とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第八十一話
入院している病室の壁に提げられたカレンダーを見る。6月ももうすぐ終わりを迎えようとしている。
この一ヶ月も、先月同様あっという間に過ぎた。その日暮らしだった旅の生活が、今では遠い過去になっている。
草を噛み、泥水を啜って生きていた毎日はあれほど長かったのに。自由気ままな放浪は今でも好きだが、充実感はなかった。
飢えを凌ぐだけの生活は、一瞬が命懸け。何がきっかけで倒れるか、分かったものではない。
一匹狼のつもりでいたのだが――結局のところ、汚らしい野良犬でしかなかったのかもしれない。
自分の力で生きている実感は、確かにあった。親に頼って生きているだけの甘えたガキとは違うと、今でも思っている。
だけど、俺はその親も馬鹿にしていた。集団生活に慣れ合う連中を、心の中で軽蔑していた。
海鳴町で他人に触れて、今は少し思い直している。人間を育てられる親とはとても偉くて、凄い存在だった。
「この前の話だけど、今は断らせてくれ」
「そ、それって――」
「あんたが本気なのは、よく分かった。だから、俺も真剣に考えた。
悪いけど、今の俺はあんたの子供にはなれない。ならない方がいいと思う」
6月も終わりに差し掛かったある日、クイント・ナカジマが見舞いに訪れた。一束の花と、大きな果物かごを持って。
花より団子、その辺も俺によく似ている。屈託の無い笑顔で俺に接する彼女は、本当に気持ちの良い女性だった。
だからこそ、断った瞬間目に見えて落ち込んでいく様子を見るのは多少心苦しい。
「リョウスケ、貴方を養子にしたいのは私個人の希望よ。嘘偽りない本音で言わせてもらうと、負い目も感じている。
でも、怪我の責任だけが理由じゃない。貴方の母親にならせてほしいの」
真っ直ぐな目だった。綺麗ではあるが、何より純粋で強い瞳。この女性は正面からジッと目を見て、俺と話す。
向き合い方が真剣なだけに押されそうになるが、同時に心は惹き込まれる。他人に好かれる人だった。
この女が相手だと、俺も下手な態度は取れない。意志の弱い言葉なんて、失望させるだけだ。
「この手は現状、治る見込みがない。利き腕が使えない障害者である俺を養子に迎えれば、あんたには保護責任が生まれる。
健康的な子供を養子にするよりも、ずっと重い義務だ。それでも意志の強いアンタなら、その重責にも耐えられるだろう。
でも、あんたの夫はどうするんだ。障害者の子供を持つんだぞ」
「きちんと相談はしているわ。夫も、貴方に会いたがっている」
「いずれ生まれるかもしれない、あんたの子供は? 生まれた時から、障害者の兄貴なんて持たせるのか?
イジメの原因になるかもしれないぞ。ガキには過ぎた重荷だ。
あんたの友人知人――周囲にも、反対されてるんだろう? この前、言ってたじゃないか」
「っ……貴方がそこまで心配する必要はないわ。それは親になる、私の責任よ」
「でもさ、やっぱり祝福されたいだろう? 自分に子供が出来るんだ、親として胸を張りたいじゃないか。
周りにゴチャゴチャ言われても、自分の思い一つで押し切っても辛い事の方が多い。
旦那にも、上司にも、友人にも、家族にも――あんたの血をひいた子供にだって、自慢出来る息子の方が絶対にいい。
今の俺は、あんたの子供には相応しくないよ」
「違うわ!? それは絶対に、違う! 怪我をしているから、何だというの!?
無理なお願いをしている私に真剣に向き合って、私の事まで思い遣ってくれる貴方を自分の息子に出来る。
周りの人間にどう思われようと、私は胸を張れるわ。こんな優しい子が、私の息子だと」
情熱的な女である。綺堂や桃子とはまた違うタイプの女性、体育会系はなかなかやり辛い。
この女は根本的なところで、誤解をしている。俺は優しくなんぞないし、この女の事を思い遣ってもいない。
俺は自分が舐められるのが、我慢ならないだけだ。
「あんた一人が喜んでくれても、あんたの周りの人間が俺をそういう目で見てしまうんだ。俺はそれが気に入らない。
だから――俺が自分の手を治すまで待ってくれ」
「えっ……で、でも、その手は……」
「現代の医学では治せそうにない。この病院にいても、多分一生元通りにはならないと思う。
来月、海外へ行く事になった。海の向こうにある国に、この腕を治せる特別な方法があるらしい。
知人の知り合いでな、そのツテを頼ってこの腕を治しに行ってくる。養子の縁組についての話は、その後にしてほしい」
「それは本当!? 本当に、手を治す事が出来るのね!」
「俺が直接行って頼み込んでくる。一応行っておくけど、あんたが一緒に行く必要はないからな。俺個人でないと、意味が無いんだ。
だから悪いけど、あんたの子供になるのは今はやめておく。少なくとも腕が治るまでは、養子には行けない。
その代わり、約束するよ」
「約束……?」
「俺自身の力量で、あんたの周囲に認めさせる。子供になるかどうかは別にしても、このまま反対では俺が納得出来ない。
反対しているあんたの友人知人に直接会ってでも、俺を認めさせてやるさ。
……俺のような根無し草を子供に迎えようとしてくれた、あんたの気持ちくらいには応えてみせるよ」
「……」
「な、何で頭を撫でるんだ!?」
「生意気言っちゃって、こいつ!」
課題が山積みになっているが、気分は悪くなかった。自分の意志で難題に挑む、先月とは意気込みが違う。
他人の問題に関わるのは正直悩みが多くて疲れるのだが、これが自分の試練ならば辛くても頑張れる。
家族であれ、友人であれ、誰かに与えられたくはない。つまらない意地かも知れないが、自分で手に入れたい。
反吐の出そうな人間関係も、自分で作った"つながり"であれば、きっと満足出来る。
遠回りばかりしたけれど、ようやく自分の戦いが出来そうだった。
「今日の貴方の言葉、今晩にも夫に伝えておくわね」
「余計なことを言うなよ!?」
「私の夫や友人知人にも、貴方を認めさせるのでしょう? 宣戦布告はきちんとしないと駄目よ。
大丈夫、私の知り合いに臆病者なんて一人もいないわ。全員、受けて立つわよ!」
「何だ、その体育会系連合!? 傷に触るから、早く帰ってくれ」
「はいはい、見送ってくれてありがとう。来月、絶対に見送りに行くからね」
微笑んで手を振り、クイントは帰って行った。背筋もピンとしているよな、あの女。
基本的に暇なので、病院の正面玄関まで見送ってやった。診察まで時間があるし、寝ていても退屈だからな。
さて……俺の親を名乗り出る人間にも分かってもらったし、午後はフィリスと話し合わないと。
フィリスには綺堂から既に話が伝わってはいる。でも、俺からもちゃんと話した方がいいだろう。
あいつが一番俺の怪我に、心を痛めていた。この痛手を癒すために、医療面からあらゆる手段を模索してくれている。
他の医者ならさっさと匙を投げる負傷でも、フィリスは諦めていない。患者にとって、これほど励まされる医者はいない。
そういう医者だから――命よりも大事な剣を預けている。
「さて、時間的にそろそろ妹さんが護衛に来る頃だろうし、部屋に戻っ――」
「此処にいたのね、宮本君」
「? ああ、あの時のナースさんか」
記憶を失っていた頃、妹さんより一万円札を預かった看護師。俺の階の担当もないのだが、また縁があるとは思わなかった。
年齢は若く、快活そうな女性。この人が預かった札が、記憶を取り戻すキッカケとなった。
他人には基本的に愛想良くは出来ないが、この看護師さんには自然と警戒は緩んでしまう。
「あの時の子、貴方の知り合いだったのね。時々、病院で見かけているわよ。慕われているわね」
「好かれているのとはちょっと違うけど、まあいいや。何か用事か?」
「病院の受付に、貴方宛に電話が入っているのよ。呼び出すところだったんだけど、ちょうどよかったわ」
「電話……? 誰から?」
「女の子から。貴方のお友達だと言っているわ」
――傷付いた身体が、警戒に強張る。絶対に、俺の友達ではない。断言して言える。
俺に友達なんぞいないのは勿論の事だが、知り合いくらいはいる。ただ、そういう連中は直接会いに来る行動派だ。
親しい奴らは、俺の携帯番号を知っている。病院に電話を掛けるような、回りくどい真似はしない。
無視してもよかった。ただ近頃重い話ばかりで滅入っていた事もあり、ほんの少し好奇心を刺激された。
俺はナースの案内で受付へ出向き、受話器を受け取る。
「――もしもし」
『御久し振りですわね、宮本良介さん。御怪我の具合はいかがですか?』
……何だか最近、奇妙な縁が付き纏っている気がする。簡単に切れそうで、切れずに残っている縁に引っ張られる。
まるで狙っていたかのような、タイミング。明日この電話がかかっていれば、多分誰か分からなかった。
勝手に家を飛び出した忍を探しに行った時、町中で情報提供をしてくれた女の子。古風な話し方が、記憶の隅に引っかかった。
「いつから俺のダチになった」
『あら、冷たい。わたくしの提供した情報は、お役に立てませんでした?』
「お前の情報のせいで、ゲームセンターで乱闘になったわ!?」
『貴方の武勇伝はお聞きしておりますわ、乱雑ではありますがなかなかの実力。
貴方にかけられた賞金は値上がりし、貴方自身の情報にも高値がついている。
特に――貴方の今の居所には値打ちがありますの。では、ごきげんよう』
そのまま一方的に電話を切られる。何の用件もなく、特に実のある話でもなかった。何だったんだ、一体?
俺は受話器を受付に返し、首を捻った。わざわざ病院から呼び出すほどの用事でもな――あっ、俺の馬鹿!?
呼び出したんだ、俺を――現在地を確認する為に。
ゲームセンターでの乱戦は、当然あのガキの耳にも入っているだろう。あいつの情報で向かったのだから。
あの乱戦は俺が勝利したが、一方的ではない。多人数を相手に攻められ、俺も痛手を負った。
病院に行くほどの怪我ではなかったが、俺の足取りが途絶えれば病院に目を向けるのは当然。
かといって、自分で直接会うほどの可能性ではない。だから、問い合わせをした――いればラッキー程度で。
俺が戦慄したのは、電話で居場所を確認した行為ではない。
「くそっ……あのガキ、俺を餌に情報を高値で捌きやがった……学生の発想じゃねえぞ!」
初対面で出逢った当時は、俺自身の情報はさほどではなかった。俺を狙う連中は、遊び半分で追っていたからだ。
だが、今は違う。ゲームセンターで仲間を大勢倒されて、連中も多分躍起になっている。本気で追っている筈だ。
あいつが俺をゲームセンターに向かわせたのも、この電話をかけたのも、全て――情報の価値を、高める為。
情報の価値と活用方法を知らなければ、こんな手はうてない。とんだ、食わせものだった。
あのガキの本質は学生じゃない――情報屋だ。
「……やべえ……この状態と状況では、戦えねえ……」
利き腕はスクラップ、もう片方の腕は動かすのが精一杯。全身打撲に加えて、剣はフィリスに預けている。
多人数と戦えば無傷ではすまず、これ以上負傷すれば来月海外になんてとても行けない。この機会を逃せば、夜の一族との接触は不可能だ。
病院で騒ぎを起こせば、フィリスも黙っていない。海外出立の許可なんて出すはずがない。
月村すずかは絶対、俺を挺身で庇うだろう。あの娘を傷つければ、綺堂の立場は悪くなる。あのおっさんを倒すのは不可能だ。
「ぐおお、どうすればいいんだ……!」
自分のドジに歯噛みする。アリサが居なければ、簡単に他人の思惑にはまる自分は何なのか。
成長したつもりでも、所詮まだまだ誰かの掌の上。この町の猛者供に、食われていくばかり。
この6月は、最後の最後まで平穏無事に終わりそうにない。
<続く>
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