とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第四話
月村安次郎の秘書、ドゥーエ。一言で言うと、地味な女性だった。
美人ではあるが、忍やフィアッセのような華はない。那美や久遠のような可愛らしさもなく、目立たない印象がある。
フォーマルなスーツに化粧っ気のない素顔、素材はいいのに自分を飾らず損をしているイメージがあった。
通りすがりだと忘れてしまいそうな女性――それでも強く警戒してしまうのは、仕える主人が最悪だからだ。
「御会い出来て光栄ですわ、陛下。是非一度お目にかかりたいと願っておりました」
「その陛下というのは何なんだ。あんたに敬われる覚えはないぞ」
「ご謙遜を。夜の一族の正統後継者を従える貴方こそ、王たる資格をお持ちでしょう」
ああ、そういう勘違いをしているのかこの人。月村すずかは始祖の血を持つ純血種、存在そのものが特別。
その少女を護衛にするというのは、一つのステータスになる。穿った見方をする人間がいても不思議ではない。
――実際は忠犬のように後ろをトコトコついてくるだけなのだが、説明が面倒なのでやめておく。
「それで、あのおっさんの秘書が俺に何の用だ?」
「空港で偶然お見かけしまして、主が宮本良介様に御挨拶したいと申し出ております」
「……もしかして、あの高級車?」
「はい、私が運転手も務めさせて頂いております。お急ぎでなければ是非とも」
……この女、見かけによらずなかなか手強いな。先月電話越しでも感じていたが、機転が利き駆け引きも上手い。
多分俺を見かけたのは空港内、さくら達と別れた時だろう。一人になった時――そして、タクシー乗り場に来た瞬間を見計らった。
移動手段を必要としているのを確認した上で、日本語で声をかけた。安心感と、会う理由を与える為に。
那美を拐った誘拐犯、顔も見たくない奴だが一応夜の一族の人間。情報を手に入れられる可能性がある。
自分が成長するには、より多くの他人と接していかなければならない。そして、出逢う人間が善人ばかりとは限らない。
今まで嫌がってばかりだったけど――向き合っていくと決めたのだ。あの子の涙と笑顔に、応えるために。
「分かった、付き合うよ」
「ありがとうございます。こちらへどうぞ」
壊れた利き腕は包帯で吊っていて使えないが、もう一つの腕は使える。片手でも腰に差した剣を抜けるように、病院で練習した。
ドゥーエは高級車の後部座席のドアを開けて、車の中へ招き入れる。賓客扱いだが、嬉しくない。
中へ入るとドアを丁寧に閉められて、葉巻を吸っている月村安次郎と隣り合わせになる。
「久しぶりやな、坊主。手の具合はどうや」
「あんたこそ、背中はもう大丈夫なのか」
俺の利き腕を壊したのは、こいつが放った刺客によるもの。こいつの背中の痛みは、俺が足型がつくほど思いっきり踏んづけた為。
お互い白々しく相手を気遣い、嫌味のこもった笑みを交わし合う。社交辞令に、優しさは必要ない。
車は発進し、いよいよドイツの首都ベルリンへと向かう。新しい旅の、始まりだった。
「さくらと一緒やと思っとったんやけどな、迷子にでもなったんか」
「パーティ会場に入るには、招待状が必要なんだとよ」
「手配出来ひんかったんか、さくらも詰めが甘いな」
安次郎が下品に笑う。男は裸一貫で勝負、なんぞという精神論はこいつの頭の中にはないらしい。黙っておく。
さくらは夜の一族の長と、直接的な繋がりを持っている。俺一人なら、主賓でなければ招待するのも不可能ではなかったかもしれない。
でもお膳立てされてばかりでは、他人の事情にまた流されてしまう。万が一さくらの立場が悪くなれば、当然ついてきた俺も不都合が生じる。
自分の事くらい、自分で面倒を見る――決意を新たにして、ふと気づく。夜の一族の世界会議は確か――
「てめえこそどうなんだ。パーティに招待される御身分なのかよ」
「ふん、世の中金と権力や。日本の小さな分家なんぞ、呼ばれる筈がないやろ。
ちっぽけな島国がどれだけ威張っても、大陸のデカさに潰されるだけや。
言うとくけど、綺堂かて長と仲ようなければ本来会議に加われへんのやぞ」
実に見事な負け惜しみだが、言っている事は間違えてはいない。さくらがすずかを引き取れたのは、一族の長の存在が大きい。
日本は今、世界から軽んじられている。人でも、人でなかろうとも、日本の血は尊重されない。
欧州の覇者達から見れば、こいつと俺の立場にそれほどの差はないのかもしれない。
となれば、別に駆け引きも必要ない。率直に、話を聞こう。
「おっさん、この会議で吊るし上げられるんだろう。容疑者が顔を出さなくてもいいのか」
「お前はほんま、目上の人間への口の利き方がなっとらんな……本人を前に、ようそこまで言えるわ。
あのな、裁判じゃないんやから、いちいち顔を出す必要はないんや。忌々しいが、さくらは儂を追い詰める確実なネタを持っとるんやろ。
弁明不要、会社の首切りと同じや。夜の一族の正式な決定で、儂はつまみ出される」
社長や部長を変えるのは難しくても、平社員くらいは幾らでも替えがきく。競争社会の厳しい現実だった。
加えて、こいつは不祥事まで起こしている。リストラどころか、責任まで追求される。死刑執行は目前だった。
自業自得としか言いようがないが、こいつはそれでもふてぶてしい。勝算でもあるのか?
「お呼びでないと分かっていて、何でドイツまで来ているんだ。直談判でもするつもりか」
「座して死ぬのは、儂の性に合わん。あんな小娘にええようにされてたまるかい!
さっきも言うたやろ、今の世の中金や力を持っとったもんの勝ちや。家柄だの何だのこだわっとったら、時代に取り残される。
古い血を取り入れるよりも、新しい力が今の一族には必要なんや!」
「"新しい力"……?」
「――安次郎様」
「おー、そうやった、そうやった。儂はどうも口が軽くていかんわ、がはははは」
何だこいつ、まだ何か悪あがきするつもりか。綺堂さくらの懸念は的中しつつあるらしい、うーむ。
新しい力とは他人を傷付ける暴力か、他人の上に立つ権力か。それとも、もっと別の何かか?
秘書が口止めするところを見ると、こいつの切り札なのは間違いない。問題は、どの類によるものかということ。
夜の一族の覇権を握りたいのなら、好きにすればいい。さくらや忍達に危害が及ぶようなら――
他人の事なんぞ思い遣っている余裕はない。だけど、これからは余裕を持てる人間になる。
「ようするに、てめえも自分を売り込みに行くんだな」
「招待されてないなら、パーティ券を買えばいい話や。今回出すのは、金やないけどな。
坊主もこのまま門前払いで帰るつもりはないんやろ。売り込めるもん、持っとるんか?」
「……」
こいつが親切で俺に声をかけるはずがない。さくらと別れて単独行動を取っている俺に探りを入れている。
バックミラー越しに、運転手のドゥーエもこちらを見ていた。注視するその瞳は鋭く光っている。
剣が使えない俺が売り込めるものは――自分しかない。
妹さんやファリンとの一ヶ月の生活体験もネタになるのだろうが、この材料は世界会議でさくらが使用する。
俺が海外へ旅立ったのは腕の治療もあるが、自分を変える為でもある。
剣も大事だが、剣を振るう自分も他人に認められなければならない。何も変わらなければ、独り善がりになるだけだ。
「ひとまず、会議に参加する人間と接触する。話はそれからだ」
「相手は経済界や政界、裏社会にまで顔のきく大物もおる。お前みたいなガキ、誰が相手するか」
「さくらだって、本来俺のような人間には高嶺の花だったんだぞ。人間関係なんて、何がきっかけになるか分からないだろう」
「結局出たとこ勝負か、話しにならんわ。ドゥーエ、ベルリンに着いたらこいつをさっさと降ろせ。
まあ、せいぜい野垂れ死にせんように頑張るんやな。日本のように甘くはないで、この国は」
「どんなネタをもっているのか知らねえが、随分強気じゃねえか。お前だって、俺と大して変わらんだろう。
日本の成り上がり者が何をほざいたところで、権力者は相手にしてくれないと思うぜ」
「ところがどっこい、既にアポは取っとる。これから向かうところや」
「……アポイントが取れてる? 追放寸前の落ち目と会ってどんな得があるんだ、そいつに」
「がっはっは、そうひがむな。儂はお前と違って、優秀な秘書がおるんや。
のう、ドゥーエ。お前の交渉のおかげで、儂は人生一番の大勝負ができる。上手くいけば、ボーナスははずむで」
「成る可くして成ったというだけですわ。人の上に立つ器の持ち主は、おのずとよい機会に恵まれるものなのです」
「聞いたか、坊主。所詮、儂とお前では器が違うんや」
「……全く、その通りですわ。貴方様と俗物を一緒にしてはいけません」
俗物で悪かったな! さっきと言っている事が180度違うじゃねえか!! 王様という柄か、こいつが!?
ドゥーエは実に楽しげに微笑んで、ミラー越しに俺を見ている。何をニヤニヤした顔で俺を見てるんだ、こいつ。
さっき陛下と呼んでいたのも、ただ単純に馬鹿にしていただけだったのか。皮肉だと気付かない俺も、どうかしていた。
「ご大層な事を言っているが、政治や経済通の人間ときちんと話せるのかよ。
田舎に住んでいるから、田舎者じゃねえんだぞ。王様気取って恥をかくだけじゃねえの」
「心配あれへん。これから会う人間も、儂と似たようなものや。長い歴史はあるが、パッとせん家やった。
大金持ちではあるんやけど、一族の中で幅をきかすには足らんものがあった。何か分かるか?」
「……"血"、か?」
「そうや。夜の一族は、血を重んじる。先祖代々受け継がれても、血が濃いとは限らん。
名が知れとる分、血が薄まれば没落も早い。世界会議に出られるようになったのも、つい最近や」
「それだと、お前のような成り上がりとはまた違うんじゃないか? 返り咲いたんだろう」
「言うたやろ、一族で存在を示すに血で証明するしかない。遺伝子というのはほんま、分からんもんやな。
生まれたんやよ――没落していた家に、とびっきりの"突然変異種"が!」
夜の一族における発言力は、血に左右される。金の量よりも、血の一滴に価値がある。人ならざる者の、立身出世。
トンビに成り果てていたのに、どういう偶然か鷹が生まれてしまった。なるほど、一種の成り上がりというわけか。
興奮冷めやまぬ顔で、月村安次郎はその恐るべき名を上げる。
「"カーミラ・マンシュタイン"――実在する、ほんまものの吸血鬼や。
正統後継者である月村すずかのライバル、有力候補や。今年の世界会議は荒れに荒れるで、坊主。
文字通り、血が流れる」
カーミラ、吸血鬼伝承でも有名な女吸血鬼。無学の俺でも知っている、作品の中の化物。
子供に怪物の名前をつけるなんてイカれている。名前負けしない能力でも備わっているのだろうか?
いずれにしても、こいつの思惑は大体わかった。月村すずかを失墜させ、綺堂さくらを一族から追放する。両者の利害は一致している。
すずかが脱落すれば、一族の後継者はカーミラ・マンシュタインとなる。マンシュタイン家は安泰、安次郎はおこぼれに預かれる。
すずかもさくらもきっと、ただでは済まないだろう――
"良介……私は本当に貴方に感謝しているし、貴方の事を信頼しているわ"
"剣士さんは、世界で一番大切な人です"
那美、俺はもう絶対に――他人事では、すまさない。
「おっさん、俺も一緒に連れていってくれよ」
「アホぬかせ、儂に何の得があるんや。邪魔じゃ、ボケ」
「分かった、秘書さんに聞いてみよう」
「何を言うとるねん、ドゥーエは儂の命令しか聞かな――ゴガッ!?」
「俺をマンシュタイン家へ連れて行け、ドゥーエ」
言っただろう、おっさん――人間関係なんて何がきっかけになるか分からない、と。
大事な主の口に桜の枝を突っ込んで、俺はお願いをする。
<続く>
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