Corporate warrior chapter.1 -permanent part timer- story.6 | |||
死に直面する事態に陥ると、人間は信じられないほど愚かになるらしい。 本を抱えて慌てて飛び出して、自分が着古した部屋服である事に赤面。 すぐに危うい状況でどうでもいい事に悩む自分の馬鹿さ加減に、舌打ち。 次の瞬間、俺の部屋の窓から眩い光が放出された。 「本当に召還されたのか!? ど、どうする……? 警察――なんかに頼れる筈が無いだろ、馬鹿が!」 面接官に嫌われる、縮み上がった心臓。少しの躓きで理性が吹き飛ぶ小心者。 想定外の事が生じると、焦ってミスを連発してしまう。 警察への通報は常識的な判断なのに、自ら袋小路に飛び込んでしまう。 気が付けば回れ右して、脇目も振らず駆け出していた。 何の指示も出さない脳に愛想を付かして、身体が自分に都合の良い行動を選択。 すなわち、生活習慣。引き篭もりのニートである自分、行動範囲は非常に狭い。 ――懇意にしている本屋やコンビニのある駅前に出て、多くの人の気配にようやく我に返った。 「ハァ、ハァ、ハァ……ゥッ……」 安普請のアパート、最寄の駅から徒歩十分。 それだけの距離を走っただけなのに肺は貪欲に酸素を求め、運動不足の身体が悲鳴を上げる。 精神的圧迫に細い神経は削られ、理性が降伏を訴える。 本を捨てて逃げろ、引き篭もり生活への撤退。何をするにもやる気が出ない、枯れた老人への最短距離。 「くっ……もう走れそうにないし、か、隠れないと……」 前向きな判断も、後ろ向きな諦観も出来ず、どっちつかずの保留。 25歳にもなって働けない最たる原因を、また選んでしまう。 俺はこのまま……死ぬまで保留するのだろうか? 「フゥ、ゼェ……此処なら多分、大丈夫だろう……ハァ……」 駅の中の男子トイレ、一番奥の洋式便所に入って鍵をかける。 田舎駅の御手洗いは異臭がやや鼻につくが、今は安心感の方が強い。 ――結局、逃げ場は何時でも同じのようだ。 「イムニティからの連絡は無いか……妨害されているのか、既に消されたのか――くそっ! 俺はこれからどうしたらいいんだ? どうしたら……」 日雇いなどのアルバイトに出た時も、俺はこうしてトイレで一服する時があった。 数人単位ならまだしも、十人を越える現場だと二種類に分かれる。 人望のある人間と、全く無い人間―― 人に好かれるのも一種の才能、大勢に囲まれて公私共に充実した時間を過ごす。 集団行動が苦手な人間は場に馴染めず、一人の空間に逃げてしまう。 厄介な事に一人の時間に安らぎめいたものを感じ、こうしてトイレの中でくつろぐのだ。 本当に困っていても、誰も助けてくれない。このまま死んでも、誰にも認識されない。 この世界の何処かで誰かが死んだ――心は何も揺れず、皆自分の生活に戻る。 一人を選んだ自分自身の責任、分かっていても泣きたくなる。 今だってそうだ、俺は携帯電話を持って来ていない。そんな発想も出なかった。 誰にも繋がらない電話に、何の意味も無い。 手放さなかったのは死んだ精霊が眠る本と――自分の意思を伝えるペン。 額に滲む冷たい汗を拭って、俺は赤の書に今感じた気持ちを記していく。 後悔まみれの遺言ではなく、拙い願望を乗せた未来への展望を――妄想だけで終わる、現実を。 "白の書の精霊、イムニティ。君は必ず助ける。 自分に出来る事なんて何も無い、いつもそう言って逃げてきた。 確かに今も助ける方法は分からないけど―― 俺は必ず、君を助けてみせる" 就職情報誌に書かれていた内容を、思い出す。 自分に出来る事が分からないのなら、やりたい事をまず探してみる。 細い指針でも頑張って見つけて、努力する方向を決めていく。始まりは人それぞれなのだと―― "君は俺を必要としてくれた。俺は本当に嬉しかった。 この先、俺はどうすればいいのか分からない。けど、やりたい事は出来た。 ――君のやりたい事を、全力で手伝う。 君に喜んで貰いたい。白の書の精霊イムニティに、もっと必要とされたい" 駄目な大人と認識しているからこそ、昔に戻りたいと思ってしまう。 今まで味わった失敗だらけの経験を生かして、昔の自分を正して生きたい。 自分の意思が確立する中学や高校時代に戻り、自分の人生を変えたい。 そう思ってしまうのは、今の自分が鏡も見れないほど大嫌いで――愛しているからだろう。 "誰かに必要とされる自分になる。必要と思う、仲間を見つける。 一生懸命勉強して、汗いっぱい掻いて運動する。 愛されてもいい、恐れられてもいい――誰にも何も思われないのが、この世で一番辛い事だ" 人を助けるのを煩わしく思う自分と、人を傷つける事を恐れる自分。 二つの相反する我が他者を拒み、殻に閉じこもり、生きる気力を自ら奪い去った。 何かしなければならないと、ずっと思っていた―― 大人の階段を上って、ようやく気付いたのだ。 誰も傷つかない世界なんて、何処にも無いと。 『発見』 悲鳴に似た甲高い金属音に顔を顰めて、本を閉じて立ち上がる。 トイレの頑丈な窓ガラスが割られたのだと気付いた時には、既に遅かった。 木製のドアが鍵ごと吹き飛んで、床に崩れ落ちる。 鮮やかな破壊に我を忘れて佇む俺に――非日常が、舞い降りる。 『召還システムノ障害ヲ感知。白ノ書ノ精霊イムニティト、断定』 金の髪を黄殊石の髪飾りで結った、美しき少女。 何の感情も感じられない、無機質な音声――女性の綺麗な声だからこそ、不気味に聞こえる。 ガラス細工のような瞳は何も映さず、見つめれば囚われてしまいそうだった。 精巧な人形のように整った顔立ち――氷の相貌は美しくも、冷たい。 『赤ノ書ヲ、渡シテクダサイ』 定型文を読み上げているだけの事務的な声が、逆に恐ろしい。 何もかも現実離れしていて、状況の把握どころか意識が追いついていない。 震わせる身で赤の書を抱き締めているのはただの硬直か、それとも―― 『書ノ中ノ存在ハ、貴方ヲ――貴方達人類ニ破滅ヲ招キマス』 歯の根が合わず、ガチガチと奇妙な音を立てるばかり。 引き篭もりで鈍っていた感覚が、危険に晒されて尖っている。 見た目はまだ幼さの残る女の子なのに、俺は心の奥底から恐怖を感じていた。 『何人モノ人間ノ運命ヲ歪メ、弄ビ、生命ヲ奪ッタ魔女―― 人間ヲ破滅サセル、邪悪ナ精霊デス』 「イ、イムニティが、そんな……」 『事実デス』 異世界からの使者が、冷酷に突きつける事実。 心の中では必死に否定しても、少女の言葉が脳を芯まで侵食していく。 ――神の破滅を願う、呪われた精霊。 イムニティを殺したダウニーは、赤の書の精霊とその主に倒された。 そして、世界は平和になった。白の書の精霊と主が死んだ事によって。 ならば人々の平穏を最初に乱したのは誰なのか、この物語のハッピーエンドが証明している。 考えてしかるべきだった。 世界は、善意だけで成り立っていない。 日が差せば影が生まれるように、救世主と成らんとするには真逆の存在が必要だ。 この世に蔓延る善悪。赤の書が善とするなら、白の書は―― 裏切られた者が必ずしも、悲劇のヒロインとは限らない。 『赤ノ書ヲ手離セバ、貴方ハコノママ平和ナ世界デ生キテイケマス。渡シテ下サイ』 「――!」 差し出される小さな手のひらが、何と圧倒的であるか―― 先程まで胸を熱くした思いも、恐怖に凍てついている。 少女の最後通牒に眩暈に似た誘惑を感じて、俺は居た堪れなくなり視線を落とす。 ――以前働いていたバイト先を辞めた時、未来への不安より開放感が勝った。 煩わしい人間関係から解放される、苦しいだけの仕事も放り捨てられる。 狭いアパートの部屋だけが、唯一の安息の場。社会から逃げて、ただ安堵していた。 あの生活に戻れる……? この本を、イムニティを捨てれば―― 「こ、この本を渡せば……俺は、み、見逃してもらえますか……?」 『約束シマス』 「……そうですか。はは、安心しました。 安心して――しまいましたよ、俺って奴は……」 『?』 緊張に濡れる汗を掻くなんて、本当に何年ぶりだろうか? 手に汗握る状況とは、よく言ったものだ。 俺は相手さえ満足に見れないまま、震える手先で本を開いていく。 「貴方の言う『平和』とは何ですか? お、俺は貴方の言う平穏な生活に――何も、感じられないんです。 喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、何にも無いんです! こいつを捨てて得られる『平和』なんてのはね、俺にとって何の価値も無い!!」 広げた頁に記されているのは、人間と精霊の生きた会話。 世界から見捨てられた哀れな負け犬達が、出来もしない事を語り合っている。 社会に復帰して偉い人になる、世界の創造主を超える―― 愚かしくも素直な気持ちを、俺達は見せて慰め合った。 誰からも嫌われていても、お互いが必要としていれば生きていけると感じられた。 「自分自身の平和より、俺は白の書の精霊イムニティを取る。 茨の道で傷つく事になろうとも――ぬるま湯の中で、安息に溺れるよりはマシだ。 ……アンタの言う事も分かる。人殺しを庇うのだって、罪だ。 でも……誰かに非難されるのを恐れて、何もしないなんて俺はもう耐えられない。 俺はこの子を選び――駄目な自分を、破滅させる!!」 安アパートの安息の日々に、俺は今度こそ決別した。 イムニティが本当に世界を破滅させる存在なら――俺もまた、共犯者だ。 もう二度と平穏は戻らない。これから先、多くの人に非難されるだろう。 「この本は、渡しません」 けど、後悔はしていない。 就職情報誌ではなく、世界の真実が記された本を参考書に。 異世界の面接官に、イムニティと俺のこれまでが記された履歴を見せた。 ニートな自分に相応しい、駅のトイレで行われた面接で――俺は自分の意思を、確かに伝えた。 『ナラバ――貴様ゴト排除スル!』 少女の突如の変貌が、逆に俺を冷静にした。 自分の感じた恐怖に従って、本能のまま回避行動を取る。 破壊されたのが幸いして、俺は壁が壊れた隣の便所に転がり込んだ。 「うわ、わっ!?」 少女の手から放たれた見えない何かが、洋式便器を見る影も無いほどプレスした。 力に踏み潰された便器なんて、見たくも無い。 ――平和的に差し出したその手で、俺を殺そうとした。 反射的な怒りが、口から迸る―― 「断ったら、容赦なく殺すのか!? どっちが悪の手先だ!」 『我ノ世界ニ異分子ナド不要。排除スル」 美しい少女からの禍々しい宣告は、背筋を震わせる。 社会の底辺を這いずり回る無職に、太刀打ち出来る相手ではない。 自分の人生をかけた奮起でも、本能的な恐怖にはなかなか勝てない。 ニートとはある意味で、自分の弱さをよく知る人種である。 気力が萎えない内に、俺はトイレの出口に駆け込んだ。 今の時間ならまだ外に人が居――ない!? 「なっ――何なんだ、これ!? 霧、か……?」 トイレを飛び出した先が――真っ白に染まっていた。 白い靄のようなものが周辺を覆っており、一メートル先も見えない。 ……まさか、この騒ぎに誰も人が来ないのは!? 「ぐああああああああァァァァァァーーーー!!」 全身の神経に至るまで突き刺す突然の痛みに、俺は絶叫して倒れた。 体中から漂う焦げ臭い匂いに、舌まで犯す痺れ――電気ショック。 物理的に抵抗力を奪われて、赤の書が床に転がる…… 『存外ニ、力ガ行使デキン……人間如キニ手間ヲカケタ』 「……っ……」 痛みより強い麻痺に、声も出ない。 少女は倒れた俺を見向きもせず、床に落ちた本に手を伸ばす。 強者は弱者に興味も何も示さない。敗者は己の非力に泣くだけ。 ――その態度が、面接時の社長と重なった。 「……っ……っっ……!」 あの時は俯いたまま、後ろ向きな言葉で引き下がっただけだった。 食い下がれば、評価を改めてくれたかもしれない。テストで少しは挽回も出来ただろう。 本当に働きたいのなら、自分を少しでもアピールするべきだった―― 「……っ――ィ!!」 簡単に諦めるような男を、誰も認めるものか! 声を張り上げなければ――自分の意思を見せなければ、絶対に相手には届かない。 本当に欲しいのなら、自分の手で掴み取れ! 行かせない、行くな――まだ弱い。 持ち去られようとする本に向かって、俺は喉が張り裂けるまで叫んだ。 「来い、イムニティ!!!」 "よく聞いてほしい。私は貴方に選択を委ねたい。 私は、貴方の――召喚器だから" to be continues・・・・・・ | |||
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