とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第三十六話
                               
                                
	
  
  
 『夜雨対牀』という言葉が在る。 
 
夜に雨の音を聞きながら、兄弟が寝台を並べて仲よく眠るという意味から、人間関係が良好で仲睦まじい事の例えに用いられるらしい。 
 
ならば――夜雨を耳に家族と枕を並べて寝られない人間は、関係が良好とは言えないのだろう。 
 
野山に捨てられていた本で知った言葉を、学のない俺が今身を持って実感していた。 
 
 
「何で良介が雨の中、外で寝なあかんのや!?」 
 
 
 日頃温厚な車椅子の少女が、玄関先で血相を変えて叫んでいる。 
 
6月からの新しい生活で心温まる笑顔を取り戻しつつあったはやてが、目に涙すら溜めていた。 
 
俺は玄関で靴を履きながら、はやてに顔を見せずに言い放った。 
 
 
「家族会議とやらで決定した事だ。俺はちゃんと従ってやっているだろう。 
逆らっても、従っても、いちいちお前に文句を言われるのか俺は」 
 
「シャマルにちゃんと事情を説明してくれたらええやんか!」 
 
「あいつの言っている事はほぼ本当だ」 
 
 
 八神家第二回家族会議、シャマルの提唱で始まった俺の弾圧裁判。 
 
今日一日の俺の行動は我ながら褒められたものではないので当然ではあるのだが、問題は彼女の主観も大いに絡んでいる事。 
 
アリサの仲介で一度中止になったのだが、湖の騎士はなかなか納得しなかった。 
 
それでも信頼あるメイドが場を収めて事なかれに出来たのだが――他ならぬ俺が蒸し返した。 
 
 
「何も出て行く訳じゃない。頭を冷やすのと反省の意味を込めて、一晩外で過ごすだけだ。 
明日の朝にはちゃんと帰ってくるよ」 
 
「帰って来なくていいですよ、別に。ああ、そのまま出て行かれても困りますね。 
貴女が改竄した頁だけはきちんと――」 
 
「いい加減にしてください、シャマル!!」 
 
 
 御風呂で温まったのにも関わらず、冷たい瞳で俺を見下ろすシャマル。 
 
雨の降る夜に外へ追い出される俺をいい気味とでも思っているのか、冷笑を浮かべていた。 
 
反論するのも馬鹿馬鹿しい俺に代わって、博愛の妖精が憤然と抗議してくれた。 
 
 
「ミヤは全然納得してないです! 今すぐ会議をやり直して下さい! 
リョウスケにだって言い分はあるのに、一方的に悪者にするなんてどうかしています!!」 
 
「貴女こそ目を覚まして、ミヤちゃん。貴女は主に仕える者でしょう。 
確かにあの男が起こした不可解な現象で貴女が生まれたのは事実だけれど、恩義を感じる事はないの。 
 
主の害になる人間は極力排除するべきなのよ」 
 
 
「……リョウスケが……マイスターはやての、害になるわけないですーーーーーー!!!!」 
 
 
「おい、やめろ!?」 
 
「ヴィータちゃん、離して下さい! 離して下さいぃぃぃ!!」 
 
 
 何とミヤは……シャマルを、殴ろうとした。あの暴力を何よりも嫌う、妖精が。 
 
ごく短い付き合いでも、同じ本から誕生した存在同士。ミヤの性格を知るシャマルは半ば呆然としている。 
 
ワンワン泣きながら拳を振り回すミヤを、ヴィータが懸命に抑えていた。 
 
あの小さな身体に力なぞ籠もっている筈がない。なのに――取り押さえるヴィータの表情は苦しげに歪んでいる。 
 
 
「やめろ、ミヤ。心優しいお前の気遣いを否定するつもりはないが、皆で話し合って決めた事だ。 
この男も自分から申し出て、主を含めた全員で決めた処罰を受け入れると確約した。 
 
今日一日の罪は、今晩の罰で償う――お前の好意は、むしろこの男を悪循環に陥れる羽目になるぞ」 
 
「そ、そうですよ! どうして貴女はこんな男に――」 
 
「お前もいい加減にしろ、シャマル!  
我々は守護騎士、本来なら主の意思を第一としなければならないのだぞ。 
寛大な主により末席を許された身でありながら、意見するなど思い上がりも甚だしい! 
 
――申し訳ありません、主。此度の不始末は将である私の責任です」 
 
「ううん……わたしも悪かった。皆で、決めた事やもんね」 
 
 
 綺麗な正座で頭を下げるシグナムに、はやては悲しげな微笑を浮かべて首を振る。 
 
そう――誰かの一存で決めた事ではない。それがこの会議で最も重要な事。 
 
家族全員でもう一度話し合い、それぞれの意見を配慮した上で、今日一日の行動に対する俺の罰は決定した。 
 
 
温かい家族の元を離れて、一人夜雨の降る冷たい野に下る事――残酷な罪、仁愛なる罰。 
 
 
罰を素直に受け入れるのならば、守護騎士達もこれ以上追求するつもりはないと暗に言ってくれた。シャマルを除いて。 
 
今日一日の俺の行動は確かに素行に問題こそあるが、彼女達の主である八神はやてに何の危害も及んでいない。 
 
シグナムの言ではないが、これ以上問題をややこしくして、主の心を痛めたくはないのだろう。 
 
ザフィーラは始終無言を貫いている。どちらにも味方をしない、それが彼の――彼女達の在り方。 
 
 
烈火の将、シグナム。鉄槌の騎士、ヴィータ。盾の守護獣、ザフィーラ。 
 
 
彼女達はあくまで公正に俺を見定めようとしている。 
 
恐らくはそれこそが、同じ忠義者であるアリサとの信頼の証なのだろう。 
 
騎士は自分の名誉を重んじ、他者の誇りを絶対に汚さない。 
 
ミヤは俺に、シャマルははやてに偏り気味だが、その思いは決していい加減なものではない。 
 
 
……それぞれ別の思いを抱えて生きている人間。想いを共有する関係を築くなど、不可能でしかないのかもしれない。 
 
 
「良介、仕事の事なんだけど――」 
 
「――さっき説明した通りだ。調査は打ち切る」 
 
 
 信頼で結ばれた関係、それは裏を返せば信頼を無くせば脆く崩れてしまう関係でしかないという事だ。 
 
家族とは別に成立する絆も、結局は目に見えないという点では同じ。 
 
逡巡せず操作の中止を告げると、アリサは小さく息を吐いた。諦めに近い、吐息を。 
 
その瞳に浮かぶ感情に信頼はあるのか――問うのも馬鹿馬鹿しい。今俺が口にした事実が全てだ。 
 
 
「そう……分かった。はい、これ」 
 
「ああ」 
 
 
 高町道場の竹刀が納められた袋に、八神家に眠っていた本―― 
 
護身用の武器と古代の知識、二つを手にして立ち上がる。靴も履いて身支度は整った。 
 
本当なら竹刀一つで十分なのだが、二十四時間の監視は継続している。特に問題を起こした以上は、より一層警戒的に。 
 
八神はやての所有物古代の魔導書には、死神の意思が宿っている。彼女が今晩の監視役となった。 
  
死神は何も語らない。冷徹な意思は本に収め、愚者の魂を刈り取るその時を見定めている―― 
 
 
「良介、待って! ちょっとだけ、待ってくれへんか!?」 
 
「えっ、おい――!」 
 
「ミ、ミヤも用があるのでちょっと待ってて下さい!? 黙って出て行ったら、許しませんよー!」 
 
 
 廊下を車椅子の車輪で滑らせるはやてと、高速飛行で後を追うミヤ。 
 
お互いの目的が一致したのか、二人の行動は恐ろしいほど正確で迷いがない。 
 
何がしたいのか分からない騎士達や俺は困惑、察しのいいアリサは苦笑している。むむ? 
 
時間にして三分余り、主従関係を結んでいる二人が勢いよく戻ってきた。 
 
 
「良介、これ夜食のおにぎり。大急ぎで作ったんやけど、ちゃんとした形でほかほかや。 
お弁当箱に入れておいたから、お腹空いたら食べて」 
 
「温かいお茶も入れておきましたです。うふふ〜、喜んで下さい。 
リョウスケの好きな日本茶なのですよー!」 
 
 
 たかが数分で、見事に御弁当箱と水筒を入れた袋を用意した二人。思い付きにしては見事だった。 
 
外は雨で夜食を静かに味わえる場所は限られているが、そこを指摘するのは野暮でしかない。 
 
アリサは玄関の傘立てから傘を取り出して、俺に差し出す。 
 
 
「素直に受け取っておかないと、二人とも頑固だから追いかけてくるかもよ?」 
 
「……何て嫌な心遣いだ、畜生」 
 
 
 俺に拒絶する権利なんぞなかった。渋々袋を受け取って、ついでに本も中に入れる。 
 
弁当や水筒と一緒で彼女は不満かもしれないが、主の用意した品だ。我慢してもらおう。 
 
シャマルは面白くなさそうな顔をしているが、先程のシグナムの静止もあって口をつぐんでいる。 
 
代わりに、ハンマーを担いだ少女が刑を突きつけた。 
 
 
「明日の朝まで絶対に帰ってくるなよ。一度でも帰って来たら容赦しねえ。 
――もっとも、家に入れないだろうけど」 
 
「はいはい、いってきます」 
 
 
 ヴィータの一方的な追求に怒りを感じなかったのは、言動に悪意を感じなかったからだろうか? 
 
俺の事を認めてくれているというよりも、今回の件を誰よりも煩わしく感じているのがこの少女かもしれない。 
 
ゲートボール戦を振り返れば、ヴィータの荒々しくも真っ直ぐな気性が伺えた。 
 
投げやりに挨拶をして、家を出る。 
 
――八神家からの挨拶は一切なかった。これは罰なのだから。 
 
ひと気の無い夜のとばりの中を、俺は一人歩き出した。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 人気を一切無くした、雨の降る夜の町。行き交う人は無く、民家の庭にある樹の梢から雫を落としている。 
 
濡れた地面には街灯の明かりが反射し、雨のしずくがしっとりと世界を濡らしていた。 
 
雨越しに見上げる空は墨に染まっており、月は雨雲に閉ざされている。 
 
夜更けに竹刀袋を背負って歩いても、誰の目にも止まらない。 
 
見慣れている光景でも夜雨に濡れると、町並みも濃い色彩に沈んでしまう。 
 
歩く人の影すらも飲み込んで、黒いベールに包まれて消える。 
 
雨に濡れた小路。路面が街灯を反射して、水溜りを白く鈍らせていた。 
 
雨音をBGMにして、誰とも想いを寄せ合う事無く時を過ごす。 
 
今宵の連れは想い綴られた頁を閉じて、何事も発する事無く同行している。 
 
本の中に眠る貴重な知恵も、孤独を慰める術は無い。 
 
俺達は二人なのに独りだった。孤独でありながら、お互いを求めようとはしなかった。 
  
春の息吹を感じさせない、淋しい坂道を超える。 
 
 
吹き付ける雨風に肩をすぼめ、風雨に押されたまま歩き続ける。 
 
背筋を伸ばしていたのは、気まぐれな天候への抵抗でしかない。 
 
桜の花びらが風に舞う季節は過ぎて、無情なる雨だけが天から降り注いでいる。 
 
長雨により水量の増した川を小さな橋で渡り、海と陸の連なった景色の良い場所を通り過ぎる。 
 
自然からも、町からも、人からも――家族からも離れて。 
 
 
変わる事の無い心無き人間が、変化の無い閉鎖空間へと帰って来た。 
 
 
「ただいま」 
 
 
 濡れた肩と傘を乱暴に払い、俺は水滴に濡れた唇を震わせる。 
 
夜の雨に濡れた粗悪な鉄筋ビル――ゴミ溜めに埋もれる、廃棄された世界。 
 
海鳴町の中央から少し離れた廃墟、俺の夢の終わりと始まりの場所。奇跡が舞い降りた、聖地。 
 
賑やかな高町家を出ても、温かな八神家を出ても、結局は同じだった。 
 
 
雨風を凌げる場所を想像して、選んだのは此処。 
独りになれる場所を選んで、探したのは此処。 
自分の身を預ける場所として、求めたのは此処。 
 
そして―― 
 
 
 
「出て来いよ。居るのは分かっている、隙なんて見せないぞ」 
 
 
 
 ――邪魔の入らない場所として、連れて来たのが此処だった。 
 
町の人々から当の昔に見放された場所に、照明機器の一切は存在しない。 
 
天からの平等なる祝福も存在せず、闇に染まった背景に目を向ける。 
 
 
声に誘われて暗がりから現れたのは――真っ白な布で覆われた、存在。 
 
 
痛々しくさえ感じられる雨に叩きつけられても、微動だにしない。 
 
一寸先も見えない真っ暗な場所で、その存在は一際異彩を放っていた。 
 
雨が降っているのに傘を折り畳んで、俺は持っていた袋を握り締める。 
 
――八神はやての弁当、ミヤの水筒、彼女の眠る魔導書。 
 
 
「此処ならば邪魔は入らない。 
殺し合うのも、話し合うのも――誰一人介入する事はない。 
 
この場に居るのは俺とお前だけだ」 
 
 
 両者の間に在るのは他者ではなく、天からの恵みだけ。 
 
雨のしずくが、向かい合う二人の頭上から落ちてくる。 
 
まるで雨が此処だけピンポイントで降ってきているかのような錯覚――両者の視線が交じり合って、奇妙な静けさを生み出していた。 
 
 
「聞きたい事は色々あるが……大人しく話してくれそうに無いな。 
つまらん前置きは抜きにしよう。 
 
 
俺を殺そうとした理由を話してもらおうか、『ファリン・K・エーアリヒカイト』」 
 
 
 落雷が落ちたように、テーブルクロスの怪人はギョっとする。――やはりか。 
 
驚きは一瞬、怪人は地を蹴って駆け出した。 
 
予想通りの行動。俺は少しも怯まずに、地面の水溜りを蹴り飛ばした。 
 
ぬかるんだ泥ごと跳ね上げられた水は雨と混じり、怪人の頭上から降り注ぐ。 
 
 
「〜〜〜っっ!?」 
 
 
 ただの水溜りだと油断したのだろう、浴びせられて体勢を崩した。 
 
泥の混じった水は雨の水滴とは重さが異なる。そして、その差は本人が思うよりも大きい。 
 
人間とは意外と思い込みで動く生物、水滴は軽いという認識こそが隙となる。 
 
竹刀袋を手早く掴んで得物を抜き放き、真横に振るう。 
 
 
真っ白なテーブルクロスに――泥で滲んだ傷が刻まれる。 
 
 
「本気で来い。お前にどんな理由があろうと、俺は生きて帰る。抗ってみせる。 
今の俺には――帰りを待ってくれる人間がいるんだ。 
 
俺は、八神はやてを裏切らない。絶対に」 
 
  
 聞き込み調査は必要ない。捜索を行う意味はない。 
 
――本命本星は今、俺の目の前にいるのだから。 
 
確信はなかった。けれど、投げ出すつもりも無かった。 
 
今もあの曇った空の向こうで生きている、異世界の他人達―― 
 
彼女達に誓った、共に人生をやり直そうと。彼らと約束した、胸を張ってまた会おうと。 
 
  
残酷な運命を逃げないで、凛と生きる為に―― 
 
 
 
雨降り続ける夜、黒の剣士と白の少女が激しく戦う。 
 
立会人は居ない。邪魔する者も居ない。 
 
お互いに相手だけを認識して、意思と闘志をぶつけ合った―― 
 
 
 
 
 
――全ての目撃者である古の書は何も語らず、ただ沈黙を守り続ける。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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