とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第七十六話
……、……
"何を呆けているのです! 手遅れになりますよ!"
「痛っ!?」
首筋に走る熱さのこもった痛みに、その場に飛び跳ねる。顔をしかめて首に手をやると、引っ掻かれた痕があった。
いつの間に乗ってきたのか、俺の肩から飛び降りる猫。見上げる視線は強く、厳しい。
この猫――いや、勘繰っている場合じゃない。引っ掻かれた傷の痛みで、何とかショックから立ち直れた。
「アリサ、いい加減離せ! ファリンがやばい!」
「!? あっ……あたし……」
しがみついていた手を離し、アリサは身を震わせてその場に座り込んでしまう。
顔色は真っ青で、虚ろな目。気にならないといえば嘘になるが、今だけは後回しにするしかない。
ようやく自由になった身体を走らせる。一連の出来事からいち早く立ち直れたのは俺――ではなく、あの猫らしい。
今だけは猫に感謝をして、俺は一目散に駆け寄る。その対象は、
「おい、しっかりしろ!? くそっ、役に立たない手だな!」
「ひいぃぃぃぃぃーーーーーー!!」
くだらない嫉妬から、俺に刃物を向けた男。明らかな敵なのに俺は目もくれず、倒れた女の子を抱き起こす。
殺意を持つ敵が逃げようとしているのに、何故放置するのか。手が使えなくても倒せるのに、無視している。
自分で、自分が分からない。凶刃に倒れたこの女だって、俺を殺そうとした敵なのに――何故だ。
「晶、急いで病院から医者を連れて来い!」
「は、はい! でもあいつ、逃げてしまい――」
「そんなのどうでもいいから、早く行け! フィリスでも誰でもいい!!」
「わ、分かりました、すぐに連れて来ます!」
「あっ、ちょっと待って!?」
慌てて逃げる犯人の背を一瞬未練がましく見つめるが、気持ちを切り替えて晶は病院へ駆けて行く。その晶を、忍が慌てて追う。
何も出来なかった俺は何もしないまま、カッターナイフで刺された少女を見下ろす。
――根元まで深々と胸に突き刺さった、ナイフ。下手をすれば、心臓にまで達している可能性も……
「……すずか、様」
「! 大丈夫か、お前!?」
「すずか様は、ご無事ですか……?」
「人の心配している場合じゃねえだろ! こんなお面、いい加減はずせ!」
「あっ、駄目――!?」
刺されて倒れた際ややズレ気味だった少女のお面を、八つ当たり気味に取り上げた。
息を、呑んだ。
――強面なヒーローのお面に隠されていた、一輪の可憐な花。
夜の女王の従者に相応しい、清廉な美。精巧な人形のように美しく整った顔立ち、瞳を閉じた表情でさえ見惚れてしまう。
ノエルのような完成された美人ではなく、思春期の女の子特有の愛らしさもある。
テーブルクロスの怪人、鉄仮面のメイド――その正体は、絶世の美少女だった。
「……ヒーローの正体が、バレてしまいましたね……実は、わたしだったんです」
「最初の最初から丸分かりだろう!? というか、そんな事言っている場合か!
もう喋るな、すぐに医者が来るから!」
「大丈夫です。ずっと隠していましたけど、わたしは"改造人間"なんです。このくらいで、悪に負けたりしないんですよ」
美しく澄んだ声で、無邪気な空想を騙る少女。初めて見せてくれた笑顔は、これ以上ないほど痛ましかった。
既に痛みを感じていないのだろう、命に関わるダメージが優しい幻想を見せていた。
改造人間、悪と戦い続ける英雄の強き肉体。だから死なないのだと、少女は無邪気に笑っていた。
……何て言ってやればいいのか、分からなかった……
「与えられた命令を遵守する、半自律型分業機――主からのコマンドで稼働する戦闘人形、それがわたしです。
オプションにとって、オリジナルは絶対。ノエルお姉様だけの為に、わたしは在ります。
疑問を抱く事さえありませんでした――貴方に、敗北するまでは」
握れもしない俺の腕の中で、ファリンは静かに語りかける。とても安らかに、自分の死を悟っているかのように。
荒唐無稽な話だと、俺は笑い飛ばせなかった。空想を語る少女は真剣で、必死で俺に伝えようとしていたから。
ファリン・K・エーアリヒカイトにとっての真実であるのならば、そう語るのであれば最後まで聞いてやるべきだろう。
終わりが来ない事だけを、せめて祈ってやりながら。
「ノエルお姉様の障害と判断した貴方を排除出来ず、わたしは自らの廃棄処分を申し出ました。
役目を果たせない道具に存在する理由など在りません。ですが、ノエルお姉様は許可を下さいませんでした。
主の命令がなければ、死ぬ事は出来ない。主のコマンドでなければ、わたしは自分を破壞出来ないのです。
ノエルお姉様は、わたしの存在理由を自ら探すように命じられました。主の命は絶対、なのにわたしは見つけられなかった。
そんな時です。貴方がわたしに、あの映画を見せて下さったのは」
大きなスクリーンに映し出されていた、仮面の英雄。改造されて人ならざる身体となりながら、人の為に戦うヒーローの勇姿。
製造された目的に盲目的に果たすのではなく、自ら生きる理由と果たすべき役割を見定めて日夜戦い続ける。
ヒーローとは、自ら名乗るのではない。他者から求められたその時に、彼らはヒーローとなる。その気高い生き方に、少女は魅せられた。
「地球征服という野望を打ち砕くべく、人類の平和を守る正義の戦士――人工のメカニズムが組み込まれた、改造人間。
彼は時に、守るべき人々から恐れられてもいました。異形の化物だと疎まれ、理不尽に憎まれてしまう。
わたしはノエルお姉様の為に戦えず、貴方に敗れて廃棄処分を申し出た。なのに、彼はこう言っていた――
"裏切られる事も悪くは無い。それで人の痛みが分かるから"
回路が焼き切れたのではないかと誤認するほどの、衝撃でした。あの感覚を、今でも忘れられません。
人の夢の為に生まれ、人の命を守る為に振るう。改造されたこの身に夢が無くとも、夢を守る事はできるのだと」
強化された身体、造られた能力、そして唯一残った人としての心。怪物を倒す怪物とは、哀しくも強い存在だった。
その圧倒的な存在感と揺ぎ無い正義が、純粋な子供達の心を熱く震わせる。
ファリン・K・エーアリヒカイトもまた、その一人。唇を震わせて、正義に憧れた少女が想いを綴る。
「……正義の味方に、なりたかった……
わたしは、すずか様を――大切な人を、守ることが出来ましたか……?」
――心臓にナイフを突き立てられた少女の、最後の一言。それは自分ではなく、誰かの無事を願う言葉だった。
ファリンは、静かに瞳を閉じる。同時に少女から、全ての力が消え失せた。
腕にのしかかる、少女の重さ――最後に成し遂げた少女の表情はとても安らかで……
これ以上ないほど、腹が立った。
「ふざけるなよ……正義の味方が中途半端に投げ出して、他人任せにして死ぬつもりか!!」
切り裂かれた腕が、破壊された手が、悲鳴を上げる。同時に、頭に上った血の熱さが痛みを消し去る。
この怒りは、先月何度も感じた意味不明な感情――プレシアやフェイト、不幸に陥った人間達の過ちを許さない、俺自身の心の叫び。
正義でも悪でもない、俺という人間が感じている怒りの言葉だった。
「大事な人を守りたいのなら、最後まで守れ! 正義の味方が、自己満足で死ぬなんて許されねえんだよ!
自分の命で大事な人の命を守ったら、それで終わりか!? そんなものが、てめえの言う正義なのか!?
そんな人間に、ヒーローを語る資格なんてねえんだよ! 他人を守る権利なんてないんだよ!!
お前が誰かを大事に思っているように、お前を大事に思う誰かがいるかもしれないだろう!?
自分勝手な正義に、大事な人間を巻き込むな!!」
この町の連中といい、異世界の連中といい、どいつもこいつも何なんだ一体!?
他人を大事に思う気持ちは立派だと思うけど、その想いに振り回されて自分が不幸になったら何の意味もねえじゃねえか!
人間に生まれたのなら、どうしてもっと欲張りにならないんだ?
他人だけじゃない――自分自身も幸せになって100点満点だろう?
「守ると決めたのなら、そいつが死ぬまで責任持って守り抜きやがれ!!」
……自分の手が、血に染まっている。握れない手で必死に握ろうとしていた事に、自分自身で気がついていなかった。
重傷を負った少女を揺さぶり、怒鳴りつけている自分。正義の味方とは程遠い、泥臭さだった。何を熱くなっているのか――
誰かを守りたいなんて思った事はない。でも、強い存在に憧れる気持ちだけは分かる。
俺はこいつを助けたいんじゃない。志半ばなのに、満足して死のうとするのが許せないのだ。
どんなに憧れても、想いが遂げられない姿なんて見たくない。手が壊れた自分の末路のようで嫌だった。
そんな俺を、月村すずかが見つめている。深淵の瞳を曇らせて、唇を震わせたまま立っていた。
俺はファリンを地面に寝かせて、何とか声を絞り出した。
「……こんな俺を助けてくれた人達を、お前が守ってやってくれよ……」
他人を守れない俺だからこその、願い事。どうせ他人任せなら、正義の味方に頼みたい。
不思議と、確信はあった。ヒーローは助けを呼べば、必ず助けに来てくれる。
――ファリンの手がゆっくりと伸びて、地面に転がっていたヒーローのお面を拾って顔につける。
「認識を、改めます」
「ファリン……?」
「貴方は『悪』ではありません。あたしと同じ『正義の味方』、二号です」
「二号!? お前が一号かよ! つーかこの仮面はずせ、もう意味が無いだろう!
死にかけてまで、俺に顔を見られたくないのか!?」
「う、うう……は、恥ずかしいんですーー!」
「ええい、何だ、この腕力!? まるで万力――あれ、お前、怪我は……?」
ライダーのお面をはずそうとするが、ファリンは必死で抵抗する。全身を力ませているのに、苦痛をまるで感じさせない。
それどころか冷静になってよく見ると、一滴も血が出ていない。ナイフは直角に、根元までグッサリなのに。
フリルの付いた白いエプロンは真っ赤に染まっておらず、冗談のようにナイフだけが刺さっていた。
胸に何かを仕込んでいる? いや、でも明らかに刺さっているだろ、これ……?
「離して下さいよ! 早く医者を呼ばないと、あの娘が!?」
「だから、ファリンは大丈夫なの。お願いだから、医者や警察を呼ばないで。余計にややこしくなるから!
……本当はノエル本人から打ち明けさせてあげたかったけど、こうなった以上仕方ないか……」
どういう経緯があったのか、暴れる晶を必死で宥めて病院から忍が無理やり連れ出して来た。あの馬鹿、何やってやがる!?
一分一秒争う状況で晶も死に物狂いで抵抗していたが、俺達の様子に気付いて唖然とする。そりゃあそうだろう。
刺された本人が起き上がって、「自分で」胸からカッターナイフを抜いたのだから。
血は、やはり一滴も流れていない――
「剣士さん、ファリンは人間ではありません」
「人間、じゃない……?」
「"自動人形"――喪われた技術より造り出された人造人間なの」
ヒトではない存在、自動人形。夜の一族の従者を務める存在もまた、人間ではなかった。
致命傷を受けながら、行動にまるで支障のない人型兵器。恐るべき戦闘力を持つ、人の顔をした化け物。
正義のヒーローを憧れる少女もまた、怪物――美しく造り出された人造人間だった。
「失われた技術で作られた人間――なかなか興味深い話をしているわね。わたしにも聞かせてもらえないかしら?」
呆然とする俺の耳を振るわせる、鋭さを秘めた女性の声。背中を突き刺す警戒の視線に、慌てて視線を背後へ向ける。
片手に見舞い用の綺麗な花、そしてもう片方の手に――顔を盛大に腫らした、カッターナイフの男を引っ提げて。
クイント・ナカジマが、優しい母の顔を消し去ってこちらへ歩み寄ってくる。
――聞かれた……! 間の悪さの連続に、久しぶりに運命を呪った。
<続く>
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