とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第九十八話







 自分の利き腕が使えなくなった時、不思議と悲観的にはならなかった。剣が使えなくても絶望せず、今も静かに病院で過ごしている。

海外へ行って本当に腕が治る見込みはない。さくらの話が本当ならば、ありえない・・・・・奇跡の果てに、命を懸けなければならない。

そうまでしても治したいのか問われれば、肯定する。剣の為かと言われれば――頷ける自信は、なかった。


もしかすると、剣が振れなくなった事を心の何処かでホッとしているのかもしれない。


「にゃー」

「……リニス? まさか妹さんが来ているのか、此処に」


 定期検診を終えて一人、自分の病室へ戻らずに病院の外へ出ている。と言っても敷地内、冒険には程遠い。

木陰のベンチで静かに過ごしていると、木の影からニュッと山猫が顔を出す。月村家に飼われている猫だった。

周りを見渡してみるが、人っ子一人いない。忠誠を誓ってくれた護衛の姿は見えなかった。


「さくらと一緒に来た様子はないし、忍の家から病院まで猫一匹で来るには遠すぎる。
お前は本当に単なる野良猫なのか、おい」

「にゃー?」


 プレシア・テスタロッサの亡き娘アリシアが飼っていた愛猫、リニス。夢の中で、この猫とは何度か会っている。

俺も動物の専門家ではないので猫の区別なんてつけられないが、それにしても似過ぎている。加えて、名前もリニス。

夜の一族の純血種である月村すずか、少女が名付けた名前が偶然だとはとても思えなかった。

猫を見下ろして話しかけるが、首を傾げるだけ。言葉を理解しているのかどうかも、分からない。


「……」

「……」

「……猫と見つめ合っても、埒があかねえか。さっさと飼い主の所へ帰りな」


 基本的に入院生活は暇の一言だが、他人の家に飼われている野良猫と遊ぶ趣味はない。俺は、敷地内に植えられた木の枝を手にする。

細長い、握れば折れそうな枝。地面に落ちて朽ち果てた枝を先ほど拾い、利き腕ではない方の腕で掴んで持ち上げる。


――摘んだだけで痛みが走る、斬られた腕。俺の手もこの枝と同じ、朽ち果てるのを待つだけの役立たずだった。


「力を強く握れば、枝も腕も折れる。力を弱く握れば、腕が痛んで枝を離してしまう。
力加減が、非常に難しい。だからこそ、意味がある――

この剣を振れる事が出来れば、この手も力を取り戻せる」


 世界の名立たる一族が集まる世界会議、一国の一個人でしかない俺には過ぎた戦場。戦と聞かされて、無手で挑む愚か者はいない。

自分の剣は、信頼ある人間に預けておく。けれど心の芯には剣を立て、刃の如き精神で戦場へ出向く。

剣を持っているから、剣士なのではない。剣を持つ意思と腕があるからこそ、人は剣士になれる。


「7月までには確実に、剣が振れるようには……痛っ!? くっ、調節も出来ないのかこの腕は」


 何度か続けてみるが、すっぽ向けるか折れるかのどちらかだった。痛みが断続的に走って、腕が震えてしまう。

主治医のフィリスからは、正当な剣術訓練は禁止されている。あくまでリハビリとしてやってみたが、意外といい訓練になる。

回数が500を越える頃、腕を支える肩が悲鳴を上げた。竹刀を振っていた頃とは別種の痛みに、驚く。


「剣を振っているつもりだったんだけど……俺が、剣に振り回されていたか。情けねえ」


 一度も、上手くいかない。今までどうやって竹刀を振っていたのか、感覚まで身体から抜けてしまっている。

いや、むしろ俺は一度でもきちんと剣を振れていたのだろうか? 健康な身体に助けられていただけで、下手くそだったのかもしれない。

情けない、本当にそう思う。妙な格闘技を学び始めた初心者の妹さんにすら負けるのも、当然だった。

技に技量はなく、身体も武器に振り回されている。無くしてみて、初めて分かった。


剣士であったのは――自分の心だけだと。


「七月……いや、今日中に一度は成功させてみせる。このままじゃ、世界の重さに潰される」

「にゃ!」

「何だよ、うるせえな! お前はとっとと飼い主の所へ――むっ」


 リニスは一声鳴くとベンチの上にひらりと飛び乗って、そのまま木を登っていく。しなやかな動作と機敏な動きに、乱れはない。

猫ならではの軽業を見つめていると、何とリニスは見上げる高さにある枝から躊躇なく飛び降りた。


急落下、のしかかる重力――あらゆる物理的法則に縛られて、猫は何なく地面に着地した。


「にゃー、にゃ」

「……憎たらしい顔をしやがって。どうだ、とでも言いたいのか」


 口調が乱暴になってしまうが、笑みがこぼれる。もう一度小枝を手に取り、踵を上げて軽くステップする。

――全身を、使う。腕だけで剣を降ろうとせず、身体のあらゆるバネを活かして無駄な力を殺して動く。

野良猫は爪だけが、武器ではない。柔らかな身体を最大限生かして、人が見惚れる軽業を見せる。


猫のように、身体を動かす――リニスはベンチの上に座り、ずっと俺の動きを観察する。


不思議とその目には動物ではなく、女性のような優しさが感じられた。















 怪我による痛みではなく、リハビリによる疲労で腕が動かなくなった頃、タイミングよく俺を見舞ってくれる客が来る。

世界で唯一人魂を結び合った女、神咲那美と彼女の家族である久遠。結び付きは確かなのか、病院内へ行かず真っ直ぐ此処へ訪れた。

忍と同じ学校の制服、授業が終わった後見舞いに来るとは知っていたが、久遠とも途中で待ち合わせたのだろうか?


久遠は愛らしい子狐だが、リニスとは違って単なる動物ではない。お伽話に出てくる、化け狐なのだ。


「くぅん、くぅん」

「あはは、相変わらず甘えん坊だなお前は。抱きしめてはやれないぞ」

「久遠、ずっと良介さんに会いたがっていましたから――温もりを感じられるだけで、幸せだと思います」


 フィリスにも深く可愛がられている狐だが、規則上病院内に入れられない。那美とは、病院の外で話す事になった。

男女が二人ベンチ並んで座り、子狐が男の膝の上で丸くなっている。第三者には、この光景がどのように見えているのだろう……?

人と話す言葉を持たない猫は行儀よく地面に座って、耳をピンと立てていた。


さくらとの約束、そして俺の命を癒してくれた那美への義理を果たす為に――俺は嘘偽りない、話をする。


「……では良介さんの手の怪我も、忍さんを守る為に?」

「いいや、金の為だ。雇われている以上、どんな奴でもちゃんと守ってやらないといけない。それで、このザマだ。
コンビニでお前が襲われたのも護衛の件じゃないが、俺の仕事絡みだ。迷惑をかけて、すまなかった」

「私の事はいいんです。それよりも、良介さんが無事で本当によかったです。
手の怪我も、海外にいらっしゃる綺堂さくらさんの親戚の方にお願いすれば治るんですよね?」

「見込みがある、程度だけどな。万が一治らなくても、タダで海外旅行へ行けるんだ。
長い病院暮らしでウンザリしていたし、一ヶ月くらい遊びまくってくるぜ。金持ちのスポンサー様もいるしな」

「良介さんは怪我人なんですよ、無理をしては駄目です」


 フィリスのようなお節介な言葉だが、表情は安堵と安心で緩んでいた。一歩進んだ関係が、言葉の親密性も高めている。

チンピラに乱暴されそうになり、薄汚い金持ちの親父に誘拐された那美。恨んで当然だが、彼女から俺に向ける笑顔は本物だった。

心を支えられたというが、魂まで傷ついた俺を癒してくれたのはむしろ彼女だった。


那美がいなければ、俺はこの世に居なかった。剣士でいられるのも、この子のおかげだ。


「最近は、手の調子もいいしな。お前の癒しの力のおかげで、傷の治りも早い。無事に手が治ったら、お礼をするよ。
今度は俺が稼いだ金で、お前と久遠を何処かに連れていってやろうか」

「えっ、それって――私を、その……誘っていただけるんですか?」

「世界とは行かなくても、この国は大体独りで旅して回ってる。ビックリするような景色や、面白い施設もいっぱい知ってるぜ。
金のかからない所ばっかりだけどな、ははは」


 女の子が楽しめる場所は知らないが、俺のような無骨な男でも感動させられた光景は沢山知っている。

金をかければ楽しめる。けれど金をかけなくても、自然はただ在るだけで人の心をも癒してくれるのだ。


俺は独りだったけど――この国は、孤独な自分をずっと慰めてくれた。


「良介さんはもう、独りじゃありませんよ」

「那美?」

「私と良介さんは、繋がっているんです。楽しい事も、悲しい事も、二人で共有できます」

「そうだな……そうかもしれない。でも、いずれは――」


 結び付きを、解かなければならない。感情を共有することは、必ずしも良い結果ばかりを生まない。

人は独りだからこそ、個人なのだ。魂が繋がっている存在は、この世界には異端だった。


「良介さんは私と繋がっている事で、癒されているんですよね?」

「そ、そうだけど……?」

「で、でしたら、その――私ともっと深く・・・・・結び付けば、この手も治るんじゃ……?」


 那美の顔は、近い。生唾を飲む音まで、はっきり聞こえる。羞恥に染まった少女の表情は、艶を帯びていた。

その可能性は考えない事はなかった。第二段階へ到達して、斬られた方の腕は少しずつ動くようになっている。

もしも那美と、さらに強く結ばれれば――死んだ細胞すら、蘇生するかもしれない。しかし、


「そこまでお前が思い切る事はないんだぞ。お前だって、男と繋がるなんて――」

「私の気持ちはもう、決まっています。良介さんの力に、なりたいんです」


 距離は、ゼロになった。感覚なんてないのに、握りしめる那美の手の熱さを感じさせる。

俺の喉元に那美の甘い吐息がかかる。少し顔を下げれば、彼女の唇に触れ合うだろう。彼女の柔らかな身体に、微塵の抵抗もない。

このまま繋がってしまえば、手も治る。他人なんてゴメンだが、魂すら通わせた那美は他人ではない――女だ。


海外になんて行かなくても、彼女がいれば俺は変われるかも――





ザフィーラが、見ていた。





邪魔立てしない距離、視線の届くギリギリの範囲。俺達の関係に踏み込まない位置で、俺を見定めている。

女の甘さに蕩けていた頭が、冷える。女に温められた魂が、剣気にあてられて冷えていく。

気付いた。気づいて、しまった。


那美を受け入れるということは――守護騎士達との勝負を、放棄するということ。


彼らとの戦いの果てに、海外という未来がある。海外行きを否定するということは、彼らへの挑戦権を失う。

ザフィーラは私情に囚われず俺に向き合ってくれているのに、俺は自分から放棄しようとしている。


でも、あいつとの勝負を選べば――那美の想いを、否定する事になる。


那美は笑って許してくれるだろう。変な事を言ってごめんなさいと、謝りさえするかもしれない。

関係は多分、良縁のまま続けられる。だが間違いなく繋がりは細くなり、第一段階へ戻ってしまう。

那美は一途に俺を想い、捧げてくれているのに――自分の気持ち一つで、彼女をまた踏み躙ることになる。



那美を選んでこの地に留まるか、奴と戦って海外へ行くか――彼女か、自分か。



最後の勝負は、残酷だった。
























































<続く>







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