『神速の領域?』

『神速を理解出来ないと言ったな、その疑問に対する私の答えだ』

『ますます分からなくなったんですけど』


 ――世界会議開催前の、ドイツの地。負傷して動けなくなった俺に肉体の強化ではなく、知識の補強を行ってくれていた御神美沙斗師匠


当時回復が絶望的だと診断されていた俺は、剣士としての寿命が尽きていた状態だった。誰もが見放す中で、師匠だけは親身に俺を教育してくれていた。

今にして思えど、優しさはなかった。厳しさは分かりにくい優しさではあるのだが、それにしたってあの人は徹底的にスパルタだった。怪我人であろうと容赦はしない。


今にして思えば――あの人は、俺を剣士として扱ってくれていたのだ。


『そもそも歩法を学んでいるのに、なぜ感覚を前提にして話すんですか』

『足を鍛えれば、速く走れる。お前の疑問は当然ではあるのだが、剣士としての常識ではない』

『……剣士としての大成は、感覚にあると?』


『集中力を高めて超高速移動を可能にする技が神速だ、理屈だけを見れば超高速移動だけが目立つ技に思える。だがその本質が、あくまで感覚だ。
精神集中を重ねる事で、感覚速度が上がっていく。感覚的な速度の上昇は時間遅延を引き起こし、集中力によって何処までも深度を大きく出来る』

『深度――思考を深めていくという事ですか。頭の悪い俺に、そこまで思考を重ねられるかどうか』

『考えることを放棄した事が、今のお前の惨状を招いている』


 頭が悪いことは悪ではない、頭を働かさない事が問題なのだと一払される。自分の惨劇を顧みれば、まったくもって反論できない事実であった。

肉体の充実は鍛錬を積み重ねれば感じられるが、精神の充実は思考を積み重ねたところで何も感じられない。この一点に、俺の未熟があるのだと指摘を受ける。

例えば高町恭也は敵の気配を感じられる感覚を持っているが、俺は自分の危機感でさえ感じ取れない。自分の感覚でさえも、物にしていないということだ。


精神の充実の果てに、神速の奥義がある。


『とはいえ、お前の疑問は理解できる。確かに神速における高速移動は肉体限界の突破なので、身体に著しい負担がかかるからな。
肉体を整える事も立派な修行であり、今のお前には前提として必須となる鍛錬だ。ただ、心の充実も決して忘れるな』

『……』

『肉体が極度に疲労している今、心の充実など望めない――そう言いたさそうな顔だな』

『利き腕さえも失っているんです、俺だって悩んでしまいますよ』


 師匠は慰めたりはしない。どれほど俺の心を労ったとしても、肉体は決して回復しないからだ。剣士は決して、無駄なことはしない。

だからこそせめて、知識で補おうとしている。間もなく開催される夜の一族の世界会議、欧州の覇者達が集う宴に弱者が飛び込んでも食われるだけだ。

この身体を治すには、夜の一族の血が必要だ。妹さん、月村すずかの命運もかかっている。身体を失ったとしても、心まで捨てたくはなかった。


だがそこまでして、自分の心を守る必要があるのだろうか――もはや、意地もプライドもないというのに。


『お前と私は、よく似ている。大切なものを多く失っても、何かを得ようと足掻いている』

『師匠が今も剣を手にしているのは、その何かを得るためですか』

『いや、斬り捨てるためだ。敵を斬って、得られるものはなにもない――全てを終わらせるべく、私は剣を振るう。
大切だったものは、お前が与えてくれた』

『俺が……? 何かをしたつもりはありませんが』

『今の自分に価値がないと思うのは、お前自身の勝手な思い込みだということだ。お前が生きていることで、誰かの価値となることもある。
まずは自分自身の価値を高めるべく、必死で抗え。他人の為に生きていくのは無理だとしても、自分が生きていることで誰かのためとなれればいい。

自分以外の何かのために剣を振るえるようになれば、心が充実するだろう』


 肉体が砕けた自分が今戦おうとするのは、自分の為だ。自分が回復したいから自分で戦う、当然だと思うのだがそれでは心が充実しないのだという。

俺が身体を回復したとしても、他人のために戦う日が来るのだろうか。剣を至上とする俺に、剣以外の何かを求めることがあるのだろうか。

少なくとも今の俺には、自力で神速は使えない。身体を回復して鍛え上げたとしても、師匠が教える感覚の極みに達するのは不可能だ。心が空っぽなのだから。


心が充実したその時、俺の足には翼が宿って――神速は発動するのか。















とらいあんぐるハート3 To a you side 第十一楽章 亡き子をしのぶ歌 第五十三話




 湖の騎士シャマルと、夜の一族の王女月村すずかの死闘――軍配は、古代ベルカの騎士に上がっていた。

空間制御の術に長けているシャマルの攻撃に隙はなく、間合いを飛び越えて全方位から攻撃が怒涛のように襲い掛かってくる。先読みは出来ず、後の先は打てない。

妹さんが回避できているのは、かろうじてでしかなかった。目に頼ることはせず、"声"を聞いて、攻撃を回避し続けている。だが実力に差がある以上、全てを回避することが出来ない。


月村すずかが食い止めているのは自分への攻撃ではなく、俺を止めようとする攻撃であった。


「何故ギア4を使わないのですか?」

「私は剣士さんを護ることが仕事です。剣士さんを救うべく行動する貴方に振るう拳はありません」

「だったら、邪魔をしないで下さい。あの人を安全な場所へ連れて行くだけです」

「安全な場所へ連れて行っても、剣士さんは救えません。そして、貴女も」


「分かったような口を聞かないで下さい!」

「エレファントガン」


 魔力の糸で束ねられた拳が空間を飛び越えてくると、妹さんは濃厚な魔力を拳に練って抵抗。両者の拳がぶつかりあって、空間が悲鳴を上げた。

何度も攻撃を受けた妹さんは体中に打撲を負っており、血を流している。抵抗はしても反撃はしない妹さんの姿勢に、シャマルは苛立ちを隠せない。

両者の主張は平行線であり、戦い方は千日手であった。白黒激しく入れ替わるだけのオセロは不毛であり、消耗戦にしかならない。


シャマルにとって不幸なのは、夜の一族の王女である月村すずかの今の体力は底なしであるという事だ。俺の血を飲んだ妹さんは、異常なほど強化されている。


「私は全ての状況を把握しています。あの人の血を飲んだのですね」

「はい、剣士さんの血肉が今の私を作っています。私は剣士さんの為に、生きている」

「……大切な人のために自分を傷つける生き方が、正しいと思うのですか。そんな生き方をする貴女に、胸を痛める人だっている筈です」

「平和に生きることは素晴らしいことです、貴方は本当に正しい。ただ、平和に生きられない人もいるということです」

「自分は他の人間とは違うなんてただの思いこみであり、自分勝手です!」


「はやてちゃんが平和に生きているのは剣士さんが戦っているからだと思うよ、シャマルさん」

「!?」


 月村すずかは血を流したその顔で――八神はやての友人として、無垢に微笑んだ。友達を思うその表情に、シャマルが瞼を震わせる。


シャマルだって、本当は分かっている。途中下車すれば悲劇まで辿り着くことはない。この世界から逃げれば、平和に生きていけるだろう。

でも異世界では永遠に悲劇は続いていくのだ、今目の前で繰り広げられている平行線のように。平行線はすれ違うことはないが――


自分の目の前で永遠に、続いていく――自分で、断ち切らない限りは。


「ごめんなさい、私は剣士さんを守りたいんです」

「私だって、あの人を守りたいだけなんです!」



 二人の想いを知って――俺は手に持っていた注射器を、突き刺した。



体内で死滅していた全細胞に、アミティエ・フローリアンのナノマシンが宿る。

体内で枯渇していた生命線に、ユーリ・エーベルヴァインの生命操作が加えられる。

体内で停止していた血管に、夜の一族の姫君達の血が流れる。

体内で壊死していた魂に、神咲那美の魂が活性化する。


細胞分裂が驚異的な速さで行われ、生命操作が爆発的な速さで行われ、血中活性が圧倒的な速さで行われ、魂統合が理想的な速さで行われていった。

肉体の好転反応、細胞レベルで生まれ変わっていく体内。皮膚が一新され、筋肉が増強され、臓器が進化され、魂が浄化される。


そして、何よりも変わるべきなのは――精神。


(ありがとう、シャマル。お前のその気持ちで、決心がついた)


 本当にあの時必要だったのは、剣ではない。求められていたのは、時間だったのだ。

ユーリ達と出会うまでの時間、聖女様達と交流するまでの時間、聖地という居場所を見つけるまでの時間――今シャマルとこの時を迎える、時間。

自分が不幸だったからと言って、未来まで不幸になるとは限らなかった。自分を信じて、ただ待てばよかった。懸命に耐えて、戦い続ければよかった。

だからあの人は、現実を生き抜くための知恵を授けてくれた。信じて耐えていけば、俺にもきっと強くなれる機会が来る――


心が充実する、その日が来るのだと。



「"アクセラレーター"」



 車椅子から、立ち上がった。


シャマルが攻撃の手を止めて、呆然とした顔で俺を見つめている。妹さんが振り返り、珍しく喜びに目を輝かせていた。

永遠結晶の出力を止めたユーリが、安堵と歓喜に涙を流している。俺は愛娘の頭を優しく撫でて、自分の手の中を見つめていた。


復讐に走るイリスが作り出した人型兵器の破片――キリエ・フローリアンが加工した物質が、一本のカタナとなっていた。


竹刀よりも鋭く、刀よりも丸みを帯びており、剣よりも厚みを増している。破片は思いを込められて、新しく生まれ変わっている。

このカタナの形を、俺は誰よりも分かっている。この武器の形を、俺達は誰よりも分かっている。


生きとし生きるものは、本能で理解している。


「"Tree of Life"、生命の樹!?」

「皆さんよりこめられた想いをわたしが生命操作して生み出した、お父さんの新しい剣――"セフィロト"です!」


 かつて知恵の樹の実を食べた人間が、生命の樹の実まで食べて永遠の生命を得て、唯一絶対の存在となろうとしていた伝承がある。

師匠より与えられた知恵を持って生きてきた俺が、ユーリより生命を与えられて、新しい存在へと生まれ変わったのだ。

かつて、俺自身が否定していた自分がもう何処にもいない。今の俺は望まれて誕生した、新しい人間となった。


生まれ持った生き方は変えられなくても、生まれ誤ってしまった生き方を変えることは出来る。


「俺は見ての通り、生まれ変わった。仲間達に望まれて、俺はこれからも戦い続ける――それでもまだ、止める気か」

「言ったはずですよ、どちらかが止めるまで終わりません」

「そうだろうな、そんなお前だからこそ騎士として気高い」

「ええ、そんな貴方だからこそ剣士として好きになりました」


 妹さんは何も言わず引き下がり、俺は前へと出てクラールヴィントを投げ渡した。シャマルは何も言わず受け取って、完全なる湖の騎士として対峙する。

空間制御による攻撃は、どんな攻撃よりも早い。間合いも何もなく飛び越えてこられたら、速度の概念に何の意味もない。

剣士として、これ以上厄介な敵はいない。今までの自分であれば近づくことさえ出来ず、制圧されていただろう。


――けれど。



「神速」



 アギトとのユニゾン、月村忍達との共有――その全ての過程を省略した御神の奥義が、空間制御よりも早く湖の騎士を両断した。


「す、すごい……わたしの目に、写らなかった!?」

「信じられません……"声"を聞くよりも、速かった……」


「それに何よりも――体内のリンカーコアを、斬った!?」


 セフィロトより魔導師としての生命を断ち切られたシャマルは、昏倒。斬られたことにも気づかず、その場に崩れ落ちている。

仲間達の生命が宿った剣は、あらゆる敵の生命を断ち切る刃を宿していた。


「お前の想いは必ずリインフォースに届けるよ、シャマル」


 古代ベルカの騎士を相手に、無傷で制した。これは強さという概念ではない、生命という新しい力であった。

生命の大いなる力が授かったこの俺が、今から多くの生命を断ち切る。因果な生き方だと思う、相変わらずクソッタレであった。


けれど、心が何よりも充実していた。















<続く>








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