とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第九十五話
病院の敷地内で人気のない場所、屋上くらいしか思い付かなかった。病院から一歩も出れない以上、仕方がない。
曇り空の、夕暮れ時。好んで景色を見る輩など誰一人おらず、屋上は閑散としていた。時が来れば、施錠されるだろう。
同室のはやては検査とリハビリ、アリサや忍の平日の見舞いは大体夕飯前、護衛の妹さんは怪我の手当を受けている。
独りになれる時間が少ないというのは好ましくはないが、闇雲に求めたりもしない。今の俺は、一人では生きていけない。
必要なもの、求めているもの、望んでいるもの――その全ては、他人との繋がりに在る。
「待っていたよ、剣の騎士シグナム」
「……私が来る事は分かっていたのか」
当たり前のように、一人の女性が上空から舞い降りる。地味な冬の防寒着でも、本人の凛々しさは衰えを見せない。
初夏の季節でありながら、冷冬のような冷たい空気。張り詰めた顔は、日本刀のような美しき鋭さを感じさせる。
"物干し竿"を帯剣していたら、即座に抜いていたであろう。女性の敵意に、負傷した肌が敏感に痛みを発した。
俺の監視役であるシグナムは、単刀直入に切り出した。
「先程、闇の書の頁が改竄された。お前の意思によるものか、この場で答えてもらう」
「俺が、彼女の願いに応えた」
生きる理由も無かった夜の一族の王女の、最初の願い。純真無垢な想いと真っ直ぐな拳に、俺は応えた。
知らぬ存ぜぬを決め込んでもよかった。実際改竄そのものは、俺が望んだものではない。願い無き少女の祈りが、形になったというだけ。
知らないふりをすれば、誤魔化す事は容易だった。でもそれは、月村すずかの願いを否定する事になる。
情にほだされた訳ではない。自分の敗北を素直に受け入れた、ただそれだけ。敗北を認められない者が、強くなれる筈がない。
「主の許可は得ているのか」
「いいや」
――喉元に、切っ先を付きつけられた。手に剣など持っていなかったのに、気付けば殺されていた。
電光石火の早業、銃より早く彼女は人を斬れる。身体が強張る瞬間も与えない。同じ剣士でも、次元そのものが違う。
一挙一動、たった一つの失言で俺は死ぬ。三途の川岸に追い詰められながら、俺は彼女を正面から捉える。
「例えミヤとユニゾンしていなくとも、第三者の闇の書へのアクセスは主に危険が及ぶ事は分かっていた筈だ。
我々に存在意義を問いながら、貴様は主の存在を蔑ろにするのか」
「天秤にかけられる話じゃない」
「頁に記された少女と、主。一つの願いと、一人の命。片方を優先すれば、もう片方を失いかねない。
どう言い繕っても、お前は秤にかけている。そして、お前は主を選ばなかった」
夜天の魔導書の守護騎士、プログラムで作成された人格。作り物でありながら、剣士の放つ問い掛けは厳かであった。
明確な意思の元に、剣は鋭く磨かれている。言葉の刃だけで、柔らかな喉が切り裂かれそうだった。
敵意が殺意に変わりそうな危うい雰囲気――手に剣はなくとも、剣戟が行われていた。
「俺に選ぶ権利はなかった。敗者は、勝者に従うまでだ」
「幼き子供に、牙でも抜かれたのか。それとも、幼女に骨抜きにされたか」
「あんたは、子供に剣を収められたらしいな」
八神はやてに出逢う前の彼女なら、出会い頭に一刀両断されている。魔導書の起動に立ち会った俺だからこそ、分かる。
あの時アリサが場を収めてくれなければ、俺は殺されていた。忠実という名目に従い、彼女達は障害を排除していただろう。
言葉のやり取りが通じるのは――言葉に耳を傾けられる、人間だからだ。言葉を持つ事で、対話という斬り合いが可能となる。
「年端も行かない子供であっても、我々にとっては大切な主。仇なす者は、決して許さない」
「俺は、はやての敵じゃない」
「味方でもない、ましてや家族という存在には程遠いのではないのか」
「家族を知らない者が、家族の意義を問い掛けるのか」
「家族というものを教えてくれたのが、主だ」
嘘をついている、彼女の静かな瞳を見て分かった。言葉にしながらも、家族とは何か今でも分かっていない。
誰かに大切にされた経験がないから、自分を想ってくれる八神はやてを大切にしようとする。それが家族であると、思い込んでいる。
ありがち、間違えてはいない。血の繋がりがない以上、本当の家族ではない。大切に思う心を、家族の象徴として掲げている。
お互いを思う気持ちがあれば、確かに一緒に暮らしていける。想いを温め合う事で、血よりも濃い絆で結ばれる。
それで、いいのか?
「その家族を、あんたも見捨てるのだろう」
「私が、主を裏切るというのか!」
「俺がはやてを殺したら、あんたはどうする?」
「そうなる前に、お前をこの場で斬り捨てる」
「八神はやてが死んだらまた次の主を求めるのだろう、お前達は」
「――っ」
切っ先は微塵も揺れない、恐るべき剣の冴え。心がどれほど揺れても、剣に乱れは生じない。技が、確立されている。
性別すら超えた、美しさ。剣を持つ事が当たり前で、剣と共に在る事で一となる。焦がれてやまない。
生まれて初めてだった。斬られてもいいと思える、剣士に出会ったのは。
「家族に、代わりなどない。あんたが八神はやてに抱くのは忠義か、情か」
「問い質しているのは、私だ」
「家族ではない。家族とは何か――はやてと一緒に、探している」
家族ごっこ、俺が表現する八神はやてとの関係。ゴッコ遊び、飽きたらやめて解散となる。
はやては俺を家族だと言ってくれている。でもきっと、真の意味は分かっていない。あの子も、家族を知らないから。
俺も、アリサも、ミヤも、はやても、ヴィータも、シャマルも、ザフィーラも――本当の家族は、いない。
「俺もはやても一人では分からないから、一緒に探しているんだ。あんただって、そうだろう?
この平和な生活に――この新しい人生に意味を求めて、八神はやてと共にいる。いたいと、思っている。
でも、その想いは純粋ではない。魔導書より作られたプログラムも、働いている」
「私とお前が一緒だと、言いたいのか」
「あの子は、違うんだ。書に刻まれたあの子の想いは俺達とは違って、純粋なんだよ。
純然たる想いに、俺は勝つ事が出来なかった。所詮は紛い物、本物に憧れているだけの偽物なのさ。
俺は、八神はやてを選ぶ事が出来なかった――すまない」
「……」
斬り合いは、続く。剣でしか物を語れない人間が、慣れない言葉を使って互いの心を斬り合う。
どちらも有利ではない。人の心を持つふりをしているだけの存在が、話し合いなんて器用に出来る筈がない。
妹さんが拳で示してくれなければ、俺は永遠にこの剣士には勝てなかっただろう。
護衛になってくれたあの子の願いは正しいものであると、俺が証明して見せる。
「ようするに、その者に根負けして願いを叶えさせられたのか。想像していたよりもずっと、情けない理由だな。
お前自身に咎はなくとも、心の在り様が弱ければ主に迷惑をかけ続ける」
「分かっている。だからこそ、海外へ行かせてほしい」
ここからが、勝負だ。刃を突きつけられたまま、俺はシグナムと対立する。生死の境に、今立たされている。
己の弱さが敗因、シグナムの追求はもっともだった。他者の願いを叶える魔法使いが、他人に振り回されていては単なる道具に成り下がる。
お賽銭を渡されて喜ぶ、神様になるつもりはない。俺は今こそ、成らなければならない。
自分の意志で道を選び、自分の足で道を歩ける――心を持った、人間に。
「俺はこの町で生まれ変わった。生まれたばかりの赤ん坊に、はやてや他の皆が栄養を与えてくれたんだ。
この町は優しくて、生きる人々は健やかで、此処で生きていけばきっと立派な人間になれると思う。
けれど、それでは駄目なんだ。俺は町の住民の一人になりたいんじゃない、俺という人間になりたいんだ。
確立された人間にならなければ、俺はまたきっと誰かに振り回される。他人の願いに、飲み込まれる。
この手の怪我を治すのも、目的の一つ。そしてそれ以上に――
俺は、この町から旅立ちたい。一人の人間として、自立したい」
孤独になりたい、その気持ちは今でも変わらない。意味が少しだけ、変わっただけの事。原点に立ち戻った。
月村すずかに敗北したのは、俺は自分を見失っているから。確固たるものがないから、殴られてへし折れる。
剣士として生きて行くのなら、この先もまだまだ強い敵が現れる。負けないようにするには、折れる事のない剣にならなければいけない。
「国を出て、武者修行に行くというのか。他人の想いに、負けない為に」
「八神はやてを選ぶかどうかは、分からない。でもせめて、自分の意志で選べる人間になってみせる。
自分の願いは叶えられないからといって、他人の言う事を聞くだけでは子供だからな。大人に、ならないと」
「……そうか……お前も、色々と考えてはいるのだな……」
今の俺は多分、法術がどうとかいう以前だ。人間すらない、心だって5月で壊れてツギハギになっている。
このままでは騎士達の懸念通り、他人に振り回されて願いを叶えてしまう。一人一人に目が行って、はやてを置き去りにしてしまう。
家族になれるかどうかはまだ分からないけど、今の俺はあのこの傍にいるべきではないと思う。
「温かい家から一歩外へ出れば、冷たい戦場が待っている。今のお前に、戦えるのか」
「戦う、結果がどうなっても――いや、必ず勝つ」
「なるほど、今のお前は確かに一から鍛え直す必要がありそうだ」
シグナムは、剣を下ろした。俺の意思に屈服したのではない、俺の言葉に耳を傾けてくれた結果だった。
戦いは、拮抗していた。天秤はどちらに揺れても、不思議ではなかった。彼女の心を変えるには、それこそ一本取らなければならなかった。
俺らしくないけれど……無我夢中で自分を訴えてみた。なかなか難しいものだな、妹さん。
「行きたければ、行って来い。その代わり必ず強くなって、主を安心させてくれ」
「約束する」
「お前が勇ましいのは、言葉だけだな」
その俺の言葉に耳を貸してくれたのが、あんただよ。微笑みというほどではないが、俺達は笑い合った。上手く笑えたか、自信はない。
剣を使わない、戦い――海外へ行けば、こんな戦いをずっと続けなければいけない。
気苦労の多い旅となるが、楽な修行なんてありはしない。他人と向かい合って、俺は成長してみせる。
「剣を必要としない、戦い――なかなか難しいものだな。自分を、うまく伝えられない」
「あんたほどの剣士でもそう思うのか」
「剣で物を言うやり方に慣れすぎてしまったらしい。お前と語り合った時、私は薄々だが自分の負けを予感していた」
「不利な勝負と分かっていて、何故俺と向き合ってくれたんだ?」
「平和な世界で騎士は必要な存在なのか、かつて問いかけたのはお前だ。私は私なりに、答えを示したかった。
次はお前の番だ、宮本良介。お前自身の存在の価値を、自らで示してみろ。
私も、主と共にこの日常に生きる術を見出してみせる。剣を置いて、人と話すことで」
一本取った筈なのに、一本取られた気分だった。ヴィータやシャマルと同じく、この女性もまた立派な騎士だった。
仲良く語り合う言葉も持たず、対等に交わす握手もない。敵でなくても、俺達は味方にはなれない。
まずはお互いに自分と向き合って、きちんと生きて行けるように努力しなければならない。
夢はなく、道はまだ半ば――志だけは高く持ち、生きていきたい。
<続く>
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