たりとも、マンシュタイン家の領土を侵害する事は許されない。 
 
 
何百年と続いた彼らの国を侵害したのが、ロシアのマフィアであるボルドィレフ家だという。 
 
 
夜の一族の後継者を決定する世界会議。その会議が行われる今年に合わせての、実効支配。事実上の、宣戦布告である。 
 
領土の侵害と言っても、ドイツにある別荘地をマフィアの富で購入しただけ。法律上は何の問題もなく、表社会に波風を立てる事はない。 
 
問題は購入したの別荘地は、マンシュタイン家の分家が私有していた土地であった事。金の暴力に、分家が屈服したのだ。 
  
実効支配に乗り出したのは、マフィアのボスであるディアーナの父親。 
  
 
提案したのはロシアンマフィアの跡取り娘、クリスチーナ・ボルドィレフ―― 
 
 
 
「こんな時間に、ごめんなさい。クリスチーナ、話があるの」 
 
「んー? いいよ、退屈してたし。 
……日本語上手くなったね、ディアーナ。クリスの方が、上手に話せるけど」 
 
 
 異国の地であっても、夜は訪れる。夕食の時間も過ぎた頃、姉が妹の部屋を訪れる。 
 
プライベートな時間帯でも、まるで確執を見せない姉妹。仲の良さそうな二人が、後継者争いに加担している。 
 
血みどろの闘争を演じる、マフィアの家族。緊張感を感じさせないのは、血に濡れた日常を送ってきた人間の持つ器か。 
 
 
血の繋がった家族に、愛想の良い世間話は無用。ディアーナは、本題に入った。 
 
 
「間もなく行われる世界会議に向けて、貴女と話しておきたいの」 
 
「ディアーナは留守番してていいよ。パパとクリスが出席するから」 
 
「そういう訳にはいかないわ。招待されているのは、ボルドィレフ家の当主なのだから」 
 
「だからパパとクリスが出席するの。当家の習わしで、会議の席で後継者が挨拶を行うもの」 
 
 
 マフィアの姉妹は、己の手に銃を持たない。談笑しながら腹を探り、言葉の弾丸で相手の心を撃ち抜く。 
 
どんな言葉と態度が相手の心を萎縮し、脳を恐怖で満たせるのかお互いに知っている。家族の団欒なんて、マフィアには無縁だった。 
 
権力を握る為ならば、家族の縁も断ち切れる。危うく揺れる天秤の上で、姉妹は朗らかに笑い合える。 
 
 
「貴女はまだ後継者の資格はないでしょう、クリス」 
 
「獲物は見つけたから大丈夫だよ。あ、お礼を言うのを忘れてた。ありがとう、私の愛するお姉様。 
 
あのウサギちゃんは、クリスが美味しく食べちゃうから」 
 
 
 背筋を震わせる、クリスチーナの声。無邪気に悪意を放ち、可憐な笑顔を浮かべて人を殺す事を楽しげに語る。 
 
十四歳。少女から女に変わりつつある未成熟な果実が、人間の血を浴びて熟成する。 
 
吸血鬼伝説を真逆に生きる少女。処女の血ではなく、処女が血を飲んで生き血を啜る殺人鬼となる。 
  
人殺しの天才の愉悦を、ディアーナ・ボルドィレフの冷笑が破壊する。 
 
 
 
「彼なら死んだわよ、クリスチーナ」 
 
 
 
「――!?」 
 
「私が先に殺したもの。残念だったわね、私の愛しい妹」 
 
「う、嘘……あ、あいつの、血は……」 
 
 
「部下に命じて死体は解体し、臓器は全部業者に卸した後。日本人の臓器は綺麗だから、破格の値で売れる。 
安心しなさい。彼の血は全部、私が美味しく頂いたわ」 
 
 
「ディアーナァァァァァ!」 
 
 
 惨たらしく人間を殺した義憤ではなく、憎々しい姉に獲物を横取りされた憎悪に咆哮するクリスチーナ。 
 
家族であっても、銃を向ける事に躊躇いはない。標的が日本人から、家族に切り替わっただけ。 
  
拳銃から弾丸が放たれる――よりも早く、冷たい日本刀の刃が少女の喉元に突きつけられる。 
 
 
「おやめ下さい、クリスチーナお嬢様」 
 
「くっ、ミカミ……! お前から先に殺してもいいのよ!」 
 
「出来もしない事を言うべきではないわよ、クリスチーナ」 
 
 
 可愛い瞳を凶悪に釣り上げながらも、クリスチーナは撃たない。銃よりも早く、刀が喉に刺さる事を理解している。 
 
ロシアンマフィアの跡取り娘が、一介の剣士に手も足も出ない。良心ではなく暴力で、殺人鬼が自重していた。 
 
 
実力だけがモノを言う、マフィアの世界。平和ボケした日本人の剣が、マフィアの銃を凌駕している。 
 
 
「可哀想な、クリスチーナ。どれほど力があっても、貴女は一人ぼっちね」 
 
「うるさい、うるさい! お前も、こいつも、絶対に殺してやる!!」 
 
「お母様は、貴女を恐れて捨てた。お友達は、貴女を恐れて逃げた。お父様は、貴女をいずれ見放すわ」 
 
「パパはお前よりも、クリスを愛しているわ!」 
 
「暴力で相手を怖がらせる事しか出来ない、貴女を? 何だったら今、此処へお父様を呼びましょうか? 
剣で脅されて手も足も出ない貴女を見たら、さぞ幻滅されるでしょうね」 
 
「や、やめて……! パパを呼ばないで!! パパに捨てられたら、クリスは……!」 
 
 
 他人を平気で殺せる少女が、父親に捨てられるのを恐れている。自業自得、滑稽極まりないが、少女は本気で怖がっていた。 
 
狂ってはいるが、クリスチーナは自覚していた。自分で一人がある事を、孤立した存在である事を。 
 
殺人を犯すには、冷徹でなければならない。マフィアの王になるには、孤独でなければならない。 
 
 
ロシアンマフィアの跡取り娘として認められた、少女。独りである事を自覚しているが故の、哀しき才能だった。 
 
 
「クリス、素敵な提案があるの。貴女もボディガードを雇えばいいのよ」 
 
「何度も言わせないで。弱っちいのは、いらない」 
 
「そうやって、パパや私が雇った人間を全員叩きのめしたわね。貴女は強いから、誰であっても拒否する」 
 
「……クリスより強い人を見つけたと、言うこと?」 
 
「貴女は本当に賢いわね、クリス。でも、違う。連れてきたボディガードはミカミどころか、貴女よりもずっと弱いわ」 
 
「そんな奴、いらない」 
  
「ボディガードとは、あらゆる脅威から守る存在の事。 
この人だったら貴女が恐れているものから必ず守ってくれるわ、クリスチーナ。 
 
 
お待たせしてごめんなさい――どうぞ、お入りになって」 
 
 
 
  
 
 
 
  
 
 
 
  
『――分かった、二人の事は全て話す』 
 
『交渉成立ですわね』 
 
 
 銃を突きつけておいて、交渉とは笑わせる。身勝手な交渉術に嵌められた自分も、罵倒してやりたい気分だった。 
 
月村すずかとファリン・K・エーアリヒカイト。彼女達の情報を漏らせば、綺堂さくらは窮地に陥ってしまう。 
 
人形が人となった事が事前に漏れてしまえば、マフィアは必ず何か対策を練るだろう。マフィアなりの、やり方で。 
 
さくらの事は信頼しているが、マフィアの暴力に晒されるような事があってはならない。 
 
那美ならきっと、話さない――そんな彼女の好意を、踏み躙ったのだ。俺は絶対に成長する。 
 
 
何を、犠牲にしても。 
 
 
『交渉は成立? 馬鹿を言うな、全然足りねえよ』 
 
『足りないというのは……?』 
 
『月村すずかとファリン・K・エーアリヒカイト――二人の情報が、車の修理費と俺の命で足りる訳がないだろう』 
 
『……お金で支払えと仰っているのならば、金額を提示して下さい』 
 
 
『ロシア連邦の国家予算を、俺の目の前に積んでみせろ』 
 
 
 国家予算が幾らなのか分からないけど、きっと莫大な金額だろう。人間が一生かかっても稼げない、途方も無い金額。 
 
俺はそれほど価値のある、出会いをした。月村家の護衛を務めて、本当に色々勉強させられた。 
 
報われない結果に終わってしまったけど、何もなかったとは思わない。海外へ行く決心が出来たのは、苦い敗北があったからだ。 
 
 
『それほどまでに……あの二人が大事なのですか? 此処で殺される結果になっても』 
 
『勘違いするなよ、マフィア。これは、正当な取引だ。 
情報の値打ちも分からないようなら、後継者争いに加わるのはやめるんだな。 
 
取引に応じないのなら――絶対に、話さない』 
  
 口に出しては絶対に言えないけど……忍にも、すずかにも、ファリンにも、ノエルにも――さくらにも、感謝している。 
 
何を犠牲にしてでも、俺は絶対に成長してみせる。 
 
 
だけど――犠牲にしてはならないものだって、俺の心にはある。 
 
 
自分の命と、引換えにしても。 
 
 
『……話したくなるようにも出来ますわ』 
 
『拷問なら無駄だ』 
 
『無駄だと思っている人間ほど、容易く落ちるものです。拷問の辛さを知っている人間ほど、軽口は叩けません。 
貴方の口振りと態度が、貴方自身の無知を物語っている。必ず、屈服します』 
 
『生憎と、自分の弱さは自覚している。無駄だと言ったのは、通じないという意味ではない』 
 
『と、いいますよ?』 
  
『ここでアンタを倒せばいい。俺に拷問なんて、出来ない』 
 
 
 自分の弱さを決して忘れずに、強くなる。強さと弱さを己の中で昇華して、俺は成長してみせる。 
 
成長するには、今まで出来なかった事に挑まなければならない。拳銃が、相手であったとしても。 
 
どんな苦境に立たされても、俺は諦めない。必ずあの町へ、俺は帰るのだから。 
 
 
『交渉は、決裂ですわね。安心して下さい、ここで貴方を殺すつもりはありません』 
 
『拷問するつもりなら――』 
 
『拷問なんてしません。何の為に、医者に呼んだと思っているのですか? 
交渉するつもりがないのなら、貴方に支払って頂かないといけません。車の、修理費を』 
 
『うっ……』 
 
 
 暴力で訴えるのなら違法だが、車の修理費を壊した人間に求めるのは立派な合法である。警察を呼ばれたら捕まるのは、俺だ。 
 
完全な事故なのだが、弁済責任はどうしても生まれる。彼女を此処で倒しても、支払いの責任がなくなったりはしない。 
 
マフィアの請求なんて、考えるだけで気が滅入る。先月稼いだ金で足りるだろうか……? 
 
 
『宜しければ、お仕事を紹介いたしますわ』 
 
『仕事……? マフィアからの紹介なんて、ロクでもなさそうだな』 
 
『問題ありません。違法性も何も無い、真っ当なお仕事です。 
もしもこの依頼を見事達成して頂ければ車の修理費は無論の事、貴方にも報酬をお支払いしますわ』 
 
 
 交渉を拒絶されたのに、ディアーナは何故かご機嫌だった。ニコニコした顔で、銃を下ろしている。 
 
何が何だか、サッパリ分からない。牙をむいている相手に、笑顔を向けられる神経が理解出来なかった。 
  
ディアーナ・ボルドィレフは、仕事の内容を端的に語る。 
 
 
『クリスチーナ・ボルドィレフ、私の妹を貴方に守って頂きたいのです』 
  
『あいつの護衛!? ふざけるな、あいつは俺を殺そうとしたんだぞ!』 
 
『貴方自身を、初めての標的に選んだ――言い換えれば貴方を殺すまで、妹は誰も殺さない』 
 
 
 ……言われてみれば、そうだ。ロシアンマフィアの名で宣告した以上、覆す事は己の名を汚す事になる。 
 
ただ標的になっているのは、他ならぬ俺なのだ。他人事ではない。 
 
 
『貴方も黙って殺されるつもりはないのでしょう。妹の側に居れば、あの子の弱点も分かるかもしれませんよ。 
一般人の貴方がマフィアの後継者候補に近づくには、この形しかありえません』 
 
『それはそうだが……あいつは一人で自分を守れるだろう? 何から守れと言うんだ、俺に』 
 
『孤独、からです。家族が生きていても、あの子はずっと独りでした』 
 
『……』 
 
 
 迷っていると、ディアーナは銃を床に置いて――自分も、膝を付いた。 
 
両手を床について頭を下げる、その姿は日本で言うところの土下座。最大限の、礼儀。 
 
 
ロシアンマフィアに生まれた娘が、日本の剣士に土下座していた。 
 
 
 
『先程、貴方の答えを聞いて確信いたしました――貴方になら、妹を任せられる。 
どうかクリスチーナを、私の大切な妹を孤独からお救い下さい。 
 
貴方は一人ぼっちの妹が初めて興味を示した、天使様なのです』 
 
 
 試されていたのだと、この時初めて気付いた。先月から、俺は結局何も成長していない。 
 
綺堂さくらの採用試験を思い出す。偶然に助けられた日々、他人の助けがあって俺はこうして生きている。 
 
後になって気付くなんて、遅すぎる。もう少し早く気づいていれば――何度悔やんだ事だろう。 
 
 
これ以上、間違えてはならない。虎の穴であっても、飛び込まなければ中は見えない。 
 
 
『――分かった、引き受ける。でも俺は、いずれあいつを斬るぞ』 
 
『妹が望んだ戦いです。どのような結果であっても、私は口出ししません』 
 
『大体、妹本人が納得するのか、この話』 
 
『必ず、納得させてみせます。 
 
本当に申し訳ありませんけど、紹介する前に――貴方には、死んでいただきますね』 
 
『はっ……?』 
 
 
 くすくす笑っている。可愛い妹に嫌がらせをしようとする、意地悪な姉の笑顔。悪巧みしているようだ。 
 
どうやら俺と同じく、嘘とかついて妹を困らせる算段らしい。さっきの見事な交渉術に、舌を巻いた。 
 
自分を殺そうとしている相手を、守る。実に変な仕事だが、変わり者の俺に似合っている気がした。 
 
 
あいつを必ず斬って、血を飲んでやる。狩られるのを待つだけのうさぎだと思うなよ、お嬢様。 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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