ヴァンドレッド


VANDREAD連載「Eternal Advance」




Chapter 12 -Collapse- <後編>






Action2 −郷愁−






「記憶喪失」は、医学では健忘症の一種として扱われる。

記憶の全喪失を含んだ記憶障害が起きる原因として、主に二つの症例が挙げられる。

心因性精神的な原因――強いストレスや心的外傷によって、記憶にアクセスしにくくなってしまうのだ。

辛いことを忘れる事で精神の安定を保とうとする心の働きによるもので、ある種健全とも言える。

もう一つは外因性――頭部への怪我等によって引き起こされた記憶喪失は、これに属する。

脳細胞やシナプスに直接的な破損が起きる事で、記憶システムにエラーが生じるのだ。


身体の傷と、心の傷――


共に癒す事でしか回復は見込めないが、根本的な治癒方法は確立されていない。

心身の負傷は時間が少しずつ痛みを和らげてくれるが、記憶の傷は人間が容易に触れられる類ではない。

記憶喪失で失うのは「覚えている必要のない事」だけではなく「いつまでも覚えていたい事」まで含まれる。

結局は患者の意思――傷を負った張本人が望まぬ限り、何も変えられない。















 健やかとは到底言えない状態で、重い頭を抱えて少年は上半身を起こした。

浅い眠りだったのか、前後関係を容易く把握出来た。

此処は養父であるマーカスが用意してくれた自分の部屋、養父やアレイクとの会話中気絶してしまったのだ。

奇妙な夢を見たのもあるが、父親から聞かされた自分の寝言を聞いて頭の芯が疼く。

停止していた頭脳が急激に活発化したように、痛みによる信号を送ってきた。

激痛に耐え切れず昏倒した自分が恥ずかしい。


「親父にまたからかわれそうだ・・・・・・」


 活発に動いた反動か、まだ頭の中に痺れるような鈍痛が残っている。

恥ずかしいのを承知で聞いた寝言も、結局内容は漠然としていたというのに。

久し振りに動かした脳が出した記憶の断片は、一つだけ。


"ヒビキ・トカイ"


 奇妙にも自分で呟いていたそうだが、父親の話と記憶が結び付いて一つの名前が生み出された。

親か、兄弟か、友達か――あるいは、自分か。

いずれにせよ人名、もしくは過去の自分が知る名称を示す単語である事は間違いない。

自分の記憶に関連する名前であると信じたい、が――


「この店に住み込んで覚えた酒の種類とごちゃごちゃになっているかもしれねえんだよな・・・・・・
酒場の手伝いなんぞやってなければ、こんなくだらねえ事に悩む事になかったんだけど」


 夢の内容も寝言も曖昧、不確かな情報が失った記憶と頭の中で安易に連結した可能性もある。

人間なんて自分に都合良く出来ているものだ。

汚れたベットに力なく寝転んで、少年は馬鹿馬鹿しいと首を振る。


「そんなに都合良く・・・・・・自分の名前を思い出したりしないよな・・・・・・」


 頭の中で幾度思い出した名前を連呼しても、感慨も何もわかない。

空虚に胸に響くだけで、名前に対して強い愛着も反発も生まれなかった。

一種の記号でしかなく、思い出しようのない何かを示す名前でしかない。

養父に名付けて貰った『カイ・ピュアウインド』の方が自分らしい気がした。


「俺は――誰なんだろうな」


 今の記憶も人格も、言葉の使い方に至るまで養父に与えられたもの。

自分を証明する物は何もなく、国家さえ認識されていない存在。

毎日をただ生きるだけ、何も積み重ねずぼんやり生きている。

開きっぱなしの窓から、外へ視線を向けてみた。


薄暗い灰色の天頂――汚染された空。


今の自分は、あの空と同じだ。

曖昧に漂い続け、タラークから漏れ出す息苦しい価値観に汚染されている。

このまま生きていけば確かに平和、少なくとも食生活に困る事はない。

救ってもらった養父に恩返ししながら、この酒場で生きていく――

それはそれで平凡だが、安全な毎日だ。他の三等民より恵まれている。

国家から隠れ続ける日々になるが、そもそも労働階級に与えられる自由などない。

貧民の多くは工場などで死ぬまで働かされて、国の奴隷として一生を終える。

酒場ででの暮らしでは父親が大いにコキ使うが――それでも楽である事に違いはない。

この平和された軍事国家で最低階級で生まれた以上、希望など見えはしない。

仮に記憶の全てを取り戻しても、国から与えられた自分の番号を思い出す程度だろう。


「・・・・・・、くそっ!」


 固いベットを乱暴に叩いても埃が舞うだけだった。

結局何をしても行く先は同じだとせせら笑われたようで、抑え切れない衝動が生まれ出でる。

この酒場の主を見ていると、劣等感を感じてしまうのだ。

自分のような正体不明な子供を背負っても苦ともせず、自分の店を切り盛りして毎日を生きている。

甘えてばかりでは、何も変えられない。


「やってみるか、自分探し」


 手掛かりはたった一つ、頼れるものは何もない。

退屈凌ぎの延長で終わるかもしれないが、このままでは腐っていくだけだ。

養父やアレイクのような大人になりたいのなら、せめて自分だけでもきちんとしたい。

自分にしか出来ない何かを、この手に掴みたい。

重く陰鬱に溜め込んでいた息をゆっくり吐いて、少年は立ち上がった。

――それは世界の誰からも認識されない、最初の一歩。

誰でも一度は経験のある、大人への成長の兆しだった。















「トカイ? 目覚めに酒でも飲みてえのか?」

「・・・・・・言うと思った。俺が寝言で言ってたの、こういう名前じゃなかったか?」

「おーおー、そういやそんな感じだったかな。カイってのが妙に耳に残ってたんだな。
てめえの名前にしてやったんだ、感謝しろよ」

「寝言が名前の由来とか言われて喜ぶ奴がいるか!? この名前に何か心当たりはない?」

「酒の名前だろ、別に珍しくも何もねえ」

「それはもういいっつうに!」


 予想通りの返答に、少年は折角治っていた頭痛がぶり返してしまう。

最初からうまくいかないと覚悟は決めていても、反応すらないとなればガックリ来る。

突っ伏しそうになる気分を抑えて、果敢にトライする。


「他に何か俺は言ってなかったか? 聞き覚えのない言葉でも何でもいい」

「魘されている怪我人の寝言に真剣に耳を傾けるほど、俺は暇じゃねえ。
てめえだったらいちいち気にかけるのかよ」

「・・・・・・かけねえな」

「ほら見ろ。助かっただけでも儲けものなんだぞ、お前は」


 五体満足でいられるだけでも奇跡だと、救出したアレイクも語っていた。

想像を絶する重体で、治療後目覚めた当時は立ち上がるだけでも一苦労だった。

記憶は吹き飛ぶほどの衝撃――苦痛がこの世界であげた最初の産声。

一体、自分に何が起きたのだろうか・・・・・・?


「唐突にどうした。ぶっ倒れた時、何か思い出したのか?」

「さっき言った名前だけ。後は全然思い出せねえ。
この名前を思い出せたのも、あんたから聞いた俺の寝言からだ」

「ヒビキ・トカイね・・・・・・少なくとも、俺の知り合いにはいねえな。
アレイクに聞いてみたらどうだ?
奴の権限で国民データベースにアクセスすれば、全国民の中から該当者が見つかるだろ」

「それだ! 親父、冴えてるじゃねえか!」

「へっ、当然だ。俺を誰だと思ってやがる。
もっとも見つかれば、の話だけどな・・・・・・記憶のねえガキの言う事はアテにならねえ」

「探してみないと分からないだろ!? よし、早速――」

「おい、待て。何処へ行く気だ、コラ」

「アレイクの職場に決まってるだろ。こういうのはやる気がある内にやらねえと。
流れに乗った方がいい結果が出るってもんだ」

「身元不明者が偉そうに何言ってやがる。軍事施設にノコノコ顔出せば捕まるぞ。
そんなに元気なら店の手伝いをしやがれ、ボケ」


 言いたい放題だが、マーカスの言う通りだった。

身元を証明出来る物が何もない状態で、軍人のアレイクに面会は不可能だ。

万が一捕まえれば良くて強制労働施設、最悪不審者として処分される。

この国でも労働階級の人間の命は、兵器より価値が低い。


「アレイクが来るのを待つしかねえか・・・・・・何時来るか分からないのが痛いな」

「あいつは出世頭だからな。真面目で優秀、家柄もいい。
今度の任務でも重要な役割を任されているらしいぞ」

「重要な任務・・・・・・?」

「あいつは軍人だ、メジェール関連に決まってる。
興味ねえから詳しく聞いてねえが、最近空の向こうは不穏らしいぜ」


 惑星メジェール――女だけの船団国家。

男子社会タラークとは敵対関係にあり、創立以後から睨み合っている。

曰く肝を喰らう鬼、曰く無慈悲な化け物――人間の枠を大きく逸脱した生物。

姿形こそ国民に明確にされていないが、女は話し合える類の存在ではないらしい。

アレイクは鬼退治に向けて、重大な作戦に組み込まれているようだ。

とてもじゃないか、自分の調査に時間を割く余地は残されていないだろう。

邪魔扱いされるのは御免、少年は考え込む。


「親父は女を見たことはあるのか?」

「ねえな。それだけこの国が奴らの接触を阻んでいる証拠だ。
・・・・・・平和かどうかは、正直怪しいがな」

「? メジェールが攻めて来れないなら、平和を維持出来ているんじゃねえのか?」


 少年の指摘は、国の主張でもある。

男としての誇りを賭けて、我々は国家の保全に努めている――男社会の正しさを物語るタラーク上層部。

国民の誰がも信じ、男として生まれた事を誇りに思い、神の如き存在グパン・パに感謝する。

少年は記憶喪失、まだ生まれたての赤ん坊に近いが自分が男である事に不満はなかった。

純粋な少年の疑問に、父親は呆れ返って嘆息する。


「・・・・・・まだ病み上がりだし仕方ねえ、今日は休みをやる。散歩にでも行って来い」

「おい、話はまだ途中だろ。第一外に出るなと念押ししたのはアンタ――うぷっ!?」

「そのカードを胸にぶら下げていけ。
何かあれば、アレイクがてめえの身元を保証してくれる。

・・・・・街に少しでも触れれば、妙な好奇心も消えるだろうよ」


 酒場の外――目標も夢も何もない少年の心に似た、曖昧で霞んだ世界。

軍事国家タラークの現実に、少年は踏み込もうとしていた。
















































<to be continued>







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