とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第四十二話







 ――ヒリつく喉の渇きに、意識が呼び覚まされる。

柔らかな草花の幻想が、痛々しき現実の血臭に染まる。

優しい少女の笑顔が暗闇に染まって、引き裂かれた心の痛みに瞼を無理やりこじ開けられた。

口内が乾き切っており、唇に付着する血反吐の痕が濃密に絡みつく。

苦々しさに咳き込んだ途端、両腕の皮膚が断続的に痛みの信号を発した。


「――あ、ぐ……ぅぅ……」

"――っかり! しっかりして下さいですぅ!?"


 悶絶しかねない苦痛に顔を歪めながら、幼い少女の声に導かれて息を一つ吐く。

瞼が痙攣して、悲鳴を上げている。

痛みに朦朧とする視界の片隅から、大柄な人影が飛び込んでくる。


「目が覚めたのかい!? ほら、しっかりしなよ!」


 猛烈な叱咤に、不安と心配の色が濃い。

酩酊する視野が神経の痛みに直結して、覚醒する。

覗き込んでいる顔がハッキリして、形作った。


整った顔立ちに野生味の魅力を讃えた、女性――


美しく鍛えられた豊満な肢体を申し訳ない程度の服に包んだ、大胆な格好。

鋭利な牙とフサフサした耳と尻尾が揺れている。

アルフだと気付いた瞬間、俺は現状を認識して起き上がる。


――両腕を突き刺す、激痛。


「いだっ!? つぅ……」

「馬鹿、動くんじゃないよ!? じっとしてな。
あんた、両腕を大怪我してるんだよ」


 耳元で大声で喚かれて、己が境遇に気付かされる。


――地下牢に転がされている自分。


地に伏せていて見えないが、車に轢かれたかのように腕が痛い。

蝋人形のように皮膚を溶かされた感覚が気持ち悪かった。

何処かで打ったのか、頭と肩にまで鈍い痛みが襲い掛かる。

俺の傍に寝かされた竹刀も、柄の部分にドス黒く肉と皮が染み付いている。


一体――何があったのか。


「……俺は、何で……」

「この娘を庇ってくれたんだよ、あんたが!
あの女相手に必死で!」


 ギリギリ痛む身体を起こして、悲痛に訴えるアルフが抱き締めているモノを見やる。


  ――無惨に横たわる、黒衣の少女。


ズタズタになった黒の衣服。

羽織っていたマントは既になく、肌に密着していたジャケットが引き裂かれていた。

未発達な双丘を露出したまま、力なくアルフにもたれかかっている。

不思議な事にジャケットやマントは無惨なのに、傷そのものは軽傷だった。

アルフの言葉を反芻する。


俺が……庇った……?


"――プレシアさんの要求を拒否したんです、貴方は"


 ハッキリしない記憶の断裂を補うように、語りかける声。

今では俺の半身とも言うべき少女。

失われた惨劇の記憶を、切なげに語る――


"貴方は――プレシアさんに斬りかかったんです。
彼女の張ったシールドに両腕を焼かれながら、しがみ付く様に何度も攻撃してました。
ずっと叫んでいたんですよ?

フェイトは渡さない――懺悔するように」


 ――覚えていない。

全ての真実を知って、己の愚かさを心から悔やんだ。

助けられた女の子を助けられず、テメエで見限ったくせに裏切り者と責めたクズな自分。

テメエの弱さを、心から呪った。

生まれて初めてだった。


生まれたての赤ん坊のように――真っ白になるまで、泣いたのは。


プレシアに攻撃を加えたのは凶行を止める為でもあるのだろうが――多分、八つ当たり。

何も出来ず、ただ弱いだけだった自分を許せず、自分への憎悪を他者にぶつけた。


――そして、負けた。


恥の上塗り。

弱い奴はどれほど粋がっても、見苦しさをさらけ出すだけだった。

地下牢で横たわるボロボロの自分が証明している。


"プレシアさんからすれば、フェイトさんを庇う貴方が理解出来なかったんでしょう。
貴方を落ち着ける為に、フェイトさんを至急処分しようとしました。

彼女が放った攻撃魔法を――防御も回避もしないフェイトさんを……

……貴方が、庇って……"


 妖精の声が、悲しみに震える。

その時の事は記憶には残っていないが、情景は目に浮かんだ。


狂気の笑みで攻撃魔法を放つプレシア。
無感情な表情で静かに死を受け入れるフェイト。

――死に物狂いで庇った、馬鹿な俺。


魔法なんぞロクに使えないド素人は無様に吹き飛ばされて――気絶した。

嘆息する。


本当に……何がやりたいんだ、俺は……


助けたかったのなら、最初から助けろよ。

変に意地張って、馬鹿な見栄担いで、何もかもぶち壊して……今更手遅れなんだよ。

ガンガン鳴っている頭に、顔を歪める。

泣けるなら、泣きたかった。


"……ごめんなさいです……"

"? 何でお前が謝るんだ。
全部、お前の言った通りじゃねえか。
てめえの不甲斐なさで、こんなボロボロになっちまって――"

"違います! 違うんです……

ミヤに……ミヤに、貴方のバリアジャケットを生成する力があれば――貴方に怪我をさせずに……

ぐす……ごめんなさい、本当にごめんなさいですぅぅ……"


 自分の無力に嘆いているのは、俺だけではなかった。

もう一人の自分もまた、涙に暮れて無力に悶えている。

俺は無粋を承知で聞いてみる。


"バリアジャケットってのは、何だ?"

"えぐ……魔法や物理的作用から……身を守る防護服ですぅ……ぐす……
形状や配色は個人の魔力や素養で変化して……鎧や衣服になります……

フェイトさんやアルフさんが今着用しているのもそうです。

魔導師が魔力を行使する際、通常着用が行われます"


 ……フェ、フェイトの趣味じゃなかったんだ、あの格好……

素肌に密着した黒ジャケットと杖を見て、手品師と勘違いした自分が懐かしい。

俺が問いを重ねる。


"ようするに、バリアジェケットってのは剣道の防具みたいなもんだろ。
話を聞く限り、魔導師なら基本っぽいみたいだけど――俺が使用出来ない理由は?"


 チビに聞くのは酷かもしれないが、追求する。

無慈悲な現実でも逃げるのはやめたのだ。

最早取り戻せない地獄の渦中でも、理由だけは知って死んでいきたい。


"まず、魔力が足りません。
――貴方の魔力値は考えられないほど低いので、生成する余力がありませんです。
ミヤが何とかサポートしても、傷ついた身体を支えるのは精一杯で……

……ごめんなさいです……ミヤにもっと力があれば……"


 ――流石、なのはの百分の一以下。

魔導師なら当たり前の魔法ですら、簡単に扱えないようだ。

才能を与えられなかった人間は、どれほどドン底にいるのかも見えない。


"後……これが一番の理由ですが……

貴方に、イメージが出来ていません……"

"イメージ? ジャケットの?"

"――いいえ。

戦う自分・・・・のイメージです。

今の貴方に――想像出来ますか?"


 胸を突かれる思いだった。

高町家を出て自分の弱さを思い知らされて今、自分自身に絶望した。

誰かに接するだけで臆病になっている。

こんな自分が――敵を前に戦う勇姿をイメージ出来る筈がない。

自分で、認めているのだから。


俺は――弱いのだと。


愕然とする。

自分を乗り越えられない限り――俺は自身を守る事すら出来ない。

武士の要たる鎧を身に付ける資格を、俺はまだ持っていない。

剣を握る手も、今やズタズタで――


「!? これ……!!」


 ――手に巻かれた、リボン。

真っ黒な手の平に、不器用に紺のリボンが結ばれている。

固く絞められた布は俺の手を握るように、奇妙な存在感を象徴していた。


"リョウスケにあげる。わたしからのプレゼント"


 俺は無我夢中で起き上がって、アルフに迫った。

急激な動作は全身の傷を刺激するが、歯を食い縛って耐える。


「このリボン、どうした!? 俺は何時からこれを持ってた!?」

「ちょっ、ちょっと落ち着きなよ!?」


 アルフはフェイトを抱いたまま、慌てて俺を押し留める。

焦燥に駆られた俺に、困惑した眼差しを向けて返答した。


「……アタシがアンタを運んだ時、手にもう結ばれてたんだ……
てっきりフェイトのリボンだと思ってたんだけど――よく見ると違うね。

フェイトはそんなリボン、持ってなかった」


 肝心の当人は無反応。

生きる意思を失ったフェイトは、最早二度と誰かに関心を寄せたりはしない。

自分で犯した過ちを突きつけられるだけで、胸が引き裂かされそうだった。

少女の笑顔を取り戻すと約束したのに、少女の笑顔を奪ってしまった――

未来永劫消える事のない、俺の罪だった。


――アルフは心配そうに覗き込む。


「……混乱してるみたいだから、アタシの知ってる限りを話すよ。
フェイトとアンタが心配で様子を見に行ったんだけど――酷い有様だったんだ……

フェイトは呆然として座り込んでるし、あんたはポットに激突して目を回してさ――

――そうそう、そうだ!
あのポットに浮かんでた娘は誰なんだい!?
フェイトにそっくりじゃないか!

ヒビが入ったポットにアンタの血が混じったって大騒ぎしてたよ、あの女」


 ポットに、血……?

あんな頑丈そうなポットにヒビ入れるほど激突したのか、俺!?

肩や頭がさっきからズキズキするんですけど。

プレシアの話では確か、アリシアの遺体はポットに保存してるって言ってたよな。

そのポットに俺の血が混じったら、アリシアの死体は使い物にならなくなる――のか?

いや、でも俺はアリシアと夢の中で……ぬああああ、頭が混乱してきた!?


俺の覚えている叛意の記憶と、ミヤとアルフの話を整理しよう。


プレシアはアリシア復活の儀式に、フェイトの魂とアリシアの遺体を俺に提供した。

フェイトはアリシアのクローンで、プレシアにとっては娘代わりの道具。

アリシアが復活すれば不要と断言し、フェイトは存在意義を失って壊れた。

俺はフェイトの死を容認出来ず、彼女を庇った末に魔法の余波でポットを破損。

保存液に不純物が混じって、プレシアは狂乱――か、状況そのものは複雑ではないな。


疑問点は山ほどあるけど。


「ポットの事に関しては後で答えるとして――

そもそも何で俺達、また地下牢にいるんだ?
しかもアンタとフェイトまで一緒に」

「アタシが独断で二人を運んで来たんだよ。
アンタ、錯乱したあの女の傍で安心して気絶出来るのかい?」


 ――納得、大暴れしそうだ。

ポットを傷付けた俺に魔法攻撃連射とかされたらたまらん。

連れて来てくれて大感謝だった。


「地下牢は開いてるよ。
本当は別の部屋とかでも良かったんだけど、その娘をほっておけなかったからさ」


 ……何も知らず、簡易ベットの上で瞳を閉じる少女。

俺があの時中庭で余計な御節介を焼かなければ、巻き込まれずに済んだ。

今回の事件はつくづく、俺の責任で色んな奴を巻き込んでしまっている。

本当なら回収に乗り出したなのはやユーノは別にしても、はやて達まで関わらずに済んだ筈だ。

極端な話、俺が関わらなければこれほどややこしくならなかっただろう。

なのはとフェイト――当事者だけの問題で解決した筈だ。

フェイトだって助けられたのに……俺は……


現実は重い。


夢のように優しく包んでくれず、重々しい枷を与え続ける。

今の俺は地獄の坂で転がり続けるだけの亡者だった。

一人だけ地獄に落ちるならまだしも、俺の未練がレンやフェイトまで引っ張ってしまった。

己が愚かさに眩暈までしてくる。


「あいつが正気に戻ったら何言われるか分からないけど、いい加減愛想が尽きたよ。
命令違反なんか知った事じゃない。

……フェイトを、こんな目に合わせて――」


 暗闇の中で愛しい主を抱いたまま、アルフは沈痛な声を上げる。

俺は見てられなくて、顔を俯かせる。


「……すまん……俺が――」

「アンタの責任じゃないよ。遅かれ早かれ、きっとこうなってた。
あの女は――最初から、フェイトを可愛がってなんかいなかった……

実の母親なのに、娘を蔑ろに――」

「――違う、違うんだ……フェイトは、本当は……」


 苦々しい思いで、アルフが抱く少女を見つめる。

親の愛に飢えた少女が知った、残酷な真実――

フェイトの前で話す事に躊躇いが生じる。

あくまで偽善ぶる自分に心底腹を立てながら。

空気を悟ったのか、アルフの表情が引き締まる。


「――話しなよ……ううん、話して欲しい。
フェイトが苦しんでるのに、一人蚊帳の外で耳を塞ぐのはもううんざりなんだ!

お願いだよ……」


 悲痛を露わに叫ぶアルフ。

母親の愛を与えられず苦しみ続けたフェイトの傍で、アルフもまた辛い思いを味わったに違いない。

非力な自分をどれほど憎んだか、計り知れない。

フェイトは決して独りではなかった。

けれ――本当に欲しい愛を得られないのでは、心から救われる事は無かったのだろう。

アリサを喪った俺と同じように。

高町一家に助けられて、月村達に支えられたが――悲しみは癒えなかった。

周りにいる人達の思い遣りが、優しさが辛かった。

忠実なアルフに思いを寄せられたフェイトも、内心は辛かったに違いない。

大切に思える人を自分の責任で悲しませているのだから。

アルフの気持ちを真摯に感じて、俺はプレシアから聞いた真実を口に――



「……うちも聞かせてほしいわ、その話」



 ――思い掛けない声が飛び込んで来た。

息を呑んで、俺は地下牢の奥へ視線を向ける。


簡易ベットから身を起こす少女。


御世辞にも顔色が良いとは言い難い、疲弊した表情。

紫色に震える唇。

痩せた頬に、濃厚に浮かぶ目の隈。

重い病を患っている女の子。


「レン! 気付いたのか、お前!?」


 あれほどグッスリ寝たはずなのに、レンに少しの回復も見られない。

ただ時間が無為に過ぎただけに思える、病の進行。

中庭で話した時より確実に、レンは病魔に蝕まれていた。

レンはベットから身を起こしたまま、辛そうに息を吐く。


「……相変わらず、ボケた事言い寄るな……ほんまに。

途中からずっと、起きてたよ。

――あんたがうちを庇って……叫んでた時から、寝たり起きたりしてた……」


 ――聞かれていた!?


レンを盾に脅されたあの時から目を覚ましていたのか、コイツ。

考えてみれば、プレシア達やミヤを相手に罵倒や自嘲を大声で叫び続けていたんだ。

余程の昏睡状態に陥らない限り、ゆっくり寝れる筈がない。

レンは青褪めた顔を向けて、儚い笑みを浮かべる。


「……全部知ってたんやな、やっぱり……うちの病気の事も、何もかも。
全部分かってて、病院では何でもない顔見せて……

……ウチを、庇って……そんな怪我までして……

なんやねん……アホ……

普段は自分さえ良ければええみたいな顔してるくせに……何で、こんな時に限って……

うちはもう、死ぬかもしれんのに……ほんまに、あほや……」


 思いを綴る度に、少女の瞳から水滴が零れる。

痩せた頬を伝う涙が、重い病に苦しむ女の子の無念と苦渋を見せていた。

同じく苦痛に犯された身体を引き摺りながら、俺は苦々しく目を閉ざす。


庇った――訳ではない。


見捨てようと、した。

土壇場まで――そう、もう後僅かで俺は俺に戻れた。

レンを見捨てさえすれば、プレシアの脅しに屈する事はなかった。

フェイトを裏切り者として見切りをつけて、地上へ戻り姿を消せば元通りだった。

なのに……気がつけば、竹刀を床へ投げ捨てていた。

哀れに取り乱して、レンの命乞いをした。

悪党らしく己が生き方を真っ当出来ず、正義の味方のように他者を救う事も出来ない。


中途半端な自分。


剣の腕は未熟、魔力は絶無、才能は皆無。

心は迷い狂い続けて、生を貪るだけで他者を傷つける存在。


生きる価値は何処にある。
死ぬ理由は何処にもない。


地獄からは爪弾き、天国からは疎まれる人間――それが自分。

少女が涙する価値などありはしなかった。


「……お前を、助けた訳、じゃねえ……」


 言えたのは、ただそれだけ。

本当に助けようとして助けたのではない。


生きていて欲しい――この馬鹿な男は、そんな本音も出せはしなかった。


甘い夢に浸っていれば良かったものを……

アリシアのリボンが、醜い自分の血に染まって黒ずんでいた。

レンは悲しみに曇った瞳を向けて――少しだけ表情を和らげた。


「……フン……何や、変わってないやんか。
髪の毛染めて、目真っ赤にして――顔やら何やらボロボロになって……

それでも――良介は、良介なんやな……

ちょっとだけ、ホッとしたわ」

「けっ……病人に心配されたらおしまいだな」


 レンは今回の事件に関して何も知らない。

融合化している俺の事、魔法の事、ジュエルシードの事――現状置かれた自分の事。

強引に誘拐されて、気付けば人質として扱われていたんだ。

強がってはいるが……レンは繊細な少女だ。

気が狂うほど、恐怖に怯えたのではないだろうか?

変わり果てた世界の中で、変わらぬ何かを見つけて少しは安心したのかもしれない。

俺も――レンの懐かしい変な関西弁を聞いて、悲しみと絶望に狂った心がちょっとだけ安堵した。

レンは辛そうな顔をしたまま、真剣な目で俺を見る。


「教えて――何もかも。
あんたが家を出て行ってから、なのはちゃんも含めて何かが変わった気がする。
うちも話は聞いてたけど、正直訳分からん。

――ウチかて、蚊帳の外はごめんや」


 今にも消えそうな生命を懸命に燃やす少女の、何と力強い事か。

心臓病という宿命を背負い、逃げ腰でいる女の子。

それでも現実を見据えるのだけは、決して止めようとはしない。


――胸が震える。


羽ばたく翼を持っているのに、飛び立つのを阻む障害だけが少女の足を止めている。

もう少しで飛べるのに。

決定的な何かだけが、欠けている。

立場さえ違えば――この娘はきっと、自分のような間違いは犯さない。


これほどの惨劇を招かず、皆が幸せになるエンディングを迎えられただろうに――


アルフもまた、表情を厳しくして自分を見守っている。

ミヤは何も言わない。

話さなければ――今度こそ、自分を見限るだろう。

自分の犯した間違いすら認めない男に、彼女の主の家族たる資格などない。


「……分かった、全部話す。
高町の家を出てから――いや、あの家を身勝手に出た事から始まった俺の馬鹿さ加減を。
一つ一つ、聞かせてやるよ」


 痛む身体を懸命に支えて、被害者達を含めた反省会を開く。

物語をなぞるが如く、俺は最悪の終焉に至った経緯を語った。















「あの女、殺してやる!」


 動物的本能で動く女の決断は素早かった。

フェイトが壊れた経緯を聞いた瞬間、簡単に脳みそを沸騰させて飛び出そうとする。

俺は慌てて女の腰にしがみ付いた。


「やめろ、こら!」

「何で止めるんだい!? 離しな!
フェイトはずっとあんな母親でも愛していたんだ!!

それを――それを!」


 俺がプレシアを庇う理由はない。

ここまで追い詰められた原因に、プレシアの勝手な妄執が大いに絡んでいる。

事実は事実だ、否定はしない。

アルフがこのまま飛び出してプレシアを殺しても、多分俺は何の悲しみもわかないだろう。

他人に対する優しさや同情をするような男ではない。

俺はリボンが巻かれた手を懸命に握って、アルフの細い腰を掴んだまま叫ぶ。


「お前が許せないのは誰だ! 

フェイトを道具のように扱ったプレシアか?
本当の娘であるアリシアか?

それとも……

フェイトを助けられなかった――自分か!!」

「――っ……」


 怨嗟と憎悪が渦巻く瞳を、俺に向ける。

少しでも感情が噴出せば、一瞬で焼かれるであろう獣の殺意。

俺は少しも怯まず、逆に睨み返した。


「100%自分が悪くないと断言出来るなら止めない、とっとと行け!
だが、少しでも自分に非を感じているなら――それは八つ当たりだ!

後悔しないんだな、それで!

俺は後悔したぞ。

本当に憎むべきは馬鹿な選択をした自分なのに、俺はフェイトやプレシアに八つ当たりした!
今でも――死ぬほど後悔してる。

――いいか……?

たとえプレシアの気持ちがどうあれ――フェイトにとっては、彼女は母親なんだ。
あいつを殺して救われるのは、フェイトじゃない。

お前自身だ!」

「〜〜〜〜!!」


 アルフは勇ましく整った顔をを苦々しく歪めて、堅い地下牢を殴る。

変形するほど強く殴打して、アルフはその場に腰をついて嗚咽を漏らした。 


誰かの責任にして回避出来る、生易しい地獄ではない。


これは物語ではない。

御都合主義な展開など未来永劫訪れない、最低最悪の現実だ。

ラスボスを倒せば平和が訪れるファンタジーな結末は到底迎えられない。

もう終わっているのだ、この世界は。


だからこそ――俺は夢を捨てて、戻ってきた。


自分が犯した過ちに決着をつけるために。

地獄に落ちる前に――巻き込んでしまった人達の手を離すべく。

この現実を、俺の手で終わらせる。


俺は泣き喚くアルフの背中をゆっくり擦って、背後を向き直る。


無感情な眼差しを地面に落とす、黒衣の少女。
真実を知って青褪めている、心臓病の女の子。

もう不幸を止められないのなら――せめて俺の手で、この少女達に引導を渡す。

この手に託された、最後の武器。

俺が持ち得なかった、人の心を切り裂く刃。

優しさゼツボウと言う名のリボンツルギで、少女達の壊れた心を切り裂く。

物語の最中、俺が取り零した過ち。

アリシアを抱き締めた時と同じく、今度こそ出来なかった事を成し遂げる。

かけてやれなかった言葉を、俺の心から解き放つ。


"自分の言葉で話せ――そうだよな、ミヤ"

"はいです"


 俺はフェイトの前に腰掛けて――素直な言葉を口にする。


「フェイト、俺はお前が好きだ」


 少女の瞳は揺るがない。


「お前が抱いていた孤独が、愛しかった」


 少女の身体は動かない。


「お前と俺は、同じだと思った」


 少女の口から何も語られない。


「お前に裏切られて――本当に悔しかった」


 少女の掌は何も掴まない。


「お前は俺なんて、何とも想ってなかったんだと分かった」


 少女の表情に変化は訪れない。





「でも――俺はそれでも、お前が好きだ」





 瞼が、震えた。


「お前を憎んでいない」


 瞳が、揺れる。


「お前に、俺を見て欲しいと思っている」


 自分の拳が震えているのを自覚する。

生まれて初めてさらけ出した自分の本音に、カタカタと歯が鳴っていた。


「俺達は、やっぱり同じだよ。

俺はお前に、お前は母親に――振り向いて欲しいと思ってる。

自分を見つめて欲しいと、願っている」 


 誰かに自分の全てを見せる――

孤独に生きる剣士にとって、最低最悪の禁忌だ。

拒まれたら、今度こそ再起不能だろう。


俺はどこまでも、子供だった。


「俺達はフラレた者同士だ。片思いのまま、終わってしまった。
未練たらしく暗い牢屋の中でウジウジしている泣き虫だ」


 俺はフェイトに裏切られて、フェイトは母親に捨てられた。

俺はフェイトに八つ当たりして、フェイトは自傷で自分を壊した。

見苦しいほど、未練と嫉妬が生んだ絶望にもがいている。 


だから俺はフェイトを救えず、フェイトは決して俺を見ない。


自分を傷つけるだけの、敗者だから。

いつだってそうだ。


人の心の闇を照らせるのは――光だけ。



「でも、高町なのはは違うだろう?」

「……!」



 今度こそ――ハッキリとした反応が返ってくる。

アルフが驚愕の眼差しで見守る中、俺は自信を持って話す。

自慢の妹を。


「あいつは、決して諦めなかったぞ。
俺を振り向かせる事も、お前を振り向かせる事も――何もかも、諦めなかった。
俺やお前のように、何かを手に入れるために何かを捨てようとはしなかった。

だから、あいつは強い。

全部、手に入れられる。
俺はあいつの元へ帰り、お前はあいつと戦って負けた。


友達になってくれって――言われなかったか?」





「……。

……、はい……」





 フェイトは――唇を震わせて、涙を流した。

死んでいた少女が今、息吹を取り戻した。

なのはの戦いは、無駄ではなかったのだ……


……ありがとう、なのは。


お前はやっぱり――俺よりずっと強いよ。

才能なんかで埋められる、差じゃない。

離れていても、お前は友達を助けられたのだから。


俺では、フェイトは助けられなかった……


――アリシアと同じく、フェイトを強く抱き締めた。


「俺達も――あいつを見習おう。
全てを手に入れるまで、何も諦めない。
誰も裏切らない。

俺は――お前に振り向いてもらうまで。
お前は――母親に振り向いてもらうまで。

なのはを見習って、お前ももう少し頑張ってみろよ。
俺も、頑張る」


 俺はリボンを一度解いて――フェイトの手を取る。

彼女と俺の手を重ね合わせた上で、もう一度縛り直した。


本で繋がれたあの時と同じように――


二度と離れない、証を立てる。


「俺は――お前が俺に信頼を向けるまで、この手を離さないぜ。
覚悟しろよ」


 フェイトは呆然とした顔で、自分の繋がれた手を見る。

黙ってジッと見つめたかと思えば――小さく息を吐いて、俺に瞳を向ける。


「貴方は本当に……強引ですね。

最初に会った時からずっと、私の意思を無視してばかり」


 その瞳に浮かぶのは、間違いなく――自分の意思。

絶望から回帰した命の光が、再び灯された。


涙に濡れた顔を――小さな微笑みに変えて。


子供らしい、笑顔で。


「――変な奴やと思ってたけど、実はロリコンやったんや」

「違うわ!?」

「好き好き言うてたやんか、この変質者」

「そうやってすぐに恋愛感情に結び付けるから、お前はコンビニ臭い子供なんだよ!
大人のトーンの違いを少しは感じ取れ」


 さて……後はコイツだ。

ベットに寝そべったまま力のない文句を呟くコンビニを、俺は睨む。



「丁度良い、俺はお前にも言いたい事がある。


お前――この事件が解決したら、いますぐ手術を受けろ」

「はぁっ――!?」


 それはきっと――フィリスや桃子が言えなかった事。


桃子には恩がある。

彼女がいたから、俺は救われた。

フィリスには借りがある。

彼女がいたから、俺はまだ生きている。

二人が出来なかった事を、今度こそ俺が成し遂げる。

レンの心情を思い遣って口には出せなかった事実を、俺が代わりに突きつける。


「知ってるんだろ? 手術を受けなかったら、お前は死ぬ。
放置したままでいると衰弱して、手術を受けても助からなくなる。

今のテメエを鏡で見てみやがれ。

死相が浮かんでいるぞ、たかが数日病院を出た程度で」

「そ、それは……」


 如実に浮き出ているレンの病巣。

心が幾度拒否しても、身体が盛んに警告を発している。

もう長くない――こいつだって、それは分かっているんだ。

自分のせいで巻き込んで浮かんだ――皮肉な事実だった。


「うちの事は、あんたに関係ないやろ!」


 頑なに、拒否する。

死ぬ事を――死ぬかもしれない可能性を。

それは、大いなる逡巡。


手術を受けなければ死ぬ。
手術を受けても、死ぬかもしれない――


この楔だけが、腹が立つほど少女の足を止めている。

真実を告げられて尚立っている、強い少女を。


「関係ねえよ。
関係ねえから、何度だって言える。

お前はこのままだったら絶対に死ぬ。

助かる可能性は一つだけ。
フィリスを信じて,身を任せる――それだけだ。

お前も俺やフェイトと同じだ。

可能性を信じられないから、諦めようとしている。
このまま決断を先延ばしにすれば楽だから、逃げてるだけだ!」


 苦々しさも、やるせなさも、全部吐き出す。

今更取り繕うカッコ良さなぞ俺にあるものか!

見苦しく、みっともなく、泣き喚いてやる。

これ以上、ミヤを失望させたくない。


もう――誰も喪いたくない。


「経験者様が言ってやる! 


逃げた先に――安らぎなんかない!


奇跡だってない!
逃げ続けた先にあるのは、積み重なった後悔だけだ!!

引き返せなくなるぞ、今の俺のように!


やり直したいと思っても――簡単にはやり直せないんだよ、人生ってのは!!」


 努力をすれば報われる。

何度だって人生はやり直せる――そんなのは、嘘だ。

平和で幸せな日常が約束された人間だけの――拙い妄想だ。

今回の事件で嫌というほど思い知らされた。


俺は逃げ続けて――遂に引き返せなくなってしまったのだから。


「お前はラッキーなんだ……まだ、やり直せる。
アリサやアリシアのように、死んでしまったらもう終わりなんだよ。

今ここで決断しなかったら……お前が死んじまったら……俺は……


……俺は……」


 チクショウ……何で言えないんだ……

一言、死んだから悲しいと何故言えない……


声を詰まらせる。


フェイトの為に泣いたアルフを、笑えない。

俺もまた、誰かを大切に思う一個人だった――


レンは愕然とした眼差しで俺を見つめ、辛そうに顔を俯かせる。


「そ……そうやけど、うちは……良介……うちは、それでも……


――あ、く――ぅ」


「レン……? レン!!」


 レンは突如顔色を変えて、ベットに転がる。

胸を苦しそうに押さえて、口から涎を零して呼吸を荒げた。

苦しそうにのた打ち回るレンに、俺は元よりフェイトも駆け寄る。


「まさか――心臓発作か!? 
こんな時に、こんな場所で!?」


 いよいよ、審判が下される。





























































<第四十三話へ続く>







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