とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第九十四話
                               
                                
	
  
 
 梅雨空が続いた六月、冷たい雨が降らす空の下で少女は身体を濡らして俺を待っていてくれた。胸の中にある想いだけを、温めて。 
 
少女の心は、誰にも分からなかった。誰も理解しようとせず、少女もまた理解を求めなかった。少女はずっと、独りだった。 
 
感情を揺さぶる言葉を持たず、揺さぶられる気持ちも持てず。気高き血と、美しい肉体だけを持て余し、少女はただ生きていた。 
 
 
夜の世界の王女、月の終わりを迎えて彼女は自ら――生きる為の、戦いを望んだ。 
 
 
「採用試験?」 
 
「剣士さんはさくらお姉ちゃんから、採用試験を受けたと聞いています。今度は剣士さんが、私を試して頂きたいのです。 
お願いします、剣士さん。わたしと、勝負してください」 
 
「勝負といっても……分かって、言っているのか?」 
 
 
 囲碁や将棋のような、盤上の御遊戯ではない。机上の論戦でもない。己の実力を試し合う真剣勝負を、少女は求めている。 
 
未成熟な、細い肢体。綺麗な肌の白さは力強さを感じさせず、発達していない身体は触れれば折れてしまいそうだった。 
  
大切に育てられた、上品なお嬢様。香水の代わりに、血の臭いを漂わせる戦いに挑んで来ている。 
  
「剣士さんのわたしに対する御懸念は、ごもっともです。頂いている御金に見合った実力が求められるのは、当然だとわたしは思います。 
剣士さんの御好意に甘え、ただ傍にいるだけでは役立たずでしかありません。その事については、本当に反省しています。 
 
 
その上で、お願い致します。どうか、わたしに機会を下さい。剣士さんの護衛に、なりたいのです」 
 
 
 物腰は上品で、静かな雰囲気を持つ少女。存在感は際立っており、病院内で周囲の視線を惹きつけている。 
 
冷たい床に額を擦り付けんばかりの低姿勢に、圧倒されそうになる。これまで、これほどの強い意思を少女から感じた事はなかった。 
  
心躍らせる厚い友情でも、心高鳴らせる淡い恋心でもない。俗な価値観に染まらない、透明なる意思が感じられた。 
 
 
「勝負の方法は?」 
 
「一本勝負をお願いします。わたしが勝てれば、剣士さんの護衛になる事を認めて下さい」 
 
「負けたらどうする?」 
 
 
「死にます」 
 
 
「――軽々しく言うな、随分と。さくらや忍が悲しむぞ」 
 
「剣士さんの護衛となるのならば、剣士さんのようにならなければならないと思っています」 
 
 
 その言葉を聞いて、観念した。同時に、驚かされた。まさか、アリサ以外に俺を理解出来る存在が現れるとは思っていなかった。 
 
怪我をしている相手に勝負を挑む、その事実を卑怯とは思わない。当然だ。常にベストコンディションなんて、強者だけの特権。 
 
この現実は、ハッピーエンドが約束された物語ではない。弱者が強者に勝つには、死に物狂いにならなければならない。 
  
妹さんが望んでいるのは、天下無双ではない。俺に勝つ事、俺に認められる事だけを望んでいる。 
 
 
目的を達成出来ない自分の将来に、見向きもしない。他人が悲しむ事を分かっていても、自分の本意に従って死ぬ。 
 
剣に身を置いている俺が望んでいる、在り方。俺に勝つ為だけに、少女は全身全霊で挑みに来た。 
 
 
月村すずか――この娘を初めて、愛しく思えた。 
 
 
「分かった、勝負を受けよう」 
 
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」 
 
 
 喜びに、頭を上げて――少女は、拳を放った。予想を遥かに超える、鋭い一撃。足も縺れていない。 
 
鮫の泳ぐ海で小魚が生き残るには、弱っている敵を狙う。それも、一番無防備になった瞬間を狙って。そうでもなければ、勝てない。 
 
分かっていたから半歩ずらして回避出来たが、正直ギリギリだった。お嬢様の、か弱い平手打ちでは断じてない。 
 
 
奇襲よりも、妹さん自身の動きに目を見張った。あの細い身体から、何故こんな瞬発力が生まれる!? 
 
 
「……格闘技までお稽古事で学んでいたのか、妹さん?」 
 
 
「格闘戦技――下突き」 
 
 
 何も語らず、何も誇らず。ただ在るがままに、己の技を繰り出す。その動きに迷いはなく、流麗な水の流れを思わせる。 
 
音もなく踏み込んできた相手に一歩退くが、仕損じても諦めず妹さんは次々と拳を振るってくる。 
 
 
舌打ちする。固定している腕が邪魔なのもあるが――やり辛い。 
 
 
未発達な身体を逆に生かして、妹さんは足元から攻めて来る。必殺となる急所を狙わず、次に繋ぐ隙を生む攻撃を続ける。 
 
この戦い方もまた、戦う相手を俺だけに想定した戦法。下を狙う攻撃手段をあまり持たない、剣士ならではの弱点をつく。 
 
剣士は万能ではない。万能ではないがゆえに、経験を積んで弱点を無くしていく。その弱点を、俺はまだ克服出来ていなかった。 
 
 
だけど、それでも甘い。腕が伸び切った瞬間を狙って、俺は脚を払った。 
 
 
「――うっ」 
 
「俺の勝ちだ、妹さん」 
 
 
 即座に立ち上がろうとした妹さんの利き腕を、俺は踏みつける。起点を失って、妹さんは床に這い蹲った。 
 
勝負を受けた時点で、俺は妹さんを子供だと侮らない。小さな背中を踏みつけた程度では、自由な手足を生かして反撃してくる。 
 
 
だが、利き腕は別。この手こそ、少女の唯一の攻撃手段。剣士と同じく――拳を折れば、拳士は終わる。 
 
 
「正直、驚いた。格闘戦技なんて聞いた事もないが、通信教育か何かで学んだのか? 
短期間でこんなに強くなるなんて驚きだが、まだまだ子供の喧嘩だな」 
 
「――っっ!」 
 
「おっと、抵抗は無駄だ」 
 
 
 グキッ、少女の腕の骨が嫌な音を立てる。折れてはいないだろうが、確実に骨にヒビが入っただろう。 
 
床に頬を付けた少女の口から、白い泡が零れる。苦痛に表情を歪ませても、悲鳴は決して上げない。見あげた根性だった。 
 
心は、痛まなかった。少女が戦士となったのなら、容赦はしない。少女も決して、手加減を望んでいない。 
 
 
「敗北を認めるなら、手を離す。どうする?」 
 
「っ……まだ、戦えます」 
 
「無理だ」 
 
 
 足に力を込めて、押し潰していく。そこへ、 
 
 
 
「こ、こんな所で何をやってるんですか宮本さん!? その子を離しなさい」 
 
「はいはい、すいませ――」 
 
 
 
 見かけた顔、記憶喪失時妹さんより預かったお金を届けてくれた看護師だ。妙な因縁に、俺は苦笑し――凍り付いた。 
 
血相を変えて飛んで来た看護師が、白目を剥いて倒れた。彼女だけではない、俺達の戦いを呆然と見ていた患者達も。 
 
 
平和な世界を侵食する、非日常――その源は、俺の足元。 
 
 
 
 
 
「格闘戦技、繋がれぬ拳」 
 
 
 
 
 
 ヒビの入った骨を間接ごと捻り上げて、回転させて押さえ付けていた足を振り払う。 
 
固定されていた状態から、回転による加速を持って衝撃を与える。足が、跳ね上げられてしまう。 
 
今度は、俺が態勢を崩される。普段はそれでもバランスは取れるが、今は腕が壊れて天秤の役割を果たさない。 
 
炸裂した衝撃を生かし、勢いよく転がって少女は立ち上がる。一秒一瞬刹那、初めて現れた好機を断じて見逃さない。 
 
感情無き少女の瞳が、赤く燃えている。初めて見せた感情の色は、殺意。敵意ですら濁らせず、紅の瞳は血のように朱く綺麗だった。 
 
  
血が流れる腕を振り上げて、少女は俺の胸に――叩き込んだ。 
 
 
 
「……一本です、剣士さん」 
 
「無茶無茶しやがる……腕、血だらけだぞ」 
 
 
「剣士さんの、護衛ですから」 
 
 
 腕から流れ出た血に濡れた顔を上げて、少女は――笑顔を、見せた。その笑顔に一切の歪みはなく、自分の心を正直に映し出していた。 
 
自分の願いを、自分で叶えた少女。なるほど、他人の願いを叶えるだけの魔法使いでは勝てる訳がないか。 
 
 
この町で幾度も経験した、敗北。この敗北は、決定的だった。 
 
 
自分にはやはり、何かが足りない。何も足りない。自分だけでは、永遠に手に入れられない。 
 
少女もまた、同じだった。だから彼女は、心の檻から出て行った。自分を拠り所とせず、自分以外の何かを掴む為に。 
 
 
血に濡れたその手を、お互いに合わせる。 
 
 
最初は金、そして次は――血を契約に、俺達は関係を結んだ。 
 
 
 
  
 
 
 
  
 
 
 
  
「――さて、これで衝突は避けられなくなったな」 
 
 
 海鳴大学病院の一階で起きた戦闘は、それほど大きな騒ぎにならずに済んだ。何しろ、当事者達は全員気絶していたのだから。 
 
原因不明の事故は不明である限り、謎のままで終わる。まさか、小さな子供が起こしたとは夢にも思うまい。 
 
瞳が赤くなっていたのを見ると、夜の一族の力なのだろう。俺に勝ちたいという強い意思が、力を生み出した。 
 
 
自覚のない王女様は現在、フィリスによって治療を受けている。俺は治療よりむしろ、説教を受けた。 
 
 
見た目は派手な怪我だったのに、骨は無事だったらしい。始祖の血とは、恐るべきものだった。 
 
力の具現化の原因は、恐らく自我の目覚めだろう。その事実が、次なる災厄を呼ぶ。 
 
 
「白紙だった頁に、恐らく願いが描かれた。あれは、月村すずかの頁――改竄された以上、騎士達は絶対に見過ごさない」 
 
 
 妹さんを責めるつもりはない。回避出来ない事態だった。どう足掻いてもきっと、こうなっていたと思う。 
 
傍にいる事を許したのなら、あの子は俺の護衛だ。主となった以上、カッコ悪いところは見せられない。 
 
これは単なる予感だが、誰が来るかは何となく俺には分かる。あの騎士ならば、私情には絶対に流されない。 
 
 
最初はどうしたものかと思ったが、うちの護衛からいいヒントを貰った。 
 
 
 
「一本勝負――あんたなら受けてくれるだろう、剣の騎士シグナム」 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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