とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第九十六話
"斬り合い"による決着もついたので、俺達は病院の屋上から降りる。人の居ない空間は、長話するのに向かない。
監視役を務めるシグナムは俺に歩幅を合わせてくれて、ピッタリと横についている。長身の美女は隣にいると、妙に落ち着かない。
帯剣こそしていないが、凛々しい顔で歩く彼女は一本の剣そのものだった。触れると傷つく、薔薇の美。
剣の騎士シグナム、剣士であるがゆえに彼女もまた今の俺に似た悩みを持っていた。
「仕事が上手くいかない?」
「……ヴィータやシャマルと違い、私は隣人との接し方に問題があるらしい」
6月より始めた、俺の仕事。海鳴町の人々より依頼を受けて、少しでも生活の役に立つお手伝いをする。
ボランティアに近い仕事だが、好意という名の見返りは求めている。積極的に報酬を要求せず、謝礼として受け取っていた。
人々の好意が前提となるこの仕事では、人間関係が非常に重視される。好意の高さが報酬額を決めるので、当然とも言える。
アリサの手腕と八神家の人となりによって依頼層も仕事の内容も幅が出来ているが、シグナムの場合常連客が出来ないらしい。
「高齢の方に敬意を払っているつもりなのだが……お声がかからずにいる」
「主な顧客は、ゲートボールの爺共だからな。年寄り共は小煩いからな」
シグナムの手前フォローはしたが、爺さん達の気持ちも分かる気がする。シグナムの人格面に、問題があるのではないのだ。
この美麗の剣士が側にいると、何というか落ち着かないのだ。敬意を払ってくれているからこそ、逆に自分の弱さを見せられない。
切磋琢磨する関係ならば悪くはないのだが、日常生活を送る上で緊張感は必要ない。
「仕事を紹介してくれたアリサ殿に、申し訳が立たない」
「あいつはそんな事いちいち咎めたりしないさ。あんたが気にしているのなら、尚の事」
「気遣って頂いているのが分かるからこそ、余計に申し訳がない。
人の心が分からぬままでいられたら、このように悩む事もなく――無様を晒す事もなかった。
お前の忠告を受け入れるべきではなかったのかもしれないな、私は」
ただ主であるはやてを守ること事を考えていればよかった、騎士としての自分。その在り方は正しいが、日常には溶け込めない。
両立する器用さが、彼女にはなかった。器用になる事を待っていてくれるほど、現実も甘くはない。
ロクでなしは簡単に放置されるのが、この社会の厳しさ。剣の腕よりも、身元の確かさを必要とされる。
「愚痴を言うとはあんたらしくないな、騎士殿」
「お前の不甲斐なき話を延々と聞かされたんだ、少しは私の言葉にも耳をかせ」
苦笑いする騎士に親しみと、悲しみを覚える。どうにかしてやりたいと思うのもまた、剣士には不要な感情なのだろう。
彼女の悩みに応える言葉は持たない。なぜなら俺の悩みもまた彼女に似ていて、乗り越えるべくこの国を離れるのだから。
剣で生きられる、世界ではない。騎士が成立する、世の中でもない。ならば、此処に彼女の居場所はないのか――?
「うん……? あっ、お前! まだこの町にいたのか!!」
シグナムと話しながら自分の病室へ歩いていた時、病院の廊下の向こうから一人の男がかけて来る。
学生服を着た、同世代の男。竹刀袋を手に、露骨な怒りの表情を浮かべて走り寄ってきた。
知り合いか、とシグナムが一瞥を投げかけてくるが、首を振る。全く、見覚えがない。
学生服の男は俺に掴みかかろうとしたが、両手の怪我を見て伸ばした手を引っ込めた。だが、声は荒げる。
「よくもおめおめと、この町に居られるものだな!? お前のせいで……何もかもお前のせいで、全てが滅茶苦茶になったんだぞ!」
「言っている意味がまるで分からん。言い掛かりはやめろ。むしろ誰だ、お前」
「ぼ、僕の事を覚えていないのか……!? お前が道場破りをした、門下生だ!」
「道場破りの門下――おお、あの時の! そういえばお前のような奴がいたな」
今年の春この海鳴町へ流れ着いた時、自分を試すべく道場破りに挑んだ。名前は忘れたが、前先道場の門下生だった男だ。
道場破りをした俺を非常識だと罵り、師範を侮辱されて頭に血を上らせていた。忘却に埋もれかかっていた記憶を、掘り起こす。
懐かしい思い出だが、まだあれから半年も過ぎていない。一ヶ月一ヶ月が非常に重く、変化した人間関係が他愛ない日々を厚くする。
同時に思い出せた事もあり、俺はここぞとばかりに追求した。この機会を逃せば、また忘れてしまう。
「お前があの時事件現場で騒いだせいで、俺が通り魔扱いされて追われたんだぞ。お前こそ、俺に手をついて詫びろ」
「ご、誤解されるような真似をするお前の行動に問題がある!
道場破りなんて非常識な真似をした挙句、先生まで……お前の剣で斬られてしまったんだ!」
「お前も道場生なら知っているだろう。お前のところの先生は――」
「……通り魔だったんだろう。警察でも聞いたし、マスコミが大騒ぎしてくれたおかげで、大々的に広まったさ!
おまけに何処で嗅ぎつけたのか、最近になって路上でお前に斬られた事も表沙汰になった。
道場の評判はボロボロ、門下生はもう殆ど居ない。このままでは看板を下ろす事にも……何もかも、お前のせいで!!」
――俺との戦いも、マスコミが嗅ぎつけた? あの不良警官が事件を穏便に収めて、俺や美由希達の事は秘密裏に処理したはずだ。
何故今になって表に出たのか分からないが、この口振りからすると俺の事だけ表沙汰になったらしい。
この分だと、先月の事も誰かが嗅ぎ付けてくるかもしれない。ジュエルシードの影響は、俺でも知らない部分があるのだ。
クロノ達や不良警官を今まで当てにしていたが、いい加減自分も他人事にせず自分から知りに行かなければならない。
このままではまた、他人の事情に振り回されてしまう。自分の立ち位置を決める為に、情報は必要だ。今度ばかりは、思い知らされた。
「どうしてくれる! このままでは、僕達の剣は無価値になってしまう。夏の大会だって、勝てない。
先生は捕まり、仲間もいなくなり、見知らぬ多くの他人に拒絶されて――僕は、僕達は肩身の狭い思いをさせられてるんだ!!」
「……あの爺さんは、自分の剣に忠実だった。それだけだ」
「そんな筈はない! 先生の剣は自分だけではなく、他者も強くなれる活きた剣だ!!」
「それはお前の勝手な思い込みだ。あの爺さんはお前達弟子より、自分の剣の方が大事だった。
剣道ゴッコより、剣術を求めて――相手を斬り、自分も斬られることを望んだ。
この世界が平和だった事に、爺さんは耐えられなかったんだよ」
「そんな……嘘だ……そんなの、嘘だ! 先生は正しい、間違えているのはお前だ!!」
俺は悩み出したばかり、シグナムは悩んでいる途中で――爺さんは、悩むことに疲れてしまった。
強くなればなるほど、自分の居場所を失ってしまった。当然だ、剣とは相手を斬る事になる。
自分の剣の強さを、正しさを主張すればするほど、他人を否定する事になる。斬らねば、自分を否定してしまう。
その矛盾に我慢できずに、老剣士は軟弱な若者にまで強さを求めてしまった。戦国こそが、楽園だった。
俺の言葉に愕然として門下生はへたりこみ、泣き喚く――言いようのない時間。こいつも剣士だからこそ、否定も肯定もできない。
その肩に、女性が優しく手を置いて――
「何を――がっ!」
「おい、シグナム!?」
「心配するな。加減はしておいた」
怪我人を癒す病院の廊下で、シグナムは何と門下生を殴り飛ばした。くぐもった声を上げて、門下生は廊下に転がる。
容赦のない一撃に見えたが、本人なりに加減はしたらしい。とはいえ頬に突き刺さっていたのは間違いなく、痛そうにしている。
剣一本で戦場を駆け抜けた騎士が、道半ばの若き剣士を見下ろす。
「駄々を捏ねるだけの馬鹿は、なまじ付き合っているからつけあがる」
「……ぐっ……、あんたに僕達の何が分かる!!」
「いつまで、甘ったれているつもりだ。剣で斬られた剣士に、誰が同情する。
挙句敵に哀れみをこうなど、以ての外だ」
情けをかけられたいだけだと、シグナムは門下生を一蹴する。強者の論理、だからこそ弱者は黙りこむしかない。
門下生は悔しそうだった。憎々しげに、シグナムを睨み付けている。その憤りは、自分にも向けられている。
こいつもまた、俺達と同じだった。己の剣の意味に疑問を持ち、剣を振る事に躊躇している。
シグナムは門下生の視線すら目障りだと言いたげに、見るのを止めた。敗者を歯牙にもかけない、躊躇いのない姿勢には尊敬する。
彼女だって、悩んでいるのに――このままには、やはり出来なかった。俺も、剣士だ。
「爺さんを敗者のままにして、道場の看板を下ろすのは嫌か?」
「当たり前だ!」
「だったら、俺がいい先生を紹介してやる――彼女だ」
「何……?」
歩み始めていた足を止めて、シグナムは俺に振り返る。強き表情はそのままに、怪訝な色だけを濃くしている。
自分が殴り飛ばして否定した男の事なんて、見向きもしない。剣士としては、それで正しい。強者が弱者を省みる必要はない。
けれど、この世界ではその論理は通じない。弱者の論理を、あんたにも知ってもらう。
「この男とこの男が弟子入りする道場の門下生を、あんたの剣で強くしてやってくれ」
「私がこの男に肩入れする理由がない」
「理由はあるさ、これは仕事だ。剣術指南役――年寄りの面倒をみるより、ずっとあんたに向いていると思う。
剣を置く決意をしたのは立派だけど、言葉だけではまだまだ不安だろう。
剣と共に平和な世界を歩んでみるのは、どうだ?」
「……」
「お前もだ。先生の剣を肯定したいのなら、俺の剣を否定してみろ。
俺は必ず、この手を治す。お前も一から出直して――道場破りに来いよ。受けて立ってやる」
道半ばであるのなら、そのまま歩き出せばいい。ジッとしているだけでは、なにも変わらない。
自分の剣が一番でありたい、けれど他人も否定したくない。そんな剣が本当にあり得るのなら、突き詰めてみるのもいい。
「……僕は、お前が憎い。お前が、大嫌いだ」
「ああ、分かってる」
「畜生、チクショウ……絶対に、絶対に、いつかお前を斬ってやる。必ず、先生の敵は取る! 覚悟して、待っていろ!!」
門下生は泣いていた。弱々しく泣きながら、とても強い言葉を吐いた。無様なのに、とてもカッコよく見えた。
俺達は、弱い。まだまだ、分かっていない。他人を知る為に、剣はまだ必要だ。
シグナムは俺達の会話を静かに聞いていたが、フッと口元を緩める。それだけで、物腰が驚くほど柔らかく見えた。
「……そうだな、そういう生き方も悪くはないかもしれない。
いいだろう、お前を一人前にしてやる。ただし、泣き言を許すほど私は甘くはないぞ」
「えっ、いや、僕はまだ教えを受けるとは――うわあああああ!?」
「宮本、悪いがお前の監視役は今日限りとさせてもらう。明日からは、ザフィーラに頼んでおく」
門下生の襟首を掴んで、シグナムは引き摺っていく。爺さんより余程厳しそうだ、紹介しておいて何だがあいつには同情する。
剣の指導、爺さんと同じ道。その道の行先はきっと、同じではない。彼女は、強い女性だから。
俺もまた門下生と同じく、挑む側。手の怪我を治して、彼女に挑戦しよう。
道は互いに分かれていても、剣という共通の道標がある限り――いつでもまた向き合える。
<続く>
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