とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第七十話
「……、……駄目だ、全く頭に入らん。微塵も思い出せないな」
「本当に――さんの事も、――ちゃんの事も、忘れちゃったんですか!?」
「その様子だと――さんの事も忘れているようね……大体の事情は聞いたけど」
退院後一ヶ月経たずに再入院する羽目になって二日目、俺は本格的に記憶探しの旅を始めた。
両腕の怪我と、記憶の混濁――肉体と精神の深い傷については、既に八神家や高町家にはフィリスから連絡が行っている。
人間関係の恐ろしさと厄介さは知っている。俺の与り知らぬルートを通じて、他の連中にも話が行っている可能性もあった。
検査も終わって面会の許可が出た今日、見舞いに来るかもしれない。病室で静かに寝られそうもない。
「……ごめんなさい……なのはが、おにーちゃんを守らなければいけなかったのに……!」
「お前の中には何リットル水分が溜まっているんだ。いちいち泣くな」
「でも、おにーちゃんは手が動かなくなって、記憶まで……ごめんなさい、ふえぇぇぇぇん……!」
「――アリサ。話は大体聞けたから、こいつをフィリスの所へ連れて行ってくれ。俺よりこいつの方が、カウセリングが必要だ」
「分かった――なのは、立てる? しっかりしなさい、あんたが泣いてどうするのよ。
これから本当に大変なのは……っ……良介、なんだから……っっ……」
お前も泣くのかよ!? 声を上擦らせ、必死に涙を堪えて、アリサはなのはを病室から連れ出した。
骨まで砕けた利き腕と、機能障害に陥った脳。治療が困難な二つの怪我は子供には刺激が強すぎたらしい。
破壊された腕もそうだが、もし本当に脳まで機能不全になれば、日常生活どころか自力で生きていく事も難しくなる。
護衛役だったなのはは目に見えて落ち込んでおり、学校も休んでいるらしい。俺より精神が弱っているな、あいつ。
……別になのはの為ではないが、一刻も早く記憶を回復させなければならない。ガキの涙なんぞ見ていて気持ちのいいものではない。
覚えていないのは、やはり人間。一人の女と、その家族について。
なのはの話だと海鳴町に流れ着いた当時に出逢っており、ちょくちょく一緒に行動していたらしい。
通り魔事件の犯人追跡も、手伝ってもらっていたとの事。なのは本人はそのおかげで助けられたそうだ。
関係はその後も続いていたらしく、四月は花見の場所を親類に提供して貰って楽しんだと聞いている。
アリサによると、六月はその女の護衛として高値で雇って貰っていたらしい。金持ちの女かよ。何故付き合っていたんだ、俺。
大体、特定の個人とその家族だけ覚えていないなんておかしい。本当に脳の機能不全なのだろうか……?
精密検査の結果が待ち遠しいが、せめて自分で名前くらいは思い出したい。
「名前、名前、名前、名前……女の名前……おーんーな……ぐぬぬ、これだけ頭を捻っても思い出せん。
自力で考えても埒が明かんな。暇潰しに休憩室から適当に持ち出した雑誌を頼りに――ええい、片手じゃ読み辛い。
スバル、ティアナ、キャロル、ルーテシア、ヴィヴィオ、ストラトス、コロナ、リオ……車の雑誌で、女の名前が分かるか!」
雑誌を壁に叩き付けてやりたかったが、腕を振り上げたら猛烈に痛んで止める。ちょっと動かしただけで、これほど痛むとは。
傷が開くと厄介なので、手を休ませる事にする。厄介なのは痛みではなく、フィリスの怒りなんだけどな。
……もう、手は動かせないのか……
「なのは、先生に診て貰ったわ。憔悴しているようだから、診察室のベットで寝かせてる」
「やれやれ、手間のかかるガキんちょだな。こんな怪我、何てことないのに」
「――無理に動かして、痛みを堪えて平気な顔してたでしょう? 言っておくけど、なのはに見破られていたわよ。
あの子は、他人の痛みを感じられる娘なの。だから泣いちゃったのよ、あんたの気遣いが申し訳なくて――余計に」
高町なのはは争い事を好まず、血を見るのも苦手な女の子である。人の痛みに敏感だから、心を痛めてしまう。
アリサも同じだ――洗面所で顔でを洗ってきたんだろうが、目が真っ赤になって腫れている。人知らず、泣いてきたのだろう。
怪我した本人を気遣わせまいと必死で悲しみを隠す、気丈な少女。せめて、見て見ぬ振りをしてやろうと思う。
「良介……辛くない?」
「何だ、急に」
「……あたしには言っていいからね。どんな弱音を吐いても、幻滅したりなんてしない。
どんな事になったって、ちゃんとあたしが傍にいてあげる。その為に、あたしは此処にいる」
俺は八神はやての足と同じく、利き腕が壊れて使い物にならなくなった。脳にも障害があり、記憶の混濁が起きている。
人生を左右する、重いハンディ。剣士としてではなく、一人の人間として生きていけるかどうかも分からない。
フィリスをはじめ、皆が嘆き悲しんでくれている。かつては毛嫌いしていた同情と憐憫を、多分にこめて。
「……ショックは受けているし、正直不便にも感じているよ。一生このままなのは嫌だな。
だけど、悲観はしていない。今後どうなるか分からないけど、どうしようか悩んではいない」
「どうしてそんなに前向きになれるのよ……! 手も使えなくなって、脳だって……あっ!?
ご、ごめん、良介……そんな事言うつもりじゃなかったのに、あたし……
……良介は、凄いね……どんな事があっても負けない、諦めない、くじけない。
手も動かせず、誰かを覚える事も出来ない。あたしが良介と同じ状態になったら、きっと立ち直れないわ」
「何、言ってるんだ。俺が頑張れるのはお前のおかげじゃないか、アリサ」
「あ、あたしが……!?」
やっぱり自覚していなかった。結んでいた髪をぴょこんと立てて、驚いた顔をしている。
頭は抜群にいいのだが、自分の事となると頭が働かないようだ。こんなこと、直接本人には言いたくないのだが。
「剣を振る事ばっかり考えていた俺に、お前が働けと怒鳴ったじゃないか。
一人になりたいなら、一人だった俺を助けてくれた人達に恩返ししろと、お前は諭してくれた。
俺が今絶望せずにいられるのは、やるべき事とやれる事がちゃんと見えているからだ。
まずは記憶を取り戻して、俺の中から消えた存在にもう一度会いに行く。全てはそれからだ。
手が使えなくたって、世界を見る目がある。人と話す口がある。音楽を聞く耳がある。生命がある限り、可能性は無限にある。
剣で強くなるだけでは、駄目なんだ。本当に強い人間は、実力だけで物を言わせていなかった。
剣士として――剣を持つ人間として、俺は大成したい。
その為には、剣以外の事も知る必要がある。剣を握れなくなったのも、考えようによってはいい機会かもしれない。
もう一度自分を見つめ直して、他人を知っていく。その上でもう一度、自分の人生を考えてみるよ。
お前が救ってくれた命、お前が見つけてくれた可能性――全部、無駄にはしない。
お前は安心して、俺の傍にいればいい」
「……良介……い、言われなくたって、一緒にいてやるわよ! あたしがいなかったら、すぐ怠けるんだから!
浮浪者のロリコンのくせにカッコつけちゃって、ぐす……」
「あーあ、なのはの泣き虫が移ったか……落ち込んでいる場合じゃないぞ、アリサ。
とりあえず、手を使わずに出来る仕事を探してくれ」
泣きじゃくりながら、アリサは素直に頷いてくれた。カッコついたかどうか分からんが、全部本当の気持ちだ。
幽霊なんぞがこの世にいる世の中だ、壊れた手を治す手段だってあるかもしれない。
剣の修行はしばらく中止するしかないが、その分他に回せばいいだけだ。不本意だが、片付いていない事も多いからな。
まずは記憶探し――やはり、その女の事をよく知る人間から、もっと情報を得た方がいい。
幸いにも、なのはの兄がそいつと同級生との事。見舞いに来るそうなので、詳しい話を聞いてみよう。
そう、高町恭也である。
「――母さん。フィアッセもほら、気をしっかり持って。一番辛いのは、怪我をした本人なんだ」
「分かってる……でも、護衛中の事故で命に関わる怪我をしたって聞いていたから……」
「そうだよ……リョウスケまで何かあったら……」
「――おい、何なんだあいつら。俺の顔を見た途端泣き崩れるとか、新手の嫌がらせか?」
「その、昔の事を色々思い出して……宮本さんが怪我した事を聞いて、母さんもフィアッセも取り乱しちゃって……
フィリス先生から今朝怪我の具合を聞いて、余計に落ち込んでいたんです。その……手の事とか、頭の事とか、聞いて……」
護衛任務中の怪我なんて当たり前の事だと思うのだが、桃子やフィアッセの取り乱し方は尋常ではない。
心配も度が過ぎれば欝陶しいが、二人の憔悴した顔を見て責められる男なんぞこの世にはいない。
なのはといい、この一家の情の厚さは今に始まった事ではない。
「竹刀も握れなくなって、取り上げられちまった――話を聞くと、大金を手に入れられるチャンスだったみたいなのに」
「金ではなく、命を大事にしろ!!」
「お、お前まで怒る事はないだろうが……」
「……すまない、剣にあれほど情熱をかけていたんだ。お前がどれほど無念か、俺にはよく分かる。
だが、それでも……命が在ってくれて、本当に安心した。これ以上もう、無茶はしないでくれ」
高町恭也。この男は幼少時剣の修行で膝を酷使してしまい、一時は再起不能にまで至ったらしい。
剣は腕だけで振るものではない、足もまた剣術家の命。引退まで考えた恭也の叱咤は重く響いた。
この男もまたリハビリを再開して、再起を図ろうとしている。前向きな志という意味では、八神はやてと同じだ。
これ以上泣かれたり、叱られたりするのは嫌なので、こいつらにもちゃんと言っておこう。
俺もまた、やり直そうとしている事を。
「手はこの通り使えなくなっちまったが、また治らないと決まった訳じゃねえ。世界中旅してでも、治療法を見つけてみせるさ。
それまでは基礎鍛錬と、イメージトレーニングだな。また道場稽古を見学させてくれ、いい勉強になる」
「……。なるほど、心配するだけ無駄だったか。強くなろうとする気概があるのならば、励ます必要もないな。
――いつでも来い。お前に閉ざす門はない。練習メニューも考えておこう」
「……すごいですね、宮本さんは……私も頑張らないと……」
イメージと言っても、レイハ姐さんとミヤが構築する仮想戦闘空間。脳内で演算処理をして、実戦さながらのトレーニングをする。
異世界の技術とは凄いもので、インテリジェンスとユニゾンデバイスを活用すれば、病院のベットの上でも強敵と思う存分戦える。
見取り稽古もその一つで、実力者達の稽古を目に焼き付けて、イメージする事で練習効果を高められる。
「世界中旅するには、英語を覚えないといけないな……今まで怠けていたけど今度から真面目に勉強するよ、自分の為だからな。
音楽と英語――俺に教えてくれないか、フィアッセ」
「……うん、勿論だよ! リョウスケならきっと、すぐに覚えられる。いずれ一緒に歌える日が来る事を、楽しみにしてるね。
英語が話せるようになったら、二人でシェリーにも会いに行こうよ。最近、メールのやり取りもしてるんでしょう?」
「だからどうしてお前はそんなにセルフィに馴れ馴れしいのか――あの有名人、今でも英語でメールで送ってくるんだ。
頭にきたから、こっちも最近は日本語で送っている。くっくっく、あいつが根負けするまで続けてやるぜ」
「……シェリーも多分、同じ事を考えてるんじゃないかな……意地っ張りなところがあるから」
手紙とメールによる文通は、今でも続いている。何故成立しているのかサッパリ分からないが、返事するとまた送ってくるのだ。
メールでは最近日々の事にも触れており、時々ドキっとするようなプライベートな内容が書かれている。
そんな彼女を信用して、最近は自分の仕事のことも相談していたようだ――仕事の内容を覚えていないので、確証はないが。
ここ最近のセルフィのメールを日本語に訳してもらい、メールフォルダより閲覧してみる。
『立派ですね、人を守る仕事に就くなんて』
『あんたは仕事で大勢の人間を救ってる、そっちの方が立派だと思う。こっちは大金で雇われただけだ』
『人を助ける事に変わりはないですよ。どんな人なんですか?』
『金持ちのお嬢様、姉と妹の二人』
『上手く行けば玉の輿ですね。結婚式には呼んで下さいね』
『金があっても嫌じゃ、あんな女!!』
『ご、ごめんなさい、調子に乗りすぎました』
『いや、こっちこそすまない。反射的に普段の調子でメールを送ってしまった』
『あはは、いいですよ。というか、もっと気軽にいきません? 堅苦しい感じで気になっていたんですよ』
『あの程度の悪口が日常茶飯事になるけど、いいのなら――よろしくという事で』
『やった、承認が出た。今度からよろしくね、リョウスケ。日本の男の子と、初めて友達になれて嬉しい』
『嘘をつけ。日本の茶の間に流れていたんだぞ、あのテレビ放送。ファンレターがいっぱい届いたはずだ』
『そうだけど、こうしてメールでやり取りするようにまでなったのは、リョウスケだけだよ。よかったね』
『面倒なだけだ。それより、ちょっと聞いてくれよ。護衛対象が色々面倒な奴なんだ、相談に乗ってくれ』
『面倒だなー』
『貴方との文通はとても楽しいです』
『よろしい、聞いてあげよう。えへへ、日本人の友達が出来た事、友達に話したら羨ましがられたんだよ。
日本の国が好きな娘、結構多いんだこっちでは。私では解決出来そうになったら、他の娘にも聞いてあげよっか?』
『早く解決出来るなら、それに越した事はないけど』
『ん。じゃあ、メアド教えておくね』
――といった会話を、フィアッセに見られて笑われた。アリサ翻訳分のやり取りも、歌姫はお気に召したらしい。
このメールの内容から、俺は知り合いのお嬢様姉妹の護衛についていたようだ。
他人、しかも金持ち。毛嫌いする二つの要素を備えた女と、何故守ろうとしたのか。恭也に改めて話を聞いてみる。
「脳に異常があると聞いてはいたが――の事を忘れたのか……」
「――さんと、本当に仲が良かったんですよ。思い出せないだけじゃなくて、覚える事も出来ないなんて……」
「なのはに持ってきて貰った花見の時の写真、俺の隣に誰か写ってるんだろう? 俺には全く見えないんだ。
確かに誰かいるんだろうけど、頭の中に入ってこない」
四月の花見での集合写真、一人だけ俺の目に写っていない人間がいる。俺は机の上の一万円札を見つめる。
この一万円札を持ってきたのは小さい女の子、多分妹の方だろう。
仕事の報酬か、それとも他に意味でもあるのか――名乗らなかったのは、俺の今の症状を知っていたからかもしれない。
「――ちゃんの事を聞きたいのなら、恭也だけじゃなく私達も教えてあげられる事はあると思う。
ただ、まだ検査の結果は出ていないのでしょう。今はまだ無理はしない方がいいわ」
「うん。リョウスケが無理して他の事まで忘れちゃったら、フィリスも悲しむよ」
昨日の今日、緊急手術からまだ一週間も経っていない。桃子やフィアッセが心配する気持ちは分かる。
症状を見てもらい、原因を丹念に調べてもらって、ゆっくり時間をかけて治療するべき。治るかどうかも分からないのだから。
俺も他人の事でごちゃごちゃ悩みたくはないが――
「――会いに行くと、約束したからな」
「会いに……? ――ちゃんに?」
「聞き取れないから本人かどうか分からないけど、ちゃんと思い出して会いに行ってやりたい。
何しろ相手は金持ちのお嬢様、大事な金づるだからな」
「お前はどうして余計な一言を付け足すんだ、いつも!」
「立派な子になって、桃子さん感激していたのに……台無しよ!」
高町親子よりえらく反感を買ってしまった。お前らのような人情家ではないだよ、俺は!
数カ月一緒に生活してその辺の事を理解しているのか、桃子達も本気で怒っていない。
これ以上反対せず、その子の話をしてくれた。ただ――
「入院の続きも必要でしょう? 保証人には私がなるから、フィリス先生と今日にでもお話しておきましょう」
「いや、大丈夫。俺の母親になりたいという奇特な女がいて、そいつが保証人に――」
「母親!? どんな人、どんな人なの!?」
「詰め寄ってくるな!?」
予想外の事態が発生した事を、頭の中に記録しておく。人間関係は本当に面倒だ。
忘れていた方が幸せなのかもしれないと、ちょっと真剣に悩んでしまった。
『――以上が、――さんに関する報告っす。どうです、思い出せそうですか……?
頭が痛くなったり、涙が出てきたりとか!』
「現実に起こりえる現象なのか、それ!? お前の話を聞いても、特に思う事はないな……」
『すんません。俺がちゃんと調査出来ていたら、犯人の野郎を見つけ出してボコボコにしてやったのに!』
起きた悲劇を悲しむのではなく、悲劇を起こした犯人を怒る。空手少女の晶らしい、熱血正義ぶりだった。
仕事をしていた時の記憶は定かではないが、城島晶を助手にしていた事はかろうじて思い出せて電話している。
どうやら護衛任務の一環で対象の周囲を調べさせていたらしく、学校での最近の様子も聞けた。
『あの俺、頭悪いのでよく分かってないんですけど……記憶喪失とは違うんですよね?』
「ああ、知り合いから色々話を聞けてハッキリした。忘れたのはそいつと、そいつの家族に関する事だけだ」
『――さんの事だけ忘れる……偶然っすかね?』
「忘れているだけじゃなくて、思い出す事も出来ないからな。催眠術でもかけられた気分だ」
『それっすよ! きっと犯人が良さんの記憶を操作して、護衛させないようにしたんすよ!』
「催眠術ってそこまで便利なものなのか!?」
アニメや漫画の見すぎだと言いたいが、幽霊や魔法だって存在する。どんな力があるのか、分かったものじゃない。
特定の記憶を奪う術もあるのかもしれない、突拍子も無い話だが。
『……良さん、この仕事どうするつもりっすか?』
慰める事も励ます事もなく、晶は今後の在り方を問う。助手として、正しい姿勢だった。
利き腕ではない手で携帯電話を持っているので、耳に届きづらい。でも、今の声はちゃんと聞こえた。
問われたからには――男として応えなければならない。
「途中で放り出してたまるか。最後までやり遂げる――最高の結果を出して」
『そうこなくっちゃ! 俺、どこまでもついていきますよ!』
電話の向こうで、やる気に燃える晶。仕事より生じた不当な暴力を恐れず、抗おうとする気概は女にしておくには惜しいとさえ思う。
剣を握る手は壊れ、誰かを守り抜かんとする記憶も失った。でも、まだ戦える。
大金を稼ぐ大人になりたいのなら、金を手に入れるまで諦めてはならない。
『どうします、――さん掴まえて連れてきましょうか?』
「記憶を取り戻さない限り、本人が目の前にいても気付けない。俺から必ず会いに行く。
それより、お前は別の人間を探して欲しい」
『誰っすか?』
……正直、心苦しくはある。この件には何の関係もないのに、また巻き込んでしまう。自分勝手な理由で。
だが力を借りる事が出来れば、大いに助けとなる。治療のきっかけになるかもしれない。
魂さえ癒せる、彼女ならば。
「神咲那美。四月に花見に来ていた子だ、彼女に連絡を取りたい」
「……お話は分かりました。――さんの記憶まで無くされたなんて……」
城島晶の行動力には恐れ入る。頼んだらすぐに会いに行ってくれて、事情まで伝えてくれたらしい。
彼女の家族同然である子狐の久遠まで連れて、病院に見舞いに来てくれた。
動物を病院内にウロウロさせると周囲がうるさいので、中庭に出て話を聞いてもらっている。
「検査の結果は出ていないけど、俺に何らかの障害が起きているのは確かなんだ。あんたの力をかりたい」
「……、ごめんなさい……お力になれればと思うのですが、わたしの力では……」
「いや、癒しの力で俺を治して欲しいと言っているんじゃないんだ。
あんたから、俺の魂に――直接呼びかけて欲しい」
「魂の連結を!? 危険です!」
神咲那美、巫女である彼女は生物の魂を癒す力を持っている。
先月彼女は傷つき倒れた俺を癒す為に、自分の力の全て――魂の半分を費やして、生命の危機から救ってくれた。
未熟な彼女には過ぎた力の酷使は、副作用まで起こしてしまう。
魂の共有――俺と彼女の魂が触れ合い、連結されてしまったのだ。
「たとえ記憶を喪っても、俺がそいつらと過ごした時間まで消えて無くなる訳じゃない。
今まで過ごしてきた日々、そいつらとの間に出来た関係が本物ならば――俺の中に、確かに在る筈なんだ。
皆が俺に教えてくれた、そいつへの気持ち――俺の魂に触れて、想いを解き放ってくれ」
「分かっていて言ってるんですか? わたしが宮本さんの魂に触れている間、貴方は無防備になってしまいます。
肉体と違い、精神はとても不安定なもの。私が触れる事で、変質されてしまう危険だってあります。壊れてしまう事だって……
それに魂に触れれば、貴方の心もわたしには見えてしまう。わたしにそんな資格はありません」
「あんたになら、俺は自分の全てを見せられる」
「!?」
「頼む……そいつらが、待っているかもしれないんだ!」
他人なんて信用出来ない。今でも心から接してはいない。他人に興味はわいているが、誰でも信頼出来るほどではない。
那美を信頼しているのは、俺の為に命を――魂を、捧げてくれたからだ。
俺を救ってくれた彼女になら、心の全てを見せてもいい。
「……分かりました、やってみます」
「ありがとう、それとすまない。俺とあんたの魂が触れ合ってしまうと――」
「多分、結び付きは強くなりますね。魂だけではなく、精神の感応も起きてしまうかもしれません」
俺と那美は魂を共有している為、両者の関係が深くなると魂の連結が強くなる。
今はまだ魂を感じられる程度だが、深まれば精神、感覚――肉体の共有まで起きてしまうかもしれない。
それでも彼女は、俺を助ける事を後悔していないようだった。
「でも、誤解はしないで下さいね」
「えっ……?」
「こんなに酷い怪我をしているのに、宮本さんは自分の事じゃなく――さんの事を真剣に思ってる。
自分が危険なのを承知の上で、思い出せない人の為に頑張れる。
そんな人と結び付きが強まるのであれば、むしろわたしは光栄に思います。無理矢理ではなく、自然の事なんです。
久遠だって、反対しないよね?」
「くぅん!」
中庭のベンチに座る俺の膝元で、久遠が鳴き声を上げる。久しぶりに会えて、ベッタリされている。
存在だけでも癒される、愛らしい子狐。抱きしめる手は壊れているが、それでも毛触りは感じられた。
俺は一つ頷いて、身体をリラックスさせる。那美は静かに進み出た。
「覚悟は問いません。――さんに絶対、会いに行って下さいね」
「ああ、約束するよ」
医学では解明出来ない、霊的手術。俺の魂に直接メスを入れて、治療を行う。
俺と神咲那美、二人の魂が繋がっているからこそ出来る手段。
魂の中に在るのは、がらんどうか――それとも。
――その日、海鳴の町は珍しく晴れていた。陰鬱な梅雨空も、今日は晴れ上がっている。
家の中で鬱屈している人達を外へ誘い出す天気、爽やかな初夏を迎えて、日の光も青く照らし出している。
海鳴大学病院は海が見える場所にあり、潮風が感じられる自然の公園がある。
精密検査の結果異常のなかった元気な患者が、ほんの少し気分転換するには最適な場所だった。
「――俺は頭が悪いから、物忘れしやすいんだ。傘とか拾っても、すぐに何処かに置いてきてしまう」
海沿いの公園は遊具こそ少ないが、自然は豊かでとても優しい。ただ見ているだけでも、心が和らぐ。
気持ちのいい天気にあてられてか、普段は静かな公園に大人や子供の平和な喧騒が聞こえてくる。
「こういう場合一番効果的だと思うのは、やっぱりメモしておく事。後で忘れてしまっても、思い出せるように」
そんな人達を客に、公園には名物の屋台が並んでいた。タコ焼きにイカ焼き等、定番であっても売れるものだ。
味は普通でちょうどいい。普通より美味ければますますいい。
「当然、メモする内容は重要だ。見て思い出せなければ意味が無い、かといってそんなメモを誰かに見られるのも恥ずかしい」
俺のオススメは焼きそばだ。安くて美味いという、庶民には最高の条件が揃った屋台がある。
安っぽいソースと青のりの香りでも、通行人の鼻を魅惑的に刺激する。男でも、女でも。
「だから――俺にしか分からないように、頭の中にメモしておいた。他人が一見しても分からないメモ――"想いを、解き放て"。
願いを叶える魔法使いの、奇跡を起こす呪文だ」
遊歩道へ続く階段に、ラフな格好をした女が一人座っていた。
周囲の目を惹きそうな、艶かで瑞々しい長い髪の美少女。健康的な白い足をスカートから覗かせている。
「思い出を全て忘れても、想いまで消えるとは限らない。命さえ消えても、遺された想いもある。
他人のそうした強い想いが、神様もビックリするような奇跡を起こす。俺は先月、何度も思い知らされたよ。
人ってのは――他人と繋がって、想いを生み出せる存在なんだ」
女の足元には、逆さになって落ちている焼きそばの皿。買ったばかりだったのか、中身が無惨に散らばっていた。
女は信じられないといった顔で、俺を見つめている。
「知り合い連中に片っ端から聞いて回った。自分が何を忘れているのか、自分の中に残されている想いはなんなのか――
笑ったよ。皆、口を揃えて言いやがる。"俺と一番仲が良かった人"、だって。
俺は忘れてしまっても、皆の中にはちゃんといたんだ。
そいつと俺の直接的なつながりが断たれても、他人と通じたつながりがあった。それもまた人間の可能性であり、強みだ」
人間は一人でも生きられる。けれど、可能性は広がらない。
人と人とのつながりで想いが生まれ、想いが思い出を生み出す。思い出の中に、記憶もまた存在する。
恭也達が俺が過ごした時間を証明してくれて、那美がその中に在った想いを解き放ってくれた。
「――などと偉そうな事を言っても、何にも思い出せなかった。結局俺はそいつの事、何とも想ってなかったみたいだ」
脳が痛みを訴えなかったのは、無理に思い出す必要が無かった為。
心に何も感じなかったのは、大切な存在だと認識していなかった為。
会いに行こうとしなくても、俺達は自然に出逢ってしまう。
「初めまして、お嬢様。伯母さんと妹さんは、元気にしているか?」
「っ――侍君の、嘘つき!」
"ところで、侍君――その『月村』という呼び方、そろそろやめない?"
"面倒な奴だな、たく……じゃあ、お嬢様と妹さんで"
こうして――月村忍と、再会した。
<続く>
|
小説を読んでいただいてありがとうございました。
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。
メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。
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