とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第四十三話







 心臓は生きて働き続ける為に、酸素を必要とする。

人間の生命活動を支える酸素を、 動脈の血液が心臓の表面に沿って、心臓に送り込む。

心臓発作とは心臓への血液供給が減少した時、血液を供給する血脈の1本が閉塞した時に発生するらしい。

ようするに、心臓の著しい酸素不足が原因で活動が圧迫されるのだ。

レンはこの症状を薬で抑えていたと、フィリスから聞いている。

俺は血の気が失せたレンを目の当たりにして、驚愕に震えて叫んだ。


「薬はどうした! 持って来ていないのか!?」

「・・・・・・ごめんなさい」

「そんな言葉が聞きたいんじゃ――!!」


"落ち着いて下さいです! フェイトさんを責めても仕方ないです"


激昂しかけた俺を、俺の心の良心が厳しく諭す。

確かに今は、無駄な時間を費やしている場合じゃない。

フェイトの誘拐劇の背景はプレシアなのだ。

互いに罪を償って、新しい道を歩んでいこうと決めたばかりだ。

フェイトの罪は、俺の罪でもある。

俺は息が詰まりそうな肺の圧迫を、深呼吸で落ち着かせた。


「・・・・・・すまん、ちょっと気が立ってた。
謝る必要はないから、事実だけ教えてくれ。薬の類は手元に無いんだな?」

「は、はい。病院の外を歩いていた所を魔法で眠らせて、此処へ――」

「回復魔法で発作を抑える事は?」

「緩和は出来るけど・・・・・・病状を抑えるのは無理だよ」

「――くっ」


 フェイトとアルフの後悔と悲しみに満ちた顔を見ると、責める事さえ出来ない。

気持ちだけが急いて、余裕を失っていく。

心臓発作に関してはフィリスから聞いた話と、テレビで得た半端な知識しかない。 


常識的な見解でしかないのだが――心臓発作の発生は極めて危険だ。


心臓は、人間にとって脳と同格の重要な臓器。

生命を構築するデリケートな部品であり、故障が発生すれば容易く壊れる。

至急的確な処置を施さねば、レンの心臓は停止する。

此処が病院ならまだいい、ナースコール一発で済む。

極端な話その場で大声で助けを求めるなりすれば、医者と看護士が飛んで来る。


――此処は現実から離れた孤城。


フェイトの転送魔法で連れて来られた、不案内な目的地。

地球上に存在するかも不確かな幻想の城なのだ。

山と自然に囲まれた海鳴町の素朴な景色は、地平線の彼方にまで遠ざかっている。

寂れた地下牢で出来る事は、ただ身を案じて声を投げかけるだけ。


「畜生・・・・・・何だよ、それ・・・・・・何なんだよ、それは!」


 俺はまた、何も出来ないまま失ってしまうのか。

てめえの命すら満足に守れず、アリサが消えるのを嘆くしか出来なかったあの頃と同じじゃないか!

何の為にプレシアの要求まで渋々飲んだのか、これではまるで分からない。

誓った筈だ、もう何も失わないと。


フェイトの心も、レンの命も――何一つ諦めないと、固く誓った。


大切な人の死をただ嘆くなんぞ、もう沢山だ!

ああすれば良かった、こうすれば良かったと、後で自分の無力に泣き叫ぶ真似は申したくない。

馬鹿馬鹿しいにも程がある。

これ以上無様な真似を晒すな!

理不尽に煮え繰り返った心を叱咤するが、一度でも生じた焦燥は消えない。

冷静になろうと努力しても、目の前で苦しむ少女を見るとジッとしていられない。


――寡黙な男の横顔が浮かぶ・・・・・・


物静かな眼差しで、自分の家族を見守る男。

明鏡止水を地で行くあの男ならば、見苦しく慌てたりはしないだろう。

思えば、恭也こそ孤独に相応しい世界観を有していた気がする。

どれほど親しい関係でも一歩引いて、客観的に見つめられる視点を持っていた。

無いものねだりしても仕方ないが、今だけは彼のような強さを持ちたかった。

噛み合わない思考に苛立ちばかりが増して――途端に、身体が弛緩する。


汗ばんだ手に、柔らかな手の感触。
震えた拳に、冷たくも確かな感触。


紺のリボンで結ばれた手と、汗と血に濡れた竹刀。

心配げな少女の温もりと、死闘を共に駆け抜けた武器の存在感――

最後まで手離せなかったモノが今、自分を支えてくれていた。


不思議なほど、心が落ち着いていく・・・・・・


小さく――長く、息を吐いた。

自分でも呆れるほど馬鹿な事ばかり繰り返して来たが、最後に選んだモノは決して間違えてはいなかったと悟る。

これ以上手離さない為にも、今度こそ最良の選択を取る。


(レンを助けるには――病院へ連れて行くしかない。
でも、どうやって此処を脱出する?
不案内な城内は巨大な迷路と同じ、城の外へ出ても現住所が不明。
第一あの女が俺達を見逃す筈が・・・・・・


・・・・・・待てよ?)


 何とか冷静さを取り戻した頭で、ぼんやりと光明が見えてくる。

発作を起こしたレンを見て、冷静さを失って騒ぎ立てた自分。

我が身だからこそ分かるが、頭の中が真っ白になり周りなんぞまるで見えなかった。

状況判断など到底不可能で、喪う事への不安で心が一杯だった。

一度大切な人を喪っているからこそ、その恐怖は格別だ。


――ポットを破損したプレシアも今、奇しくも同じ心境ではないのだろうか?


死体に関する知識は無いが、保存は恐らくデリケートだろう。

溶液に不純物が混じれば、死体に悪影響を及ぼす可能性がある。

愛しい娘の遺体に万が一の事があれば、あの女は生き甲斐を失う。

今頃、必死でポットの修復や保存液の洗浄を行っている最中だろう。

此処へ運ばれてどの程度時間が経過しているか判明出来ていないが、作業が完了しているなら呼び戻す筈である。

娘の復活は早い方がいいに決まってる。

第一今は地下牢が全開である、これ以上の好機は無いと言っていい。

フェイトやアルフも今は敵側ではない、味方として傍に居る。


最悪の状況だが――最高のチャンスだ。


俺は決断した。


「フェイトは確か転送魔法が使えるよな。 
此処から海鳴の病院へ全員を連れて行けるか?」


 俺の考えを読み取ったのか、美しき少女は逡巡無く頷く。


「出来ます。
ですが――この『時の庭園』は今結界で封鎖されていて、通信や転送が妨害されています」


 チビも確か書とアクセス出来ないとか何とか言ってた気がする。

プレシアにとって、俺はアリシア復活の鍵だ。

容易く逃がす程甘くは無い。

最低限のセキュリティは敷いていると見て間違いは無いだろう。


「建物の外へ出ればどうだ?」

「可能です。母さんの結界は――


――私が破ります」


 少女が一瞬見せた悲しみの色。

絶望的に拒絶されても、フェイトの中でプレシアはまだ母親だった。

俺の脱出に手を貸せば、プレシアはフェイトを更に憎むだろう。

あの女に裏切り者扱いされる筋合いは無いが、フェイトを糾弾するのは間違いない。

母の愛を失う事に心を痛めながらも、自分の犯した過ちを償おうとしている――

俺はフェイトの小さな手を握った。


「――俺もこの一連の事件からもう、逃げるつもりは無い。
レンを救助した後で、あの女とも決着はつける」


 レンを病院へ搬送すれば、プレシアは脅迫材料を失う。

俺が要求を呑んだのは、レンを人質に取られたからだ。

本来警察に通報して護衛を頼むのが筋だが、今回の事件は既に日本の法律を越えている。

異世界にも警察機構があるとか以前聞いた気がするので、あの説明好きな先生に聞いてみよう。

本当は警察なんぞ頼みたくないのだが、あの気の狂った女の事だ。

絶対、確実、間違いなく、レンを含めた俺の関係者に手を出す。

そして腹が立つが、この町で俺の知り合いは一人や二人ではない。


高町家やはやて、フィリス達外人軍団に、さざなみ寮や月村達――


くそったれだが・・・・・・誰を人質に取られても、俺は屈服する。

俺一人でカバーするのは限界がある。

リスティに保護を求めるのが一番だが、相手は魔法を使う異世界人。

不承不承、異世界の警察関係者に連中の護衛を願い出るしかない。

とはいえ、俺もただ受身で敵から身を守る臆病者ではない。

喧嘩は常に先手必勝。


怪我を回復させて――決着をつけてやる。


この悲劇の連鎖に。

てめえの馬鹿さ加減で引き起こした事件に、引導を渡す。


「一緒に向き合っていこう、今度こそ逃げずに」


 愛する娘の代わりとして製造された、少女。

その紅玉の瞳は人工的に作られた偽物であったとしても――綺麗だった。

俺と見つめ合って、フェイトは小さく微笑む。


「拒否しても連れて行くんでしょう、貴方は。逃げられません」


 アリシアのリボンで結ばれた手を上げる。

俺は当然とばかりに笑って、しっかりと頷いてやった。

振り向かせるには時間がかかるが――可能性はありそうだった。


結ばれた俺達の手に、大きな手の平が乗せられる。


「ちょっと、二人で盛り上がらないでおくれよ……
アタシも当然付き合うよ。
いい加減ムシャクシャしてたんだ、一発くらいぶん殴ってやりたいからね」

「・・・・・・あんたに殴られたら、あの女死ぬんじゃないか?」


 臨死体験を味わった俺が苦笑混じりに言う。

飼い主の責任として、フェイトも慌てて駄目押しした。


「だ、駄目だよ、アルフ! 母さんとはもう一度話をしたいの。
あの人にとって私は娘じゃなかったかもしれないけど、それでも・・・・・・」

「フェイト・・・・・・もう、あんたって娘は!
仕方ないね、あの女の言い分を聞いてから改めて殴るかどうか決めるよ」


 絶対殴るだろ、お前。

その欲求不満な顔はなんだ。

プレシアにどんな心境の変化が訪れても、理由をつけて頬に一発はかましそうだ。

俺を罠に嵌めた女だが、合掌だけはしてやろう。


「話は決まってたところで、とっとと逃げよう。
ボヤボヤしてたら、プレシアに気付かれる」

「この娘はアタシが背負うよ。フェイト、案内をお願いね」

「うん、行こう」

「――あ、ちょっと待て!」


 早速行動に移り出した二人に、待ったをかける。

出だしを躓かれて、アルフは不満顔で俺を睨む。


「何だい? 急げって言ったのは、あんただろ!」

「いや、まあ、そうなんだけど・・・・・・」


 言おうか言うまいか迷ってたが、放置するとそのまま外へ出そうなので言ってやる。


本当、人間って慌ててると周りが見えなくなるよね。


俺はきょとんとするフェイトを、静かに指差す。


「・・・・・・とりあえず着替えろよ。見えてるぞ」

「え・・・・・・」


 フェイトは自分の身体を見下ろす。

ズタズタになった黒の衣装。


――切り裂かれた胸元から零れる、小さな双丘。


初々しく果実を実らせて、破れた服から覗かせていた。

フェイトは見る見る顔を真っ赤にして、叫んだ。


「バ、バルディッシュっ!!」

『Yes sir』

「コ、コラ! 俺のせいじゃないだろ、それは――ああああああああああっ!?」


 流石はなのはのライバル、俺如き凡人とは違う圧倒的な魔力。

バルディッシュと呼ばれた杖から放たれた雷撃を食らって、俺は仰け反って倒れた。


親切で言ったのに、この理不尽。


――人間関係の進展は難しいと、心から実感出来ました。















 ミヤと二人彷徨っていた時間が無駄に感じる、迅速な行動。

手を繋いで走るフェイトに従って、俺達は脱出を開始した。

地下牢に魔法陣を張って、レンの発作を一時的に緩和。

苦しげな呼吸はやや収まったが、顔色や発汗が酷く予断を許さない。


――俺も俺で今、満身創痍ですけどね。


「殴るってのは酷くないか、お前・・・・・・歯が折れるかと思ったぞ」

「フェイトの裸を見たんだ! 当然だろ!」


 火傷に加えて雷撃、強戦士の右ストレート。

ズタボロな状態で走る俺に同情の余地は与えられなかった。

ちなみに、フェイトの服は完全に修復されている。

俺は横目で一瞥すると、フェイトは頬を朱に染めて胸を自由な手で覆う。


「み、見ないで下さい・・・・・・」


 始終恥ずかしそうにするウブな少女。


「あんたね、状況が分かってるのかい!」

"恥を知ってくださいです!"


 過保護な使い魔と、教育ママな妖精さん。

見事に勘違いをする女連中に、我慢出来ずに叫んだ。


「違うわ、馬鹿共!? 俺が見てたのはバリアジャケットだよ、ジャ・ケッ・ト!
随分簡単に生成が出来るんだなって思ってよ」

「・・・・・・? バリアジャケットなんて修繕は簡単でしょう。
そういえばあんた、アタシとの戦いの時も全然身に着けてなかったね。

素人とは思ってたけど、まさかアンタ――」

「――生成、出来ないんですか?」


 何だその――そんな事も出来ないの? 貴方人類?――みたいな顔は!?


俺の被害妄想と信じたいが、アルフの顔だけは完全に馬鹿にしている。

地下から地上階へ上がって、広大な通路を真っ直ぐに。

宮殿内を休む事無く走り抜けながら、俺は鼻を鳴らす。


「・・・・・・出来ねえよ、悪かったな。
根本的な魔力の不足と、ジャケットの具体的なイメージが出来ないんだ」


 そうだ、折角の機会だから聞いてみるか。

二人とも相応の実力を持つ魔導師だ、自分の弱点の克服に先達を頼るのも悪くない。

なのはやユーノに聞くのは、俺の沽券に関わるからな。


「参考までに聞きたいんだが、フェイトやアルフの衣装はモチーフとかあったのか?」

「アタシは別に・・・・・・動きやすい格好を選んで、自然にこうなったのさ」

「私も機能性を重視して――」

「それでわざわざそんなジャケットを? フェイトのエッチ」

「エ、エッチって何ですか!?」


 ――フェイトって、しっかりしているように見えてなのはより子供?

純真な反応に、俺は夢の中の少女を思い出す。


優しい幻想の中で、俺に恋心を抱いた少女の微笑み――


あの笑顔をフェイトにも取り戻せば、アリサとの約束は達成出来たも同然だ。

初対面での劇的な出会いで、俺はフェイトにどこか幻想を抱いていた気がする。

なのはと同じように接するのは難しいが、アリシアと同じく接する事はきっと出来る。

プレシアがどう言おうと、アリシアとフェイトは姉妹なのだから――


「まだ子供だからいいけど、素肌に密着した格好は大人になると恥ずかしいぞ。
ラインが浮き出るし」

「か、関係ありません! それに、リニスとも相談して決めたジャケットですから」

「リニス? あいつに・・・・・・?」


 剣士の腕を無礼にも引っ掻いたアリシアの愛猫――


あんなのと相談して決めたって・・・・・・本当に友達が居ないんだな、フェイトって。

少女の不遇に涙する俺を置いて、フェイトは驚いた顔を向ける。


「リニスを知ってるんですか!?」


 痛いほど強く俺の手を握り締めて、フェイトは顔を寄せる。

繋がれたままで危うくふらつくが、何とか抱きかかえてフェイトを落ち着かせる。

フェイトがこれほどの感情を見せるとは珍しい。

俺は柔らかい少女の身体を優しく撫でて、感情の昂りを静める。


「教えて下さい、リニスは、リニスは・・・・・・」

「分かった、分かったから落ち着けって」


 たかがペットで動揺するとは、本当に可愛がっていたようだ。

しかし、どうやって説明すればいいんだ?

夢の中で会いましたって言って、信じてくれるかどうか怪しい。

それほどの信頼関係はまだ、結べていない。

リニスの事を話せば、当然アリシアの事も話さなければいけない。


今のフェイトにそれは――酷だろう。


俺はアルフを一瞥すると、アルフは瞬きをした後に了解したように頷く。


「フェイト、今は急いだ方がいいよ。
この娘を早く病院へ連れて行かないと」
「・・・・・・。うん、分かってる・・・・・・あの」

「病院へ行って落ち着いたら、ゆっくり話すよ。それでいいだろ?」


 少し未練に――けれど、しっかりとした肯定。

抑えられた心臓発作が再発する前に、俺達は無駄話を止めて走る。

アルフの話では空を飛ぶ魔法もあるらしいが、レンの身体を思い遣ってやめておく事にした。

飛空する感覚は羽のない俺には分からないが、身体に負担をかけるのは確実だ。

急がねばならないのに、急げば負担を強いる。

矛盾に苦しみながらも、俺達は急ぎに急いだ。


俺は、レンを巻き込んだ責任を果たす為に。
フェイトは、レンを誘拐した罪を償う為に。
アルフは、フェイトの罪を贖罪する為に。





――だが。

現実はどこまでも、残酷だった。





辛い事から逃げ出した俺の罪は、執拗に追いかけて来るようだ。


エントランスホール。


城外への扉へと繋がる広いフロア。

見覚えのある空間だった。



――破壊された螺旋階段。



豪華な意匠が刻まれた白い壁は黒く抉れた痕がある。

華やかなインテリアには破砕の欠片が付着し、砂埃が蔓延している。

忌々しさに舌打ちする。



俺達の未来を阻む――巨大な死神。



螺旋階段を完全に破砕した巨人兵が、本来の標的を待ち構えていた。

堅牢な鎧と、重厚な刃――

強固な階段を破壊して傷一つついていない重装備に、唾を飲む。


"おいおいおい、あれから何日経ったと思ってるんだ!?
しぶといにも程があるだろ! プレシアの差し金か?"

"魔法兵器は主の命令に忠実に従う兵士――
命令が撤回されない限り、魔力が切れるまで稼動し続けますです!"


 俺と同じ被害に遭った少女が、恐怖に震えながら説明する。

ゼンマイ仕掛けの人形と変わらない仕様だが、殺戮兵器なだけに性質が悪い。

俺を追って階段を上ろうとでもしたのか、何度も踏みつけた跡があった。

頭の悪さだけが救いだが、問題は俺達の逃走先は思いっきりあいつの向こう側だったりする。


「――手を、離して下さい」

「フェイト・・・・・・」


 厳しい眼差しを前へ向けて、フェイトは一歩足を踏み出す。

自由な手にバルディッシュを携えて、戦闘体勢に入った。

躊躇する素振りは微塵もない。

その横顔は凛々しささえ感じられて、戦乙女に相応しい美と貫禄があった。


――初めて出会ったから惹かれていた、魔導師としてのフェイト。


冷たい孤独と強き意思を胸に、彼女は戦う決意をその眼差しに浮かべていた。

戒めさえ解けば、彼女は自由にその力を振るうだろう。


「あんたはこの娘を連れて下がってな」


 固く拳を握り締めて、アルフも前に出る。

強固な階段を簡単に破壊するガーディアンを相手に、不敵な笑みすら浮かべている。


社会や常識に縛られない、自由奔放な獣の強さ――


たとえ相手が人外の魔物であれ、彼女の気高き魂は決して恐怖に穢れない。

大切な主を守り続ける決意をした女性は、一本気に己の使命に遵守せんとしていた。


フェイト・テスタロッサ、そしてアルフ。


立場さえ違えど、高町の兄妹に通じる誇りが感じられた。

この二人なら倒せるだろう、あの怪物を。

俺が手も足も出なかった巨人兵でも負けはしない、確実に。

剣の腕は未熟、潜在する魔力が100程度の俺は足を引っ張るだけだった。

言う通りにして下がれば、楽でいい。

俺が無理に闘う必要はどこにもなかった。



・・・・・・でも。

本当に――それでいいのか?



リボンを解こうとした手が、止まる。



また逃げるのか?

勝てない相手が――自分には成し遂げられない障害が立ち塞がれば、さっさと引き返すのか?

何処へ逃げる。

また『孤独』か?

一人になるんだ――永遠にそう言い続けて都合の悪い事から目を逸らして逃げるのか。

俺は・・・・・・



「フェイト、アルフ。お前らはレンを連れて先に行け。
俺が此処で足止めする」



 ・・・・・・気がつけば、そんなトチ狂った事を言っていた。

案の定、フェイトとアルフが反対する。


「無理です! 
傀儡兵相手に、貴方の怪我では太刀打ち出来ません!」

「魔法も満足に使えないんだろう? 無理はやめな!
あんなの、いちいち足止めする必要もないよ。
アタシとフェイトなら一撃で壊せる」

「――そして、プレシアにばれる」


 俺の指摘に息を呑む二人。

俺は自分の竹刀を固く握り締めて、訥々と語った。


「二人の実力は知ってる。でも、此処はプレシアの庭だ。
もうばれているかも知れないが、今魔法を使えば確実に相手側に伝わる。
妨害されたら俺達はともかく、レンは間に合わない。

あのデカブツ、一体だけじゃないんだろう?」

「そ、そりゃそうだけど・・・・・・なら、アタシが残って足止めすれば――」

「プレシアの目的は俺だ。俺さえいれば、たとえばれても無茶は出来ない。
最悪でも、殺される事はねえ。

今肝心なのは、レンを確実に病院へ届ける事だ。

俺がこの城に残れば、プレシアだって無理に追撃はかけない。
仮に追っ手を差し向けても、二人なら対処出来るだろう。
俺は長距離転送が出来ない、追撃されたら反撃もままならない。


全員連れ戻されてレンが死ぬか、俺一人残って三人が安全に逃げるか――


検討する必要もねえだろ」


 三人共に逃げるという選択肢もあるが、この怪我では俺が足を引っ張る。

全身の火傷、疲労困憊、鼻の負傷と全身の裂傷――

入院中の怪我もまだ完治しておらず、フェイトを庇った両腕は悲鳴を上げている。

通常なら倒れていておかしくないが、例の奇妙な感覚が俺に力を与えてくれていた。


月村からの輸血――


融合時やアルフとの激戦で支えてくれた、血の絆。

不思議だが、まるで月村が傍に居るかのような感覚を覚えている。

それでも躊躇う二人に、俺はおどけた口調で話す。


「おいおい、んな悲愴な顔するなよ。
別に、俺をそのまま置き去りにしろってんじゃない。
レンをさっさと病院へ届けて、俺を助けに来てくれ。

二人が居なかったら、俺は海鳴町へ帰れないんだからさ」


 ――正直に言うと、まだ二人を完全に信じていない。

一度裏切りにあったばかりだ、二度三度も当然ある。

フェイトが母への想いから、俺と離れた後でレンを引き渡す可能性はある。

これが物語で、俺が主人公なら――ここは仲間を信じる場面だろう。

たとえ何度も裏切られても、俺は信じる。

ヒロインにそう言えれば、どれほどカッコイイか――


裏切られる恐怖にまだ震えている、ちっぽけな俺。


またレンを攫われれば、今度こそ俺は人間不信に陥る。

怖い。

怖くて、仕方ない。


俺は縺れる口先を懸命に噛み殺して――血を吐くように、宣言した。



「俺は、お前達を信じる。
信じて待っているから――助けに来てくれ」



 裏切られるのは、辛い。

帰ってくるか分からない人間を待つのは、本当に心細い。



そんな寂しさに満ちた恐怖と――なのはは懸命に戦っていた。



逃げずに玄関でずっと、あいつは俺を待っていた。

帰って来るか分からないのに。

自分の事なんて忘れて、遠くに離れて戻らないかもしれないのに。

あいつはいつまでも、俺を信じて待っていた。


はやても赤の他人の俺を、家族として受け入れた。

いつ裏切られるか分からないのに――

結局俺は裏切ってしまったのに、あいつは自分を責めた。

誰かの責任には、絶対しなかった。


アリサは俺に命を託して、一度この世を去った。

死への恐怖は想像を絶する。

クズ共に身体を汚されて、命すら失ったあいつが――男の俺をもう一度信じて、無垢な魂を捧げた。

廃墟でも不安に身を焦がしながら、あいつはずっと待っていてくれた。


今度は、俺の番。


一方的に与えられる信頼など、ない。

フェイトから信頼を得たいのならば、まずは俺が信頼を向けなければいけない。

俺はリボンを解いて、二人の背中を――背負われているレンの背を押した。


「俺がまた迷わない内に、振り返らずに行ってくれ。
レンは・・・・・・」


 もう、どうでもいい。

今更取り繕う必要なんぞ、どこにもない。

レンも俺も生きるか死ぬかの瀬戸際だ。


「レンは、俺の友達なんだ。
お前達の手で助けて欲しい」


 悔いを残さぬように、俺は言った。

未来への保証なんてないのだと、身に染みて理解出来ているから。

アルフは振り返らないまま、レンをしっかりと担いだ。


「・・・・・・死ぬんじゃないよ、いいね?」

「ああ」


 アルフらしい別れ際に、苦笑する。

彼女の主は俯いたままだったが――やがて、顔を上げる。

バルディッシュを力強く携えて、決然とした声を向けてくれた。


「私も――

こんな私を好きだと言ってくれた貴方を、信じます。

貴方の気持ちを決して裏切らず――託された命を、守ります」


 俺とフェイトの間に結ばれた誓いの言葉。

言葉ではなく、想いとなって俺の心に静かに浸透していく。

こんな俺でも……誰かの心に、想いを残す事が出来た。

拙い一歩であれど、自分から踏み出した事で確かな足跡を残せたのだ。


――フェイトとアルフが飛び去っていく。


俊敏な速度と、何より決して振り返る事の無い信頼がその背中から感じ取れた。

俺に全てを任せて、彼女達は一人の少女を救う為だけに走る。

鈍重な人形如きに対処出来る筈が無い。

一瞬で通り越して、二人は扉の向こうへ消えていく――

巨人兵は一瞬蹈鞴を踏んだようだが、第一命令を遵守すべく優先順位を速やかに変えた。


ゆっくりとした足取りで、俺の方へと荒々しく踏み出して来る。


俺は紺のリボンで、竹刀を手に固定した。


"大丈夫ですか……?"

"問題ねえよ"


 ミヤの心配はよく分かる。

フェイトやアルフには隠していたが――


――手が痛みで握れなくなっている。


女の子の手を握るのがやっと。

無謀な特攻でプレシアに挑んだ代償が、両腕に重大な支障を及ぼしていた。

いや……完全な状態であれ、巨人兵には手も足も出ないだろう。

レベルが違い過ぎる。

素人に毛が生えた程度の剣士――才能が皆無な魔法使いに太刀打ち出来る術はない。

分かっていて、戦う決意を固めた。


「・・・・・・く、くく・・・・・なるほどね・・・・・・」


 今更気付く自分の愚かさに、最早笑いすらこみ上げてくる。

俺は孤独を求めていたのではない。



俺は――過去・・に戻りたかっただけだ。



独りだったあの頃に。

誰も顧みず、誰からも顧みられなかった自分に。

自分も他人も誰一人傷つかず、平穏無事な毎日を過ごせるから。

独りならば確かに楽だろう。

何も背負っていないのだ、気ままに過ごせる。

のんびりと自由に、生活の不自由さえ我慢すれば何処にだって行ける。


――そんな人生を歩む人間は強いのか?


傷つかずに済む?

心身に傷一つ負う事のない剣士に、どんな強さが身につくというんだ。

何処にでも行ける?

無軌道に流離って何処へ向かうつもりだったんだ、俺は。


――その結果、このザマ。


テメエの感情のみ優先して、高町の家を飛び出して数々の不幸を生み出した。


玄関でずっと待ち続けた高町なのは。
孤独の闇に包まれて悲しみに溺れた八神はやて。
辛い死を味わって、更に自分の命まで捧げたアリサ。
冷徹な母に裏切られ、尚且つ裏切りまで犯してしまったフェイト。


ただ孤独に戻りたくて、後ろだけを見て走り続けて、終に転落した。

カビ臭い過去の自由を求めた挙句、明るい未来を未来永劫失った。

当たり前だ。


過去を求める人間に、未来など得られる筈がない――!


こんな人間に――誰が才能など与えるものか。

恩恵を得たいのなら、得るに相応しい人間になってみせろ。

強くなりたいのなら、なりたいなりに努力をしろ。

何も失わない未来を得たいのなら、過去ばかりに見るのはもうやめろ。


無機質な殺意が満ちる空間に、俺は一歩足を踏み出す―ー





高町恭也。
敵を倒す強さと、味方を守る優しさを持つ剣士。

高町なのは。
気高くも眩しい魔力と、健やかに育まれた心を持つ魔導師。


確固たる信念と、凛々しくも真っ直ぐな道を歩む二人。

彼らは決して道を踏み外さず、自分の信じる正しさを貫いて生きている。





――俺にはまだ、何もない。



敵を倒す強さも。
大切な人達を守る優しさも。
好きになった人を包む心も。

自分が信じる道も、見えていない。

何が正しくて、何が間違えているかは今でも分からない。

一人を望む気持ちもまだ、持っている。

この戦いで、全てが手に入れられるとは思っていない。

たかが一度の死闘で得られるほど、人生は軽くない。

前先道場で見知ったあの言葉が今、実感として沸いてくる。



"剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である"



 爺さん――恭也、なのは。



「俺も見つけてみせる。俺の、剣の道を!!」



 修羅の炎を燃やして襲い掛かる暴君に、俺は果敢に突撃した。



























































<第四十四話へ続く>







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