とらいあんぐるハート3 To a you side 第十三楽章 村のロメオとジュリエット 第十五話
フィアッセ・クリステラの遺伝子治療はひとまず諦めた。
彼女自身の命運を放棄したのではなく、少なくとも今は彼女自身の危機でもないので、様子見するしかなかった。
明確に命の危機に立たされているのはフローリアン夫婦であり、ここで治療を止めると死ぬ危険性もある上に、アミティエやキリエから容赦なく責められることは間違いない。
彼女達は俺に対して度を超えた信頼を寄せてくるのでちょっと困っているが、さりとていちいち信頼を失う真似をするつもりはない。
「博士にはフローリアン夫婦の治療に専念してもらってかまわないので、せめて俺の話だけでも聞いてくれ」
『ハァ……分かりました。博士の邪魔をしないことを条件に私が聞きますよ、陛下』
物凄い疲労に満ちた溜息と呆れを滲ませた表情で、通信画面越しの彼女は渋々了承してくれた。戦闘機人達は比較的俺には良好に接してくれているが、こいつだけは徹底して俺には態度が悪い。
彼女の名前はウーノ。戦闘機人の女性で、特化した能力は主に情報処理であり、スカリエッティの秘書として研究や開発の補助、そして戦闘機人達の実務指揮を行っている。
紫のロングヘアーの美人さんで、戦闘機人の間では最古参となるらしい。性格は常に沈着冷静であり、スカリエッティを何より全てにおいて優先させている。
彼女はご覧の通り俺を露骨に嫌っており、その理由も誰が聞いても納得できるものであった。
『それで今度はどんなトラブルに関わっているのですか、陛下。出来れば事前に連絡して頂けると助かるのですが』
「ちなみに連絡すると、どういう対応をするのだ」
『力ずくでも博士を攫って、行方不明にさせていただきます』
「駆け落ちじゃねえか!?」
『なっ……せ、せめて音信不通といってください!』
俺が果敢に追求してやると、ウーノは赤面こそしなかったが実に焦った様子で発言の訂正を求めてきた。どういう切り返しだよ。
ジェイル・スカリエッティは元々時空管理局の最高評議会と関係のあった研究者で、聖王のゆりかごや戦闘機人という兵器を悪用して様々な分野で暗躍していた。
フェイトの母親プレシアが関与していたプロジェクトF計画にも関わっており、その縁でジュエルシード事件を通じて知った俺に興味を持って、わざわざ鞍替えしてきた奇特な人物である。
聖地での事件で正式に俺の陣営に参入し、最高評議会の運営資金を俺の命令で横流しさせた経緯があって、強引に一蓮托生とさせられた俺を盛大に嫌っている。ちなみに横流しの工作は俺がウーノにさせたので、それも恨んでいる。
『馬鹿な話は結構ですので本題に入ってください、陛下』
「本当にトンズラしそうだから怖いんだよ、お前。実は友人が脅迫を受けていて――」
普段友人知人の秘密をいちいち面白可笑しく吹聴する趣味はないのだが、今回は研究分野が関わっているので正直に打ち明けるしかない。
まあフィアッセやフィリス達と、スカリエッティやウーノが直接関わるなんてほぼ間違いなく無い。国境線どころか、世界まで違うのだから、秘密を吹聴されても届きようがなかった。
スカリエッティ達も他人の秘密を誰かに話すような真似はしないし、そもそもこいつらは他人事には関わらない性格なので、秘密を打ち明けても漏れる心配はなかった。
フィアッセへの脅迫状から始まり、夜の一族より聞き出した話まで全てウーノに説明した。
『プロジェクトFに戦闘機人、魔法に続いて宇宙への進出まで行った挙げ句、次は超能力ですか。
私が話を聞いて本当に助かりました。何故陛下はいちいち博士の好奇心を刺激しようとするのですか』
「俺だっていちいち関わりたくないわ!」
『そのフィアッセという女さえ見捨てれば、後は夜の一族が全て片付けてくれるでしょう。陛下が関わる必要性はありませんが」
「ぐっ、こいつ……」
夜の一族の女達が全員揃って言っていたのと同じ指摘を、ユーノが冷ややか目で反論してくる。冷静沈着な女性は、情に対してもドライなのだろうか。
チャイニーズマフィアを撲滅してくれるのだから全部任せればいいというのは、確かにその通りである。カレン達は人材と資金を注ぎ込んで、俺の平和を守ってくれている。
ただ彼女達の命の勘定に、フィアッセは入っていない。気にかけているのはあくまで俺の関係者であるからであって、無関係なら容赦なく切り捨てただろう。
俺も同じだ、無関係な人間を助ける義理はない。そして、フィアッセ・クリステラは残念ながら無関係ではない。
「最初から見捨てるつもりならエルトリアから戻ってきたりしないし、お前達に相談したりしない。HGSに関する見解を聞かせてくれ」
『遺伝子障害には大きく分けて2つの原因があります。一つ目は環境要因、もう一つは遺伝要因です。
環境要因は母親の卵子や父親の精子に異常があるのではなく、例えば妊娠中にウイルス感染を起こしてしまったなどというケースですね。
ウイルスが母体へ感染すると胎児には遺伝子障害が発症しやすくなります。
一方で遺伝要因は元々障害のある遺伝子を保有していた両親から遺伝する要因のことです。これはようするに発症要因に遺伝子が関係しているのです」
ユーノの説明によると、遺伝子障害は染色体や遺伝子の変異によって起こる病気とされている。
家族には全く変異がないにもかかわらず、突然変異によって、身体の細胞や精子、卵子の遺伝子や染色体に変異が生じて病気になる場合があるらしい。
遺伝子の変異とは遺伝子を形作るDNAの配列が狂い、遺伝子の情報から本来作られるはずの蛋白質が作られなかったり、正常とは異なったものが作られたりしてしまうようだ。
こうした異常によって、ヒトの身体において病気としての症状を示すのという。
『HGSの場合は陛下の話を総合する限りですと、その遺伝子の変異が脳内器官の異常発達を引き起こすのでしょう。
細胞に含まれる珪素等の要素から、特別な能力が引き出されてしまうといったケースですね』
「超能力とか言われているが、要するに本人が持つ才能ということなのか」
「才能の顕現とは少し異なりますね。あくまで遺伝子が変異しているので、今までの自分にはなかった新しい能力と言うべきでしょう。
戦闘機人の場合は技術によって能力の発言を促しますが、それでも各個人で必要な能力を選んで引き出すことは出来ません。
例えば陛下の遺伝子を使用してヴィヴィオ、ディード、オットーを誕生させましたが、あの子達が持つ能力や才能は我々が選んで与えたものではありません。
陛下の遺伝子でどのような子供が生まれるのか、戦闘機人の技術を持ってしても分からないのです。だからこそ博士は生命の神秘に夢中になっているのですが」
遺伝子とは、人間の体をつくる設計図に相当するものであるとウーノは述べる。
ヒトには約3万個の遺伝子があると考えられおり、人間の身体は細胞という基本単位からなっている。
この細胞の核と呼ばれる部分に染色体があり、この中のDNAこそが遺伝子として働いているメカニズムだ。
人間の身体は、この遺伝子の指令に基づいて維持されてるという。
『設計図は人間一人一人違うので、治療方法を確立させるのは非常に難しいのです。
ミッドチルダに限らず、陛下の住まう地球でも既に多くの遺伝子治療が行われている筈です。
ただフィアッセ・クリステラという遺伝子に見合った治療を行うのであれば、専門の医療機関で事細かく診断しないといけませんね』
「……治療は難しいということか」
『話を聞いた限りですと、超能力も既に発現しているのでしょう。確実に遺伝子は変異していますね。
元の遺伝子情報があったとしても、脳細胞にまで及んでいるのであれば、どのみち治療の過程で思考の変貌を起こす危険性がありますよ』
何もかもが既に遅いのだと、ユーノは残酷に告げる。フィアッセ・クリステラという存在が生まれた時点で、起こるべくして起きたことなのだと。
そもそもヒトは誰でも数個の遺伝子変異を持っているらしい。そういう意味では誰にでも平等に、何らかの「遺伝性疾患」が起こる可能性を持っているといえるようだ。
この点については夜の一族からも聞かされていたことなので、今更落ち込んでも仕方がない。スカリエッティならあるいはと思ったが、それほど都合の良い話はないようだ。
そもそもジェイル・スカリエッティは今、フローリアン両親の治療に専念している。これ以上無理強いはできない。
「治療が不可能なのはわかった。これから事件に関与するにあたって、HGSについての注意点はあるか」
『陛下に質問いたします。魔法を生み出す原動力は何だと思いますか』
「何だ、突然。魔法は確か魔力から発動するんだよな」
『その魔力はどこから出てきますか?』
「この質問の意味が分からんが、えーと……確かリンカーコアとかいうのが魔導師の体内にあって、そこから魔力が生成されるはずだ」
『つまり人体から力を生み出すのが源泉があるということです。では、超能力はどのような原動力で発動するのでしょうか』
「えっ、超能力って才能なんだからなんかこう念じれば出てくるんじゃないのか」
『何を馬鹿なことを言っているのですか、陛下。例えば陛下が剣を振るのだって、肉体が生み出す力によって運動が行えているのです。
人体がエネルギーを生み出すのは栄養が必要です。陛下が日々我々の脛を齧って貪っている食事によって、貴方は剣を振るえているのです』
「言い方に悪意があるぞ!? つまりお前は、HSG感染者が超能力を生み出すには何らかの力が働いているというのか」
ウーノの説明と意見を聞いて、俺は初めてその点に疑問を持った。
以前リスティが暴走して戦った時、超能力を平然と使用していたので、てっきり念じれば自由自在に扱えるのだと思いこんでいた。
俺にとって超能力とはスプーン曲げのイメージしかないので、何の負担もなく使いこなせるものだと考えていた。
あくまでも仮説であることを前提に、ウーノが自分の見解を打ち明ける。
『HGS患者は能力と個性により、持ち主によって形状の異なるフィンと呼ばれる光の翼を出すのが特徴なのでしょう。
恐らくその翼がエネルギーを発動させているのでしょうが、問題はフィンがどうやって力を生み出すのかという点です。
このフィンで例えば自然の光や風をエネルギーとして吸収しているのであれば、効率面としては特に問題はありません。
ですがフィアッセ・クリステラは極めて異常な遺伝子の変異が行われており、力も安定化していない』
「! まさかフィアッセのフィンは――」
『自分自身の栄養、もしくは――生命を使用する可能性があります。
しかも超能力という極めて出力の大きな力を用いるのであれば、相当な負担となるでしょう。
陛下はフィアッセ・クリステラという存在の変質を懸念されているようですが――
暴走など起こしてしまえば、彼女自身もタダでは済まない危険がありますよ』
――もしも。
フィアッセがこの先チャリティーコンサートで、命が脅かされてしまった場合。
思考が狂って、フィアッセ・クリステラという存在が消えるのか。
力が狂って、フィアッセ・クリステラという命が奪われるのか。
追い詰められた彼女が暴走してしまえば、どうなってしまうのか――
『私から陛下へ陳情出来るのはこの点です。
貴方はフィアッセ・クリステラの身を守ればそれでいいと考えているようですが、それは違う。
たとえ命が守られたとしても、彼女本人が精神的に追い詰められれば暴走し――彼女自身が失われる。
そんな護衛を、貴方は引き受けるのですか。私はやめるべきだと忠告します』
「……」
単純に守ればいいという話ではないのだと、ウーノは告げて通信を切った。
フィアッセ・クリステラは護衛対象ではない。
彼女は何が起こるかわからない、爆弾なのだ。
<続く>
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