とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第四十六話







つんざくような痛みと、手当てを受けた額から血が零れる。

全身に負った火傷は治癒されているが、定着しつつあった皮膚が突っ張って強い刺激を生む。

刺激は熱を孕んで身体を膿み、力を奪い続ける。


「レン・・・・・・ハァ、ハァ・・・・・・くぅ・・・・・・」


 "敵"の襟首を掴んで、半ば引き摺りながら走る。

歩くのでさえ億劫だが、拳を強く握って気力を奮い立たせた。

今、倒れる訳にはいかない。

何時間寝ていたのか定かではないが、かなりの時間が経過した事は間違いない。

レンは心臓発作を起こしている。

貴重な人質だ、みすみす死なせるとは思えないが信用出来ない。

あんなクズ共、信用出来るものか。

娘を喪って気が狂ったプレシア、魔女に誑かされた娘と哀れな従者――





"・・・・・・死ぬんじゃないよ、いいね?"


"私も――

こんな私を好きだと言ってくれた貴方を、信じます。

貴方の気持ちを決して裏切らず――託された命を、守ります"





 涙腺が緩むのを、辛うじて抑えた。

馬鹿馬鹿しい感傷に浸るのは、レンを救出して此処からまず脱出してからだ。

身体を癒して反撃のチャンスを待ち――



全員残らず殺してやる。



――くっくっく、はっはっは!

私怨よりも――レンを救うのが先かよ。


一体……どこで、歯車が狂ったんだろうな……


本当の俺なら躊躇なくレンを見殺しにして、気に入らない奴を血祭りに上げるだろうに。


「彼女を放せ!」

「――ちっ、しぶとい奴だな!」


 敵を尋問していた最中、通路の反対側から邪魔しに来やがった新手。

二対一に縺れ込めば勝ち目はないので、俺は人質を連れて逃走を図った。

走る度に切り裂かれる様な痛みが生じて、上半身に生暖かい液体の感触が重々しく零れていく。

柱に激突した時に軋んだ骨が悲鳴を上げ、包帯に汗と血が滲んでいく。

戦えるコンディションではない。

新手がどんな奴でどれほどの力量か定かではないが、今は戦うのは避けるべき。

顔が火照り、眩暈が酷くなる一方――


一体、プレシアにはどれほどの部下が居るんだろう。


あんな女に加担する連中の気が知れなかった。

俺はその愚かな部下の一人を締め上げる。


「おい、もっとしっかり走れ。蹴飛ばすぞ、てめえ!」

「ハァ、ハァ・・・・・・無理言わないでよ! 
こんな物顔に巻かれて、速くなんて走れない!」


 俺が顔に巻き付けた上着を揺らして、息を切らせながら敵は盛大に怒鳴った。

口答えだけは一人前な馬鹿女である。

いっそ何処かへ捨ててもいいのだが、ただでさえ不案内な場所だ。

追手も迫っている以上、無闇に走り回れば体力を失うだけ。

オーバーヒート気味な頭が鈍痛から激痛へと変わり、血に塗れた身体が重くて堪らない。

遠くない未来、倒れて終わる――

考えのない無様な逃避行なのは分かっている。

再度捕らえられた時点で、既に俺の負けなのは理解もしている。


これから先の行動は、俺の身勝手な意地と見栄――


たとえ俺の人生が此処で終わりを迎える結果になっても、レンだけは人生の先へ進めてやりたかった。

俺はもう・・・・・・仕方ない、てめえのやった馬鹿な行動の結果だ。

致命的な間違いを幾つも重ね、多くの人間を傷付けてしまった。

罪だの罰だの、聖人じみた真似をするつもりはない。

優しさなんぞ持ち合わせていない俺が、罪悪感に怯えて震える事はない。

レンを助けるのは、俺自身が望んでいる事だ。

自分勝手な我侭で最後を迎えるのが、俺らしいと言えた。


最低でも、プレシアやフェイトの思惑に嵌るつもりはない。


「――なるほど、そういう事か・・・・・・」


 不明瞭な思考に溺れていると、背後から苦々しい響きが生じる。

疑問に思う前に、襟首を掴んで引き摺っている女の口から声が漏れた。


「クロノ君、お願い――」


 ――脳裏をよぎる疑問。


そういう事か――
お願い――


会話が、成立している・・・・・・?

急激な発熱に苛む頭が、結論を導き出す。

俺は女の細い首を掴んで締め上げた。


「お前、念話で後ろの奴と連絡を取ったな!」


離れた相手に自分の言葉を伝える魔法――『念話』。

肉声より遥かに意思の疎通が可能な伝達手段。

言葉に出さずに相手を連絡を取り合う事が可能だと、ユーノが説明してくれたのを思い出す。


「うわーん、状況認識は満足に出来ていないのに、変なところで鋭い!?

いたたたた、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「エイミィ!? くっ・・・・・・落ち着いて聞いてくれ! 
君に危害を加えるつもりはない!

僕達は君と君の仲間を保護して――」

「ハァ、ゼェ・・・・・・生憎だが――フゥ・・・・・・

何度も騙されるほど、俺は馬鹿じゃねえ!」


 フェイトとアルフの顔を思い出すだけで、虫唾が走る。

少しでもあいつらを信じると決めた甘さが、絶体絶命の危機を招いた。

今度こそ、世迷言に耳を貸す義理はない。

誰にも頼らずにレンを救い出す!
 
痺れるような痛みを感情で焼き殺して、俺は女を掴んだまま――



――背後に向かって放り投げた。



「ひゃあっ!?」

「なっ――エイミィ!?」


 突然放り投げられた人質に、追手が咄嗟に足を止める。

俺と追手――その中間線上に放物線の軌跡を描いて飛んでいく人質。

万が一でも放置すれば、上着に顔を縛られた女は身動き一つ取れないまま床に激突する。


慌てて手を広げて受け止めようとする追手――
床を蹴って迫る俺――


真正面から肉薄する俺と、空中から飛来する人質。

追手は交互に見つめて、歯噛みする――人間は、二つの動作を同時には行えない。

追手は後者を選んで受け止めて――


――両手の自由を失った追手の顔面に、俺は蹴りを放った。


軽い手応え――

追手は思わず人質を落として壁に激突はしたが、蹴り飛ばした頬に傷の一つも見えない。


接触した瞬間、あえて蹴撃に逆らわない事で衝撃を逃がした――


言うのは簡単だが、突然の襲撃を瞬時に対応出来た判断力は凡人の領域を超えている。

俺は舌打ちして踵を返して、女を拾い上げて逃げる。

――忌々しいが・・・・・・追手も強い。

体勢を立て直す時間を稼げただけでも、僥倖と言え・・・・・・う――!?


突如、視界が傾く――


歪曲した壁が前方に立ち塞がって、俺は回避出来ず豪快に激突した。

赤色灯と、ガラスが嵌められたスイッチが設置された壁に――


「ごぁっ!? く、くそ・・・・・・」


  ――逆転する世界。

天地が引っ繰り返る様な警報が鳴り響き、視界を真っ赤な光が点滅する。

壁に激突した衝撃と周囲の騒ぎで鳴り響く頭痛に、俺は我に帰った。

見上げる世界は警報とランプの点滅で派手に騒いでいるが、歪曲が生じていない。


――歪んでいるのは、俺自身。


もう、眩暈どころの騒ぎではない。

安定しない視界の全域に濃霧が充満し、真っ赤に濡れた空間を彩っている。

全神経に火花が生じて、シナプスが狂って意識をドロドロに濁らせた。


俺は壁に手をついて――胃液をぶちまけた。


何一つ口にしていない空っぽの胃は、痰と血反吐を撒き散らすだけ。

刹那の攻防戦を行っただけで、肺が酸素を求めて搾り取る。

体力は限界に近付いていた。


「だ、大丈夫!? 無理するから――」


 俺が苦悶に喘いでいる隙に、俺の手から逃れたのだろう。

顔の拘束は絡まったまま、敵は心配そうに俺に声をかけてくる。

あれほど酷い目に遭わせたのに――まだ他人を心配する余裕があるとは。

敵の滑稽さに笑えた。


――何故か、酷く自分が惨めに思えた。


「ゼェ、ゼェ・・・・・・」


 震える足を懸命に力を入れて――俺は、立ち上がった。

   建物全体が慌しくなり、俄かに騒ぎが起こり始めている。

完全にプレシアに気付かれたと言っていいだろう。

早く、早く、レンを・・・・・・病院へ・・・・・・


――だが、どうやら俺は完全に運に見放されたらしい。


露骨に分かる足音を立てて、多くの人間がこちらへ向かって来るのが分かった。

俺の世界でも警報を鳴らせば、簡単に発信元を探知出来る。

隙を突いた馬鹿げた脱走劇は、どうやら幕を閉じるようだ。


結局運命の脚本に翻弄された道化だった、か……


「女――お前、すぐにここから離れろ」

「え……わっ!」


 俺はふらついた足を屈め、敵の顔を縛っていた上着を解いた。


真っ白な無菌服から――覗かせる、女のキョトンとした顔。


フィアッセやフィリスのような美人では無い。

月村や綺堂のような華人ではない。

なのはやはやてのような可愛らしさも無い。


ただ純粋に――魅力的な顔立ち。


俺のような凡人でさえ手が届きそうな、心惹かれる表情が上着の奥で眠っていた。

少しの間見惚れてしまい、思わず苦笑してしまう。


――女の顔を見て心を安らぐとは、俺もいよいよ年貢の納め時らしい。


床から拾い上げるのは――激突時割れたガラスの破片。

武器としては不足だが、無いよりはマシだった。


「ちょ、ちょっと! まさか戦うつもり!?」

「――これ以上他人に踊らされるのは御免でね……
あんな女の願いを大人しく聞いている義理は無い。

最後まで死に物狂いで派手にやってやるさ」


 無理を積み重ねて、折角癒えた皮膚が動き回って引き裂かれている。

精神的な疲労は激しく、何より最後の裏切りで最早心は折れそうだった。

退路も既に断たれて、大事な物は残らず全て失った。

ミヤもおらず、魔力すら行使出来ない。


けれど――それでも、戦う事だけは断じて止めない。


許せない敵がいる。
救うべき、友がいる!


地獄の閻魔に……この世の果てで狂気に微笑む魔女に、言ってやる。


鳳蓮飛は――俺の友達だ。


今更覆さない。

ようやく掴んだ本当の気持ちだけは――絶対に手放さない。

たとえ地獄の鬼が何匹襲い掛かってきても、斬り飛ばしてレンを救ってやる。


他の誰でもない、俺がそう決めたんだ!


驚愕の眼差しで見つめる女に、せめて一言だけ。


「……巻き込んで悪かったな」

「――っ!」


   敵に対して言うべき事でもないのだが、女の素直な顔を見ていると何故か言いたくなってしまった。

……悪人なら、悪人らしい顔をしてほしかった。


……フェイトも、アルフも……

最初から裏切りつもりなら――あんな事を言わないでほしかった……


挙句の果てに敵に囲まれた戦場のど真ん中で、不案内に彷徨う愚行を知りながら敵を解放してしまったじゃないか。

――混濁する意識を、皮肉にも高らかに鳴り響く不快な警報が覚ましてくれる。

遠くから乱雑に大量の足音も迫って来ている。


意地でも突破してみせる――血と骨と魂を使い切ってでも!



「ちょっと待って!」

「・・・・・・?」



 決然とした女の声に、奇襲を仕掛けようとした俺は思わず足を止めた。 















 俺も大概馬鹿だが、敵は俺を超える愚か者らしい――

折角解放してやったのに、敵は何故か自分から俺にこう提案した。


"騒ぎが収まるまで、何処かに隠れた方がいいよ。
それ以上動くと、本当に死ぬよ"


 余計なお世話だと、言いたかった。

敵のくせに下手な思い遣りをかけるのが――誰かに似ていて――不愉快だった。

耳を貸さずに背を向ける俺に、女は言い放った。


"戦う理由があるのなら――生きる理由もあるんでしょう?"





「……すぐに施錠しろ。

念の為聞くが、他の誰かに念話で連絡を取ってないだろうな?」

「はいはい、誰にも連絡してませんよーだ。

……隠れた方がいいって確かに言ったけど、何であたしの部屋なのよ……」


   女はぶつくさ言いながらも、言いつけに従って部屋の鍵はきちんと閉める。


――結局女の申し出に従って、俺は一旦立て篭もる事にした。


傷の具合が恐ろしく酷い。

頭痛や手足の鈍痛が悪化する一方で、目も満足に見えていない。

一度、休息をとる必要はあった。

敵の施しを受ける事に抵抗はあるが、後々の事を考えて今は従う。

今度の案内人も優秀だった。

袋小路に思われた状況を難なく通り抜けて、通路から通路へ進んでいく。

まるで予め人員の配置を知っているかのように、警報元へ向かう人間に鉢合せせずに状況を突破出来た。

とはいえ、相手が指定する休息先へは行かない。

当然だ。


――行く先が地下牢では話にならない。


此処は宮殿ではなく何処かの施設ならば、仮眠室が何処かにある筈だ。

規模のデカイ施設ほど、出入りする人間の身体を労わる部屋が用意されている。

そう考えて女が寝泊りする部屋を案内しろと言ったのだが――


――まさか、女個人の部屋が用意されているとは思わなかった。


比較的広い部屋を眺める。

シングルベットに小物立て、黒いデスクに難しい書籍。

デスクチェアーには可愛らしい座布団が敷かれている。

……魔女の分際で、部下を大切にする心はあるのだろうか?

そんな思い遣りは娘に……


考えるのを止める。


「両手を後ろで交差しろ。抵抗すれば殺す」

「うう、少しは信じてほしいな……」


 文句を言いながらも、黙って従う女。

俺は持ち歩いていた自分の上着・・・・・を引き裂いて、女の手を縛り付ける。

案内してくれた事には感謝するが、取り押さえられるのは御免だった。


正直、女とさえ戦っても勝てる自信が無い。


ベットに座り込む女の前に腰を下ろした途端、身体が急激に鉛のように重くなった。

今まで歩けていたのが嘘のように、寝転がりたい欲求しか生まれてこない。

座り込む心地良さが、却って気持ち悪さを演出する。

気持ちを奮い立たせなければいけないこの時に、休息は逆効果だった。


「顔色悪いよ……やっぱり少し寝た方が――」

「黙ってろ」


 少しだけ――少しだけ、休む。

施設内は今頃俺の捜索に、大勢が乗り出しているに違いない。

女の言う通り、騒ぎが収まってから行動に移そう。

カーペットの温かさにほんの少しだけ癒されて――警戒に尖っていた心が、ささやかだが緩んだのかもしれない。

俺は疲労で重い息を吐いて、女に向き直った。


「……何で、俺を庇った。
あのまま逃げるなり、仲間に突き出すなりすれば良かっただろう」

「ふ〜ん、そう考えられるって事は少しは落ち着いたのかな。

良かった……全然話を聞いてくれないから、このまま逃避行生活になると思ったよ」


 クロノ君今頃怒っているだろうな、と女は軽く微笑む。

馬鹿にしているのかと勘繰ったが、次の女の台詞で意見が変わる。


「協力するとは言わないけど、あのまま捕まったらややこしくなりそうだったから。

レンちゃんを助ける為に、こんな騒ぎまで起こして戦おうとしてるんでしょう?」

「――そうだ。
お前らが俺を利用する為に捕まえたレンを、な」

「誤解だよ、それは――って言っても、その様子だと信じて貰えないよね……

本当、まずったな……タイミング悪いというか、なんと言うか。

なのはちゃん達を寝かせた途端、こんな騒ぎになるなん――きゃあ!?」



「なのはに何をした!!」



 女の胸倉を掴んで、ベットに引き摺り倒す。

疲労や苦痛など、脳内の回路ごと消し飛んでいた。

女が顔を苦痛に歪ませるが、俺は怒りしか沸いて来ない。


「レンだけじゃなく、なのはまで巻き込んだのか!?

この――クズ共が!

自分の大事な娘救うためなら、誰でも巻き込んでいいのか!
人の気持ちを踏み躙っていいって、言うのかよ!!」

「苦し――やめて!?」


 ――偽善もここまで来れば、反吐が出る。

人の気持ちを今まで散々踏み躙っておきながら――てめえの番になると、抗弁している。

自分をせせら笑いながらも、心の吐露は止まらない。


「返せよ……レンを返せ! なのはを返せ!

あいつは――俺の大事な友達なんだ、妹なんだ!!

何で……俺から何でもかんでも奪うんだよ!

裏切るなよ!


俺はただ、強くなりたかっただけだ! 一人になりたかっただけだ!


――大事な何かが――欲しかっただけだ!!」


 自分の存在を、証明出来る何か――

心から胸を張って、自分とはこういう人間なのだと誇れる生き様が欲しかった。

孤独になればずっと、自分らしさを貫けると思った――思ったから!


腕を縛られた女は、無抵抗なまま――俺の涙に汚れる。


お互い息がかかる程密接して、相手だけを瞳に映している――

思わず振り上げた拳だけが、両者の均衡を保っていた。


「……殴りたければ、殴りなさいよ」

「てめえ、俺が出来ないと思っ――」


「弱虫」


「なっ――」


 女は苦しそうにしながら――不敵に微笑んでいた。

目を見開いた俺を、鼻で笑う。


「さっきから聞いていれば、泣き言ばっかり言って――情けない。
自分ではどうしようも出来ないから、誰かに八つ当たりしているだけじゃない!」

「人質を取ったお前らが言うのか、それを!」

「貴方だって人質を取ってるじゃない!

か弱い女の子一人捕まえて、暴力ふるって――

ちょっと同情すればいい気になって……馬鹿じゃないの!
自分でどうしようもないって思ってるから、少しは自分を変える努力をしたら!?

あたしは、自分を変えようと頑張っている子を知っている!

その子は自分の非力に悩んで、苦しんで――今を変えようと、努力している!
厳しい現実に溜息吐いているだけじゃなくて、明日への息吹にする為に必死になってる!

貴方なんて泣き事言いながら、ウジウジしてるだけじゃない!」

「変えようと努力はした! 剣を取った!


でも、でも……俺は――弱かった!」


 弱かったから――誰かに庇われて、誰かを巻き込んでしまった。

アリサやアリシアを、本当の意味で救えなかった。


フェイトやアルフに……裏切られてしまった……


俺の苦渋を、女は虐げられたまま一喝する。


「だったら、どうだってのよ!
甘えた顔していれば皆優しくしてくれるって思ったら、大間違いなんだからね!!」

「言わせておけば、この――!」


 挑発に乗せられたのか、女の指摘が正しかったからか、それは分からない。

ただ――気付けば、俺は幼稚に感情を爆発させていた。


喧嘩に負けて泣き喚く子供のように、女の頬に拳を叩き込む自分――


女は痛々しくベットに転がり、頬を腫らせて睨む。


「痛っ――ほ、本当に殴ったわね、この最低男!」

「殴れと言ったから殴ったまでだ、この口だけ女!」

「口だけかどうか――試してみなさい、よっ!!」

「ぶっ!?」


 後手に縛った千切った服から、刹那――光が生じる。

魔力の光だと気付いた瞬間、俺は右頬に強烈な打撃を受けて吹っ飛んだ。

机に豪快に激突して、派手に転がる。


な、なんつーパンチだ、こいつ……


女は目を回して倒れる俺を見下ろす。


「クロノ君には全然勝てないけど、あたしだって時空管理局の局員なのよ!

あんたみたいな弱虫相手に負け――へぶ!」


 意味不明な勝ち誇りをする相手に、机の上から転がってきた本を投げる。

どのような本か知らないが、厚さはなかなかのものだった。

女の鼻頭を盛大に打ち据えて、ズルズルと床に落下していく。


鼻血を零して痛みに喘ぐ女に、俺は立ち上がって笑ってやった。


「局員だか何だか知らないが、鼻血流して粋がってもキモいだけだぜ」

「上等じゃない……」


 今になって気付くのもどうかと思ったが――女は制服を着ていた。

会社勤めのスーツとは違う、役所のような規律正しい服装。

女は胸のリボンを解いて、上着を脱ぐ。

窮屈な制服から解放された胸が柔らかくシャツを押し上げているが、今はそれどころじゃない。


俺は鬱陶しい包帯を外して、血の混じった唾を吐く。


「今更泣いても許してやらねえぞ、クソ女……」

「馬鹿な男。
仕官学校時代、痴漢を撃退したあたしに喧嘩を売るなんて……」


 ――どうしてだろう……

分からない、本当に分からない。

レンの事やフェイトの事とか、モヤモヤした気分が晴れていく。


代わりに心に浮かぶのは――熱い闘志。


「痴漢? お前を襲うなんて、物好きな奴。趣味を疑うね」

「目の前に約一名、襲い掛かっている奴がいるけどね。
女の子に暴力を振るうなんてさ……あー、恥ずかしい」


「……っ。

女ぁ〜? 何処に居るんだよ。

俺の目の前にいるのは、魔力を振るうメスゴリラ・・・・・が一匹いるだけだぞ」

「……っ!

あ〜ら、そのメスゴリラに圧倒的に魔力で負けていますわよ?
魔力の平均値が100なのは、解析済み。

心だけじゃなくて魔力も弱いのね、人間様・・・は」



「ふふふ……」
「あはは……」



 目の前の女にだけ向ける、心が締め付けられるような狂おしい感情。

相手も同じ気持ちなのか、凶悪な微笑みを浮かべて対峙している。


裏切りだとか、使命とか、何かもうどうでもよくなって来る。

胸の中に去来するのは、懐かしくも忘れていた感情。


子供の頃に初めて出会った、同世代の人間と通じ合う――気恥ずかしさ。



「死ねや、こらぁぁぁぁ!!!」
「性根を叩き直してやるわ!!!」



 ――警報による騒ぎとか、その更に外で起きている出来事とか――

ジュエルシードも、プレシアも、海鳴町での不幸な事件の数々とか――



今だけは全て忘れて、俺達は相手だけを見つめて拳を振るった。


























































<第四十七話へ続く>







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