とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第七十一話







「……どうしてたった数日で、記憶が元に戻るのよ……」


 開口一番、見舞いの方から回復を嘆かれてしまった。美人なだけに、余計に落ち込んでしまう。

知らせを受けて飛んできたのか、身だしなみにも気を使う女性が激しく取り乱している。

脳の機能障害――俺の記憶を喪失させた張本人ならではの混乱であった。


「安心しろ。あんたの姪に関しては、これっぽっちも憶えていないぞ」

「私を前にして、よくそんな嘘が言えたものね! あの娘の事を憶えていないのなら、探し出すことも不可能よ。
それにいつ、あの娘と連絡を取ったの!?」

「直接、連絡なんて取ってないよ」

「忍と外で会っていたでしょう! 本人に直接問い質したのよ!」

「偶然だ、偶然。公園を散歩していたら、あいつが焼きそばを食ってた」

「そんな映画のような偶然がある筈がないでしょう!? 正直に言いなさい!」


 えらい剣幕だった。個室でなかったら、絶対に他の患者に聞かせて騒ぎになっている。

面会開始時間早々に訪れたかと思えば、この調子。感動も何も無い再会だった。

回復した記憶が明瞭に伝えてくれる。この女性こそ、綺堂さくらだと――


「何でそんなにキレているんだ? 俺はあんたに言った筈だぞ。記憶を喪っても、必ず戻ってくると」

「――っ……、手心を加えなかった。本当に、記憶を消したのに……


……ちゃんと戻って来るなんて……脱帽よ、もう」


「あんたが手を抜かなかったのは分かってる。なんせ、必死で思い出そうとしても何も思い浮かばなかったからな。
難儀したぜ、本当に。あんたを見返すのも、大変だ」

「……ふふ、私はそんなに軽い女じゃないわよ」

「だから、苦労させられたんだよ。色々と」

「私だってそうよ。これほど前代未聞のオンパレードともなれば、貴方に非はなくても怒りたくなるわ。
偶然は二度起こらない、奇跡は何度も起こらない。なのに、貴方は次から次へと――

いっその事貴方を殺してしまえば、全て元通りになる気がしてきたわ」

「見舞い客が物騒な事を言うな!? 素直に認めてくれよ」

「貴方の覚悟を認めたからこそ、念入り・・・に施したのよ――記憶がなく、私達を認識出来なければ、生涯一族とは無縁となる。
何も無い状態から、どうやって何かを見つけ出せたの?」

「何も無かったことには出来ないという事さ。人の縁ってのは、怖いもんだぜ」

「……貴方を見ていると、本当にそう思うわ……」


 疲れ果てた様子で、綺堂は備え付きの椅子に座り込んだ。こんなに落ち込んだ彼女を見るのは初めてだ。

公園で月村と再会して、俺の記憶が完全に戻った事が綺堂にも伝わった。それから後の動きは本当に早かった。

――何せすぐにこうして病室に怒鳴り込んできたからな、この人。


「そ、そんなに落ち込まなくてもいいだろ……」

「たった数日で私の力が破られたら、自信だって無くすわよ……


人との"つながり"による強さ、か――貴方が真にその強さを自分のものにした時、どれほど素敵な男性になるのかしら」


「――えっ……?」

「ふふ、何でもないわ」


 機嫌が悪いかと思えば、急にご機嫌になった。大人の女性の考える事はよく分からない。

機嫌を直してくれたのなら、ちょうどいい。さっきの話で気になった点がある。


「念入りに処置を施したというのは、どういう意味だ?」

「夜の一族との契約をしないのであれば、一族に関する秘密を消す。本来はそれで終わりなの。
記憶が無ければ再会しても、他人のまますれ違うだけ。

だけど、貴方の場合――夜の一族との契約をせず、信頼関係を築きたいと言った。

太陽の下で生きる貴方と、夜の住民である私達。双方の常識や掟に囚われず、対等に生きて行きたいと。
私は貴方の覚悟を認め、貴方自身を見極める為に、記憶を消すだけではなく思い出せないようにした。

それでも還ってこれるのであれば――貴方の想い、その精神力は本物であるということ」

「つまり――」


「綺堂さくらとして、宮本良介という人間を認めると言っているのよ」


 夜の一族の秘密を契約で守らせず、信頼を持って預けてくれる。綺堂さくらにようやく認められたのだ。

他人に認められるということが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。この喜びは綺堂だからこそだろう。

美しく聡明で、思慮深い女性。アリサが唯一尊敬している人間、性別こそ違うがこういう大人になりたいものだ。

――こんな女性でも、感情的に怒る事はある。好きな人には甘え上手なのかもしれない。


「長には報告させてもらうわ。これまでに例のない事だから、いずれ会ってもらうことになるかもしれない」

「分かった。その辺はあんたに任せるよ、綺堂」


「さくら」


 俺の唇にちょんと人差し指が乗せられる。突然の事に驚く俺を――彼女は、笑っていた。


「対等な関係を望んでいるのでしょう。
言っておくけれど、信頼させた以上――私にとって貴方はもう他人ではないの、良介。

裏切らないでね・・・・・・・?」


 ――冗談で言っているというのは分かっているが、彼女の目を見ていると笑えない。

とんでもない人に見込まれた気がするが、後には引き返せない。


瞳を細めて微笑む彼女は、背筋が震えるほど綺麗だった。















「そう、記憶が戻ったの。本当によかった……精密検査でも異常はなかったそうだけど、本当に大丈夫?」

「脳に関しては問題ない。カウセリングも受けて、正常だと判断された。まだまだ診察は続けていくらしいけど」


 海鳴大学病院への再入院が決まってから、余計に忙しくなっている気がする。

綺堂さくらが俺の現状を把握して、入院費用などの金銭面の手続きで今日は帰った。長とも連絡を取るらしい。

入れ替わりに、何故か大きな鞄を持ってクイント・ナカジマが見舞いに来た。マメな女である。


「一時的な症状だったのかしら。何にしてもまだ無理をしては駄目よ」

「口うるさく指図するな。あんたは俺の母親か」

「そうよ」


 ――しまった。この手の返しは、この女には通じない。こいつにとって、俺はもう他人ではないのだ。

記憶が回復したのだから尚更責任を感じる事はないのだが、一度決めた決意を少しも翻そうとしない。

今日はもうちょっと、別の切り口から攻めてみるか。


「あんたさ、年齢は聞かないけど相当若いだろ? この前は冗談混じりに言ってたけど、多分本当に俺との年齢差はそれほどない。
若い身空で図体デカイガキを引き取って、今度どうするんだ。金だってかかる、結婚生活を血の繋がらない子供の子守で潰すつもりかよ」

「そうね、しっかりした子供なら負担はかからないけれど……君は手のかかる子のようね。これから大変だわ」


 ――だったら何で、そんなに楽しそうに笑っているんだ? 負担が大きいと分かっていて、どうしてやり甲斐を感じられる?


「世間体だってあるだろ。旦那もそうだけど、上司がどうとか言ってたし、よその子供引き取るとなったら騒がれるぞ」

「旦那にはもう話してあるわ。君の写真を見せたら、生意気そうなガキだって笑ってたわよ」

「反対しろよ、親父も!? 似た者夫婦か、お前らは!」

「一応聞くけど、お酒は大丈夫よね?」

「未成年に聞くことじゃねえけど、いけるぞ。日本酒とか好きだな」

「うん、それなら全然問題なし。お父さんね、息子と一緒にお酒を呑むのが夢なのよ」

「家族の基準が低い!? 日本人だろ、お前の旦那!」


 何という、旦那の貫禄。こいつの主人が線の細いエリート男性といった線は消えたな、これで。

こういう美人に限って、老け顔の親父とか好きになるんだよな……若者が余りまくる世の中になるぞ、本当に。


「それから、正式にこの町で当分腰を据える事になったの。ちゃんと準備・・してきたから、もう大丈夫。
息子になるかもしれない君に手を出すような人は、お母さんがぶっ飛ばしてやるわ」

「何詰めてきたんだ、その鞄!? あんた、仕事は――」

「職場にちゃんと報告してきたわ。上司とも相談したし、お偉いさんとも直談判してきたの。
徹夜で説得して、うんと言わせたわ・・・・・。あんまりごねるなら、髭をむしってやるつもりだったけど」


 上司やお偉いさん、気の毒すぎる!? 母に目覚めた女は無敵だった。

というかそれ、下手したら俺が恨まれる事になるんじゃないか……?

恐る恐る、聞いてみる。


「もしかして……俺の事を、何か話した?」

「君の現状はちゃんと説明しておく必要があったの。
仕事上、個人的な感情は持ち込んではいけないのだけれど……こうなった以上、養子の事も話したわ。
上司は理解があったんだけど、同僚が反対しちゃって――義務と責任を一緒にはしてはいけないと、怒られたのよ。

メガーヌと、大喧嘩しちゃった……どうしてもと言うなら、君とも会って話すって」


 家庭問題に発展している!? 俺の預かり知らぬ所で、厄介事の種が蒔かれているじゃねえか!

職場や旦那に話すのも大事だけど、聞かなければよかった。

まあ、ゴリ押しも無理強いもされてはいないんだけど……どうもこの女は、調子が狂う。抗いがたい包容力があるので、厄介だ。



「失礼しまーす。侍君、学校が終わったから来――てるんだね、お客さん。ごめん」

「せめてノックしろよ」



 学校帰りに直接病院へ来たのか、制服を着た月村忍が見舞いに訪れた。俺一人だと思っていたのか、恥ずかしそうに会釈する。

純白のブラウスに濃紺のスカート――真面目な制服姿でも、着る人間で印象がまるで異なるものらしい。

悔しいほど似合っており、学校で男女問わず人気が出ているというのも頷ける話だった。

ナカジマも驚いた顔で月村を見つめ、鞄を持って立ち上がった。


「私の話は済んだからいいの。学校帰りに見舞いに来てくれたのね、ありがとう」

「いいえ、私が望んで来ていますから」


 初対面の人間には、相変わらずの態度だった。丁寧に受け答えしているが、簡潔に会話を終わらせようとしている。

慇懃無礼ではないところは俺とは違うが、月村もまた他人との交流を多くは望んでいない。

その点、クイント・ナカジマは大人だった。月村の微々たる感情を正確に感じ取った上で、話しかけてくる。


「失礼な事を聞くけれど……この子の、ガールフレンドかしら?」


 突然何を言い出すか!? むしろ俺に対して失礼だろ、その質問は!

身内に恵まれず、幼少時代より大人の汚い部分を見せつけられた月村の感性も鋭い。

ナカジマの探るような質問に、俺の方を見つめ――意地悪く、笑った。嫌な予感……!


「はい、彼には何度も助けて頂きました。普段は名前で呼び合う仲なんです」

「嘘つくんじゃねえ!? 誰がお前なんか名前で呼ぶか!」

「ああ言ってますけど、気にしないでくださいね。私の事だけ・・・・・記憶がないようなので」


 忘れられた事にしてる!? 既成事実大好きだな、この町の連中は!

おのれ、お嬢様の分際でなかなか知恵が働くじゃねえか……実は記憶があると主張するのは、月村忍を特別だと認めるのと同じである。

俺の記憶が回復していると知っていて、白を切っている事を逆手に取るとは。

自称ガールフレンドがこう言って、自称母親が黙っている訳がない。


「リョウスケ、さっき私には記憶が回復したと言っていたわよね!?」

「いや、あのな……こいつの事は別に覚えていなくても――」

「どうしてそんな事を言うの。ちゃんと名前で呼んであげなさい、ほら」


 マジかよ……見ろ、あの月村のキラキラした目。美貌を期待に染めて、俺の言葉を待っていやがる。

月村だけなら死んでも言ってやらないのだが、ナカジマは逞しきママさん。正義感の強さは類を見ない。

俺が名前を呼ぶまで、病室に居座り続けて説教を並べるに違いない。うぐぐぐ……仕方ないな。


「えーと――し、のぶ」

「もっと、大きな声で」

「どこまでする必要があんのか!? 分かったよ……こほん。


忍――これでいいだろ」


「うん! やったー!!」


 祈願成就と言わんばかりに、病室で万歳三唱する美人吸血鬼。お母様も満足気に頷いている。もうやだ、こいつら。

何がそんなに嬉しいのかサッパリ分からないが、何か負けたような気がする。

一度言ってしまえば、もう取り消す事は出来ない。この場だけの嘘だなんて、ただの言い訳だ。


特別に想っているから、名前で呼ぶ――ナカジマが背中を押してくれたとはいえ、これでキッカケになってしまった。


出会った頃からの縁は結局切れず、俺達の関係は進展した。それがよかったのかどうか、俺には分からない。

腐れ縁とも言うべきなのか、多分これからもずっと続いていくのだろう。永遠に等しい、時間の中で。

ただ、もう一つの縁はなかなか複雑らしい。



――月村すずかが病室に訪れる事は、無かった。

































































<続く>







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