とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第七十四話





 "セイレーン"、ギリシャ神話に登場する海の魔物。吸血鬼と同格の、伝説上の生物。上半身が人間の女性で、下半身が鳥の姿とされている海の怪物である。

この伝説については諸説あり、伝承も西洋から東洋まで幅広く言い伝えられている。特に、西洋圏では美しい女性の魔物として描かれている事が多いらしい。


かの魔物は美しい"歌"で船乗り達を魅了し、海中に引きずりこんで捕食する。特に厄介なのは、歌声を聞いた人間は喜んで海に飛び込んだそうだ。


海の岩礁から綺麗な歌声で航行中の人を惑わして、遭難に遭わせる。魔物の歌声に魅惑されて殺された船人達の死体は、島に山を成す。

美しい女性の、綺麗な歌声――その美貌が男を魅了し、その神秘が人間を狂わせる。くれぐれも近付いてはならない、何があっても心を奪われてはならない。

この恐るべき魔物を、ギリシャ神話ではこう表現している。



海の、"妖精"と――















 ブランデンブルク門――首都ベルリンの東西を分断する巨大な門で、ドイツを訪れる人達が必ず足を運ぶ観光地。今宵行われている平和式典で、観光客の数は膨大に膨れ上がっている。

都市分断という現実を突き付ける冷たい存在ではあるのだが、国の外から来た観光客には人気スポットであるらしい。国が統一された今では、平和の象徴でもある。

夜はライトアップされていて、幻想的な美しさを魅せつけてくれる。間近で見ると美しい彫刻や絵が施していて、実に感動的な光景であった。


「……意外ね。こう言っては何だけど、貴方に芸術を楽しむ習慣はないと思っていたわ」

「日本中を旅していたと言っただろう。日本の歴史的建造物を見て回るのも、旅の楽しみの一つだった」


 大勢で賑わう人達の間を、日本の男とイギリスの女が並んで歩く。一人は松葉杖をついた剣士、一人はイギリスを代表する夜の一族の御嬢様。根無し草と、高嶺の花である。

もっとも、これほど人が多くては一組の男女が歩いていてもまるで目立たない。女性は見目麗しき美貌の持ち主だが、巨大な森の中では綺麗な花も隠れてしまう。

飛空型ガジェットドローンで首都ベルリン付近に到着後、手配していた車で目的地へ移動。周辺警戒を怠らず、先に現地入りした護衛チームも入念に調べて安全を確保する。


万端の警備体制で望んだデートだったが、四十八カ国から集まった大観衆の前では地味な変装さえ必要なかったかもしれない。無論、用心は決して怠らないが。


「今開催されている平和式典、このブランデンブルク門で浮世絵等を映して日本文化を大々的に伝えるそうよ」

「へえ、日本も今外交の稚拙さで世界中から軽視されていると聞いていたけれど――案外、ドイツでは贔屓にされているんだな」

「……」

「な、何だよ……?」

「この平和式典の重要性を、理解していないようね。このドイツで連日起きたテロ事件は要人のみならず、一般市民も多く狙われて世界を震撼させた。
そんな彼らを一人残らず救ったのは貴方でしょう、『日本』の侍。国際的事件で、死者0は驚異の数字。

本当ならば浮世絵等の日本文化ではなく、世界の人達はテロ事件解決の立役者である貴方を見たかったのよ」


 松葉杖をつく手に、汗が滲む。まさかブランデンブルク門をデートの場所に選んだのは、俺を世界中に公表する為か? 緊張を走らせるが、彼女の顔色は変わらないまま。

平和式典の内容は聞いている。俺の代わりにカミーユやカレンが出席して、事件の被害者としてテロの無益さを語り、世界中に平和を訴えるのだ。


無論、単に俺への協力だけの代行役ではない。フランスはともかく、アメリカは要人襲撃事件で醜態も晒してしまった。その権威と威信を取り戻す為でもある。


そういう意味ではドイツも出席したかったのだろうが、マンシュタイン家はほぼ壊滅状態。カーミラは表舞台に出ず、氷室や両親は重傷を負っている。

俺もこれを機に積極的にアピールして発言力を高めるべきなのだろうが、今晩は世界ではなく彼女に目を向けたかった。


とても、贅沢なデートである。俺達は四十八カ国を袖にして、婚約した人間だけを選んだのだから。


「式典では日本だけではなく、世界各国の音楽などに合わせて映像を表示されるのよ。ドイツからは有名な作曲家の交響曲が流れるそうね」

「音楽もまた、平和へのメッセージか……俺が知っている歌姫とかも出るのかな」

「珍しい呼称で呼ぶのね、"歌姫"なんて」


 彼女の変に鋭い指摘に、赤面してしまう。フィアッセ・クリステラ、彼女を思い出してしまったのだ。フザケてそう呼んでいたので、ついつい口から出てしまった。

高町家を出て八神家に今お世話になっている身だが、俺は彼女から英語を学んでいる途中だった。海外に出て言葉の必要性を痛感したので、帰国後は語学も学ぶつもりでいる。

海外に出て連絡も取れずに居るのだが、今でも日本で呑気に歌っていたりするのだろうか? 平和で退屈な日本も、離れれば恋しくもなってしまう。


「見ろよ。噂をすれば何とやら、式典で歌姫様が挨拶して声援を浴びているぞ。凄い人気だな」

「"エレン・コナーズ"――彼女が来ていたのね」

「えっ、もしかして知り合い?」


「……縁のない人よ」


 式典を見向きにせず、ヴァイオラは歩いて行く。何が癪に障ったのか知らないが、こちらは松葉杖を突いている事を気にしてもらいたい。はやての苦労が忍ばれる。

それっきり会話もなく、俺達は人々の歓声をBGMにブランデンブルク正面の広場に入る。海外の建築物のインパクトは強烈で、どこを見上げても雄大であった。

ブランデンブルク門から東に向かうと王宮へと繋がっており、ドイツの王族がベルリン市外に出てポツダム等に向かう時には必ずこの門を通過するらしい。

俺達もまたブランデンブルク門へと辿り着き、ヴァイオラ・ルーズベルトが初めて足を止めた。俺はこの瞬間、このデートの最終地点を知った。


ブランデンブルク門の女神像――ブランデンブルク門の上に飾られている、クヴァドリガと呼ばれる勝利の女神像。


ベルリンの正門と言っても過言ではない位置付けにあり、平和の勝利を記念する像として式典でも紹介されている。この像の真下で、彼女は初めて俺に向き直った。

女神の杖の先端には鷲と十字の飾り、男と女もまた心を交差させる。お互いに秘めた、思惑を胸に。


「もう気付いているでしょうけど――私は貴方を、一度も名前で呼んだ事はないわ」

「他の人間に対しても同じだろう。カミーユでさえも、心を開いていない」


「人間に、関心はなかったの」


 人々の喧騒、平和への願い、歌姫の心地良き歌声。平和式典を包み込む人間の大音量でさえも消せない、彼女の冷たき声――耳を、妖しく震わせる。

彼女が俺を見る目は、変わらない。閨を共にしても、彼女から伝わってくるのは肌の温もりだけ。どれほど触れても、心を感じさせる想いはなかった。

彼女が何を思っているのか、目の前に居ても分からない。


「生まれた時から、私は人間ではなかった。何も求めず、何も欲さない。本当かどうかは分からないけれど、赤子の頃から私は一度も泣かなかったそうよ。
母に愛を欲さず、父に寛容を求めず、神に願いを望まなかった。欲望無き存在は、人の定義には当て嵌まらないでしょう」

「聖人君子とも言えるんじゃないかのか、そういった存在は」

「理想的な人間ではないでしょう。欲があってこそ、人は成長たらしめる。食を欲するのも、睡眠を望むのも、全ては生きる為だけの本能。
そして何より、私には性欲がない。夜の一族の女たるべき、"発情期"が来ていないの」


 ――私を、抱かないの?


彼女は床の中で、毎晩のように囁いた。誘惑しているかと思ったが、真実は真逆だったのだ。

俺が求めてくるのを、待っていた。自分は決して、求められないから。やはり、彼女は俺を愛してなんていなかった。

婚約しているから、子供を産もうとしただけ。義務感だけのセックス、身体も心も決して満たされない。少なくとも、彼女は。


発情期、俺も年頃の男だ。この言葉には何となくピンと来るものがある。だがそれよりも、重大な点に気付いた。



「まさか――"感覚"がないのか?」

「……人間として不適格、この意味が理解できたかしら。夜の一族が持つ超感覚、その全てが麻痺している。心まで、凍り付いているのね」


 正確に言うと人間としての感情や感覚はあっても、夜の一族として機能していない状態。全感覚が優れている妹さんとは、真逆の存在。

イギリスとフランスの同盟、この真の意味にもようやく気付いた。確かに二カ国が同盟して、夜の一族の後継者争いで優位に立とうともしたのだろう。


だが、一番の理由は――ヴァイオラ・ルーズヴェルト、彼女には後継者の資格がなかった。不能な存在は決して、王にはなれない。


「だから、私は本に縋った。心の中を知識で埋め尽くし、世界を知って世界の住民になろうとしたの」

「心に潜む闇を、疑問を解決していくことで晴らそうとしたのか」

「……今の説明だけで私をそこまで知ってくれたのは、貴方が初めてだわ」

「高評価頂けたことは光栄だが、生憎とあんたに似た行動を取った者がいる」

「王女ね」


 妹さんも、自分の存在意義を知ろうとしていた。彼女は昔本を沢山読み、図書館にもよく行っていたらしい。忍やさくらから、護衛任務を受ける際に聞いている。

その少女も今では本を読む時間を、自分を鍛える時間としている。教育を受けるのと同時に、身体も鍛えている。頭脳と身体、二つを磨いて理想の護衛を目指しているのだ。

彼女は自分を、悲観もしていない。そんな感情や感覚も、ありはしない。だからこそ、俺は――


「――こんな私が気に入らない、そんな顔をしているわね。デートは、これで終わりかしら」

「違う、気に入らないのは何も望まないからではない。望んでいるのに諦めている、あんたのその態度だ」


 環境は全て整っている。夜の一族の血、ルーズヴェルトの家系、見目麗しき容姿、高度な教育内容、貪欲な知識欲。揃っていながら、全て価値がないと破棄している。

彼女の心の内が、見えてきた。心象風景は、図書館。素晴らしき書物が数多く棚に並んでいるが、図書館の中には誰も居ない。無限の静寂に、満たされているのみ。

本人が、図書館を開けようとしないのだ。誰も来るはずがない。


「何も求めていないのなら、どうして婚約者の選定を行った。あんたを求める人材に、不足はなかったはずだ。
高嶺の花は、庶民には見るしか出来ない。あんたという花を摘み取れるのは、同じ高みに立つ一流の人間が揃っていたんだろう」

「自画自賛のつもりかしら? 私の今の婚約者は、貴方。自己評価の低さは度が過ぎれば謙遜ではなく、ただの嫌味よ」

「自分を評価していない女よりはマシだろう。求められていることに全て、答えろとは言わないさ。けれど、あんた自身は本当に何も求めていないのか?
見つからないというのは、不能の言い訳にはならないぞ。俺が、人の気持ちも分からない無能であるのならば――


あんたはただの、卑怯者だ」


 図書館の扉を、叩き続ける。このデートは一度切り、もう二度と機会はない。今までも多くの男達が挑んで、彼女を射止められずに敗北した。

他の男達は一流揃いだ、この女性でなくても代わりはいる。しかし俺は、彼女の血が必要なのだ。この娘でないと、駄目なのだ。

何より――このデートを命懸けで守ってくれている人達のためにも、俺は成功させなければならない。それは、俺が心から欲しているものだ。


無欲な卑怯者になんて、絶対に負けない。


「……私の家の事を知りながら、私を罵倒するのね」

「アンジェラは俺が倒す、その時あんたが知るだろう。この世に、絶対なんてないのだと」

「卑怯なのは貴方よ。万が一お祖母様を倒しても、貴方は私を鳥籠から出すだけ。血を飲んだら、そのまま放り出すつもりでしょう。

空は自由だけれど、空を飛ぶには危険が多い。旅人の貴方が、知らないとは言わせない」

「俺が、空の飛び方を教えてやる。ただし、飛ぶのはあんただ。一緒には、連れて行かない」


 常々、思っている。人助けを今更否定はしないが、人を助けた後の面倒まで見るのは筋違いだろう。なのは達も、クロノ達も、その辺を重く受け止めすぎだと思う。

彼女の言う通りでもある。目的の為に婚約を利用し、目的を達成したら婚約を破棄するつもりでいる。卑怯だとも、反論されて当然だ。


だからこそ、俺はこうして彼女を知り、つながりたいと思っている。俺は彼女にも、婚約を踏み台にして空へと飛び立って欲しい。


「――私にも、夢はあったの」

「それを聞かせてくれる為に、俺をデートに誘ってくれたのだろう」

「意地悪ね、知っていたのにわざわざ私と論議を重ねた。罵られるのも、覚悟の上で」

「性的欲求を散々我慢して、毎晩一緒に寝ていたんだ。少しは、あんたのことを理解できるさ」

「あら、不能夫婦と思っていたのに残念だわ」

「……男が不能というのは致命的なんだぞ」


 何故だろう、こそばゆかった。彼女も笑ってはいないけど、とても穏やかな顔をしている。こうして話せて、ホッとした様子だった。

もし彼女の言う事にただ相槌を打ち、全ての発言に肯定していたら、本当にデートを終わらせるつもりだったのだろう。そして、婚約を解消していた。


どっちが、意地悪だ。もしかして彼女は俺が合格するのも見通して、デートに誘ったのかもしれない。彼女は、平和式典を見つめる。


「私には、夢があった。もう忘れそうになっていたのだけれど、貴方を見ていて思い出した。
マフィアやテロリスト達と戦う貴方の後ろ姿はとても一生懸命で、真っ直ぐな思いに満ちていた。夢破れても悔いがないように、ただ懸命だった」

「もしかして、それでおれとの婚約を……?」


「ねえ、"アナタ"……"セイレーン"が歌手を夢見れば、叶うと思う?」


 目を見開いた。ゾッとするほど、冷たい瞳。それでいて――優しく、愛溢れる声。まるで耳元で甘く囁かれたように、蕩けてしまう。

彼女は平和式典を、見下ろしたまま。その視線を追って、不意に気付いた。ブランデンブルク門の女神像、この彫像は、門の真下にある。

ベルリンは大陸の『真ん中』にある、国際都市。そしてブランデンブルク門はベルリンの中心とも言える位置にある。

ブランデンブルクはベルリン東西を隔てている、門。平和式典は確かに会場に人が集まっているが、観光客の流れはこの門より二分している。世界中から集まる、メディアも。


つまり――ここから歌えば、ヨーロッパ大陸全土に響き渡る。


「夢破れた人間が、次に何を望うと思う?」

「っ――お前、いつの間に!?」


 妹さんから、警告はされている。力尽くでやめさせようとするが、立てない。俺に問い掛ける彼女の手には、松葉杖が握られている。

必死で歩こうとするが、転んでしまう。本来ならば歩けたものを、師匠と別れる際に無茶をして痛めてしまっていた。足が、動かない。


何という、すれ違いか――彼女の血がないから足が治らず、彼女を止められない。今彼女を止めるには、彼女の血が必要というあり得ない攻略条件。


妹さんの忠告を、俺は決して軽視しない。式典会場には何万もの人がいる、四十八もの国が集っている。世界中が、注目している。

この条件で歌を歌われたら、全世界の人間に聞かせてしまうことになる。


「やめろぉぉぉぉぉーーーー!!!」


 彼女は、夢を思い出した。思い出させたのは、俺。結婚を否定したのも、俺。夢を見ろと促したのも、俺。何もかも、俺。

俺にも覚えがある。夢が失われた時、俺は確かに願った。プレシアが愛を失った時、彼女も確かに望んだ。失われた人間は、純粋に願うのだ。


こんな世界なんて、壊れてしまえ。



「夜想曲 (ドビュッシー)――"Sirenes"」



 夜の一族の歌姫――月の光を映して、セイレーンの神秘的な歌声が今、平和の祈りと共に世界に広がっていく。

精緻なオーケストレーションが、人々の心を破壊する。















<続く>








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