とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第九十一話
湖の騎士シャマルを提唱する、神咲那美奪還作戦。忍の叔父安次郎について俺の知る限りを話し、シャマルが情報を分析。
秀でた頭脳が生み出した戦略は、"先手"を打つ事。優秀な同盟者である彼女は、俺が取るべき行動と役割を説明する。
聞かされた内容は驚くべきものではなく――それでいて、意外性を備えていた。こちらの盲点を指摘し、相手の意表をつく。
作戦会議を終えて、各自行動に移る。シャマルは同盟を結んだ相手だが、当事者ではない。提案する事で、彼女は義務を果たした。
主である八神はやての身の安全こそが第一、心配そうな少女を気遣って車椅子を押して退室。俺は一人、病室へ残る。
手元に、武器は無い。戦える身体ではない。それでも、これから始めるのは――間違いなく、戦だった。
午後から夕刻に至る時間帯、医者や看護士の巡回が終わる時刻に、一人の見舞い客が訪れた。
「てめえ……忍の叔父の!?」
「大怪我したんやってな、坊主。話を聞いて見舞いに来たんや、入らせてもらうで」
ノックもせず、図々しく中年親父が病室に許可無く入ってくる。月村安次郎、月村忍とすずかの名義上の叔父だ。
病院で葉巻を吸うほど無神経ではないようだが、趣味の悪いスーツとニヤけた笑みが不快感を誘う。
まさか、那美を誘拐した本人が直接来るとは思っていなかった――シャマルに、指摘されるまでは。
"恐らく、神咲那美さんを誘拐した黒幕が今日中に貴方に会いに来ます"
"直接!? 誘拐ってのは普通、電話か何かで要求を伝えてくるものじゃないか?"
"今回の場合、相手の要求は金品ではなく貴方個人。加えて、お互いに見知った関係。
遠回しな連絡は、あまり意味がありません。直接接触する事で、脅迫の効果が高まります"
"俺の話を聞いただけで、よくそこまで人物像を推察できるもんだな"
"……私の身体を要求したかつての主も、似たような人物でしたから"
月村家の莫大な財産、守護騎士の美しい身体。物欲であれ、性欲であれ、欲望に染まった男というものはどの時代にも存在する。
過去の不快な体験が人を助ける事に役立つとは皮肉なものだが、何であれ助言はありがたかった。
病院から出られない以上、相手が直接出向いてくれる事が好ましい。段取り通り、驚いた振りをしておく。
「お前が俺の見舞いだと……? 刺客を差し向けておいて、よく言うぜ。手が動けば、ぶん殴ってやったのに」
「刺客? 一体、何の話や。いきなり妙な因縁をつけんといてくれるか」
「お前が忍に襲わせた刺客と戦って、この怪我を負わされたんだよ。高い慰謝料を要求してやるからな」
「おー、こわ。金の無いチンピラは余裕が無いな。儂からカツアゲするつもりか。お小遣いくらいやったら出したるよ」
この前やり込められた事を根に持っているのか、動けない怪我人に対してネチネチ嫌味を言いやがる。
この親父が差し向けた刺客は俺が撃退して、さくらが引き取った。証言も引き出せている筈だが、現時点で出せる証拠や証言は無い。
言いがかりだと言われたら、反論する材料が無い。長年忍やさくらを苦しめただけあって、この程度で動揺する器ではない。
だからといって、言われっぱなしでいる俺ではない。証拠なんぞ知ったことか。腕が動かなくても、噛み付くくらいは出来る。
「だったら、100万円を要求する」
「何を言うてるねん、あほか」
「小遣いを出すと言ったじゃねえか! お前は金持ちなんだろ、一月100万円の小遣いくらい余裕で貰っていたはずだ」
「総理大臣でもあるまいし、そんなにもらえる筈がないやろ!?
……それに、儂の家は成り上がりや。一族の血は薄いし、幅も利かせられへん。儂も、大した事あらへん人間や」
傲慢不遜な人間が、自嘲めいた言葉を口にした。突っかかってやろうと思っていただけに、勢いがそがれる。
月村の名を冠した人間でありながら、同じ家系である姪の財産に執着する。単なる金欲しさというだけではないらしい。
二十代の若さで綺堂を受け継いだ美しき才媛、綺堂さくら。深遠なる夜の闇に祝福された吸血姫、月村忍。
磨けば美しく光る宝石、彼女達に比べれば凡庸である自分。道端の石に、値段をつけるものなどいない。
金持ちの家に生まれ育っても、安次郎なりの苦労や悩みがあったのかもしれない。犯罪の理由にはならないが。
「だからこそ、儂はこのまま終わる訳にはいかんのや。絶対に、この手で掴んでみせる。
どうや、坊主――お互い大金を掴む為に、儂と組まへんか」
神崎那美を誘拐した目的は、やはり俺個人への要求か。安次郎は目をギラギラさせて、脂ぎった顔を寄せてくる。
俺個人を利用して月村すずかの行動を制限する。シャマルが予想していた犯人の目的と、完璧に一致していた。
夜の一族などの話は一切していないのに、ここまで読み取れるとは大したものである。事前に聞かされていたのに、内心驚いてしまった。
無論、金になるからといってこんな奴と手を組むつもりは無い。
「刺客を差し向けた証拠が無いからといって、お前が味方である保証にはならないんだぞ」
「この前は冗談交じりで言うたけど、今度はほんまや。信用が欲しいんやったら、その手の治療費くらいは前払いで出したる」
「てめえのせいで怪我したんだから当然だろ、ボケ。信用問題を語るんなら、それ以上の条件を提示してみろ」
刺客の一件は確かに証拠は無いが、このおっさんが差し向けたのは間違いない。俺が疑っている事を承知の上で、白を切っている。
敵同士なら腹の探り合いとなるが、味方同士になりたいのなら疑惑は解消しなければならない。
そして犯行を認めてしまえば、当然交渉は決裂する。両腕は現在の医学では治療も出来ない状態、仏様でも許さない。
鼻息荒く迫る俺を、月村安次郎はイヤらしく笑って返答する。
「月村の家には今、メイドも含めて女が四人おる。二人で山分け出来る数やろ」
「山分け……?」
「儂が欲しいのは姉と妹――ノエルと、すずかの嬢ちゃんや。残り二人はお前にやってもええ」
「……金だけではなく、女もつけるという事か」
「忍は見ての通りの別嬪、ファリンもみてくれは最高や。
あの家さえ儂のモノに出来れば、お前の好きなようにさせたる。その権限も、すずかさえおれば手に入れられる」
「前時代的なおっさんだな。金や権力で、どんな女でも好きなように出来ると思ってるのか」
「当然や。金も権力もないお前には分からんやろうが――この世にはな、魔法は無くとも魔力がある。
男をいきり立たせ、女を濡らす、魔性の魅力。金を持つ人間は、その力の恐ろしさをよく分かっとる。
人の尊厳だの、愛だの情だの――何も持たない貧乏人が縋る、腹の足しにもならん幻想や」
金を持つ人間、金に満ちた世界、権力者達の宴。この六月、求めてやまなかった戦場について男は語る。
こんなおっさんに見下ろされて腹が立つ事この上ないが、聞き入ってしまうのを抑えられない。
聖職者に神の偉大さを語られるより、安次郎の語る理念がよほど説得力を感じさせた。
「金も女も山分け、確かに対等だ。だけど、今お前の手に無ければただの皮算用だぜ。
来月には沈む泥舟に乗るつもりは無いね」
「裏でさくらが色々動いているのは知ってる。忌々しい娘やが、確かに手強い。いずれ屈服させるにしても、今の儂の手には余る」
「さくらまで狙ってるのかよ……このエロ中年」
「あいつには散々してやられたからな、靴の裏でも舐めさせんと気がすまんわ。その為には、お前の協力が要る。
儂とお前が手を組めば、来月沈むのはあの女や。儂が慈悲深いからな、せいぜい可愛がったるわ」
中年のおっさんの舌なめずりなんぞ、見たくもない。さくらも今頃背筋を震わせているだろうな、きっと。
来月行われる夜の一族の会議、その結果次第で綺堂さくらは一族を追放されてしまう。
忍を守り、すずかとファリンを助ける為に、さくらは危ない橋を渡っている。あいつもまた、崖っぷちなのだ。
……契約が切れた時点で協力する義理なんぞ無いのに……いつの間にか、肩入れしちまってるんだよな。
情にほだされた訳ではない。綺堂さくらは一流の女性だ、ビジネスの相手としてこれ以上の存在は無い。
名前を許し合う関係にまで発展して、信頼も寄せてくれるようになった。ここで人間関係を破棄したら、今までの努力が無駄になる。
ここからだ、俺が気を引き締める。
「つまり、俺次第というわけだな。だったら――俺はさくらに協力する」
「……あの女の渡すはした金に尻尾振るつもりか」
「野良犬だって、餌を選ぶ権利はある。お人好しの連中と最近知り合ってな、腹を減らさずには済むようになったんだ。
目の前の小銭に飛びつくよりも、将来の大金を俺は選ぶ」
「儂には未来が無いと、いいたいんか!!」
「馴れ合う関係なんて御免だが、確実に縁を切られる相手と関係するつもりはないね」
別に、忍やすずかに思い入れを抱いているのではない。単純な話、さくらは俺に仕事の報酬をちゃんと払ってくれた。だから信用出来る。
月村安次郎が大金を掴んだからといって、俺に金や女を山分けする保証なんぞない。
こいつ自身が言っていた台詞だ、金さえあればどんな事でも出来る――約束を、保護にする事も。
そして、何よりも、
「――そうか、だったらもう一人女を融通したる。これがまた、ええ子なんや。
お前もきっと、気に入ってくれるわ」
「しつこい奴だな、そこまで女に餓えてねえよ」
「ええから、ええから、ちょっとこの写真を見てえな。お見舞いの代わりに持ってきたんや」
「――っ!?」
「な? 可愛い子やろ。どうや、前払いにこの子をお前にやるさかい、儂に協力してえや」
見せられた写真に写っているのは、車の後部座席に載せられた神咲那美。カメラに向けられた顔は、涙と恐怖で曇っている。
学校帰りに病院に来たのだろう、那美は制服姿だった。やはり攫われていた――事前に分かっていなければ、壊れた腕で殴っていた。
もはや問題無用、作戦を――開始する。
「一号!」
「はい!!」
病室の外ではなく、病院の外に潜んでいたファリンが一階から飛び上がって来る。
人に似せて作られた自動人形ならではの、脅威のジャンプ力。開けてあった病室の窓から、仮面をつけた少女が乱入する。
度肝を抜かれた安次郎に飛び掛かり、有無を言わさず病室の床に押さえつけた。
「ガハッ!? な、何さらすんじゃい!!」
「どの口が言う。何の関係も無い女を攫いやがって……覚悟は出来ているんだろうな」
「こ、こんな真似してただで済むと思とるんか!? 写真のガキ、儂の命令一つでどんな風にも嬲れるんやぞ」
「お前の命令があれば、だろう?」
「ぐっ――」
"先手を打ちましょう。誘拐された人を取り戻すのではなく、犯人を攫うんです"
この局面こそ、湖の騎士シャマルが想定していた"先手"――起こりそうな事態に備えて、あらかじめ手を打っておく。
先に着手するのではなく、好所に先んじて手を打つ。相手が応手しなければならない局面に持ち込み、自分の立場を有利にする。
先手必勝とは、喧嘩の理。相手にとって不利益な局面を先に作り出す事が、戦争への先手必勝となる。シャマルはそう語る。
"犯人は人質を取った事で、油断しています。だからこそ、貴方の前に堂々と顔を出せる。恐らく、警戒もしていない。
先の貴方と同じく、先手を取ったと思い込んでいます。その勘違いこそ、こちらの狙い目"
"欲に染まった人間ほど、自分が可愛い――つまり犯人にとって、一番大切な人間なんです。
人質に取れば、交換出来ると思いませんか?"
安次郎は気付く由も無いが、この病室はシャマルの魔法により結界が張られている。
病院関係者や見舞い客が都合良く来ないのは、時間帯だけが理由ではない。俺にとっても、他の人間が来られるのは困るのだ。
何せこれから、男を一人誘拐するのだから。
"その人の為に腕の治療を諦める――貴方の覚悟を、私に見せてください"
「ぐうううう……どういうつもりや、このガラクタ! 何で自動人形が、主以外の命令を聞いてる!?」
「――私は、ライダー一号。か弱き少女を己が欲望の為に攫い、一般人を脅迫する悪を断じて許さない!」
「人形が、正義を語――あがががががっ!?」
「今度は俺から、お前に要求する。無事に家に帰りたいのならば、すぐに那美を解放しろ」
自由に動く足で安次郎の脂ぎった顔を踏みつけて、不遜に要求する。"先手"を打った以上、今はこちらが犯人側だ。
大の男であっても、自動人形であるファリンの力には叶わない。悪への怒りもあって、力ずくで押さえ込まれている。
それでも、安次郎の戦意は萎えない。必死で携帯電話を取り出して、プッシュしようとする。
「潰せ」
「はい」
「う、うああああああああーーーー!?」
俺の一言で、ファリンは携帯電話を取り上げて片手で握り潰した。指先だけで捻り潰すとは思わず、俺もちょっとビックリした。
自動人形の性能を知っている安次郎にとっては、恐怖そのものだろう。残骸が顔に降りかかって、悲鳴を上げている。
かなりの大声だが、周囲に響いている様子は無い。シャマルの魔法の性能を信じるしかない。
「こちらからの要求が飲めないのならば、今度はお前を潰す」
「ふ、ふん! そんな真似をしたら、あのガキは絶対に戻ってこんぞ!」
「ならば、お前が死ぬだけだ。やれ、一号」
「分かりました」
「や、やめろぉぉぉおおおおおおおおおお、ギャアアアアアアアアアアアアーーーーーー!!!」
貴方の覚悟を見せてください――男の悲鳴を聞く度に、俺の胸が苦しくなる。無論、良心の呵責を感じているのではない。
こいつが死んでしまえば、那美を取り戻す事が出来ない。主人が死ねば、部下が暴走する可能性もある。
これは根比べである。どちらが先に屈服するか、誘拐という犯罪に手を染めた自分自身の覚悟が試される。
相手も人質を取っている、先に要求を呑んだ方が負けだ。お互いそれが分かっているから、一歩も引けない。
実に、笑える話だ。本当なら俺は、安次郎の側の人間なのだ。自分自身が、一番可愛いに決まっている。
シャマルは、俺の人間性を問うていた。自分を選ぶのか、それとも他人を、神咲を――
八神はやてを選んでくれる人間なのか、その覚悟の程を見ている。
自動人形の冷たい手が、頭を掴む――力加減を間違えれば死ぬ、分かっていて俺は制止しなかった。しようとする声を、懸命に止めた。
那美は魂の共有者、もう一人の自分でもあるのだ。あの子だけは、犠牲に出来ない。自分だけは、見捨てられない。
それは、相手も同じだった――
「わ、分かった! 解放する、解放するからこいつを止めてくれ!!」
「信用してほしいのなら、誠意を見せろと言っただろう。俺の目の前に、連れて来い!!」
何とか血を流さずに、戦に勝利する事は出来た。
覚悟を示せたかどうか分からないけれど――シャマルはずっと、見てくれてはいただろう。
壊れた手のひらに汗が滲んでいるのが分かって、少しだけ可笑しかった。
<続く>
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