Corporate warrior chapter.1 -permanent part timer- story.7 | |||
掴んだのは死神の冷たい手ではなく、精霊の温かい掌―― 暗く閉ざされた空間に風穴が開いて、赤の書から麗しく登場を果たす。 白の書の精霊――イムニティ。 赤紫色の髪を紅玉石の髪飾りで結った、襲撃者と瓜二つの美少女。 形の整った眉、煌々と輝く紅瞳、つんと尖った鼻梁、桃色の可憐な唇―― すべてが計算しつくされたかのような、整った顔立ちをしている。 二人並ぶと鏡に映ったように同じ存在でありながら、イムニティの暴力的な美貌に心を奪われてしまった。 人の目を引き付ける美は、棘のある薔薇と呼んでもよいのかも知れない。 白の書の精霊でありながら、純白を血に濡れた朱の花で染めている―― 芳しき花の芳香が漂ってくるかのような錯覚すら感じさせた。 「私を求めてくれてありがとう、マスター。 世界の支配因果律を司る白の書の精霊イムニティ、これより貴方の為に力を振るう事を誓いますわ」 「イムニティ……あの本で話した……?」 「ええ、そうよ。正確には"元"白の書の精霊だけど。 救世主に選ばれず、ユダの手に堕ちた業の深き亡霊。 宿命を果たせず滅んだ英雄達の無念を糧に、絶対者たる神に反旗を翻す呪われし存在――破滅の召喚器"イムニティ"。 神殺しの刃として蘇った貴方の武器よ、冬真 奏」 「神殺し――君が、本当に……」 破壊された男子トイレで悠然と浮かぶ、襲撃者。 奪われかけた赤の書は、イムニティの登場で床に落ちていた。 ……ワゴンセールの一山幾らの本を巡って、命を狙われるとは夢にも思わなかったな。 妖艶に微笑むイムニティとは違い、醜悪な怒りに顔を歪める襲撃者。 徐々に回復しつつある舌を動かして、声を振り絞る。 「そう、か……彼女は、もう一人の精、霊……」 「うふふ、よく似ているでしょう。この娘が精神を守る赤の精――っ!? 問答無用とは恐れ入ったわ、オルタラ。それとも特別に、『リコ・リス』と呼んであげましょうか? 私は今、とても気分が良いの。ようやく巡り会えたのよ、私だけの主に」 白の書と赤の書、二つの本が全ての世界の理を示す。 起源が同じであるならば、司る精霊の在り方も同質。その程度の大雑把な推測だった。 髪の色や瞳、服の色などの外見――何より内面が異なるのは、記述されている内容の違いだろうか? 友好的とは到底言えない関係なのか、イムニティの言葉を遮る不意打ち。 視界を焼く猛烈な閃光は俺に到達する前に、イムニティが対応。手を翳しただけで消失する。 誇らしげに紹介された現主がトイレの汚い床に転がっていては、羞恥よりも情けないだけだった。 「マスターとの睦事を妨害してくれたけど、存在が確立した今の私に――オルタラ?」 「書ノ精霊ガ自ラ理ヲ曲ゲ、救世主システムニ取リ入ッタカ。浅マシイモノヨ」 「っ! お前は……そう、そうなの……うふふ、あははははははは!」 哄笑を上げる白の書の精霊。 実に楽しげに、心から愉快そうに――心胆を凍りつかせる、冷たい微笑みを浮かべて。 嵐の前の静けさを本能的に感じ取り、俺は即座に顔を伏せた。 「会いたかったわ――神!」 ――狂騒劇が始まった。 空間が捻じ曲がり、便器が宙を飛び跳ね、洗面台が壁に激突し、水道が逆流する。 トイレの反乱は襲撃者を飲み込み、破壊された報復と言わんばかりに押し潰していく。 津波のような怒号が、彼女の怒りの大きさを表現していた。 久しく感じていなかった生の感情――今までの俺がいかに閉塞的であったか思い知らされる。 半ば眠っているような引き篭もり生活を送っていた俺には、殺意さえ眩く見える。 社会人になって、純粋な怒りなど感じた事があっただろうか……? 暴風の中心で守られている状況で、俺は場違いな思いに囚われた。 「――所詮、朽チ果テシ存在。矮小ナ力ヨ」 「! き、利いていない……!?」 「くっ……力さえ取り戻せば、お前などに――」 見る影もない手洗い場で、神の使いは変わらず其処に在った。 怒りに満ちた精霊の力も、絶対者には何の影響も与えないというのか。 次元が違う、世界が違う――存在そのものが違う。 笑みを絶やさないイムニティも、余裕がないように見える。攻撃した側が押されている。 「己ガ在リ方ヲ変質サセテ、我ニ挑ムトイウノカ。何モ変エラレヌトイウノニ」 「変えてみせるわ。 お前を倒す為なら、世界の支配因果律を――運命さえも変えてみせる」 「救世主ヲ見ツケラレズ、破滅モ行エズ、書ノ責務モ果タセズ、人間ニ滅ボサレタ失敗作がヨク言ウ」 「っ……」 人を殺せそうな視線を神に向けるが、イムニティの殺意が揺らいでいる。 唇が強く結ばれており、憎々しげに神の使いを睨んでいた。 迷いが生じている、今のイムニティを支えている執念に。 「貴様ハ既ニ死ンデイル。理ヲ外レタ精霊ニ何ノ価値ガアル」 「私は――!」 「白ノ書ノ精霊イムニティ。貴様ハモウ不要ダ」 それは――事実上の解雇通告。 単なる雇い主ではない、産みの親とも呼べる存在に捨てられた。 これまでの存在理由を完全に否定されたのだ。もはや、世界の理を司る書の精霊ではない。 親に反抗した子供の末路、社長に逆らった人間が捨てられた。 社会のルールに照らし合わせば当然だ。方針に逆らえば、容易く首を切られる。 そして飲み込まれる、厳しい現実に飲まれて。 彼女はまだ抵抗の意思を見せているが、出逢った頃の覇気が感じられない。 屈辱か、悲しみか……言いようのない何かに、必死で耐えている。 絶対者たる神は今、世界のシステムからイムニティをリストラした―― 「――イムニティは、俺のような役立たずのクズじゃない」 イムニティの劇的な登場が、僅かな休息の時間を作ってくれた。 呼べば助けに来てくれるなんて、ヒーローのようだな。こんなに可愛いのに、はは…… 電気ショックの影響が酷く、足腰が満足に立たない。 俺は痛みと痺れに震える手をついて、上半身を起こす。 「子供は、親を超えて……一人前になる。 イムニティは確かに役目を果た、せず、惨めに、殺された……ハァ、ハァ……でも、諦めなかった! 死んで尚理不尽に負けず、運命に抗って、アンタの作った絶対の法則を覆そうとしている。 そんな人間に、価値はないというのか!」 暖簾に腕押しなのは分かっている。八つ当たりなのも認めよう。 イムニティを殺したのはダウニーという人間であって、神ではない。責められる筋合いはないだろう。 死人はさっさと死ね、当然だ。皆それぞれ違えど、死は平等に訪れる。 「アンタは想い一つで、自分の死を覆せるのか!? 誰が思う当たり前を変えられるのか? 過去に前例のない事を、アンタは行えるのか! 娘がルール違反しただけで、ムキになって殺そうとしているくせに。 自分の手も汚せない卑怯者に、こいつの本当の価値なんて分からない!」 「……マスター……」 過去どれほど悪行を重ねたのだとしても、俺はイムニティが気に入っている。 自分に起きた悲劇を、文字通り死にもの狂いで変えようとする想いに惹かれた。 どれほど身勝手で理不尽な夢でも、俺には眩く見えたのだ。 「社会から――世界からダメ出しされた者の気持ちなんて、理解できるものか!」 怠惰な生活で腐っていた感情が、たった一人の女の子の存在で目覚める。 奮い立つ心が鈍る身体に活を与え、血潮を熱く滾らせる。 俺は、立ち上がった。 「我ノ力ヲ受ケテ立チ上ガッタ!?」 驚きのようなものを見せるが、ただそれだけ。 這い蹲って死ぬか、立ち上がって死ぬかの違いでしかない。 死の運命は定まっており、非常な現実の前に俺はどこまでも非力だった。 「まだ力は残っているか?」 「――勿論ですわ、マスター。この身は貴方の為の武器。存分に力を発揮して下さい」 危機的な状況だが、頼もしい返答に頬が緩む。 尊大な自信と慇懃無礼な態度、主従を謳いながら優位を求める自尊心。 気高い美の精霊――死神すら恐怖して跪く。 ひもじい生活に喘ぐニートの浅ましさを、見せてやる。 「イムニティ、あの娘は君の言っていた『赤の書の精霊』だろう。操られているのか?」 社会生活にあまり役には立たない、漫画や小説の中にしか通じない知識の流用。 現状起きている状況や言動から判断して、突拍子もない結論をこじつける。 イムニティは相手を警戒しながら、難しい顔をする。 「……神が現世に直接関与する事は通常ありえない。神卸しには正当な手順と儀式を必要とするの。 システムから脱け出した私を相当恐れているようね、神様」 「力ヲ吸収サレタ残リ滓ガ、召喚器トハ――」 「女の恨みは恐ろしいのよ。それに、召喚器は呪いの産物のようなものでしょう」 余裕を取り戻した小悪魔に、さしもの神も言葉を失っている。 イムニティが作ってくれた、空白の時間。考える事に集中する。 愚鈍に生きてきた俺だが、命の危機ともなれば必死になる。イムニティが居てくれるだけで、驚くほど心が落ち着いている。 ――神は何らかの理由で世界に直接関与は出来ない。システム障害の排除を命じられた神の代理人が、赤の書の精霊。 神が刺客用に作られた偽者か、本物に神の意思を乗せた操り人形か―― いずれにせよ、神は自分の定めたルールを厳守するつもりのようだ。 神と断定するイムニティの判断を、俺は信じる。 本物の赤の書の精霊ではない可能性は、非常に高い。 ならば―― 「イムニティ、あいつを足止めしてくれ!」 身体を蝕む痛みを噛み殺して、俺は破壊された便所を走り抜く。 気付いた神様が無慈悲に攻撃を仕掛けるが、イムニティが立ち塞がって防御。 俺を一瞥して、涼やかに微笑みかける。何一つ聞かず、己の運命すら預けて。 主からの命令を至上の喜びとして、神を相手に立ち向かう。 今こそ正念場。期待に応えなければ、俺はもう男ですらなくなる。 「ゼェ、ゼェ……あ、あった……」 神の手から滑り落ちた、赤の書。 古本屋で手にした運命の本を胸に抱え、力なく座り込む。 悔しいが、疲弊して再び立ち上がる力もなかった…… 目の前では、天上に住まう乙女達の攻防戦が繰り広げられている。 視界を彩る強き力を宿した光が、危険な光芒を散らしていた。 ――明らかに、イムニティが劣勢。亡霊は神の威光に敵わず、純然たる力に押されている。 呼吸を整えて瞑目。命を預けてくれたパートナーを信じ、自分の役割を果たす。 「……アニー……ラツァー……ラホク……シェラフェット……」 この身に奇跡を起こす力はない。けれど――奇跡を起こす魔法の言葉を知っている。 偶然と必然で見つけ出した世界の真理が記された本、『赤の書』。 厳しい現実に怯えていた俺の前に現れた、世界を震撼させる精霊―― 自分の堕落した運命を打倒する、最後の機会を与えてくれた。 ――これを呪いというのなら、俺は喜んで受け入れよう。神の決定事項でも、覆してみせる。 もう二度と、人生を復帰するチャンスを逃さない。 何も感じられない植物のような生を送るより、大いなる破滅に身を焦がす死を選ぶ。 「……ゲルーシュ……フルバン……ゲルーシュ……アツーヴ……」 神卸しには正当な手順と儀式が必要であり、神本人は現世に直接干渉は出来ない。 俺達を襲う精霊が偽者でも、洗脳でも関係ない――今此処に、呼び戻せばいいのだから。 偽者ならば本物が降臨し、本物が洗脳されているなら精霊の意思が戻るはずだ。 「……ベソラー……コハヴ……シェラヌ……ティクヴァー……」 悪い頭でも、直接脳に刻み込まれた言葉は忘れようがない。 「召還」魔法――対象となる存在を、この世に呼び戻す魔法。 神のように傲慢に呼び出すのではなく、人として助けを呼んで来て貰う。 一般人に魔法は使えないが、俺にはイムニティが居る。俺が本屋で購入した赤の書もある。 馬鹿馬鹿しいと現実的な社会人なら鼻で笑う理論も、俺は信じ込める。 自分勝手、自己満足な妄想に浸るのだけは得意だからな! 「採用――ようこそ日本へ」 赤の書が静謐に展開、破壊に彩られた空間を美しく照らし出す。 逃げ出す際にアパートの部屋を満たした光―― 不吉な閃光も、今は希望の光に見える。 「グオオオオオォォォォーーー!? オ、オ前ハ一体――」 赤の書の精霊は唯一人、世界の法則は過ちを許さない。 支配因果律を執念で捻じ曲げたイムニティとは、比べるのもおこがましい。 暗黒に閉ざされた世界は崩れ去り、影は光に飲まれていった。 「……ただのニートだよ。さよなら、神様」 自分の命を懸けたオセロ――黒は裏返って白となり、勝負は終わる。 破壊の暴君は消滅して、入れ違いにイムニティによく似た少女が召還された。 正当なる赤の書の精霊、オルタラ。 偽者などとは違う神秘性、気品ある佇まい、聡明な光が宿る瞳に意思があった。 「――私を呼んだのは貴方ですか? 召還陣も使わず、一体どのように――イムニティ!?」 「このような形で対面するとは思わなかったわ、オルタラ。 実に不本意だけど、システムを見事に応用した我が主を今は褒め称えるべきかしら」 「マスター!? ではこの方が、白の――」 「正解だけど的外れ、と言っておきましょうか。今はマスターの傷の手当てを……」 「う、うわあああああああーーー!? だ、誰か来てくれ!!」 突然の男の絶叫が、半ば夢心地だった勝利の余韻を一気に覚ます。 ひとまずの脅威が去り安堵していて、周囲の変化に気付かなかった。 ――悪夢が終わり、俺のよく知る現実が戻っていた。 「うるさい人間ね……なに、相変わらずの良い子ちゃん?」 「――事情は分かりませんが、手出しはさせません」 壊滅状態の手洗い場に腰を抜かす一般人を巡って、対立する精霊達。 男の悲鳴を聞きつけて、トイレの出入り口付近から何人かの声が近付いてくる。 人目につけば、騒ぎになるどころの話ではない。 「……よせ、イムニティ……今は……ぐっ……」 「冬真!? ……そうね、大事なマスターをこのままにはしておけないわ」 恐怖と緊張から開放された瞬間、眩暈と激痛に襲われて倒れた。 赤の書の精霊が良心的なのも手伝って、もう身体に力が入らなくなっていた。 昨日まで部屋に閉じこもっていた身――突然英雄になれるのは、物語の中だけだ。 イムニティは少しの間考え、渋々矛を収めてくれた。 「説明は、後で――この本を……」 火傷を負った手を持ち上げて、大事に抱えていた赤の書を本来の持ち主に渡す。 イムニティは目を丸くするが、やがて諦めたように嘆息する。 破壊された男子トイレ、異世界の理論は通じない。日本中の誰にも理解されないだろう。 そして神に逆らった俺ももう……戻れない。 平和な世界で、ただ漫然と生きていたあの頃には。 「――今だけは大人しく従ってあげる。私が手伝えば可能でしょう」 「連れて行くというのですか、彼を」 精霊は告げる。俺の新しい職場先を―― 「"アヴァター"へ」 そして、物語が始まる。 to be continues・・・・・・ | |||
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