とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第七十九話
再入院より五日後の朝、一日かけて行なった精密検査の結果が出た。フィリスの強い要望で壊れた腕だけではなく、全身を調べたのだ。
検査の結果は異常なし、両腕以外の部分は健康そのものだった。あくまでも、病原菌がいないという意味で。
風邪さえかかっていない健康な肉体――けれど平和なこの国にはありえない程に、この身は傷ついていた。
「最低半年は入院して頂きます」
「ええっ!? 診断結果次第で退院が早まる事があるって、検査前に言ってたじゃねえか!」
「診断結果で判断しました。良介さん、今の貴方の身体で傷ついていない部分がないんですよ。
今の自分の身体を鏡で見て下さい。そんな身体で無理に退院をして、何をするんですか?」
消毒液の匂いが染み付いてしまった、俺の身体。流れ尽くした血は栄養で補給出来ても、傷は簡単には癒えない。
額と鼻には包帯、頬にはガーゼ、顎には絆創膏。利き腕は固定、片方の腕はテーピング処置。切り傷が酷い胴体は、薬で濡れている。
足もジュエルシード事件で火傷が残っており、丁寧な処置が施されている。肌もどす黒く、腫れている部分も多い。
事情を知る人間以外が見れば、気味悪がられそうな無様な風体。それが、今の俺だった。
「……私にも、責任はあります。まだ完治していないのに、良介さんが仕事を復帰するのを許可したのですから」
「フィリスが心苦しく思う事はないだろ。こんな目には遭ったけど、本当なら危険な仕事じゃなかったんだから。
不幸な事故みたいなもんだ、災害のように予想は不可能だ」
「そもそも仕事に復帰しなければ、事故にも遭いませんでしたよね?」
「うっ、そ、そうだけど――」
「今度こそ怪我が治るまで、入院してもらいます。少なくとも手の治療法が見つかるまで、退院は絶対に許可しません。
御家族の方の御希望であっても、怪我の具合をお伝えした上で御了解して頂きます」
「本人の希望だったら?」
「良介さんの希望なんて、聞いていませんよ」
怖っ!? ニコニコ笑顔で断られてしまった。柔和な美貌に恐怖を感じる日が来るとは、夢にも思わなかった。
俺の血に染めた竹刀『物干し竿』はフィリスの手元に置かれ、身柄は海鳴大学病院の元に預けられた。
全ては患者の為であり、俺の為。四月・五月・六月の三ヶ月で治療不可能な大怪我を負った人間を、外へ出さない事に決められてしまう。
俺の意思なんて微塵もありはしないが、生憎と文句を言える状態ではなかった。今はまだ、戦えもしない。
「良介さんは身体の治りが早いですし、両手以外は包帯が取れるのはすぐだと思います。ただし、絶対に無理はしないように。
不便でしょうけど、六月中はこのままだと思っていて下さい。毎日取り替えますので、辛抱して下さいね。
病院内を出歩くのは構いませんが、診断の時間は守ってください。分かりましたか?」
「はいはい、分かりました。前もって教えておいてくれよ」
「勿論です。それと御存知かも知れませんが、今日は午後から綺堂さんがお見えになられます。
良介さんの怪我にかかる治療費などについては、全て綺堂さんに御相談との事ですので診断結果もついても説明いたします」
「えっ!? きょ、今日来るの……?」
「はい。良介さんのお見舞いにも行くそうですが、聞いておられないのですか?」
――初耳である。そして、俺に当日まで言わなかった事に作為を感じてならない。
前もって言えば逃げる可能性を考慮していたとすれば、見事というしかない。
だって今からでも、逃げ出したくて仕方ないのだから。
「剣士さん、申し訳ありません。本日の護衛については、さくらお姉ちゃんにどうしても許可を頂けませんでした。
直接剣士さんと会って相談して判断されるとの事で――」
「大丈夫よ、すずか。今日は私が彼に一日つきっきりでいるから、身の安全は保証するわ。
良介の事は私に任せて、貴方もたまには友達と遊んで来なさい。ファリンと一緒ならかまわないから」
「でも、剣士さんに何かあったら――」
「……昨晩、話し合ったでしょう? 彼と話し合わないといけない事なの」
「友達と、どのように遊べば――」
「あー、じゃあアリサがもうすぐ来るから、一緒に遊んで来いよ。リニスも連れてきたんだろ?
病院の中庭なら広いから、のびのびと遊べるぞ」
午後の面会時間、殺風景な病室には不釣合いな美人と美少女が来訪した。綺堂さくらと月村すずか、一族の叔母と姪である。
出逢った頃は感情のない少女だった月村すずかが、俺の顔を見るなり気落ちした表情を見せて何度も頭を下げてくる。
小学生の時分とは思えない、強い責任感。人でなしである俺でも不憫に思えてしまい、提案してやった。
病院の中庭は子供の遊び場ではないのだが、普段の日に咎めるような患者はいない。爺さん、婆さんばっかりである。
程なくしてやってきたアリサは、俺の頼みを快諾。さくらに挨拶をして、すずかを中庭へと連れて行く。
去り際も未練げに何度も俺を見ていたが、やがて少女達は優しいお日様の照らされる世界へ行った。
さて、ここからは大人の時間である。
「久しぶりね、良介――と言っても、数日しか経過していないのだけれど……
たった数日の間に、ここまでやってくれるとは思わなかったわ。貴方に今日どんな顔をして会おうか、真剣に悩んだのよ。
今から考えるとものすごく無駄な時間だと思うけど、それほど悩んだということを理解してもらえるかしら?」
「分かった、分かりましたから、そんなに顔を近づけないで下さい!?」
女って生き物は得だよな。美人であるというだけで男に好かれ、時には男をここまで恐怖させる魅力があるのだから。
案外心の底から怒っている時笑顔になる性質が、美女にはあるのかもしれない。
憤然としてお見舞いに来たさくらは、徹底抗戦の構えで病室の椅子に座る。
「何から話せばいいのかしら――どうして護衛を辞めた人が、ここまで一族に影響を及ぼすのか不思議でならないわ。
数日間目を離しただけで、あれこれと事態が変わってくるから目が回りそうよ」
「お、大袈裟に考え過ぎだって。あんたが思うほど、世の中は変わっていないさ」
「そうかしら、現世というものは時代の移り変わりで変化していくのよ。
すずかの護衛を頼んだはずなのに、次の日にはすずかが護衛になっていたもの。この変化にはついていけなかったわ」
「そ、それは、俺自身も理解の及ばぬところでして……」
天才の考えることは、凡人には理解出来ないものなのだ。その天才は今、中庭で平和に遊んでいるけど。
ひとまず納得のいく説明はしなければならない。納得させる自信はまったく無いけど、しなければ社会的に殺されそうだ。
アリサの目論見だった事も含めて、月村すずかが護衛になった経緯を説明する。
「――この一枚のお札が、今の貴方とすずかを結びつけているのね……何というか、貴方らしいわ。
夜の一族の契約を断っておいて、金銭での約束事で新しい縁を結ぶ。
友情や愛情よりも遥かに脆そうだけど――意外と切れないのかもしれない。不思議な関係ね、貴方達は」
「好きとか嫌いとかじゃないからな、あの子とは。妹さんだって多分、俺を好きで守っているんじゃないと思う。
あの子はあの子なりにこの関係を通じて、何かを求めているんじゃないかな」
「そうね。多分、あの子にも言葉に出来ないのでしょう。
――そういうのを感情と呼ぶんだけど、それはまだ貴方にも理解の及ばぬ範囲ね」
他人への理解なんて永遠に求めたくはないが、知らないままでいるのも気分が悪い。大人でしか分からないなんて、納得はしたくはない。
他人を知ろうとして踏み込んでいくが、余計に分からなくなる面が多い。俺にもそうした多様な面があるのだろうか?
深みのある人間にはなりたいとは思うが、そうした深さはどのようにして生まれるのか、知っていかなければならない。
「その点、ノエルとの関係は分かりやすい形になったわね。あの子の事、すべて知ったのでしょう?
実は前々から相談を受けていたの。護衛任務の前に、貴方には全て打ち明けておきたいと」
「――『自動人形』なんだろう、ノエルは。人間じゃないと聞かされても、あんまり実感がわかないのだけどな。
外見は綺麗な女性で、人間らしい心もあると、自分の中で線引きが難しい」
「貴方の中での『人間』に、ノエルは当てはまらない?」
「俺の中に、人間なんて領域は存在しないよ。自分以外は全部『他人』で、名札が貼られている感じだな。
俺が今戸惑っているのは俺の中で認識していた『ノエル』と、事実上のノエルとの違いだ。人間がどうとかじゃない」
「夜の一族である私や忍、すずかを素直に受け入れられたのも分かった気がするわ。
貴方は最初から私達を男とか女とか――人間であるかどうかで区別していないのね。
見知らぬ他人であると、残酷に切り捨てている。そうして今まで、貴方は生きてきた」
「……案外、俺が一番人でなしなのかもな」
「そうかもしれないわね……でも人でなくても、生きてはいけるわよ。人間じゃないのは、貴方だけじゃない。
対等な立場になったのでしょう、貴方と私は」
「ああ。そうだったな、さくら」
さくらが差し出してきた手を、握――ろうとして、顔をしかめてしまう。
利き腕が、上げられない。
咄嗟にもう一つの手を差し出したのだが、実に馬鹿げた気遣いだ。余計な優しさは、より深く他人を傷つけてしまう。
五月に学んだ事が、今もまだちゃんと教訓になっていない。意識しなければ、簡単にボロが出る。
案の定、さくらは憂いを帯びた顔で俯いてしまう。
「……先生に、今の貴方の状態を聞いたわ……本当に、ごめんなさい」
「俺が受けた仕事だ、報酬の中に危険度も含まれている」
「矢沢先生は何も仰らなかったけれど――
危険な仕事ではないと私が言ったから、先生は貴方に仕事の許可を出したのでしょう? ひどい裏切りだわ」
「あの刺客は忍の腕を狙っていた。もしあんたが護衛を雇わなかったら、腕を切られていたかもしれない。
あんたが金を出して俺を雇ったから、姪である忍を守れたんだ。判断は、正しかったんだ」
「でも、その結果貴方の腕が斬られたのよ! 先生の信頼を踏み躙ったのと同じだわ」
「フィリスも分かってるよ。予想外の事故なんて、誰にも防げない。あんたに非はない」
俺が一般人なら、さくらに文句を言う権利は十分ある。こうして出迎えず、罵っていたかもしれない。
でも違う、俺は剣士だ。剣を持って、世界を旅立ったんだ。独り立ちした以上、自分の身体は自分で責任を持たなければならない。
剣士が斬られて腕が使えないなんて、恥なのだ。同情される権利なんてありはしない。
フィリスも俺の心情を理解しているから、さくらを責めなかった。他人に親身になれる先生だから、俺は自分の身体を預けられる。
「……貴方のお見舞いに来て、貴方に励まされたのでは意味が無いわね」
「気落ちしたあんたを見れただけで、今日は記念になりそうだ」
「そんな大怪我して、よくそこまで口悪く言えるわね……本当、人の気持ちを思い遣れない子だわ」
そう言いながらも、さくらは落ち着いた様子をみせている。心配するだけ損だと、分かったのだろう。
俺の腕は犠牲にはなかったが、無意味ではなかった。忍は今でもむかつくほど元気で、刺客も捕らえられた。
今まで暗躍していた黒幕の尻尾を、ようやく掴めたのだ。この女性が姪を襲われて、何もせずにいる筈がない。
「貴方が捕まえてくれた刺客から、裏が取れたわ。安次郎を追い詰めるだけの証拠も揃いつつある。
今からでも実権を奪う事は出来るけど、最悪国外へ逃げられる恐れがある。
忍へ手出しするのは無理でしょうけど、今度はすずかに本腰を入れる可能性も出てくる。確実に、芽は摘んでおかなければならない」
「日本から離れたら、すずかに手出しするのも無理じゃないか」
「……すずかは月村家の人間として迎え入れているけど、今の所まだ仮の身元なの。
あの子の本籍は、今でもドイツの一族に置かれている。あの子の存在はそれほど特別で、私個人の一存で全ては動かせない」
「おいおい、あんたは一族追放の危険も承知で嘆願したんだろう? そこまであんたに覚悟させても、借入れだけなのか!?」
「最初に話したでしょう。あの子が今の社会に受け入れられる人間として、成長させなければならない。
その変化を諸外国の名家では、与えられなかった。世界中の有力者達でも、あの子に心は生み出せなかったの。
一族が手を焼いていた隙を見計らって、私が長の力を借りて強引に受け入れさせたのよ。
それで、他の人間が全員納得させられたと思う?」
「まあ、お前らは無能だからこっちで預かると言ったようなものだからな。
面目を潰されたと怒り狂っても無理はないか。金持ちはプライドも高そうだからな」
「夜の一族の有力者達が――安次郎がすずかを狙うのは、それだけではないの。
事情を知った今だから話せるのだけど、彼らの狙いは始祖の血を持つすずかだけではない。
月村すずかに忠誠を誓っているファリンも、彼らは欲しがっているの」
「……あんな正義に燃えるアホな子を狙って、何が嬉しいんだ……?」
「頭の中で人を区別しない貴方に改めて言うけれど、あの子は"自動人形"なのよ。
すずかは現在、月村家に預けられている身。そうすると、ファリンの所有者は誰になると思う?」
「そうか! すずかを迎え入れられた家が、ファリンの所有者になるのか!?
ファリンはこの世に現存する、数少ない自動人形。確か、昔の失われた技術で造られているから――」
「お金に関しては察しがいいわね……その通りよ。
人の心を持つ、自動人形――その技術の価値は計り知れない。お金というのはね、単位を超えると力になるの。
ノエルもファリンも、現存する数少ない自動人形。その技術を有効活用すれば、一族の力のバランスを変えてしまう」
ゴクリと、唾を飲んでしまう。金の恐ろしさというものを、俺はまだ分かっていなかったのかもしれない。
金の使い道を考えているようでは、まだ三流以下なのだ。金を力に変えられる人間こそ、人の上に立つ資格を持てる。
月村すずかを狙う人間は、その資格を持つ恐るべき者達なのだ。俺には想像も出来ない、強大な存在――
「……すずかとファリンを預かる際、彼らは私に条件を突きつけた。
その条件は一族会議で決定されたもので、これまで有力者達が何人も挑戦して達成出来なかった。
満たすのは不可能だと分かっているから、すずかとファリンの二人を迎える事を一族も承諾したの。
――来月、夜の一族の会議が開かれる。世界中の名家が集う会議の場に、すずかとファリンを出席させなければならないの。
条件を満たしていなければ、私は一族から正式に追放とされる。そうなった瞬間、すずかとファリンは月村ではなくなってしまう。
あの男が、この機会を見逃すはずがない。安次郎も必ず、その会議に出席する」
「さくらは――その会議を、決戦の場とするつもりなんだな?」
「ええ。条件さえ満たしていれば、すずかは正式に月村家の人間となる。
夜の一族の有力者達が集まる世界会議で認められたその時、私は安次郎の悪業の全てを公開するつもりよ。
一族で認められれば、発言力がこれまでと全く変わる。あの男の全てを奪えるわ」
「え、えらく自信があるようだけど、その条件ってのは満たしているのか? そこが肝だろう」
来月が月村忍とすずか、そして綺堂さくらの決戦の舞台になることは分かった。
忍を幼い頃から苦しめ続けたあのおっさんとの決着――事件の終わりが、ようやく見えてきた。
だが、問題は再三口にしている条件。夜の一族を納得させる切り札がなければならない。
「あら、それは最初に話したでしょう?」
「? 何か聞いたっけ?」
「"心"――純血なる血に"熱"を生み出す事、それが一族の正統後継者たる証。
貴方を守りたいと私に嘆願したあの子の瞳は、熱い想いに満たされていた。
あの瞳を見て、納得しない者なんて誰もいないわ。口で嘘は付けても、瞳の光は絶対に誤魔化せない」
月村忍の赤い瞳を思い出す。夜の一族の証たる、紅の光――真紅は宝石のように美しく、偽りはなかった。
妹さんのそうした目を俺は見た事がないのだが、毎晩必死で頼み込む妹さんの熱意は本物だった。
あの情熱こそが、心を示す確かな証。万人を納得させる思いなのだと、さくらは語る。
「それでフィリス先生にも先程お話したのだけれど――良介、貴方も来月一緒に来て欲しい」
「えっ、俺が!?」
「貴方の手を、治せるかもしれないの」
俺のこの、壊れた手が治る……? 怪我を治す医者が諦めてしまった、この怪我を――
突然の申し出――あれほど望んでいた外の世界、海鳴町からの船出。
手が治る事を、旅立つ事を願っていたはずなのに……俺は、返答できずにいた。
<続く>
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