Ground over 第六章 スーパー・インフェクション その17 猛獣
ファイターラビットは数あるモンスターの中でも最下級に属しており、俺の見た感じでは獰猛な兎という印象程度でしかなかった。
どれほど凶暴であろうと、所詮は兎。野良犬ならば頑張れば成人男性でも殺せるだろうが、兎はどれほど大暴れしても傷をつけるくらいしか出来ない。
ゆえに彼らは群れを成して、人間に襲いかかる。このナズナ地方では特に数だけは多く、若葉マークが付いた冒険者達にはいい相手となっていた。
カスミが教師を務める冒険者教室でも実戦訓練の相手に選ばれていて、冒険者育成の為に積極的に狩りに出て仕留めていたのである。
後から思えば――そんな人間達の身勝手な乱獲が、"伝説"の怒りを買ったのかもしれない。
「"青い目のファイターラビット"だ! 伝説のモンスターが大暴れしていて、被害が多く出ている!」
「何だって!?」
一瞬自分の耳を疑った、当然である。元居た世界で言うと、ツチノコが出たと言われたに等しい。相手の言葉よりもまず、自分の耳を疑いたくなってしまう。
疑問を抱いたのも束の間、生真面目な女性であるカスミの切羽詰まった表情と口調に己の見識を改める。此処は異世界、何が起きても不思議ではない。
己の中で絶対なのは神ではなく、科学のみ。発生した現象を疑惑の目で見つめるのではなく、冷静な観点で観察しなければならない。
「伝説が現れただと!? こうしてはおれん、すぐに出陣しなければ!」
「お、おい!?」
詳細を確かめもせず、葵は剣を掴んで駈け出して行った。止める暇もありはしない。あいつめ、すっかり剣が身体に馴染んでいやがる。
出ていった愛弟子をカスミは慌てて止めようとしたが、既に手遅れだった。露骨に舌打ちして、彼女は俺に向き直る。よほど、苛立っているようだ。
「本当に"青い目"なのか? 港町の冒険者案内所でも過去出現した記録がないんだぞ」
「私が実際にこの目で見たし、私の生徒達も皆確認している。本当に、現れたんだ!」
伝説の存在の出現――冒険者でも何でもない俺の心に湧いた気持ちは高揚ではなく、驚愕だった。伝説が現れた喜びよりも、本当に現れた事への驚きが上回った。
科学者になる道を選んだその時から、純粋無邪気な子供心は消え去っている。葵なら喜び勇んで飛び跳ねるだろうが、俺は冷徹に村興し計画への貢献度を考える。
伝説のモンスターが万が一狩られれば、大金を支払わなければならない。実に痛い損失、資金面では大幅なマイナスとなってしまう。
高額の賞金はあくまで、出現率の低さに見合った報酬である。ツチノコを探すのと同じく、発見例も手掛かりもないゆえに大金を設定している。
冒険者案内所の所長でさえも、この依頼には懐疑的であった。誰も狩りに行く者などいないと、高を括っていた節がある。そして、その認識は間違えていない。
まさか本当に出現してしまうとは……通常ならば頭を抱えてしまいたくなる状況だが、科学者ともなればあり得ない事でも想定しておくものである。
世紀の発見とは、決してあり得ない所から見つかるものだから。
「分かった、こちらでも対策を立てよう。何とか生け捕りに出来ればいいんだが」
村興しに大切なのは、知名度。一人でも多くの人に、知ってもらわなければならない。何にもないただの田舎町では、若者達も好んで行こうとはしないだろう。
俺は冒険者という存在に注目し、彼らを集めて村に賑わいを取り戻そうとした。特色も名産も無い村で、人を集めるのは至難であったから。
けれど、もし宣伝材料があれば――"青い目のファイターラビット"、伝説のモンスターともなればこれ以上の存在感はない。
この地方にはファイターラビットの数が多いのは、周知の事実。そこへ"伝説"を祭り立てれば、此処はモンスターの聖地ともなりえる。
モンスターは人間の嫌われ者、駆除すべき対象であり祈る存在ではない。けれど悪魔や邪神といった、忌み嫌われる存在もまた人の心を惹きつけるのだ。
青い目のファイターラビットには、多くの逸話がある。その肉は難病を治すとも言われている。仮に本物でなくても、土産物だって作れる。
"伝説"が生み出す宣伝効果であれば、破格の賞金を支払ってもお釣りが来る。村もきっと、活性化するに違いない。
「何を呑気なことを言っている!? 生け捕りなど不可能だ!」
「おいおい、何事も最初から諦めるのは――」
浮かれた心に、違和感が生じる。"伝説"に高揚していないといったが、将来的に見込める利益に浮かれてはいたらしい。カスミの必死な形相が、困難を伝えていた。
――被害が、出ている……? カスミは最初、確かにそう言った。カスミまで出動していて、何故人的被害を被っているんだ?
"青い目"とはいえファイターラビット、兎のモンスターだ。熟練者であるカスミならば、簡単に屠れる。カスミの生徒達も鍛えられており、最下級モンスターくらいは倒せる。
たかが兎に、何故これほど大騒ぎになっている……?
「もしかして、"青い目"は――別格なのか?」
「いいから来い! 見ればすぐに分かる」
俺はこの時、まだ"伝説"を侮っていた。軽視していたと言ってもいい。なまじ発見例がないだけに、兎というカテゴリー枠に押し込めようとしていた。
今この瞬間――俺は、"伝説"を目の当たりにする。
ではここで、兎という動物について触れておこう。そもそも兎とは草原や森林などに生息し、種類によっては地中に複雑な巣穴を掘って集団で生活する。
縄張り意識が強く、臭腺をこすりつける事で臭いをつけてテリトリーを主張。食性は植物食で草や木の葉、樹皮や果実などを食べる。
ウサギは繁殖動物に分類され年中繁殖することが可能であり、多産で繁殖力が高い動物である。ノウサギは長期的で、緩い繁殖期を持っているという。
意外と知られていないのだがこの繁殖率の高さにより、国や地方によっては環境問題にまで発展している。
「なっ――何だ、あの数!?」
「恐らく、"青い目"はファイターラビットの王だ。このナズナ地方のファイターラビットを統率している」
ナズナの森の方角から押し寄せる、ファイターラビットの群れ。問題はその数、常軌を逸脱した数が怒涛の勢いでこちらに迫っていた。
葵の学生鞄に入っていた双眼鏡を用いて観察しているが、とても数え切れない。草花を蹴散らして、猛烈な勢いで兎のモンスターが襲いかかって来ている。
兎の軍団、その中央に降臨する王――双眼鏡で見ても明らかな、"青い目"
「カスミの教え子達が戦ってくれているのか」
「善戦はしているが、いかんせん数が多い。兎とは思えないほど、見事な統率を為して我々に牙を剥いている。
ファイターラビットは確かに群れを作るが、これほどの数を統率するのは不可能なはずだ」
「まさか――"非言語コミュニケーション"か」
兎は声帯を持たないので滅多に鳴く事はないのだが、代わりに『非言語コミュニケーション』という手段を用いている。
種類にもよるが兎は時速60〜80kmで走ることが出来て、発達した後脚を地面に強く打ち付ける『スタンピング』というやり方で、天敵が接近した事を知らせたりもする。
"青い目のファイターラビット"、奴は恐らく――その機能に特化した、猛獣だ。
「"青い目"はスタンピングをする事で仲間に警戒を促し、苛立ちや不安などの不快な感情を誘発している。
その感情の暴発が仲間達を殺気立たせていて、うねりを伴って人間への反逆を促したんだ」
「馬鹿な……ファイターラビットに、そんな能力が!?」
「この草原は、奴らの縄張りだ。ナズナ地方は旅人にとっては通り道、これまで通り過ぎるのみだったので連中の暮らしは平穏だった。
そこへ俺達が――いや、俺が冒険者達に積極的に狩らせていたので、怒りを買ったんだろうよ」
唇を、強く噛み締める。何という、皮肉か。村人達のコミュニケーション力を高める努力をしていて、非言語コミュニケーションの化物を怒らせてしまった。
村人達は未だに閉じこもったままなのに、兎は自分達の縄張りを荒らされて早速行動に出た。肝心の人間は全然動かないのに、動物は動き出したのだ。
引き篭もったままの村に向けて、兎達が戦争に出向いた。俺のやった事は、村そのものの侵略にまで悪化させてしまった。
今時の無気力な若者達は、兎にすら勝てないのか――他者と交流する力を失った村人達に、コミュニケーションの化物が襲いかかる。
<続く>
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