とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第三十七話







俺は初対面でフェイトの立ち姿に、魔女のイメージを連想した。


古来より迷信を含めて大仰な創造が為された魔道の女――


フェイトは黒衣の衣装を纏い、黒き杖を携えていた。

西洋の童話などに頻繁に登場する、黒い三角帽や黒マントの姿がフェイトと重なったのだ。


――そのイメージが、瞬間的に上書きされた。


扉を蹴破って突入した瞬間――俺の身体は硬直した。

玉座の間。

絶対的支配者だけが座する事を許される玉座に、一人の女性が座っている。


黒衣の魔女。


漆黒の美を纏った、魔性の女が玉座に君臨していた。

際立った容姿と美貌を兼ね備えているが、全身を包む空気は戦慄に凍らせる。

金のサークレットに黒のマント。

胸元の開いたドレスが淫靡で、艶やかな微笑みに背筋が震える。

今までの敵とは格が違った。

俺を待ち構えていた巨人兵よりどう見ても非力だが、感じさせる戦力差は比べ物にならない。


俺は食われるだけの、ネズミ――


高町桃子の対極に位置する年上の女性に、俺は竹刀を構えるのが精一杯だった。


「――ようこそ、時の庭園へ。

歓迎するわ、我が救世主」


 俺の戦慄を感じ取ったのか、安心させるように微笑んで女は立ち上がる。

歩み寄る仕草は洗練されており、歓待の礼儀は整っていた。


逆に、女の丁寧さが恐ろしい……


あれほどの罠を張っておきながら、臆面もなく侵入者を歓迎する余裕。

実力の全てを見抜かれているとしか思えなかった。


ポケットの中で、ミヤは震えている。


――不思議だが、確かなその存在に圧倒されていた気持ちが少しだけ前向きになる。

相棒をいたずらに不安がらせてどうする。

此処へ入る事を――前へ進む事を決めたのは,俺自身。

ミヤはあれほど反対したのに、俺は無謀にも罠の中心に飛び込む決意をした。


馬鹿な俺に危険を犯してまで付き合ってくれた、御人好しの妖精――


生きて帰らせる義務がある、本当の主の下へ。

そして俺も必ず帰る――偽りの家族の下へ。


俺は唇を噛んで気合を入れ直して、向かい合った。


「手荒な歓迎、どうもありがとう。
お陰で有意義な時間を過ごさせてもらったよ。

飼い犬の躾がなってねえな」


 思考能力も無いロボットに立てる義理は無い。

嫌味を含めてせせら笑ってやるが、女に動揺の色は無い。

むしろ俺の反抗を可愛げに見つめる。


「気に入って頂けなかったのなら、申し訳ない事をしたわ。
もう少し強力な傀儡兵を用意しておくべきだったかしら。

あの娘の使い魔を倒した貴方の勇姿を見れず、私も残念だったわ」


 忌々しさに、舌打ちする。

遠回しに抗議した俺に対して、目の前の女はあっさりと自分の非を認めた。

自分が罠を仕掛けた張本人で、俺を襲撃を加えるように命令した事実を――

その上で死にかけた俺の目の前で、強い兵を用意するべきだったと簡単に言い腐る。

俺も大概不遜な男だが、この女には負ける。


「自分は高みの見物で、俺の腕試しをさせる気だったのか。
良い趣味とは言えねえな……」

「そうね、既に貴方の力は目にしている。
余計な心配は無用だったわ、ウフフフ」


 会話が噛みあっている様で、噛み合っていない。

あくまで自分のペースで話を進めて、俺の感情は余分だと頭の中で排除している。

それでいて巧みに怒りの矛先を逸らし、俺の次の行動を抑制している。

やり辛い相手だった。

通り魔でも愚直な精神を持つあの爺さんの方が、数段戦い易かった。

理由はどうあれ、俺を罠に嵌めたのは事実だ。

問答無用で斬りかかりたいが、その前に――


「――あんた、フェイトの関係者か」

「自己紹介が遅れたわね……

私は、プレシア・テスタロッサ。

あの娘の母親よ」


 大げさな身振りで名乗るプレシアに、どうにも胡散臭さを感じる。

ただ、母親には違いないだろう。

フェイトとは何度も顔を合わせているが、プレシアの面影がある。

父親が誰なのかは知らないが、フェイトは多分母親似だと思う。


母娘関係――


なのはと桃子を数ヶ月に渡って見て来た事もあるのだろうが、プレシアの態度に冷たさを感じた。

御世辞にもフェイトを可愛がっているとは思えない。

俺は親の愛を受けた事がないので尚更分かる。

愛されない人間は、愛を知らずに育つ。

俺の冷たさは子供に感染し、無邪気を消して温かみを無くすのだ。

フェイトの母親だからといって、到底態度を軟化させる気にはなれない。

何より、


「実の母親が、娘に罠を仕掛けるように命じたのか?」

「私は貴方を此処へ招待するように、娘に御願いしたの。
貴方の事は、娘から聞いているわ。
御世話になったそうね……ありがとう」


 絶対、一寸たりともそんな気持ちにはなってねえだろ?

白々しい感謝の言葉など、むかつくだけだ。


……久しぶりに聞いた気がする。


社会の儀礼。

人間関係を維持する為だけに存在する、上っ面だけの感謝。

海鳴町で出逢った人達から送られた心からの言葉とは,雲泥の差がある。

俺が率先して背を向けた社会の悪礫を、久方振りに垣間見る事が出来た。

プレシアの言葉なんぞ無視して、俺は話を進める。

ペースに巻き込まれる前に聞きたい事だけ聞いて、とっとと攻撃しよう。

でなければ――


――飲まれそうだ、この暗黒に。


「ジュエルシードの回収をフェイトに命じたのもあんただな?
あの石の危険性を知りながら、あんたは娘を戦いに巻き込んだ」

「私はフェイトに御願いしただけ。強制したつもりは無いわ。
嫌なら、即刻やめさせていたもの」


 ――不快感が増す。


嫌だと言えば止めさせていた、だぁ? 

ふざけやがって。

フェイトとの付き合いは短いが、あの娘が素直で優しい娘なのは知っている。

母親から真摯に頼まれて、自分の気持ちだけで断れる筈が無い。

見返りなど少しも求めず、あいつは危険に飛び込んだのだ。


この傲慢な母親の為に。


憤然と踏み出そうとする足を、冷え切った理性が止める。

理由はどうあれ、フェイトは俺を罠に陥れた。


――俺の命より、母親への愛を選んだ。


母を助ける為なら、俺の命なんぞどうでもよかったんだ。

そんなガキの為に、何をするつもりだ……?

裏切りで味わった痛々しい教訓が、俺の足を止める。


そうだ――どうでも良いじゃないか。


他人のために何かしようなどと、もう考えるのは止めよう。

アリサとの約束の範疇で、仕事をこなせばいい。

俺は竹刀をの切っ先を、真っ向からプレシアに突きつける。


「あんたの目的は何だ?
危険なジュエルシードまで使って、何をしようとしているんだ。
娘まで使って、俺を陰険な罠に陥れたんだ。

返答次第では容赦しないぜ」


 たとえ女でも――フェイトの母親でも容赦なく斬る。

結果フェイトが傷つく事になっても知った事か。

この母娘のオママゴトで、俺は危うく死にかけたのだから。

厳しい視線を意識して睨むが、プレシアに動じた様子は無い。

俺の反抗を愉快げに見つめ、言い放った。


「先程言ったわ。貴方に力に興味がある、と――

ジュエルシードを浄化した、貴方の"法術"に」


 ――法術……?


病院で確か、月村が言っていた単語だ。

あの儀式で使用した俺の力が法術だと、ユーノが解析した。

敵意を落とさず、俺は問い質した。


「ジュエルシードの浄化が、そんなに珍しいのか?
あんたの娘や俺の妹分も似たような事をやってたぞ」

「違うわ。
フェイトやあの白い娘が行ったのは、ジュエルシードの封印――
貴方があの夜発現した力で、ジュエルシードは浄化・・されたの。

直接目に出来なかったのが、残念だわ。

ジュエルシードをクリスタル化する瞬間を」


 ……はやての家で発見した紅い宝石を思い出す。

確かあの時、フェイト本人が驚いていた。


"…紅い、ジュエルシード…
シリアルナンバーが刻まれていない――どうして…"


 なるほど、フェイトはこの事を母親に知らせたんだ。

それで奴は、俺の力に興味を持った。

一連の事実に奇妙な食い違いと、後の俺の行動が把握されていた理由もこれで分かった。


――ならば、もしかして。


「……アリサを蘇らせた夜、フェイトとアルフが手助けしてくれたのは――」

「喜んで頂けたかしら?

私としても、貴方の奇跡の成就を願っていた。
あの娘が御力になれたのなら、嬉しいわ」


 は、ははは……はは……そういう、事か……


あいつは最初から、俺やアリサの事なんぞどうでも良かった。

あの夜助けてくれたのは、母親の命令だったからだ。

フェイトが喜ばせたかったのは、俺でもアリサでもない。


この、母親の為――だったんだ……


だから、平気で俺を売り飛ばせた。

死ぬかもしれない戦場へ簡単に送り出せたのも、当然だったんだ。

それを、俺は――馬鹿みたいに、感謝して……


はは、笑える……


大の大人が、あんな小娘に翻弄されたんだ。


……信じるんじゃ、なかった……


張り裂けそうな心の痛みに耐える俺に、張本人の喜悦に満ちた声が降ってくる。


「あの夜の奇跡は、それだけではないわ。

――貴方はあの娘の存在概念まで、クリスタル・・・・・化した。

悲しみと怨念に満ちた魂を浄化して、貴方の御仲間の力を使って法術で結晶化したの。
思い出して御覧なさい。

触れたでしょう、あの娘に」


 屈辱に塗れた心が、驚愕に染められる。

確かに、幽霊として現世に呼び戻したアリサは触れられた。

あの暖かさ――柔らかさは、断じて幻想ではなかった。


プレシアの嫣然とした微笑みが、俺の疑惑を恐るべき真実で鋭く抉る。


「貴方の大切な少女の願いは、貴方と共に生きる事――
明るい日向で貴方に触れて、優しい温もりに包まれるのがあの娘の願いだった。

そして、貴方の法術が純粋な少女の願いを叶えたのよ。

フフフ……真実を知れば、あの娘はさぞ喜ぶでしょうね。
これからずっと、貴方と一緒に生きられる。

記述された願い通り、貴方と手を繋いで歩いていけるのだから!」


 どうやら、頁の事も何もかもお見通しらしい。

アリサに触れる事が出来たのは、アリサの願いを俺が叶えたから。


頁に描かれたアリサの願いは、俺と手を繋いで歩く事――


幽霊として戻すだけでは叶わない願い事を、フィリス達と俺の想いが実現させたのだ。


「――御高説、ありがたく拝聴させて貰った。
魔法の事なんぞサッパリ分からんが、俺の魔法が普通とは違うって事だけは理解出来た。

まさか……他人の願いを叶える力とはな。

法術ってのはそういうもんなのか?」

「法術とは本来、己の願いを叶える力。
こうありたい、こうしたい――強く願う事で、その力は発揮されるの。

――とはいえ、私も詳しくは分からないわ。

私の知り得る知識は、アルハザード調査の副産物よ。


フフフ……、まさか実在する力だとは思わなかったわ。

アルハザードの存在もこれでますます確信が持てた。
貴方が居る限り、今更でしかないけれど」


 解説してくれるのは嬉しいが、余計な言語まで混ぜないで貰いたい。

何だよ、そのアルハザードって。

話だけを聞いてると、法術と同じ伝承レベルの産物っぽいけど。

聞きたい気もするが、多分薮蛇なので黙っておく。

絶対このおばさん、嬉々として説明するだろう。

ユーノと似たタイプの自己陶酔型だ、絶対。

俺は投げやりに肩を落とす。


「……他人の願いを叶える、ね――なんとも皮肉な話だ。
正当な法術使いでさえない異端児か、俺は」


 プレシアは生まれ持った才能と褒めているつもりなんだろうが、逆だ。

俺は明らかに、この力を持て余す。


他者の願い――他人を救う事で最大限の力を発揮するのなら、俺は未来永劫非力なままだろう。


俺は自分にしか、興味がない。

孤独という俺の特性に、法術の特性は合わせ鏡だ。

一人だけの孤独な闇に無限に方術の力は飲み込まれて、延々と光と闇を繰り返すだけ。

運命の女神ってのは、本当に皮肉な奴だと思う。

なのはやはやて――いや、多分今まで俺が出逢った全ての人達に御似合いの能力。

誰もが皆、有効活用出来るだろう。

御人好しの見本のような連中だ、他人の健やかな願いを叶えるべく力を使うだろう。


俺は、無理。


自分の願いを叶えられるならともかく、他人の願いを叶える性格ではない。

アリサを救ったのは事実だが、たまたまアリサの願いと俺の願いは一致しただけだ。

あの娘さえ救えれば、もうどうでも良かった。

リサイクル出来るなら、とっとと捨てるべき――


――とも思えないのが、複雑なところだ。


己が望みをまるで叶えず、他人だけを見つめる能力。

シンデレラを幸福にしたのが王子様なら、救ったのは魔法使い。

無償でカボチャの馬車を用意して、ドレスまで仕立てた御人好し。


俺とは対極な存在だが――その幻想は、心の中を今仄かに照らし出している。


あの時非現実の扉を開いて見た光景は――現実の続き。

死後すら安らかに眠れなかった少女すら救えない、科学に骨組みされた力――

俺はそんな魔法の存在を心から唾棄した。


そんな俺の手の中にある、法術――


俺は、自分のポケットを見る。


ちょこっと顔だけ出して、不安げに俺を見上げる妖精――

この娘と出逢って、俺は魔法使いになる決心をした。

なのはやユーノとは違う、存在に。

御伽話を汚す現実紛いの魔導師の存在に辟易して、俺はあえて別の道を選んだ。

正しいか間違えているかは、分からない。


でも――アリサは俺の傍へ戻り、今ミヤは俺の傍に居てくれている。


ならば、迷う事など何もない。

自分が望む道を進むだけだ。

俺は王座の前に立つ魔女を、正面から見据える。


「俺は――生憎、自分大好きな人間でね……
この世界で一番、法術使いに相応しくない人間だ。
他人の事情なんぞ知った事じゃない。

どうやらあんたは俺の力に興味があるみたいだが、他人事に首を突っ込む気はないぜ」


 ――半分だけ、嘘をついた。

これほどまでの大仕掛けを用意した女の願い事には、正直興味だけはある。

自分の娘にジュエルシードを探させる程だ。

半端な願いではないだろう。

フェイト本人の事情は最早、どうでもいい。


――心底、見限った。


アリサの約束は確かにあるが、あいつも事情を説明すれば分かってくれるだろう。

母親に甘えて勝手に生きていけばいい、俺はもう知らん。

裏切り者にまで向ける情は、俺には無い。

俺の心にはもう、失望しかない。

他人を救うのも金輪際止める。

元々意にそぐわなかったんだ、本来の自分に戻れという事だろう。

死者の蘇生ではないにしろ、アリサさえ取り戻す事が出来た以上他人とは関わる気は無い。


ただ、問題はこの状況――


プレシアの目的がまだ見えない。

高度な知識をお持ちの様だが、不信感はまるで消えない。

言葉の端々に滲み出る愉悦が、俺の警戒心を大いに揺さぶる。

ズキズキ痛む鼻とヒリつく全身の火傷が、絶え間なく敵である事を教えてくれた。


俺の真っ向からの拒否に、プレシアは意外にも怒りの気配一つ見せない。


表面上に浮かぶ微笑みは消えて――真摯な瞳だけが残された。


「……他人事ではないわ……
貴方を見つけられて、私は気が狂うほどの喜びを覚えたの。

これほどまでに、条件が一致する人間に巡り逢えたのだから――

私から何もかもを奪った神に、感謝の気持ちはない。
この世で唯一人、貴方だけに私は祈る。
私の願いは、貴方にならきっと届くはずよ」


 狂おしいまでの狂喜に潜んでいた――悲しみ。


胸の中を絞られるような感情に、俺は息苦しさを覚えた。

この女の――本性が垣間見えた気がした。

心が捻じ曲がる程の苦しみに、プレシアは囚われている。

彼女にとって、神は救いではない。

祈り続けても傲慢に見下ろすだけの運命の女神を――彼女は心から呪っている。

金縛りにあったかのように動けない俺に、プレシアは歩み寄る。

竹刀を握る事すら忘れた……

ミヤの叫びも届かず、俺は女に手を握られた。

強く、強く――



「貴方に私の娘を――アリシアを、蘇らせて欲しいの!! 

どうか、どうか……あの娘を……あの娘を……うう、う……」



 汗ばんだ手が、懸命に俺の手を握り締める。

何歳も年下の俺の前で、プレシアは狂気の仮面を剥がして涙に暮れた。

お願い、お願い……呪詛のように繰り返して。


「アリ――シア……? あんたの娘、さんか……
蘇らせてって、まさかその娘は――」

「――死んだわ……事故で……

まだ……あんなに小さかったのに……

私に笑顔を向けてくれた、あの娘が――あんな優しい娘が、どうして……

どうして事故で死ななければいけなかったの! ねえ!?

貴方になら分かるはずよ、この悲しみが! 悔しさが!!」


 悲痛な叫びに――心を貫かれた。

溢れる悲しみの涙が、彼女を生々しく歪めている。

普通の人間なら眉を顰めるであろう表情に――俺は苦い共感を抱いた。

プレシアの叫びは、少し前の俺の慟哭だった。


――アリサが死んだ時、俺は悲しみに荒れ狂った。


何故、アリサが死ななければいけない?

あんな小さな女の子が――俺を救ってくれた優しい娘がどうして、不幸なまま死ぬんだ?

悲しみに、狂った。

世界の理不尽を、心の底から呪った。

誘拐犯に、心が捻じ曲がるほどの憎しみを覚えた。


「アリシアを救ってくれるなら、何でもするわ。
どんな見返りも約束する。
貴方が望む願いを叶えて差し上げるわ。

だから、だから――あの娘を!!」


 俺に縋り付くように、プレシアは懇願の声を上げる。

恥や外聞など知った事ではない。

自分の大切な娘が再び還ってくるなら、プレシアは平気で土下座するだろう。


そして、俺は――馬鹿にする気など、到底なれなかった。


口の中に撒き散らされる苦々しさに、歯噛みするだけ。

アリサの一件さえなければ、俺はこの女の願いを鼻で笑っただろう。

自分の願いくらい、自分で叶えろ。

そもそも死んだ人間は二度と生き返らない、馬鹿な夢を見るな。

つまらん妄想に、俺まで巻き込むんじゃねえ。

罵倒した――否定出来た筈だ。


アリサの笑顔が、脳裏をよぎる……


――他人事ではない、まさにその通りだ。くそ……

プレシアの願いは単純にして、驚くほど俺に似ていた。

逆の立場なら、それこそ本気で土下座して俺は願っただろう。

何でもするから、アリサを救ってくれ――そう言っていた。

他の人間なら哀れむか正気を疑う願い事を、俺は真摯な思いで受け止められた。


――だが。


「なるほど……よく分かった。
神様には頼めないってのも、ハッキリ言って大賛成だ。
他の奴には相談出来ない理屈も、痛いほど理解出来る。

どんな犠牲を容認しても、願いを叶えたいと思うその気持ちも。

正論吐く連中には理解出来ねえんだよな。
俺らの気持ちなんぞ。
喪った事のない馬鹿達には,分かるはずがねえよ……」

「そう、そうよ!
やはり、分かってくれると信じてたわ。

なら――私の願いは……」



「――だけど。

あんたの願いは多分、叶えられない」 



「……」


 プレシアは歓喜のまま、固まっている。

目に浮かぶのは驚愕――

目を逸らしたくなるのを舌を噛んで堪えて、俺は言った。


「出来ないんだ、俺にも。

――死んだ人間は、生き返らせる事は出来ない。

俺に、二度の奇跡は起こせない」


 法術を詳しく知った上で、俺は断言する事が出来た。

プレシア本人も言っていたが、アリサは厳密に言えば生き返ったのではない。

幽霊だった身体が、法術の力で結晶化されただけだ。

気体が冷やされて固体になったのと同じ――

支えているのは法術である以上、力を失えばアリサは消滅する。

氷だって冷やさずに放置すれば、崩れて気化するだけだ。

プレシアの話を総合すれば、多分術者の俺が死ねばあいつも今度こそ消えて無くなる。

限られた存在である事には違いない。

更に問題は二つある。


1、"アリシア"の願いの頁が無い
2、"アリシア"の生命力が無い


頁はアリシアと俺を結ぶ、パイプライン――

アリサの儀式でも頁を介して歌を謳い、アリサを呼び戻す事が出来た。

俺とそのアリシアを結ぶラインが無ければ、呼びかける事は出来ない。

そして何より――アリシアの生命の源が無ければ、生命力を送っても無意味だ。

ガソリンだって、専用のタンクが無ければ漏れるだけ――

アリサは俺に自分の命を託し、俺はその命を半分だけ返した。

優しくも頼もしき仲間達の命が、俺とアリサに生きる恩恵を与えてくれた。

"器"が無ければ発散されて終わりだ。

アリシアの幽霊でもいれば話は別だが、そんなのが居ればそもそもこの女がここまで嘆かない。

幽霊にだって、意志がある。

決して触れることが出来なくても、寂しさを癒してくれる。


彼女は――アリシアは、もういないのだ……


その事実を伝えようと――



――目の前が真っ赤に染まった。



意識する暇も無かった。

気が付けば、俺は強烈なインパクトで背中から叩き付けられた。

目の先に火花が散る――


「ガハェ、グホ、ガハ……」


 ――背後の扉まで吹き飛ばされたのだと分かったのは、プレシアを見て。

壮絶な眼差しを向けたまま、突き出した掌より紫電が荒れ狂っている。

法外な魔力の発動に、俺の身体は簡単に吹き飛ばされたらしい。

旅で鍛えた足腰など、絶大な力の前には無用の長物だった。

正面から食らって、折れた鼻から血が噴き出る。

肋骨ごとぶつかった衝撃と合わさって、俺は床に手を突いて血と痰を盛大に吐き出した。


「……叶えられない……叶えられないですって!
ふざけないで!!

私の気持ちを知りながら、アリシアを救うつもりがないとは言わせないわ!」


 ――そこまで言ってねえだろ……この勘違い女。


俺の気持ち以前に出来ないものは出来ないんだ。

アリシアの魂があるなら別だが、最早消滅しているだろう。

どうやって、無から有を生み出せというんだ?


もっとも――今ので、踏ん切りがついた。


「ゲホ、ゲハ……ハァ……グッ……ばーか。

誰が、お前なんぞの――ゴホ、ガハッ……ハァ……願いを聞くか!」


 不意に浮かんだ、この言葉――


このどこまでも自分勝手な連中には、最高の罵倒だろう。

俺は血反吐の中でせせら笑う。


「俺は、お前ら母娘の――道具じゃない。

ママゴトはテメエらだけでやってろ」

「……っ、おのれ……」


 プレシアは初めて余裕を崩し、憎々しげに這い蹲る俺を睨む。

硬い鉄の扉に叩き付けられて、全身が痺れているが手だけは何とか動く。

俺はこのクソッたれな母親に向かって、親指を真下に下ろす。


一瞬浮かんだ同情心も、もう消えている。


誰が泣こうが、もう知った事か。

どいつもこいつも勝手に生きて、死ねばいいんだ。

俺はもう、誰も助けない。



他の誰もを見捨てて、一人で生きてやる。



その結果惨めな死が待っていてもかまわない。

床に這い蹲る結果になっても、歯を立てて敵の足を噛み千切ってやる。



睨み合う事,数分――



即効で追撃がかかるかと思いきや、プレシアは何故か俺に侮蔑の微笑みを向ける。


「残念だわ……貴方には、自分の意思で協力して貰いたかったけど……

どうやら無駄のようね」

「……ハッ、誰が……ハァ、ハァ……協力なんぞするか。
そんなに逢いたいなら、テメエ……が、死んであの世へ会いに行け」

「フフ、それは御断りだわ。私は生きて、あの娘とやり直すの。
その代わりと言ってはなんだけど――

――この娘に、会いに行って貰おうかしら」

「あん……?



――なっ!?」


 嫣然と微笑するプレシアが、軽く手招きする。

玉座の間の奥の扉が開かれて――少女が一人、プレシアに向かって歩み寄る。


黒衣の少女、フェイト・テスタロッサ。


無感情な表情のまま、裏切り者が俺に冷たい一瞥を向ける。



――その両腕に抱く、パジャマ姿の女の子を俺に見せるように。



「レ、レン……な、何で……」



 俺が捜し求めていた、少女。

行方不明になっていた女の子が、思いもよらぬ形で再会を遂げる。

レンは腕に抱かれたまま、瞳を閉じている。



――荒い息を、吐いて。



意識を失って尚、レンは青褪めた顔で苦しそうに呼吸をしている。


心臓病――!?


俺は痺れた身体を無理やり立たせて、絶叫する。


「フェイト、プレシア、キサマラァァァァーーー!!!」

「フフ……申し訳ないけど、見させてもらったわ。

病院で二人、仲睦まじく話していたわね……

この娘は貴方にとって、大切な存在――違うかしら?」


 仲睦ましく――まさか中庭の!?


ベンチで一人泣いていたレンを、自分なりに慰めたあの光景を――見られた……?



最早、疑うべくもない。

プレシアかフェイトが、俺の監視がてら覗いていたのだ。

事情はどうあれ、俺とレンが仲が良いのかは別にして話していたのは事実。

そこを見られて――利用された……



俺が、余計な事をして……レンが……レンが……誘拐されたんだ……



気が付けば、叫んでいた。


「そいつに手を出してみろ!! テメエら、殺してやるぅぅーーーー!!」


 俺の罵声に、フェイトが顔色を青褪める。

今更良い娘ぶるんじゃねえ!

唾を吐きかけてやりたい。


「――なら、私の願いを聞いて頂けるかしら?
この娘の命は保障するわ。

貴方がアリシアの命を、保証してくれるなら」

「ふざけんな!! 誰がお前らなんぞに!!!」

「そう、残念だわ……

フェイト、その娘を殺しなさい」

「……でも」

「やめろ、フェイト!? 
ぶっ殺すぞ、この裏切り者がぁぁぁーーーグッ!?

ゲホ、ゲホ、ゲホ……」


 裏切り者という言葉に、フェイトは瞼を震わせて涙を零す。

その姿に目が眩むほど、怒りを抱いた。

あの偽善者を死ぬまで叩きのめしてやりたい。


泣いて悲しんでも、所詮お前は母親の言いなりじゃねえか!


今すぐ斬りかかりたいのに、全身の痺れが全然取れない。

血気溢れて鼻から血が流れ、全身の火傷が膿んで痛みを激化している。

俺の醜態を、満足そうにプレシアは見つめる。


「フフフ、どうするの?
願いを叶える気がないのなら、別にいいのよ。
貴方を、元の世界へ返してあげる。

その代わり――この娘には別の世界へ行ってもらうわ」


 ――見捨てろ。


さっき、自分で言ったじゃないか?

もう、どうでもいいって。

もう二度と誰にも干渉しない。

誰かを救おうとして裏切られるなら、最初から関わらなければいい。


これは良いチャンスだ。


レンを此処で見捨てれば、今度こそ皆俺に幻滅するだろう。

なのはやはやて、他の連中だって干渉さえしなくなる。



――戻れる、あの頃の自分に。



一人で旅をしていた、自由だった自分に。

誰にも拘らず生きていけば、今回のような事件にだって巻き込まれなかった。

アリサにも見限られるだろうが、あの娘は桃子がきっと世話をしてくれる。

俺の役目はもう、終わった。



見捨てろ。



最高のチャンスだ。



孤独になれる。



一度信じて、裏切られたばかりじゃないか。



今度こそ信じない。



誰も助けない。



今度こそ……



今度、こそ……



俺は……



俺、は……





……。





……。





……。





……。





……。





……。





……くそ。










……くそおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーー!!










「……好きにしろ!!」





 床に竹刀を叩きつけた。
















































<第三十八話へ続く>







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