とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第七十五話





 "印象と特別な光をめぐって、"夜想曲"が呼び起こす全てが含まれる"


 この言葉こそ、夜想曲の全てが表現されている。カミーユ・オードランが親友であるヴァイオラの事を話してくれた時に、この曲についても説明してくれていた。

作曲者クロード・ドビュッシーが一年の歳月を費やして作曲した管弦楽、『夜想曲』――「雲」・「祭」・「シレーヌ」の三曲が織り成す、壮大なる組曲。

"Sirenes"とは、ギリシャ神話などに出てくる神秘の生物セイレーンを意味している。彼女が最も得意とする、精緻なオーケストレーション。

楽器を使用する夜想曲の中で、女声合唱が加わられる曲である。


"――――"


 自分の目を疑う光景が、広がっている。永遠調和の天国、阿鼻叫喚の地獄、そのどちらにも見える異様な光景。荘厳なる世界が、少女の歌声で構成されている。

四十八カ国もの参席者、世界中より集った観光客、ヨーロッパの大国ドイツの国民達。何十、何百、何千、何万、何億――メディアを通じて、到底数えきれない人達が。

言葉も発せず、耳を傾けている。


"――――"


 歌詞のない、ヴォカリーズ。夜の空に光る月の光を映し、きらめく音波に乗せてヴァイオラの神秘的な歌声が平和式典に広がっていく。

トロンボーン、チューバ、ティンパニのような打楽器が使われていないというのに、この表現力。空虚五度によるリズムが、見事にアレンジされていた。

堪らず、膝をついた。どのような剣であっても、音を斬る事は出来ない。剣士とて人間、歌を聴く耳があり、音に感動する心がある。脳が、喜んでしまう。

涙が溢れるのを、抑え切れない。今この時ばかりは、音楽を教えてくれたフィアッセ・クリステラを呪った。


"クリステラ・ソングスクールとは、ソプラノ歌手であるティオレ・クリステラが開いているイギリスの音楽学校なの"


 平和を願う祭の盛り上がりと、祭の後の静けさの二面性が奏でられている。祭りの音楽が唐突に中断すれば、必ずや観客達が暴徒となりて殺しに来るだろう。

決して、誇張でも何でもない。平和式典に集っている大衆が全員、例外なく涙を流している。異常であり、当然。泣き声を出さないのは、歌を阻害しない為。

人生を通じて芽生え育まれた心が今この時、彼女に奪われてしまっていた。


"学校といっても私塾みたいなものだけど、一流の現役歌手による個別レッスンを受けられる。実績もあって、卒業生は世界に名高い歌手になっている"


 目眩がする。心を捧げてしまえば、どれほど楽なのか。この音楽に委ねてしまえば、どれほど心地良いのか。本当に神が天上にいれば、このような歌声を奏でるのだろう。

歌は世界そのものを回想しながら、消えるように曲を終わらせていく。歌が終わりを告げたその途端、静聴は大歓声へと変貌する。世界が、祝福の産声を上げるのだ。

イギリスの妖精が伝説の海の妖精の歌声を奏でて、人々を魅了する。麻薬のように、心さえも蕩けさせてしまう。


"彼女も、クリステラ・ソングスクールに誘われている"


 やがて祭りの主題と監修の主題が同時進行し、クライマックスを迎える。平和式典は大成功、世界各国が平和を願って祈りを捧げる。悪を根絶し、善を尊ぶ。

たかが歌、されど歌。綺麗であるために、性質が悪い。祈りであるために、醜悪極まりない。海の妖精に惹かれた漁師達も、こんな気分だったのだろうか?

痛みならば、耐えられる。苦しみならば、堪えられる。悲しみならば、委ねられる。どれほど辛くとも、人は我慢できる。


幸福だからこそ、抗いようがなかった。


"一度だけ、外に出た。一度だけ、歌った。一度だけ――人に、触れてしまった。街の中で歌い、自分の心を奏でた。何も無い心を、見せてしまった。
人はね生きる希望を持っているけど、破滅を望む想いも胸に秘めている。危うく、精神を壊してしまいそうになった"


 空に浮かぶ雲がゆっくり流れて消えていくように、心も消えようとしている。十年以上育まれた自我さえノイズであったかのように、歌が脳を上書きしていく。

霞んでいく目を重く持ち上げると、四十八カ国もの列強諸国が制圧されていた。東洋的な五音音階の旋律が、人々の心の糸を解いてバラバラにしている。

自分も間もなく、ああなるだろう。6/4拍子のリズムが、耳から消えない。拍節感が信念をぼやけさせらて、この曲独特のテクスチュアに酔いしれてしまう。

人々は今神に正義を請うのではなく、歌姫に祈りを捧げている。今、世界は平和になろうとしていた。


"御伽噺の妖精はとても可愛らしいけれど、それでも怪物の一種。可憐な容姿に魅せられてしまうけれど、化物でしかない"


 歌が、問い掛ける。正義を求めて、何が悪いのか。旋律が、問い掛ける。平和を願って、何が悪いのか。妖精が、問い掛ける。愛を捧げて、何が悪いのか。

歌が、終わる。曲が、終わる。国が、平和になる。人々が、正義を愛する。世界が、平等になる。地球が、歌に満たされる。


何が、悪いのか?



「――世界が、平和でありますように」



 俺は、倒れた。















『剣士さん。絶対に――彼女に、"歌わせてはいけません"』


 夜の一族の後継者との、深夜のデート。首都ベルリンで行われる平和式典の場に、二人っきりでお出かけをする。そのデートに向けて、俺の護衛である妹さんが警告を促す。

この娘が俺に直接意見をするのは、極めて珍しい。受動的なのではなく、雇い主の意思を最大限に尊重するのが彼女の姿勢。夜の王女は、人間の俺に主従関係を望んでいた。

それだけに、月村すずかの意見は重い。俺の安全を考えてくれているからこそ、俺に意見をする。不評を買うのも、承知の上で。

彼女との関係はまだ一ヶ月余りなのだが、アリサと同じく俺は妹さんを信頼していた。


『分かった、気をつけるよ。もし歌う素振りを見せたら、力ずくで取り押さえよう』

『お願いします』

『だけど、残念だな』

『彼女の歌を、聞けないことですか?』

『歌が聞けないのもそうだけど、何よりも歌わせられない事だ。彼女の得意分野であるのなら』

『……歌で剣士さんを魅了出来ないのならば、彼女の敗北となるでしょう』


 ツーカーの仲とは、「通過の仲」とも書ける。元々明治末期から大正にかけて漢語が大流行し、一般庶民が漢語を振り回した時期に誕生した言葉である。

物事が通過するように、こちらの意思が相手に伝わるというような意味で使われている。俺と妹さんの人間関係も、ここまで進展している。

ヴァイオラ・ルーズヴェルト、彼女と心通える仲となるには相手の土俵に踏み込まなければならないのだが。


『ですが、やはり危険です。彼女の歌は、個人の領域には留まりません』

『世界レベルの歌姫ということか、俺のような風来坊でも聞き惚れてしまうのかな』

『いえ、危険なのは剣士さんではなく、剣士さんの回りにいる人間です。彼女の歌を聞けばたちまち虜となり、精神を支配されるでしょう』

『! なるほど、彼女は――』

『夜の一族の特殊能力、"洗脳"に特化しております。媒体が"声"であるために、有効範囲も広く抗う術はありません。
科学と文化が繁栄する現代では、音楽すら情報となります。あらゆる媒体を通じて、世界中にいる人間に浸透してしまう。

平和式典という舞台は、彼女にとって最適なコンサートホールです。くれぐれも、お気をつけ下さい』


 妹さんが真剣そのもので話しているのが、何とも笑える。別に妹さんを馬鹿にしているのではない、彼女本人が気が付いていないのが愉快だった。

夜の一族の歴史上でも類を見ない、世界レベルの洗脳能力者。音楽を媒体とした"声"を行使すれば、世界制覇も可能としてしまう。

それほどの能力者であっても、王女を洗脳する事は出来なかった。妹さんはアンジェラの支配も、ヴァイオラの洗脳も受け付けず、持て余されて日本に送られたのだ。

そんな子が警戒を促されるというのも、何だか可愛らしい。そう言うと、妹さんは俺を見上げる。


『そんな私に、心を与えて下さったのが剣士さんです。ヴァイオラ・ルーズヴェルト様の御心をも、きっと開かれるでしょう』

『このデートが勝負だな、なるべく穏便に済ませられればいいけど――でもよ、妹さん』

『はい』

『彼女は危険だけど、俺には危険じゃないというのはどういう事? 人間を洗脳する能力なんだろう』


 妹さんは、言ってくれた。


『剣士さんには、"他人"がいますから』















 唱和する、声。世界が轟き、国が揺れ動き、人々が大歓声を上げている。俯いていても声がどこまでも届き、阻む意思すらねじ伏せられる。

大量の汗をかいて、俺は地面に転がっていた。かろうじて意識を失わずに済んだが、心は疲弊している。精神は摩耗して、呼吸も途切れがちであった。

人々は、狂ったように雄叫びを上げている。結局、阻止出来なかった。妹さんからあれほど警告されていたというのに、情けない話だった。


大声援、大合唱、大音量――声に満たされた空間でも、彼女の"声"は確かに届いた。


「……どうして」

「セイレーンでもあっても、夢が叶うかどうかは本人次第だ」


 本当にみっともないが、足が震えてしまっている。松葉杖は彼女の手にある、歩けないのは正直かっこ悪い。けれど、踏ん張って立ち上がった。

自分の限界は、ここではない。ジュエルシード事件でも、何度も痛感している。もう駄目だと思っても、人間意外と頑張れる。


あるいはそれが、人間と夜の一族の違いなのかもしれない。


「夢破れた人間だって、明日を望んで今日を生きられる。誰も彼もが、絶望するわけじゃない」

「どうして彼らは世界平和ではなく――貴方を、求めているの!?」


 平和式典に集まった全ての人達が、俺達に喝采を送っている。素晴らしい歌を届けてくれた姫君を拍手し、寄り添う剣士に歓声を上げてくれる。

世界中に木霊するのは平和への祈りではなく、"サムライ"の一文字。マフィアやテロリスト達を倒した武勲が知名度となり、発言力となって世界に届いた。

日頃の行いとは、これほどまでに大切なのか。日本では子供でも守らない大切な教訓が、海外に出て生かされている。予想外の、効果だった。


神咲那美や守護騎士達の期待に応えようとしなければ、今頃世界は支配されていた。


「何の因果か、有名になっちまったからな……出来れば、人前に出るのは避けたかった」

「私の"声"が、届かなかった――」

「違うよ。幾ら何でも、ちょっと活躍したからって世界中がこんなに俺を褒め称える筈がないだろう。
あんたの歌が、俺を"演出"したんだよ――彼等の中にある、俺という姿をした英雄像を。人前に出なかった分、皆想像していたんだろうな。
ほんの少し前なら、あるいはもう少し後ならば、俺の事なんて忘れられていた。平和式典を歌の披露宴としたのは、失敗だったな。

この勝負――お前の負けだよ、ヴァイオラ・ルーズヴェルト。お前はもう少し、世界に目を向けるべきだった」


 目は耳より、ものを言う。ヴァイオラの歌に合わせて、彼らが俺を見つけた。顔と名前だけは世界中に発信されていたのだ、すぐに誰か分かったのだろう。

子供の頃人々が最初に憧れたのは神様よりも、正義の味方だった。世界平和を願う神より、悪を倒すヒーローに胸を躍らせたのだ。

全員が全員、そうだとは言わない。けれど、誰もが皆自分の中に理想像を築いている。その理想の銅像を、絶対になれない神様にしたりはしないだろう。

俺のような庶民でも、機会と運に恵まれれば活躍の一つも出来る。人々は、その可能性にこそ喜びの声を上げているのだ。


「……貴方にも、私の"声"は届かなかったのね……そんな気はしていたわ。あの王女が仕えている、人だもの」

「……」

「こんな私を知って、幻滅したかしら」

「ああ、幻滅したね」


 支配には至らずとも、彼女の"声"は確かに世界中に届いたのだ。どんな影響が生まれるのか、見当もつかない。俺だって、本当に危なかった。今も手も足も、心も震えている。

今言えるのは、要人テロ襲撃事件に匹敵する騒ぎが起きてしまったという事。"声"を通じて、世界に覇を唱えたのと同じだ。人々が、"サムライ"に熱狂している。

複雑な気分だった。彼女の"声"ならば、確実に世界平和が実現できたのだ。俺という存在が、平和を阻止してしまった。この一面だけ見れば、俺は間違いなく悪党だった。


かまいはしない。世界平和を祈る姫を倒すためならば、俺は魔王でも何でもなってやる。


「あんたの歌は大したもんだ、本当に感動したよ。顔を見れば分かると思うけど、心が震わされて涙まで出ちまった。
いい歌だったとは思うけど、歌える人間が"歌手"になれるとは限らない」

「私のような化物は、歌手になるべきではないと?」

「座れる椅子は、限られているんだよ。全員が全員、望んだ職業に就けたりはしないのさ。努力しなければならない、苦労も重ねなければならない。
子供の遊びは、大人の社会には通じないんだよ」


 所詮、俺のやっている事はチャンバラゴッコだった。何度も負けちまった。心が挫けてしまうほど、馬鹿にされて打ちのめされた。天下なんて、ありはしなかった。

反面彼女は歌手を望み、そして歌手になれる才能を持っている。その影響力は、夢を追うのを諦めさせるほどに絶大だった。

この娘は、自分の能力の恐ろしさを知っている。だから、夢を諦めた。誰よりも何よりも優しくて、純粋なのだ。


その優しさは愛するだけの価値はあると思うが、俺のような庶民から見れば甘えにも見える。


「セイレーンがどうとか言っているけど、本当は歌手になれるかどうか不安なんだろう」

「――そんな事は」

「本当に好きならば、やれるだけやってみろよ。それこそ、世界中の人間を虜にしてみろよ。この現実を見ろ――出来なかっただろう?

"自分が本気になれば"、なんてのは甘えた言い訳だ。そういう奴に限って、本気になんてなれない」

「やめて、聞きたくない」

「お前との婚約は、解消させてもらう。このまま結婚したって、お前は人を本気で愛せないさ。誰と結婚しても、幸せにはなれない。
俺がどうして、あんたの"声"に魅了されなかったか分かるか? 俺を、本気で想ってくれる人達がいるからさ。


だから俺も、自分だけではなく――他人に本気になれるような、男になりたいんだ」


 高町家、八神家、クロノ達――他人に一生懸命な彼らは、本当に強かった。その優しさと正義は俺にはないが、ああいう人間になりたいと思う。

妹さんは、俺はノイズだと言っていた。自分だけではなく、他人の"声"――存在が、感じられる。だから、彼女に俺の"声"は聞こえない。


今はまだ偶像でしかないが、いずれは俺本人が他人の心に刻まれるような人間になろうと思う。


ヴァイオラは、すすり泣いていた。彼女の心には、本当に何もなかった。このデートで分かった彼女とは、夢の残骸でしかなかった。

優しい言葉でもかけてやれば、血は貰えたかもしれない。依存させることも出来ただろう。結局、罵倒してしまった。


「ごめんな、那美。俺はまた、女を泣かせてしまったよ」


 こうして、デートは最低の結果で終わってしまった。世界を騒がせておいて、愛の一つも芽生えはしなかった。

護衛チームも、急行している。どうやら、敵側にも動きがあったらしい。ローゼ達も出動しているようだ。急いで逃げないと、人生まで破局してしまう。


どうやら、あいつらも世界平和を願うような奴等じゃないらしい……俺の仲間は本当に、馬鹿ばっかりだった。















<続く>








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