Ground over 第五章 水浜の晴嵐 その20 会談






 白い翼は王族の証――遠方に存在する国『ステファニア』において、翼人は信仰の対象だった。

初代国王は天使と見紛う美しき翼を持ち、崩御された後も高き大空の彼方から国民を見守っているとの神話を残している。

ステファニアの王族の血が与えた翼、万人に自由な空でさえも王者の庭であった。


――その雄大な翼が今、古き歴史に埋もれようとしている。


時代が変われば、人の在り方も変わる。変わりなき世界などありえない。

翼在る者に等しく王者たる才を与えられるとは限らない。翼人であれど、絶対なる神ではない。

ステファニア王マリーネット三世の暗愚が、国内の政治情勢も非常に不安定なものとした。

戦争の勃発、ステファニア王の称号をめぐる政治闘争、それぞれの思惑が複雑に関与した内乱――

神秘の血は時の経過と共に薄れ、荒れ狂う時代が王者から翼を奪っていく。


長きに渡る不安定な情勢――人々の信仰が途絶え、人の上に立つ王は欲望の象徴となり果てていた。


翼無き者が王を名乗る。その全てが暴君にあらずとも、絶対者としての資質に等しく欠けていた。

現国王はその際たる例、凡庸な王は政治を動かす為の駒でしかなかった。

事実上の権力者はステファニア王妃――翼無き女傑の専横が進み、ステファニアは疲弊する一方。

国民は嘆き悲しみ、重圧政治に王族への強い不満を抱いた。王は神ではあらず、醜い人でしかないのだと――

時は現代、圧政に苦しむ人々の前に希望の産声が上がる。


かの初代国王を彷彿させる白い翼を持つ姫君、アリス・ウォン・マリーネット。


皮肉にも国を乱す王妃の娘として、美しき姫がステファニアに誕生したのである。

絶望の空より舞い降りし希望――懐かしき時代の神秘が、現代に復活。

ステファニアの王妃はこの事実を隠蔽しようとしたが、人の口に戸は立てられない。

政治に介入する王妃を恐れる廷臣達や反対勢力は勢い付き、国を憂う人々は姫君の誕生を心から祝った。

欲望に荒れ狂った今の国を救うには、過去の神聖が不可欠であると。


白い翼の王女は生まれたその時から希望であり――正当なる王位継承者の証を持っていた。


形骸化した王族システムであっても、翼人の影響力は計り知れない。

王に等しい権力を持つ王妃にとっては、アリス王女は障害そのものでしかなかった。

とはいえ王女はまだ子供、絶大な神秘性を秘めていても国の手綱は取れない。

短慮な行動はそのまま王妃の政治に対する影響力に反映してしまう、王女の成長を歯痒くも見守るしか出来なかった。


――つい先日、現国王が病に倒れるまでは。


「お父様は何とか安定したけれど、まだまだ予断は許されない容態――
なのに急遽、この視察が決定したの。

現国王が倒れたステファニアの今後と、近隣諸国への影響を鑑みての視察とされているけど……」

「――身の危険を感じて逃げた、と?」


 お風呂上りの御姫様は素直に頷く。濡れた髪より透明な雫が流れ落ちた。

逃亡中の王女より聞かされた、遠方の国の歴史――王妃とお姫様の、喜劇と悲劇に満ちた物語。

想像はついていたとはいえ、重苦しい話に俺は嘆息する。


「お姫様が滞在していた宿を選んだのか、俺達は……たまに贅沢するとこれかよ」

「良いではないか、友よ。我々はこうして姫君を間近で御尊顔出来ているのだぞ。光栄ではないか」

「庶民として遠目から見ていた方が敬えるわ、こいつの場合!」

「ひどーい、キョウスケ! こんなに可愛いのにー!」


 はいはい、水滴を撒き散らさないでくださいね。

不満顔で頬を膨らませるアリスに、俺は無遠慮に布を放ってやった。

面倒見の良い妖精が慌てて受け取り、丁寧に王女の髪を拭いている。


「視察の際に起きた誘拐事件として、犯人共々王女を闇に葬り去る――あくまでも計略の一角だろうな。
恐らく、王女が逃走する事も計算の内だったに違いない」

「訪問先で直接王女を暗殺すれば、疑いがかかる可能性がある。
だが王女が自分から率先して行方不明になれば――偽りの犯人像が浮かび上がり、あらゆる可能性が広がっていく。

真実は政治の闇に消え、王妃の将来は安泰となる訳か」


 不仲の母娘が突然一緒に旅行――旅先で子供が死ねば、真っ先に疑われるのは母親だ。

まして父親は現国王、病に苦しむ絶対者を置き去りにしての強行。周囲も不審に思う筈だ。


――その全ての不自然さを、王妃は巧みに演出した。


不自然であればあるほど聡い子供は身の危険を感じ、母親から離れようとする。それが母の狙いであるとも気付かずに。

親から逸れた子供はどれほどの立場にあっても、迷子でしかない。


迷子になった世間知らずの子供がフラフラ歩き回り――危険な場所に飛び込んで、死亡。


親としての責任を追求されるだろうが、涙ながらに演じれば世間の同情は買える。

どれほど不信に思っても、子供が自ら迷子になったのは事実。真実は決して覆せない。

結局俺達も、王妃の掌の上でしかなかったのだ。

救出の為とはいえ、自ら誘拐犯を演じてしまったのだから。

冒険者としての経験が豊富なカスミの指摘に、俺は改めて頭を抱えた。


「……まるで白雪姫ですね」

「? しらゆきひめとはどなたの事ですか、巴様? 皆さんの御国の御姫様ですか!?」

「キョウスケが婚約者だったりするの!? 駄目だよ、おにーちゃんはアリスのなんだから!」

「想像を身勝手に膨らませるな、ガキ共!」

「流石は我らが大学の才媛。見事な例えだ、氷室女史」

「ありがとうございます」


 三者三様に盛り上がる連中を尻目に、俺は子供の頃聞かされた白雪姫の話を思い出した。

雪のように白い肌、黒檀のように黒い髪、血のように赤い頬――望まれ、思いのままに生まれた姫君。

美しく成長した御姫様は、やがてお妃の嫉妬を買ってしまう。

鏡に向かって執拗に己の美貌を問いかけるお妃――自分がトップの座を奪われたと知るや、ライバルを殺してしまおうとさえする。

何と、お妃は家来に白雪姫を森へ連れ出して殺せと命じたのだ……

異世界の連中に俺達の世界の有名な童話を聞かせてやると、皆揃って驚愕した。


「えええええっ、い、今のアリス様の状況にそっくりじゃないですか!」

「その白雪姫はどうなるの!? 大好きなおにーちゃんに助けられて結婚するの!?」

「無理やり自分の願望を入れようとするな!
でも冗談でもなんでもなく、本当に在る童話なんだよな……これ」

「うむ。子供向けの絵本では『継母』とされているが、原話では実母だったらしいな。
母とされる女が、姫を殺してしまうほどの残酷さを持っていた魔女だったのだ。

今では子供だけでなく大人も含めて世界中が信じている話で、例外のない事実であると言っていい」


 そういう意味で、俺も葵も氷室さんの例えに感心したのだ。

アリス本人からすれば笑えない話だが、当の姫君は興味津々で聞き入っている。

カスミも戦士だが女性、多少の好奇心はあるようだ。俺に伺いを立てる。


「森に連れられた白雪姫はどうなったんだ?
子供向けの話であるのならば、そのまま家来に抹殺されたとは考え難いのだが」

「ああ、その家来が姫を不憫に思って殺せなかったんだよ。
連れて帰る訳にもいかず、立場上そのまま森に置き去りにするしかなかった」

「……忠臣ゆえか……辛いものだな」


 人に雇われる職業として考えるものがあるのか、ことの他真剣に感じ入っている。

俺は俺でこの童話よりふと思いついたことを聞いてみた。


「先程の話だと、国民とか家来はお前に期待していたんだろう?
横暴な王妃よりお前自身に味方してくれる人はいないのか」

「……本当に味方なら良かったんだけど……
言ったでしょう? 今まで自分の翼を他人に見せた事はないの。
お母様の命令でもあったのだけれど――それより、皆が怖かった。

アリスの翼に、皆が期待して……背中が凄く、重かった……」


 国王の忠臣や反対勢力、国の行く末を憂う国民達――

敏感で利発な子供は人々の熱狂的な期待を幼心に感じ、怯えてしまったのだ。

親の期待に応える事は子供の義務ではない。けれど国民の期待に応える事は、王たる存在の義務だ。

アリスは無感動な子供ではない。多感に生まれ育ったからこそ、王族の宿命を重く受け止めている。


その重荷が、翼の負担となる――飛び立つ自由を阻害する。


「ステファニアは国王の突然の病をきっかけに、事態の不安定さが急進している。
王妃を失脚させようとする派閥にとって、王女の存在は不可欠。

何が何でも取り入れようと狙う――敵の敵は味方とは限らない」

「安全は保証されても、政治の道具にされる可能性があるという事か。ふむ、厄介だな」

「厄介って、あのな……そこまで国の事情に深入りしてどうする」


 アリスを助けたいとは思う、その気持ちに嘘は無い。

お転婆だが、明るい笑顔の似合うお姫様――振り回されてばかりだが、見捨てるつもりは毛頭ない。

だが、俺達は王子様ではない。この子の未来に関われない。

まして国の事情に深入りすれば、二度と抜け出せなくなるだろう。政治の世界はそう甘いものではない。


「でも、このままでは――毒リンゴを食べさせられると思います」

「氷室さん……」


 家来の失敗を悟った王妃が、リンゴ売りに化けて白雪姫に食べさせる――

このままアリスを放置すれば、親の仮面を被った魔女が罪の無い子供を殺すだろう。

白い翼は引き千切られて、地獄に落ちる。

血に濡れたアリスの笑顔なんて想像したくも無い。


「友よ、我々は王女を幸せにする王子にはなれない。

けれど――七人の小人にはなれるのではないか?

これは御伽話ではない、現実だ。都合良く死んだ人間を生き返らせられない。
生まれて初めて出来た、白雪姫の友人として……意地悪な王妃から、姫を守ろう!」

「……はい」


 葵の気概に満ちた叫びに、物静かな氷室さんまで積極的に頷いた。

王子ではなく、友人として――小人なりに立ち回る。

国の未来なんて二の次、あくまで友人の幸を願って。

何の具体性も無い、安易な思い遣りだが――友人達の真っ直ぐな気持ちが、どこか心地良い。

どうやら俺自身、国という大きさに潰されかけていたらしい。


異世界なんて関係ない――俺自身が言っていた事じゃないか。


国を憂う救世主気取りで悩んでどうする。俺は王子様じゃない、科学者だ。

そして、アリス・ウォン・マリーネットの友人だ。

国の事など考えるな。友達の幸せだけを第一に、脳を切り替えろ。発想を転換しろ。

――重い運命に押し潰されていた脳が軽くなり、ようやく回転を始めた。

無茶な救出劇は勇者に任せ、自分に出来る事をすればいいんだ。


「……この船が、使えるな」


いずれ来る王子様など、待ってはいられない。

自分の家に迷い込んだお姫様を匿うべく、小人達が行動を開始する。















































<第五章 その21に続く>






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