Ground over 第五章 水浜の晴嵐 その10 身近






 酷く嫌な夢を見た。

性質の悪い夢とは、覚えていない悪夢だと実感させられる。

起きた途端寝汗に濡れている事を知り、不快感に身体を強張らせた。


――安宿に潜伏して一日目。


追跡者を何とか撒いたのはいいが、今更ホテルにも戻れず途方に暮れる。

追って来る人間の正体も掴めず、迂闊に街中を彷徨えない。

少し前まで平和な日本で暮らして来た身の上だ、民間対処法では限界は当然ある。

俺に出来る事は少女を人目から隠して、偽名で宿を取る程度だった。


本来宿泊予定だった高級ホテルとは雲泥の差――


衛生面や宿室の環境は雑の一言。

ゆえに宿泊客の管理も疎かで、宿賃を上乗せすれば喜んで泊めてくれた。

民間の宿舎は多人数部屋が基本だが、前金の払いの良さが功を奏したのか個室を提供してくれた。

部屋は一室、少女と二人暗い部屋で寝泊りする。

人様を散々連れ回した我侭な性格を考えると、安宿を嫌がるかと思ったが普通に面白がった。

こういう部屋に泊まるのは初めてらしい。

俺との同室もむしろ喜び、お陰で昨晩は遅くまで話に付き合わされた。

嘆息して、起きる。

一つのベットに、二人――


――安らかに眠る少女。


少女の無防備な寝顔を見るのはこれが二回目だった。

白い髪を撫でると、くすぐったそうに身を縮める。

少女はどこまでも純心だった。

昨日まで赤の他人だった俺をここまで慕う理由がさっぱり分からないが、好意を抱いてくれるのは嬉しい。

俺は平凡な人間だ。

科学を熱望し、知識を糧に生きている。

特別な面は何も無く、無い事に不満足でいた事は一度もない。

英雄ゴッコは幼稚園で卒業している。

昨晩のような事は二度と起きて欲しくなかった。


追跡者の殺意。


彼らにとって身元不明な俺を躊躇いなく殺そうとした。

あのまま捕まっていれば、俺の命は――


ゾッとする。


盗賊団を撃退しても、長雨を止めても、殺人魚を退治しても――度胸なんて身につかない。

戦いに勝利して純粋に強くなれるのは物語の中だけだ。

現実はそんな簡単に強くなれない。

命の危機に恐怖して何が悪い。

一介の科学者志望に敵を倒す強さは必要ない。


「…でも、現実問題追っ手は存在する――」


 荷物が無いのが致命的だ。

部屋を出た時は手荷物を持って来ていたのに、窓から外へ連れ出された時置いて来てしまった。

連絡手段のビジョンが無い、金も無い。

この部屋だって、アリスが持っていた金で借りた。


――高価な金貨に宿の親父が目を丸くしていた。


何者なんだろうな、この娘は…

その調子でビジョンも携帯して欲しかったが、生憎持ってないそうだ。

無いなら自分で作るのが俺流科学術だが、めでたく工具もホテルに置いてきた。

正真正銘、嘘偽りない無一文。

衣服を剥がされたら、文字通り丸裸。

持っているのは――積み重ねた勉学と、瑣末な冒険の経験。

知恵を生かし、未知な分野を探求するのが科学への近道。

今回の経験もいつか活かせる時が来るのだろうか?

この世界で宿が取れたのも、旅中カスミから一般的常識を聞いていたからだ。

――複雑である。

現実から逃避している自分に気付いて、頭を振った。


「この娘が起きたら、話を聞いてみるか」


 そして連絡手段を得て、葵達に連絡を取る。

葵なら喜んで首を突っこんでくるだろう。

…あいつが友達で俺は好かったのか悪かったのか、今でも分からない。

命の危険が迫れば、通常の人間は我が身可愛さに見捨てる。

――あいつは決して見捨てない。

退屈な自分の人生に刺激を得る為に。

俺を、心から友と想うがゆえに――


「…お前にも心配してくれる人はいるのか、アリス・ウォン・マリーネット」


 "私を、誘拐して欲しいの"


眠り続けるお姫様の、真意は見えない――















「――って事で、いい加減教えてもらおうか」

「うにゃ?」


 パンを丸齧りした少女が首を傾げる。


――自室で朝御飯。


宿屋の主が部屋まで運んでくれた食事を、二人で取っている。

ミルクパンに野菜のスープ、薄切り野菜のレモン添え。

質素な食事だが、味付けはなかなか良い。

高級ホテルなら今頃豪華な食事にありつけただろうに、気が重い。

俺の不機嫌さに、アリスは不思議そうな表情で首を傾げる。


「何を…?」

「何から何まで!」


 名前以外、こっちは何も分からん。

情報が無ければまるで動けないのだ。

少女はゴクっとパンの切れ端を飲んで、神妙な顔で頷いた。


「情報交換は必要だね」

「交換っていうか、一方的に提供しろよ」

「アナタに全て捧げればいいのね」

「頬を赤くして言うな!」


 俺の反応が面白いのか、少女はニコニコ笑う。

…もしかして、葵が俺をからかうのは常に思いっきり反応するからか?

自分の生き方に悩む俺に、少女は口を開く。


「おにーちゃんの困った顔を見るのはすごく面白いけど、そろそろ話さないと駄目だよね」

「当たり前だ」


 少女はフォークを置く。

丁寧な仕草で口元を拭いて、俺を真正面から覗き込む。


「実は――おにーちゃんの事、わたし前から知ってたの」

「俺の事を…? どうして」


 俺はこの世界の住民ではない。

知り合いはおろか、故郷や住む家もない。

有名人になった覚えもない。

気になる発言に身を乗り出すと、少女は顔を俯かせて、


「わたし…」



『失礼する!』



 張り上げた声と、荒々しい足音。

物音は明らかに窓の外――宿の入り口から聞こえた。

髪をなびかせて窓を見る少女につられて、俺は立ち上がって窓を少しだけ開けた。

宿の客にしては、物々しい気配だった。

こっそり外を覗き込むと、


「――役人、か…?」


 大仰な制服と、簡易的な武装。

被る帽子に正義の印を掲げており、帯剣装備までしている。

日本の警察官より頼もしい格好をした役人達。

街を守る正義の使者が二・三人宿の中へと入っていく。

俺達庶民の味方。

是非、今の俺を助けて欲しい。


――そこで気付く。


役人に助けを求めるのが一番じゃないか?


「…ちょっと様子を見てくる。お前、此処にいろ」

「御飯食べてるねー」


…?


少女の素直な返事が気になりつつ、俺はウキウキ気分で部屋を出て行った。
















































<第五章 その11に続く>






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