――あれは、何時の日だったか……





消え往く日常の微かな記憶。

思い出にならぬ、暖かな残滓。



茜色に満ちた、春の夕暮れ――



『フィアッセ。お前ってさ――歌に詳しいよな』

『どうしたの、急に』


 あの日は確か、珍しく高町家に俺とフィアッセだけだった。

穏やかな日常の終わりを、俺とあいつは中庭で過ごしていた。


残酷な未来を、何一つ知らずに。


『いやさ、頭の中でメロディがこびりついてるのがあるんだけど――
曲のタイトルと歌詞が思い出せないんだよな、くっそ』

『あはは。うんうん、分かる。
でも、私で力になれるかな。日本の曲でしょう?』

『多分ガキの頃聞いた童話かアニメの曲だと思うんだ。
知ってるとこだけ歌うから、思い当たったら教えてくれないか?

朝から気持ち悪くて仕方ないんだ』

『歯痒くなるよね、そういうの。リョウスケ、可愛いー』

『……お前の耳元で怒鳴り散らしてやろうか』

『ごめん、ごめん。聞かせてくれるかな?


――リョウスケの、歌声』


『ああ。


……なんか、俺がお前の前で歌うのって微妙な気分だ。


プロの前で素人が歌うってのも』

『違うよ、リョウスケ』


 あの時、フィアッセは珍しく真面目だった。

緩んだ気配が消えて、真剣な眼差しで見つめていたのを今でも覚えている。


『歌に、素人とかプロとか関係ないよ。

歌いたいという気持ちが、大切なの。


相手に聞いて欲しい――届いて欲しいって言う願いが、その人だけの音色を奏でるの』


 今だからこそ、分かる。


フィアッセがどれほど純然たる気持ちで、歌を歌っているのか――


どれほどの想いと願いが、彼女を美しく魅せていたのか。


その程度の気持ちも分からぬほど、俺は無知だった。

一人ぼっちだった。


『音色ね……ま、そんなのはどうでもいいや。思い出せればオッケー。

パッパと歌うから、俺様のこの鬱陶しい気分を癒すように』

『パチパチパチ』


 フィアッセは俺の無体な言葉も、微笑んで拍手を送る。

心から、俺の歌を聞きたがっていた。


俺もいつしか真剣になって――





――あの歌を、歌ったんだ。







































とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第三十二話







――色々な意味で、死にたくなった。


「まさかリョウスケがここまで僕に頼ってくれるなんてね。
んー、感無量?」

「知るか。聞くな」


 フィリスが善意満載で呼んだリスティの車に乗って、俺達は現在所定の場所へ向かっている。

運命とはどこまでも俺に残酷なのか、素晴らしいタイミングで訪れたもう一台の車。

黒塗りの高級車は病院前で待っていた俺達の前で、停車する。

助手席の窓から覗かせる人懐っこい笑みは、その場に居る面々を見るなり目を丸くする。



『えと……どういう状況?』



 俺の背中に乗っている寝巻きはやて。

隣のポジションをキープする包帯チビッ娘。

ピンクパジャマに白衣、特殊な色気を出す女医。

煙草に火をつける、クールな美人警官。


そして、孤独を愛する天才剣士。


――何だ、このコスプレクラブ。


どういう状況か、むしろ俺が聞きたい。


『とりあえず言えるのは――お前を呼んだ意味がなくなった』


――笑って頬をつねられた、クスン。


とにかく病院前では落ち着いて話せないので、現地へ向かう事にした。

リスティの車に俺とフィリス、月村の車になのはとはやてを乗せる。

フィリスとリスティは俺との繋がりが強く、はやては月村に救助された縁があるので妥当な分配だろう。

チビは俺のポケットで待機、ユーノは人知れず追尾。

車に追いつけるのか甚だ疑問だが、先生御自慢の魔法で何とかするだろう。

現地の住所はリスティに教えている。

リスティ車先導でノエル車が後追いし、俺達は一路現地へ向かった。

無論――黙々と運転手を務めるような女ではない。

深夜なのに元気に、俺達をからかう。



「フィリスも積極的になったじゃないか。
パジャマ一枚に白衣って、ボクでもドキドキだよ」

「だ、だから説明したでしょう!
家から急いで来たから、着替える時間がなかったの」

「家? お前、病院ってさっき――」

「あ、え、あ……も、もういいじゃないですか!?

これ以上追求するなら、外出許可を取り消しますよ!」

「横暴だろ、それは!?」

「パジャマに白衣が、リョウスケの趣味か……ふーん。
ボクも真似してみるかな。

白シャツ一枚とか、グッとくるだろ?」

「どういう場面で見せるんだ、それは!?」


 真夜中の珍道中をヘトヘトで乗り越えて、俺達はようやく目的地へ辿り着いた。



――仄かな光が灯る建物。



冷たい夜を温かく照らし、訪問者を優しく迎え入れる。

生活観溢れる建物は家庭の匂いを生み、迎え入れる人を安心させてくれる。

深夜だがまだ起きている人間がいるのか、建物の彼方此方に照明が点されていた。


さざなみ寮。


今宵、俺が人生を懸ける舞台が此処――じゃねぇぇぇぇ!!!


「誰がお前の家に案内しろと言った!」


 話し込んでいて気付かない俺もなんだが、全く別の場所だった。

窓から外を見て、思わず仰け反ってしまったぞ。

俺の怒涛の追及に、リスティはのほほん顔。


「お茶でも飲んでく?」

「ざっけんな。真剣に協力する気がないなら、最初からそう言え。
月村の車に乗せてもらう」


 助手席のドアを開ける。

今夜ばかりは、俺は真剣だ。

こいつの冗談に付き合う程、精神的に余裕もない。

リスティには捜査協力で世話になっている。

それに事情も話してないからある程度仕方ないかもしれないが、それでもこいつの冗談に腹が立った。

そのまま降りようとすると、運転席から腕を掴まれる。


コイツ、いい加減に――


強引に振り払おうとするが、リスティの真摯な眼差しに言葉を呑んだ。


「……ごめん。実は、那美を迎えに来たんだ」

「神咲だと……? 何でアイツをわざわざ――」


 次の瞬間、驚くべき事実をリスティより告げられる。


「アリサ・ローウェルの事、那美は知っていた」


「――!」


 知って、いた……何で……


衝撃の事実に、胸を貫かれる。


「君との接触で、アリサの存在が公になった。
街の噂を聞かなかったかい?」


 ――小学生のなのはでさえ、噂を耳にしていた。


何日か不在して、アリサが寂しさで泣き続けたあの時だ。

面白半分に廃墟で行った連中だっているに違いない。


そして――事実だと、知ったのだ……


神咲は確か、この手の事に詳しいと聞いている。

耳にして当然だろう。

もしかすると、彼女自身が調査に向かったかもしれない。


「今晩、君が何をするかは知らないけど――彼女に関する事だろ?
力になりたい、那美の意思だ」


 ……この街の連中は、どいつもこいつも……


胸の中でざわつく気持ちを、かき乱してやりたくなる。

同情や憐憫ではない事は、痛いほど分かっている。


神咲 那美。


平凡な体格に秘める優しくも強い意思を、リスティから伝えられた。


……くそ……


他人の好意を拒絶出来ない、甘ったるい俺に舌打ちする。


「で、でも何でわざわざ迎えに? 一緒に来ればいいだろ」

「うん、実はその事で君に頼みがある」


 ――嫌な予感。


このリスティが、俺に頼み事……?

断言して言える。

絶対、俺の生き方に、反する頼み事だ。

リスティは神妙な顔をして、妙な事をほざく。


「いいかい? 
君が僕を呼んだのは、この寮へ来る為。

久遠に会いに車を出させた、そのシナリオに従って欲しい」

「はあ? 何でいちいちそんな面倒な芝居を――」


「――久遠の正体、君は見ただろ?」


 息を呑む。


――フェイトを退けた、小さな巫女。


身動き一つ出来なかった俺を守った、強力な雷の力。

久遠の変化を目の当たりにした、運命の夜。

忘れられる筈もない。


「久遠は、まだ気にしているみたいなんだ。
姿を見せて、君に嫌われたんじゃないかって」

「――あの馬鹿……」


 気にしてないって、花見でも言っただろうに。


人間に化ける子狐――


フェイトは久遠を使い魔と称していた。

アルフと同類――あの女も、久遠と同じく獣の耳を生やしていた。

雷は魔法の類と単純に考えれば、なるほど……久遠は異世界の生き物という線が濃厚になる。

そう考えると、幽霊に詳しい那美は――魔導師?


おいおい……どうなってるんだ、この世の中。


実は異世界に侵略とかされてるじゃないのか、マイワールド。


考えると深みに嵌るのが俺なので、気にしないでおく。


「近頃顔を見せないのは、俺に遠慮してたのか?」

「色々複雑でね……人間に敏感なんだ、あの娘は。

ボクや那美、寮の住民も心配しててね……安心させてやって欲しい」


 やなこった、自分で立ち上がりやがれ。

メソメソする奴は、基本的に嫌いだ。

何で狐一匹に、カウセリングする必要があるんだ。


――とは思うけど。


腕を組んで考え込む。

悲しみに溺れて桃子に縋り、憎しみに埋もれて月村や恭也に助けられた。

人間、一人ではどうしようもない事だってある。

一連の事件で、俺はそれを学んだ。

久遠には助けられた借りもある。

リスティや神咲には今後世話になるし、ここは素直に――って、待て待て。


最近いつもそんな感じで周りに引き摺られてないか、俺?


俺らしく、思考を切り替えよう。

さっさと借りを返し元気になって貰って、また俺様の家来に仕立てるのだ。

考えてみろ。

フェイトには、アルフという便利な使い魔がいる。

一流の人間には、一流の使用人がいるように。

一流の魔導師には、一流の使い魔がいるのかもしれない。

久遠は俺に絶対服従、強力な雷の力もある。

無口で大人しいから、煩わしさもない。

飼い主は神咲だから、付き合いもそこそこで済む。

久遠なら、俺の使い魔にうってつけだ。

それに。


――さっきから、後方座席で切なげな目で訴えるお医者さんの前でノーと言い辛い。


卑怯だろ、この攻撃!?

せめてもの抵抗で、いかにも迷惑そうに言ってやる。


「分かった、分かった。面倒見てやればいいんだろ」

「オッケー、早速行こうか。フィリスは待ってて」


 俺も後方で待機するノエル組に連絡だけして、寮へ。

酒飲みの再来を警戒したが、リスティの話だと出掛けているらしい。

ナイス。

寮のドアを気軽に開けて、玄関先にお邪魔する。


「那美ー、来たよ」


 リスティは軽く呼びかけると、待ち焦がれていたのか響く足音。

寮の住居人に騒がれる事なく、本人が出て来た――のだが。


「御待たせしました、宮本さん。 


――ど、どうしたんですか、急に頭を抱えて!?」


 どうしたもこうしたもあるか!

ギリギリ精神力で耐えて、俺は俯いた顔を上げる。


「お前……何、その格好……?」

「そ、そう改めて言われるとお恥ずかしいのですが……」


 顔を真っ赤にする、純朴な女の子。

優しい人柄が出ている可愛らしい少女がお出掛けの服装に――


――大仰な巫女服を着飾っていた。


タイムリー過ぎて怖いわ!?

俺の女関係をもう一度吟味する必要があるかもしれない。

ま、まあいい……その辺は後でタップリ聞こう。

今は、彼女の柔らかな胸の中で怯えている獣を何とかする。


「ほら、久遠……宮本さんが、逢いに来てくれたのよ。

久遠だって、ずっと逢いたかったんでしょう?」

「……くぅん」


 か細い声で鳴く久遠。

俺をつぶらな瞳で見つめては、縮こまって神咲の腕に隠れる。


……だぁぁぁぁぁ、面倒臭せえなこいつ!


俺は神咲から強引に久遠を奪い取って、小さな頭を掴む。


「御主人様が逢いに来てやったのに、何をウジウジしてやがる」

「クゥン、クゥン!?」


 突然脳を揺さぶられて、久遠はジタバタ暴れる。

知った事ではない。


――遠慮し合うような仲じゃないだろ、俺達は。


「勘違いするなよ。俺はお前が子狐だから、一緒に遊んでたんじゃねえ。
狐だろうが、妖怪だろうが、女の子だろうが、知った事か。
俺は博愛主義者じゃねえんだ。
たとえ同じ人間でも、嫌いな奴は永遠にグッバイだ。

俺はな――」


 俺は久遠を、頭の上に乗せる。

こいつのお気に入りの場所だった、此処へ。


「――お前が久遠だから、付き合ってるんだ。
何の為に、旅人の俺様がこの街に長期滞在してると思ってるんだ。

お前だって、理由の一つなんだぞ」


 神咲に頼まれたから、だけじゃない。

打算なく付き合える数少ない関係に、久遠が含まれてる。

遠慮なんて、生温い感情を抱くなよ。


久遠は――抵抗せずに、そのまま収まった。


震える毛並みに、喜びの感情を乗せて。

人間ヴァージョンだったら、泣いていたかもしれない。


感情的だからな、こいつ……


嘆息して、向き直る。

苦笑するリスティ、瞳を潤ませる神咲に。


「そんじゃ、お二人さん。

久遠に逢いに来たついで・・・に、俺の頼みを聞いてくれるか」


 二人が反対する筈がなかった。















 御客さんも揃ったところで、いよいよメインの演目へ。

主演女優を迎えるべく、万全の体勢を整えた。

胸に秘められた答えを携えて、俺は舞台へと向かう。



山と海に囲まれた自然の街で手に入れた、想いに満ちた答えを――














『ユーノ、こういう理屈はどうだ?』


 病院の屋上――


結界で切り離された世界の中心で、俺達は顔を合わせる。

回復効果のある魔方陣に立ち、俺は口を開く。

有意義な魔法講座を聞き終えて、今度は出来の悪い生徒の質問タイムだ。


『消えた命を戻すのは不可能、それは分かった。

なら――現存する命を、元の所有者に戻すのはどうだ?』

"現存……? もう少し詳しい説明をお願いします"


 もっともな返答だ。

俺は今までになく必死に頭を働かせる。

知識溢れるユーノ先生なら、きっと解説してくれるだろう。


『アルフとの一戦で、俺は確かに死んだ――

それは間違いないよな、チビ』

『は、はいですぅ。絶対の絶対に、間違いないです』


 殺されたと直接的な表現を用いないのは、アルフを好んでいる証拠かもしれない。

アリサの死は、少なくともアイツの責任じゃない。


『なのに、俺は今も生きている。
あの時、アリサが俺に自分の命を丸ごと渡してくれたからだ。

この俺の中に――アリサの命が、宿っている。

アイツの命が、今も俺の中で息づいているんだ。
消えてはいない』

"ちょ、ちょっと待って下さい!?
つまり、貴方はこう言いたいんですか?

自分の中に在るアリサさんの命を使って、生き返らせると"

『アリサ本人の命だ。アリサの為に使うのは当然だろ?』


"無茶です!?"


 ユーノは念話を通じて、悲鳴じみた声を上げる。

脳にダイレクトに伝わる分、ユーノが今感じている感情が明確に届いてくる。

明らかに――混乱していた。


"本当に、貴方の中にアリサさんの命が在るのか分かりません!
死んだと言いましたが、死後数分以内に蘇生したケースも歴史上多くあります。
強い衝撃で心臓が一時的に停止し、間を置いて再び鼓動する事だってあるんです。
それに貴方は通常の状態ではない、ミヤさんと融合していた状態です。

最後に出逢ったと言いましたが、夢の中でしょう?

現実的に考えれば融合化における何らかの因子が働いて、蘇生出来た可能性が高いです"

『……どう思う、チビ?』

『その……否定は出来ませんです。
詳しくは言えませんが、ミヤが切り離された自体異常ですから』


 ユーノの反論は概ね理解出来る。

普通に考えれば、幽霊から命を貰って復活したと考える方が変だ。

フィリス辺りでも似た反論が返ってくるだろう。


だが――


俺はどうしても、そうは思えない。

夢の中のアリサが俺の生み出した幻だとは、思えない。


あの時――俺は自分が死んだ事すら気付けぬほど、弱かったのだから。


『大した偶然だな。
死んだ瞬間、アリサが自分の命を差し出す夢を見るのか?

大体もう死んでるのに、夢なんか見れるか普通』

"普通の状態ではありません!
何度も言いますが、貴方は融合化をしていて――"

『分かった、その辺は後で話そう。

本当にアリサが命を渡してくれた可能性だって、0じゃないだろ』

"問題はまだあります! 

いいですか、仮に貴方の言う事が正しかったとします。

貴方は今、そのアリサさんの命で今生きているとしましょう――いいですか?

その命を使ってアリサさんを生き返らせれば――"


 ユーノの言いたい事は、直に分かった。

なのはやチビも頭は俺より遥かに良い。

顔を青褪めて、二人は俺を見上げる。



"――貴方は、再び死にます。



敵の使い魔に殺された状態に戻るんです。


貴方は、それでいいんですか?


何の為に、アリサさんは貴方に命を託したんですか!!"


 ――何だよ……結局お前、信じてるじゃねえか……

ユーノが本気で怒るのを見るのは初めてだ。

ビリビリ、念話から哀しい怒りが伝わってくる。

俺を本気で案じてくれている――


こんな選択を選んだ俺を、心から怒り狂っている。


流石、なのはのパートナー。

不謹慎だが、俺は安心した。


ユーノがいれば、なのははこれからも大丈夫だ――


"貴方に生きて欲しいから、彼女は自分の命を託したんです!
貴方がやろうとしている事は、彼女の尊い犠牲を踏み躙るのと同じです!

僕は断じて、そんな事に協力しません!!"


 無論、他の二人も黙ってなどいない。

怒り狂った妖精が、俺の眼前に飛び出す。


『ミヤも反対、反対、大反対です!

いい加減にして下さい!

マイスターと家族になると約束した途端に、これですかーーー!!"


 小さな手を懸命に振りかぶって、ポカポカ俺の頬を殴る。

泣きながら。


『悲しませないって、言ったじゃないですかぁ!

貴方が死ねば、マイスターがどれほど悲しむと思っているんですか!

また一人にする気ですか!? 無責任にも程があります!!"


 涙の量では、もう一人のチビも負けていない。


ジュエルシード事件を通じて――少し強くなったその眼差しを向けて。


高町なのはは、泣いて叫ぶ。


『なのはも絶対に反対です! アリサちゃんだって、そんなの……そんなの、絶対に喜びません!

おにーちゃんは、女の子の気持ちを全然分かってない!!』


 考えてみれば――


――なのはが俺に反抗するって、初めてだよな……?


幼い少女の反抗は、胸に堪えた。


『アリサちゃんだけじゃありません。
おかあさんも、お兄ちゃんも、おねーちゃんも、レンちゃんも、皆、皆……

おにーちゃんが死んだから、悲しいんです。
すごく、すごく、悲しいんです!

どうしても、どうしてもやるなら……なのはは、絶対に止めます!!』


 レイジングハートが、眩く輝く。

深紅に彩られた宝石が、主人の思いを汲み取る。


"マスターの意思に、私も従います。
貴方一人無力化するのは容易い事です"


 挑発的な言葉はなのはとの強い絆と、俺への非難。

デバイスに宿る紅の意思が、死に向かう俺に真っ向から対峙する。


フー……


三――いや、四人から向けられる非難と批判を浴びせられて、俺は疲労の息を吐く。


『盛り上がるのは結構だが――話はまだ途中だぞ?』


"え……? ですが、貴方は――"

『誰がアリサに命を全部返すと、言った。

俺は、俺の中に在るアリサの命を、アリサの為に使う・・と言っただけだぞ』

"そ、それは同じ意味では――"

『全然違うわ、ボケぇぇぇ!? 早とちりしやがって!
まだアリサとの約束を果たしてないのに、死んでたまるか!?

ええい、いいからお前ら全員其処へ座れ!!』


 この俺が、大切な女性の為に命を捧げる主人公って柄か!?

死体を盾にしてでも生き延びる男だぞ、俺は。


――アリサの為なら、まあちょっとは考えるけどよ……


勘違い軍団を全員座らせると、俺は自分の立てた仮説を元に自分流の講義を開始する。

ユーノが『魔法』なら、俺は『生命』だ。


『話を戻すぞ。俺の中に、アリサの命が在る。
俺はそもそも前提を勘違いしていたんだ。
分かり易く、率直に言おう――』


 俺は息を吸う。

この話のポイントは、まさにコレ。

固唾を呑む一同に、俺は結論から言った。


『――アリサはまだ、完全に成仏していない。

俺に自分の生命を渡し、力尽きて眠っているだけだ』

『ほっ、本当!? 本当なの、おにーちゃん!?』

『本人が言っていた。安らかに眠れる、と』


 多分、アリサ本人は成仏と言う意味で言ったのだろう。

皮肉な話だ。

彼女の最後の言葉もまた、ヒントになったのだから。


"待って下さい。
その説はあくまで、貴方がアリサさんの生命を貰って生き返った事が前提となります。

貴方が自力で蘇生した可能性が現状高い事も、忘れないで下さい"

『ああ、そうだったな。
なのはやチビも気付いた点や意見があれば、言ってくれ』


 元気よく手を挙げる二人に苦笑しつつ、論説を述べる。


『えーと、じゃあこうするか?
ユーノの説が正しいなら、夢の中のアリサは死ぬ間際に見た俺の都合の良い幻。
俺は自力で復活して、アルフを倒した事になる。

なら、当然――アリサは今も廃墟に居る事になるよな?

今から話す俺の具体案を実行に移す前に、現場へ行って確かめてみようぜ。
アリサがいれば、一件落着。
ユーノ先生の御高説を疑った事を心から恥じて、土下座祭りを開催してやる』


 そうなる筈だ。

アリサは確かに幽霊だが、意味もなく消えたりはしないだろう。


"と――突然成仏した可能性も……"


 じ、自信ないのかよ、おい。


異世界に散ったジュエルシードを捜す根性はあるくせに、変なところでへたれな奴である。

こいつ――絶対立身出世出来ないタイプだな。 

無視して、話を進める。


『廃墟にアリサが居なかった場合、俺の説は正しかった事になる。
アリサは俺に命を渡し、力を失って消えた――

――ならば逆に俺からアイツに命を戻せば、あいつは元通りになる。

ここでお前が問題にしているのは、アイツに命を渡したら俺の中の命が消えて、結局俺が死んだ状態に戻る。
そういう事だろ?』


 すげえ勢いで頷く少女達。

そのポイントだけは譲れないとばかりに、妖精と魔導師さんが燃えていた。

やや怯みつつ、講義を進める。


『なら、話は簡単だ。

アイツから貰った命を、全部返さなければいい』

"――は?"


 ポカンとした声を上げるユーノ。

反論されるのを覚悟の上で、俺はあえて語ってやる。


『アリサの生命を寿命換算して、仮に50年としよう。
アリサは50年分全部の生命を俺に譲って、納得して成仏した。
俺は全く納得していない。

かといって俺が命を全部返却しても、俺が死ねばアイツは納得しないだろう。

ならば、互いに妥協するのが交渉ってもんだ。

半分――25年分をあいつに返し、残り25年分を俺が有効活用する。
寿命が縮むけど、それならお互いに人生を満喫出来る。一件落着、めでたしめでたし』

"そんな単純にいく訳がないでしょう!

先程から聞いていれば命を交換だとか、半分ずつ分けるとか、非理論的な事ばかり!

人間の命を何だと思ってるんですか!!"

『お前、分かるのかよ』

"なっ――"

『ユーノ・スクライア。お前に、命とは何かが分かるのか?』

"そ、それは……"


 分からない、分かる筈がない。

だからこそ――俺達は一つしかない自分の命を尊び、死を恐れる。

魔法や科学で消えた命を蘇らせないのは、命の在り方を本当の意味で分かっていないからだ。

分からないから、戻せない。

どれほど高名な画家でも、同じ絵は描けないように――

どれほど偉大な建築家でも、同じ家は築けないように――

同じ命は、形成出来ない。


『……俺だって分からないさ。
俺が分かっているのは、一つだけ。

アリサ・ローウェルは、自分の命を渡して死体の俺を蘇らせた――その事実だけ。

ユーノ。

お前が無理だ無理だと叫んでいる死者の蘇生を、アイツがやり遂げたんだ。

世の中に蔓延する宗教なんぞ目じゃねえ。

本物の奇跡を、アイツは起こしやがった。


その途方もない奇跡に、俺は賭けてみる。


別に、難しい事じゃないさ。

アリサ本人を生き返らせるんじゃない、死人を幽霊に戻すだけだ。

アイツに命を半分返してな』

"……具体的な策はあるのですか?
幽霊に戻すと簡単に言いますが、そもそも魔法でそのような事は出来ません。

死んだ人間の行く先は諸説ありますが、根拠のない曖昧な話ばかり。
彼女も消えてしまったとあっては、その手段が――"

『他の奴は無理だろう。
だけど、俺とアイツには特別な繋がりがある。

それが――コレさ』


 チビスケが保管してくれていた、一枚の頁。


尊い願いが記された、アリサからの最後の贈り物――


まるでアリサ本人が宿っているかのように、頁の絵は幸福の微笑みを映し出している。


『この絵は恐らくアリサの心からの願い――未練を記した頁だと、俺は思っている。
この本の力によるものか、何か偶発的な力が働いたのか。

とにかく一瞬でも、この頁はアリサの心に繋がった――消えたあの娘との、唯一のパイプライン。

"アリサの頁"を介して、俺はアイツに呼びかけてみる。

この胸の中に宿った、優しくて暖かい命を――あの娘に届くまで』

"……"


 荒唐無稽な話だ。

魔法の基礎知識もない俺だが、多分今俺が言った事は妄言の類。

大笑いされるか、正気を疑われるか、どちらかだろう。


『……昔の俺なら、夢見てんじゃねえって笑ってるだろうな……
一人のガキの想いが生んだ奇跡に縋ってるんだから。


人を想う気持ち――アリサを想う、気持ち。


奇妙な話だが、想いがなければ多分奇跡は起こらない気がするんだ』


 人を裏切るのは、簡単。

信じないのは、もっと簡単。


信じる事が、一番難しい。


『自分の口で言うのは照れ臭いが、この想いってのは結構馬鹿に出来ない。
身体は飯食えば最低限維持出来るけど、幽霊は飯が食えないからな。

自縛霊とか、怨霊とか何でもそうだけど――幽霊ってのは案外、この想いを支えに生きている気がする。
想いが強ければ、幽霊でさえ奇跡を起こせるんだ。

やってみるよ、俺は』


俺は、孤独の剣士。


自分の信じる道を切り開く。


『何も起きず不発に終わる可能性が、正直一番高い。
仮にアリサと繋がって、命の匙加減に失敗しそうな時――

ユーノ、なのは、ミヤ。

勝手かもしれないが、お前達にフォローを頼みたい。
どんな事をしてくれても構わない』


 誰一人理解されなくてもいい。

なのは達が、俺を信じられなくてもいい。


俺は――なのは達を信じる。


静まり返る、一同。


静寂を破ったのは――


『おにーちゃん』
 

 ――なのはだった。


涙に濡れていた頬は乾き、赤みが差している。


『なのはの命も、使えませんか?』

"な、なのは!?"

『……どういう事だ?』


 血相を変えたような声を上げるユーノ、驚愕に震える俺。

少女の幼い顔には、決意の色――


『アリサちゃんの命を二つに分ければ、おにーちゃんやアリサちゃんは半分しか生きられません。

でもなのはの命も使ったら、二つを三つに出来ます』

『お、お前――意味が分かって言ってるのか!?
自分の命を三分の一差し出すって事だぞ!

大体お前の命を混ぜたら、どういう現象が起きるか――』


 アリサの命が俺に適合した理由は、ハッキリしていない。

そこに付け入る隙はあるのかもしれないが、それにしたって無茶だ。

なのはは、怯まない。


彼女らしい、柔らかな微笑みを浮かべるだけ。


『おにーちゃんが奇跡を起こすなら、なのはも奇跡を起こします。

なのははおにーちゃんも、アリサちゃんも信じてますから』


 信じれば願いが叶うと思っている。

馬鹿だ、本当に――


――流石は、俺の妹分だ……


馬鹿は他にもいた。


『あ、あの! ミ、ミヤの……ミヤの命も使って下さい!』

『おいおいおい!? 
人間ですらないお前に、命なんぞ――』

『ミヤは貴方――じゃなくて、なのはさんとアリサさんを信じます。
信じれば願いが叶うといったのは、貴方ですぅ!

実践して貰います』


 もはや軽く理屈を超えている。

生態不能なチビスケが手出しすれば、どうなるか予想も出来ない。

チビは真剣な表情を浮かべて、俺を見つめる。



――え……?



『見せて下さい、ミヤに――私達に。

頁の改変を行った貴方が、主を預けるに足る器かどうか――

呪われた我が旅路の行く末に、未来の可能性がある事を信じさせて欲しい』



 俺は目を必死で擦る。

さっき――妙なものが見えた。


厳かな雰囲気を纏った、紅い瞳の女性を。


  えーと……ミヤ、だよな……?

言い方も変だったし、聞き違いだろうか。

首を傾げる俺を、チビはキョトンとした顔で見つめ返すだけだった。

気のせいか、うん。


"……こんな話、聞いた事がないです……

生命に関する研究は危険な領域ですが、それゆえに踏み込む人はいます。
死者蘇生のみならず、永遠の命を求める魔導師も歴史上数え切れない程いました。

ですが、こんな夢みたいな事を実行した人はいません"

『だろうな』


 実現不可能と言うより、馬鹿馬鹿しくて誰もやらないのだろう。

誰にだって実行出来ない。

俺とアリサだから、可能性が生まれたんだから。


『――で、お前はどうする?』

"……分かってて聞いてるんでしょう?"


 お前の人柄全て含めてな。

ユーノ・スクライアという少年なら、きっと手伝ってくれる。

期待はされなくても、全力でサポートしてくれるだろうと――


話を終えて、俺達は病院の屋上で回復が終えるのをしばし待つ。


待ってろよ、アリサ――














 ――真っ暗な世界に沈んだ廃棄ビル。

日が変わる時刻、威光が崩れ落ちた廃墟に場違いな人間達が訪問する。

一人一人、厳しい顔。

無言のまま月明かりとノエルが用意した懐中電灯を頼りに、歩く。


静かな夜に、冷たい空気――


虫の声も聞こえない終わりの春を、廃ビルは緩慢に受け止めていた。

社会に捨てられた、孤独な建物。

自分の自宅と決めたあの日から、幾つもの日を費やしたのか。


どこまでも、どこまでも――この建物は変わっていなかった。


唯一つの、欠落を除いて。


「アリサは――やっぱりいないか……」

「……はい……微かな念は感じますが……もう、アリサさんは――

すいません」

「謝る事なんてないさ。分かっていた事だからな」


 悲しみに表情を曇らせる神咲に、俺は微かに笑って首を振る。

車内で、彼女の大よその素性は聞いていた。

彼女の家は代々霊能を生業とする家系らしく、驚くべき事に彼女もその素養があるらしい。

詳細まで聞かせて貰えなかったが、霊的な存在や現象の察知は可能との事。

幽霊との対話能力・霊的な癒しの力に恵まれているらしい。


そんな彼女に。


此処へとやって来た全ての人達に、俺は真相を伝えた。


知り得る限りの全てを。

俺が高町家から出た後の、夢のような経験の数々を。


――今宵、俺がなすべき事を。


今晩の儀式として俺が選んだ場所は――廃墟の前。

アリサと出逢った四階でも良かったが、あんな狭い空間では大勢が入れない。

何より――


この綺麗な夜空の向こうに、アリサが眠っている気がするから。


「――ねえ、侍君。本当、なんだよね……?
今話してくれたこと、全部」


 今にも崩れ落ちそうな廃墟の前に、俺達は集う。

簡素な上着にジーンズ姿の月村は、月光に照らされて尚華やかな美を纏っている。

その表情に俺への怯えや疑惑はない。


「……驚くのは当然だと思うし、信じられないのも無理はない。
普通に生きていれば、一生関わる事もない事だらけだからな。
挙句の果てに、死んだ人間を幽霊に戻そうってんだ。

気が狂ってると思われても仕方ない」

「……」


 月村は少しの間思案していたが――やがて、普段の人懐っこい笑顔を見せる。


ゆっくりと、その白い手の平を差し出して。


「……? 何だ、この手」

「手を繋ぐの、こうして」


 利き腕ではない方を取られて、そのままゆっくりと重ねられる。

月村の手は冷たく、繊細な感触が伝わってくる……

動揺する俺に、月村は少し得意げな表情で話す。


「繋がっている方が伝わりやすいでしょう――

私の大切な、命」

「――っ、お前、信じる気か!?」


 なのはと同じ結論。


俺を死なせたくない、ただそれだけの為に――自分の命を削ろうとしている。


月下に立ち、月村は茶目っ気たっぷりにウインク。


「侍君は知らないだろうけど……私も結構、普通じゃないよ?

この世が科学で説明出来ない事があるなんて、生まれた時から知ってる。

――侍君がどういう人なのかも。ね、ノエル?」

「はい」


 ノエルはゆっくりと歩み出て――両手にある物を、差し出す。


一振りの、無骨な竹刀。


あの時捨ててしまった、俺のもう一つの命――


「戦いに出向かれるのでしたら御使い下さい、宮本様」

「……ありがとう、ノエル」


 魂を、受け取る。

数々の危難を助けてくれた相棒が、この正念場でまた俺の手に。

力強い感触に、胸が震える。

ノエルはそのまま月村の手を取り、強く握り締める。

お前を夢見て、俺はアリサをメイドに選んだんだ。

きっと、話せる時が来る。

俺は、信じている――


「宮本さん、未熟な私ですが精一杯アリサちゃんに呼びかけてみます」

「悪いな、面倒事につき合わせてしまって」


 神咲は首を振る。


――悲しそうに、俯いて……


「……霊を再び現世へ戻すのは、大変困難です……

哀しいですが、本人に拒まれる事だってあります。

けれど――せめて、貴方の気持ちが届くように祈ります」

「くぅん」


 久遠はそのまま飛びつき、俺の隣に立つ。

手助けする気満々の気配に、俺は神咲と二人で苦笑を零す。

神咲は久遠の隣で、精神統一を行っていた。


「……良介さん」

「フィリス。何か――最後までお前には苦労をかけっぱなしだったな」

「最後とか言わないで下さい!」


 この女医は、俺にどこまでも厳しかった。

出逢った時から、何も変わらない。

説教ばっかりだったが、俺のような人間を心から案じてくれていた。


「まさかこんな複雑な事情があったなんて……

いいですか、良介さん?

貴方がどう思っているのか分かりませんが、私はいつでも貴方の味方です。

今後困っている事や悩んでいる事があれば、すぐに相談に来て下さい」

「相談って、こういう事をか? 魔法だぞ、魔法。
御伽噺の世界じゃないか。
違う意味でカウセリングさせられるんじゃないか?」

「馬鹿な事を言わないで下さい!
全ての事情を察している訳ではありませんが、貴方の言う事は信じられます。
月村さんと同じです。


――私も貴方が思うような、普通の人間ではないんです……」


 ハッとする。

俺を含めて患者や知人に一度たりとも見せない――暗い表情。

絶望を今も抱いているかのような、儚さ。

壊れそうな脆い表情を垣間見せられて、俺は言葉を失う。


だが、それも一瞬の事。


次の瞬間には普段の朗らかな顔を見せて、ノエルの隣に並ぶ。


「私も協力しますから、頑張って下さい」

「頑張ってって、お前まで――」

「んー、まあいいんじゃないの。本人の意思なんだから」


 フィリスと似た綺麗な容姿なのに、心はまるで似ていない子悪魔な女性。

これほどの異常な空間にいながら、リスティのスタイルに変化はない。

煙の立たないタバコを手に、歌うように呟く。


「通り魔事件の犯人逮捕の次は誘拐犯探しに、被害者の救出――
ボクより君の方が向いているんじゃないか」

「問題あるだろ、それは色々と!?」

「案外、将来似た立場になるかもね。
んー、それじゃあ未来の後輩に人肌脱ぎますか」


 軽く伸びをして、煙草を捨てる。


どこまでも自分を貫いて――このように何気なく、手を差し伸べられる。


「それとも――本当に脱いだ方がいい?」

「お前の命を全部捧げてやろうか!?」


 竹刀を振り回すと、黄色い悲鳴をわざとらしく上げて逃げていく。


……本当、変わらないこいつは。


その生き方に、多少なりとも憧れを抱いた。

陣中見舞いの最後は、やはりと言うべきか俺に近しい存在だった。


「寒くないか、はやて」

「うん、平気やよ。

――わたしはこうして見てるしか出来ひんけど、精一杯応援してるから」


 結局最後の最後まで、はやてはついて来た。

現状背負えないので、俺の前で腰を落としてもらっている。

乾いた土が、はやての尻を少し汚すが仕方ない。

見守っていて貰おう。



最初で最後の――人を救う、瞬間を。



"おにーちゃん、準備オッケーです"

"無駄かもしれませんが貴方に強力な回復と防御の魔法陣、この辺り一帯に結界を張りました。
なのはとボクが随時サポートしますので、貴方は集中して下さい"


 淡い緑色と桜色の光が、ぼんやりと周囲を覆っている。

二人とも姿を見せないが、如何なる邪魔も入らないように専念してくれている。

儀式が始まれば、彼らは全魔力と生命力を注ぎ込んでくれる手筈だ。


準備は――万端。


ふう……


胸の鼓動が、高鳴る。


宮本良介、一世一代の賭けだ。


これほどデカイ勝負を挑んだ事はない。


誰かに勝つのではなく――


――誰かを救う為に、戦う。



こんなに――重いのか。



"ビクビクして情けないですねぇ……

やっぱりミヤがいないと駄目な人ですぅ"


 ――最後の躊躇を、消し去る幼い声。


はやての手前ポケットに隠れたままの女の子が、最後の活を入れる。


そうだ、な……


挑戦してから、存分に失敗に怯えればいい。

まずは、やってみる。

全力で、戦う――


そして、アリサの願いを叶える魔法使いになってみせる。


今夜限りの、シンデレラであったとしても。


"行くぞ、ミヤ。融合だ!"

"はい!"



 ――視界が、ぶった切られる。



脳内を焼き尽くす情報の渦に、眼窩が白く染まる。

頭の中を掻き毟る強烈な違和感を、俺は唇を噛んで耐える。

ミヤとの融合化はこの世のあらゆる毒素より強烈に、自身の根幹を歪ませる。





クルシイ、イタイ、アツイ……





それが。





どうしたってんだ――!!





咆哮。





次の瞬間――痛みが、消えた……



"ハァ、ハァ、ハァ……無事か、ミヤ"

"へ、平気ですぅ。

だって――これからが本番ですから"


 首筋を這う、長い髪の感触――


後頭部に手を当てて、柔らかな髪を梳いてみる。


繊細な、蒼銀色の髪。


どうやら今回は、自力で融合化に成功したようだ。


俺の眼前には、アリサの頁が浮かんでいる――


俺の突如の変化に、周囲の女性陣が目を見開いている。

生憎だが、説明している暇はない。


集中するべく、俺はそのまま瞳を閉じる。


ユーノ曰く、儀式を伴う大きな魔法は呪文の詠唱が必要となる。

巨大な魔法ゆえ、制御を行うべく長文の発音による発動が不可欠となるらしい。

呪文、と聞くと――どこか攻撃的なイメージを連想させる。

それではアリサが怯えてしまう。

アイツに贈る言葉は、そんな形式に凝り固まったキーワードではない。



自然と、思い浮かんだ……



月村を握る手を強く。



己が片割れを、真っ直ぐに頭上へ掲げて――



――俺は、呪文を唱えた。



聞いてくれ、アリサ。



俺とお前の絆を彩る、生命の賛歌を――















「あふれる陽だまりのなかで 

            口げんか繰り返す」





 魔方陣が、展開する――

二重の正方形を持つ真円形の光が、剣を通じて天空へ駆け上がる。





「肩をいからせた二人を

          たんぽぽの綿毛が笑ってた」





 闇夜を眩く照らし出す光は――虹色のハーモニーを描く。


光源は、麗しき乙女達の命。


純粋なる願いを奏でる旋律が、夜空の星をダンスに誘う。





「遠い記憶は今でも

        胸の奥で光ってる」







神咲の祈りはアリサの魂を呼び、巫女の少女が不浄を払う。

月村の紅の瞳が見つめる先に――金髪の少女と、狼。

形成された魔法陣に、共に崇高な生命力を贈ってくれた。





「崩れ落ちた廃墟だとしても

            南風はきっと吹くはず」





 白衣の天使と、清廉な法の番人。

新たなる魂の誕生を祝うように、乙女達の背に聖なる翼が生まれていた。





「あの日にかえれる翼を広げて

             この大空を飛びたい」





 繋がる手から伝わる、熱い感覚――


身体の中心より流れ続ける生命の本流を、母のようにそっと包んでくれた。


俺は涙を流して、奇跡を謳い続ける。


全身全霊。


自分の中のありったけを、起動トリガーとなるキーワードとして唱える。





――Long Way Home――





アリサの頁が眩い虹色の閃光を放ち、俺は目を閉じた――





…。





…。





…。





…。





…。




…。





…。





…。





――どう、なった……?





静まり返る、世界。

虹は収束し、閉じた瞼の向こうに光はもう感じない。

全身が鉛のように重い。

壮絶な疲労に足を震わせながら、俺は耳を傾ける。

誰も、何も、言わない……



――どう、なった……んだ……?



恐る恐る、目を開ける――




















世界は――どこまでも、非情だった……

何も、変わっていない。

廃墟は変わらず真っ暗。

繋いだ手は解かれて、皆儀式の余韻に顔を俯かせたまま。

他には、何もない。

何も、何も……

俺は地面に膝をついた。


「――アリサ……」


 無駄、だった。

結局、悪足掻きだったんだ――


「……アリサ……」


 ユーノだって、何度も忠告していた。

理論の破綻は、自分だって承知済みだった。


だけど――


「……アリサ……俺は」


   それでも、俺は――


「……お前を……救いたかった、のに……

幸せになって欲しかったのに……」


 涙がポロポロ零れる。


悔しくて、情けなくて――





























「――何よ、男のくせにメソメソしちゃって」





























 時が――止まる。





「もう……折角気持ち良く寝てたのに、歌が煩くて目が覚めちゃったわ」





 あ――あ……





「そーんなに、アタシに逢いたかったの?」





 ああ……あ……





「ま、当然よね。アタシのような可愛いメイドはそういないもん」





 ああ……ああ……





「御主人様ってばロリコンのプータローだから、アタシ以外の誰も好きになってくれないもんね」





 あ―― 
 




「仕方ないから、ずっと一緒にいてあげる。感謝してよ――キャ!?」

「アリサ……アリサァァァァァ!!!」





 クスクス笑っていた女の子を、俺は抱き締める。





「ちょ、苦し――こ、こら!





あーあ、もう……こんなに泣いちゃって……





こんなに……グス……





良介……うう……良介!!」


 恥も外聞もなく、俺は泣き喚いた。


俺の腕の中に、アリサがいる。


ただそれだけで――かつてないほど、俺は幸福に満たされていく。



奇跡に彩られた再会を、ただ無防備に喜んで――















こうして。















彷徨い続けた悪夢は、本当の閉幕を迎えた。



















































<第三十三話へ続く>







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