Ground over 第五章 水浜の晴嵐 その19 談義






 巨大な水の世界は夜の闇に沈み、星の光まで飲み込みそうな深淵を見せている。

世界を隔てる大河を心ゆくまで眺める展望台として、俺は束の間の休息を客船の甲板で過ごしていた。

実験室で研究に励む身の上で、犯罪者として追われ続けた一日は体力も気力も消耗させた。

甲板には足を休める為のベンチ以外何もなかったが、誰も居ない静かな空間は俺に心からの安らぎを与えてくれた。


「ふむ、光も差さない河の景色というのも味わい深いものだな…… 溺れ死んだ幽霊が顔を出してくれれば絶景なのだが、ここで文句を言うのは浅はかと言うもの。
この世界では何が起こるか分からないのだからな、フッフッフ」

「独り言なら河の奥底でゆっくり喋っててくれ。誰も邪魔しないから」

「美しき闇に染まる水面の向こう側には、鋭い牙を光らせるモンスターが泳いでいるではないか。
種族を超えたコミュニケーションも悪くはないが、我輩としては長年連れ添った親愛なる友との交流を深めたい」

「邪魔だと言ってるんだよ、俺は」


 甲板の調和を乱す愚か者に、俺は視線すら向けずに邪険に追い払う。

殺風景な景色に感じていた優しい静寂も、景色の邪魔となる存在がいれば情緒が無くなる。

ベンチに座り込んだままの俺に、手すりに凭れ掛かっている男は穏やかに語りかけてきた。


「ふふ、やはり友はそうでなくては。
我輩は友なら心配無用だと何度も言い聞かせたのだが、キキョウちゃんが泣くばかりで聞き入れなかったのだ。
カスミ殿を頼りに街中の噂を集め、一計を案じたがやはり柄ではない。所詮、友の真似事だ」

「広場での大芝居か。一応助けられたから、感謝はしているぞ」

「うむ、キキョウちゃんにその心伝えてやってくれ。友の言葉ならさぞ喜ぶであろうな」


 ……葵にも礼を言ったつもりなのだが、この男はこういう所は察しが悪い。

鈍いと言うより、友達を助ける行為そのものが当然だと思っているからだろう。

御伽話の英雄に憧れる変わり者の大学生だが、子供のような道徳観だけは尊敬に値する。

友情をこれほど部下する男も、今時珍しい。この世界ではどうか分からないけど。


「あの泣き虫は今頃王女様とお風呂か、呑気に」

「アリス・ウォン・マリーネット王女殿下はお疲れだ。入浴で今は疲れを癒して頂こうではないか。
王女殿下は妖精を見るのは初めてだと御悦びだったぞ」

「……俺が一番疲れているんですけどね」


 広場での大立ち回りで王女を救出――世間様一般では立派な誘拐――後、新しい隠れ家に選んだ結晶船。

長雨の危機を乗り越えた客船に乗り込み、仲間達と無事合流。

御転婆な王女様も安堵で力が抜けたのか、込み入った話は後回しで疲れを洗い流している。


「風呂場を覗くのは基本中の基本だが、王女殿下だと冗談では通じない可能性があるな……
無論、我輩は常に本気だが」

「未成熟なお子様に本気か。凄いな、お前」

「うむ、我輩は友と共に新たな歴史を刻むつもりだ」


 ……ロリコンだと言ってやるべきだろうか? いや、別の意味で本気だから止めておこう。煽るだけだ。

女性の裸体や幼女に何の興味もないが、基本には忠実に生きたい男。馬鹿である。

誘拐犯に覗き魔――笑えない地球コンビの誕生だけは阻止しておく。


「馬鹿話する為だけに、俺の休憩時間を遮った訳じゃないだろ。本題に入れ」

「友は王女殿下をどうするつもりだ。
無実を明らかにしたいのならば、王女殿下を一刻も早く送り届けるべきだ」

「――!」


 至極常識的な意見だからこそ、俺は逆に度肝を抜かれた。

葵は子供のような正義心を持つ男だが、同時に英雄願望の強い人間でもある。

母親に命を狙われる王女の救出――御伽話の王道とも言うべき展開に持ち込めば、間違いなく勇者になれる。

肝心の王女はまだ子供なので結婚は不可能だが、葵が望む英雄に限りなく近付けるだろう。

逆転は限りなく難しいが、美味しい話を見逃す男ではない筈なのだが……何故?


「カスミ殿の提案だ。今回の誘拐騒動に、彼女は請け負った護衛として、強い責任を感じている。
我輩が起こした騒動を含めて無罪を勝ち取るのに長い時間はかかるが、手配は取り消せる。元々は冤罪だ」

「……楽観的に考え過ぎじゃないか? 人様に押し付けてばかりの普段よりも酷いぞ。
娘殺しの母親や暗殺者が背後に控えている事件だ。
素性も知れない俺達は誘拐犯及び王女殺害犯にピッタリなんだぞ。この絶好の機会をみすみす逃さない。
送り届けた所で、謀略の闇に引きずり込まれるだけだ」


 ならば尚の事喫茶店での別れが縁を切る最高のタイミングだったのだが、自分で不意にしてしまった。

後悔はぼんやりと感じているが、夜の世界で過ごす船旅に浸れば簡単に回復する程度。

掴んだ小さな手の平はひんやりと冷たく、心地良かった。


「王女殿下御本人の証言もある、友が堅苦しく考える必要はない。
カスミ殿も冒険者の組織にも顔が利く、協力は惜しまないだろう」

「……今度は裁判ドラマでもやりたいのか、お前は。
国を相手に訴えて、見事に完全勝訴を掴んだ判例は少ないんだぞ」


 勇者冒険記を脳内展開する葵は鬱陶しいが、常識的見解を静かに説くコヤツは気持ち悪い。

俺の冗談じみた反論に、葵は手摺から身を離して緩やかに笑う。

真っ黒に染まる河を背景に、静かな微笑みで――


「友が居ない間、麗しき女性陣が哀しい顔をしていてな。紳士たる我輩もセンチメンタリズムなのだ。
女性の純粋な涙は、男を感傷的にしてしまう」


 涙と共に河に流されてしまえ、感傷主義者。

たく……皆が心配していたのなら、素直に言えばいいものを。

馬鹿のくせに回りくどく言って、鈍感な俺に少しでも気付かせようとしたのか。こいつなりに。

皮肉な言い回しがらしくて、俺はようやく笑う事が出来た。


「協力を御願い出来るのなら、当然ありがたく頼むさ。俺は今はまだ一学生だからな、頭を下げて教えも請う。
今日一日で、一人で戦い続けることに限界を感じたからな。

俺の無罪、お前の功績、アリスの救出、カスミの職務達成、氷室さんやキキョウの旅の安全――

全部ひっくるめて叶えて、憂いを絶つ。まずはアリスの話を聞いて、今後の具体案を立てる。
今度の敵は国家――村を襲う盗賊団や、街を苦しめる天候とは訳が違うからな。
出来る限りの協力を求めよう」


 迷い続けていた時間は、既に終わっている。行動に必要な勇気は、俺の中で事件への探究心となり輝いている。

仲間は心配させる為ではない、頼り頼られる為に必要なのだ。

その程度の事、この異世界でわざわざ学ぶべき事ではない。再認識させられただけだと、負け惜しみは言わせて貰う。

俺と葵は顔を見合わせて、声を揃えて言った。


「チームを作る。この事件の研究成果を出す為に」

「パーティを作るのだな。この事件を解決する為に!」


 ハイタッチ、科学者と冒険者が正式に手を組んだ。

事件の背後関係も見えず、今後の見通しも立たない。

どれほどの規模に発展になるか見当もつかないが、俺達はこれまでどんな騒動にも遊び半分で乗り越えてきた。

魔王を倒すのは勇者一人の役目。

レベルの低い俺達は力を合わせて、生活の危機に打ち克つのみ。

その為なら情報収集だけに用意された無個性な街の人々でさえ、仲間に入れてみせる。

それにしても俺もいよいよ研究チーム結成か――ふふ、なんていい響きなんだ。


「あは、アリスの誉れ高き騎士団の誕生ね! キョウスケったら、分かってるわね」

「ア、アリス様〜!? 下着を穿いてくださいですー!」


 薄着一枚の奥に見え隠れする白い足をブラブラさせて、アリスが歩いてくる。

風呂上りの王女にタオル片手に飛んでくる妖精、様子を伺いに来る女剣士と大学のアイドル。

御伽話にも存在しない異色のメンバーを揃えて、俺達は決意新たに活動を開始した。


まずは、この物語の冒頭。


下着も穿かない御転婆なお姫様の、哀しき運命を聞かせて頂こう。
















































<第五章 その20に続く>






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