とらいあんぐるハート3 To a you side 第十一楽章 亡き子をしのぶ歌 第二十ニ話
「和食というのは、実に奥深い料理ですね。兄さんほどの御方が好まれるのも理解できます。私は、このジャンルを極めようと思います!」
「ギンガちゃんのその情熱は応援したいけれど……お兄さんのためというのがすごく気にかかるよ」
「兄さんはフィアッセさんの護衛だと伺っておりますが、妹である私の方が兄さんと過ごす時間は長いんです」
「むっ、その不敵な笑みは挑戦だね。リョウスケの心を満たすのは、私の料理だよ!」
「いいえ、妹である私の料理です。兄さんの一番の理解者ですから!」
「……何故、ナカジマ家の長女が一番趣旨から外れた行動を取っているんだ」
「桃子さんから料理を教わったから、一応目的は果たしているよ。一応、だけどね」
高町家の台所を覗いてみると、英国の美女とナカジマ家の美少女が睨み合っていた。思春期の少女達による喧嘩は華やかなれど、なかなかにして恐ろしいものである。
一時期寂れていたキッチンは、ナカジマ家の来訪により活気を取り戻している。調理道具は綺麗に揃えられ、家庭料理を彩る食材にあふれていた。
喫茶翠屋のチーフであるフィアッセの料理技術は確かなものだが、ギンガの料理も凄まじい追随を見せている。意外と不器用な手先を、努力と情熱が補っている。
動機はかなり不純ではあるのだが、料理とは誰かに食べてもらってこそ美味しいものだ。
「此処が主戦場なので気になっていたんだが、ギンガとお前が立っていてくれたんだな」
「母さんが忙しいから、私とお姉さんが我が家の台所に立っているからね」
茶色の長髪を薄黄色のリボンで結わえている少女、ディエチ・ナカジマはエプロン姿で台所に立っている。
寡黙で余り感情を表に出さないが、姉妹思いの温厚な次女は、ナカジマ家の台所を主戦場として今戦っているようだ。
しっかり者だがネジの外れている長女のサポート役として、今回の任務についている。趣味と実益を兼ね備えた役目は、本人にとっても望むところであるらしい。
戦闘機人では後方支援役であり、日常の常識人である彼女への信頼は厚い。
「優れた望遠能力と解析能力を持つお前の目から見て、今の戦況はどうだ」
「ギンガ姉さんの一人負けという状況かな」
本人がどれほどやる気に満たされていても、努力の成果が必ずしも実るとは限らない。高町家の台所で今日も我が家自慢の長女は包丁を振るっていた。
ディードは明確に剣を振るっているが、ギンガは包丁という武器を使って食材を切っている。その表情は真剣そのもので、邪気は一切ない。
こうして横顔を見ると遺伝子情報こそ違えど、姉妹であるという認識をさせられる。主戦場が違うというだけで、彼女達は戦っているのだ。
高町桃子とフィアッセに料理を学んでいるギンガは、楽しそうだった。
「ところで、ディエチ君」
「なんですか、お兄さん」
「眼の前におかれている弁当箱は何かな」
「お兄さんの為に作ったお弁当ですよ」
「俺が聞いているのは、弁当の数だ。どうしてこんなに並んでいる!?」
「私がお兄さんのお弁当を作っていたら、姉さんとフィアッセさんも作り出して、その後に――」
「いや、いい。ラインナップを聞くだけでうんざりするから」
キッチンテーブルに並ぶ色とりどりの弁当箱を見るだけで、胃袋がはちきれそうになった。こいつらは、手加減というものを知らないようだ。
しかもえげつないことに、誰がどの弁当を作ったのか分からない。どうやら俺に食べて、誰の味なのか当ててほしいようだ。この弁当バトル、狂っている。
腹はそれなりに空いているが、全部食べたら胃が破裂するので、気持ちだけ味わってお持ち帰りする事にした。愛情だけで、腹が一杯になるわ。
器用貧乏なディエチも料理はそれなりに自信があるのか、ぜひとも味わってほしいと珍しく笑っていた。我が妹ながら、可愛らしい。
「桃子さんのお弁当もありますよ、お兄さん」
「……そうか、よくやってくれた」
そっと添えてくれたディエチの気持ちに、俺は頭を撫でてやった。妹なんぞ出来たことがないので、褒め方がこれしか分からなかった。
俗物的になにか報酬でもねだってくれればいいのだが、家族円満を幸せとするうちの次女は兄に褒められただけで喜んでいる。安い女で、兄貴としては心配である。
桃子が、台所に立ってくれた。子供達の母が台所に立つのは珍しくないが、消沈していたコックが調理場に立つのは見過ごせない吉兆であった。
ナカジマ家がこれほど高町家と交流してくれたのであれば、長男として母に挑まなければならない。
「兄さん、待っていてくださいね。妹の私が今、兄さんに美味しい料理をごちそうしますから」
「リョウスケ、私が美味しいご飯を作るよ。いつも私を守ってくれる人への感謝と愛情を込めて」
「ごちそうさまでした」
「容赦なく無視したね、お兄さん!?」
長らく家出していた息子が母に会いに帰ってくる気持ち、こんな人間らしい心を持てるなんて夢にも思わなかった。
孤児院を出て故郷なんぞ捨てたと思っていたのだが、結局幼馴染はこの町にまで追ってきて、母親気取りの女も孤児院を建設しようとしている。
人間は過去を懐かしむ生き物というが、俺の場合過去がダッシュして追いかけてくるので、懐かしむ余裕もありはしなかった。
殊勝に待っていてくれる女なんぞ、俺の人間関係には存在しないようだ。
多分意識していないとは思うが、高町桃子は仏壇の前にいた。過去の大切な人を憂う象徴、消え去った思いだけが残された場所。
高町家の父は、既にこの世を去っている。法術であろうと叶えられない願いが、仏壇に眠っている。頁には出来ない想いが、残された女の中で燻っている。
過去を振り返ってみると、不思議とこの仏壇の前に立ったことは一度もなかった気がする。別に意図的に回避していたわけではないのだが、機会がなかった。
手を合わせるべきか一瞬考えて、振り払う。俺がこの家に貢献できたことは、数少ない。合わせる顔なんぞ、何処にもなかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
高町桃子という女は心に傷を抱えたままでも、居候には微笑みかけられる器量がある。どうして俺はこれほどの大人を過去、たかが主婦だと侮っていたのだろう。
若干の羞恥心を込めて挨拶し、向かい合わせに座布団に腰掛けた。お茶を用意してくれていたので、そのまま飲む。苦いけれど、温かい。
二人きりになって浮かぶのは、感慨だった。思い出なんて数えるほどしかなく、たった数ヶ月しか一緒に住んでいなかったのに、思い出があった。
家族を大切にするとのだと決めた女の選択そのものに、疑問の余地はない。
「貴方の子供達に妹ちゃん達、育ての母だという人も幼馴染の女の子を連れて挨拶に来たわ。この家を出てからも、家族に恵まれたのね」
「何の疑問も持たないのか。どいつも曰く付きの連中だぞ」
「私は、なのはを何度も助けてくれた貴方を信じているわ」
「……傷付けた回数のほうが多いだろう、何故責めないんだ」
「だって、貴方も傷ついているもの」
――そうだ、疑問の余地なんぞなかった。こんな事が言える女に、最初から勝てるはずがなかったのだ。だから、なかなか帰れなかった。
桃子を見ていると、痛感させられる。俺は本当にユーリ達の父親として、ギンガ達の兄としてやれているだろうか。
今でもディアーチェを救うべく、剣を捨てたことに悩んでいる。後悔は何一つしていないが、思い出さずにはいられなかった。
自分自身という剣士を、俺は信じてやれなかったのではないだろうか。
「ずっと会いたかったのだけれど、連絡が出来なかったから機会も持てなかった。ごめんなさいね」
「家族を大切に考えるのであれば、この家を第一とするのは当たり前だ。それに、あんたはこうして俺を待っていてくれた」
「寂しくは思っているのよ。出来れば貴方の帰る家は、ここであってほしかった」
「自分の娘の命の恩人というだけで、それほどの愛情を何故向けられるんだ。なのはを助けた頃の俺は、汚らしい浮浪者だった」
「愛情とは生まれるものではなく、育んでいくものよ。時間も大切だけれど、過ごした一時はかけがえのないものだった」
俺に向けてくれた言葉の中に、俺以外と過ごした人達への思いも含まれている。家族を第一とするこの人の結論は、愛を起点とした悩みの末であったのだろう。
ユーリ達やギンガ達と出会わなければ、愛のみならず夢を追う選択を差し出せたかもしれない。あるいは剣を捨てる前であれば――夢を追うべきだと、言えた。
――全てはもう、遅い。何もかも、手遅れだった。
俺は剣を捨てて、家族を得ている。俺が自ら率先して歩んでいるのに対して、同じ道を歩もうとする女を突っぱねることは出来なかった。
「桃子、喫茶店を今年中に閉めるそうだな」
「話を聞いたのね。ごめんなさい、もう決めた事なの」
「止める気はない――いや、止める気ではあったんだが、あんたと話していてその気は失せた。
美由希から聞いているかもしれないが、俺も剣を捨ててしまったからな」
「未練があるように見えるけれど?」
「あんたと同じく、な」
「……」
"聖王"であろうと、俺は神様ではない――大人を導くことなんて、出来なかった。
「俺はあんたと違って大人とは言えないが、それでもあんたと同じく大切な娘がいる。あの子、ディードは俺のような剣士になりたいそうだ」
「ええ、積極的で可愛らしい子ね。本当に、貴方とよく似ている」
「なのはは、あんたの喫茶店を継ぐのだと言っていたぞ。自分の夢ではなく、未来を語っていた」
「えっ……」
「これは決して機会じゃない。訪れるべき時がきたというだけなんだ。
自分より大切に思える存在に、自分の夢を託すその時が来たんだ。悲劇でも何でも無いことなんだよ、桃子」
けれど、同じ大人であれば言えることだってある。自分と同じ悩みを持っているのであれば、自分が納得できる答えを言えばいい。
桃子に、何の非もない。ただ、勘違いしているだけだ。喫茶店の閉店というのは、悲劇の果に待っている結末ではない。思い悩みすぎて、見誤っていただけだ。
高町家の平和を崩してしまったのは俺の訃報であり、彼女の責任ではない。家族がバラバラになってしまったのではなく、家族がそれぞれに行動していたというだけ。
どれほど間違えた行為であろうと、子供達なりに自分の責任で行動したのだということなのだ。
「先程も言ったが、店を閉めることを反対しない。けれどあんたが閉めようとしても、あんたの娘がまた店を開こうとするだろうな」
「……なのは……」
「俺は剣を捨ててしまったが、諦めるつもりはない。だからあんたも店を捨てるのだとしても、諦めてほしくはない」
「……」
「だからもう、観念しようぜ。俺達がどれほど悩んだところで、あの子達は元気に明日へ歩いていく。
今年いっぱいでやめるなんてケチなことは言わず、娘に最高の店をプレゼントしてやれよ。捨てると決めたのであれば、いつであろうとかまわないじゃないか」
「ふふ、そうね。あの子がそれほど心に決めているのであれば、貴方の言う通り観念しなければいけないようね……良介、手を出して」
「手……? ほいよ」
差し出した手を、桃子が優しく握りしめた。
「生きていてくれて、本当に良かった。どれほど離れていても、私は貴方が帰ってくるのをずっと待っているわ。それだけは、忘れないでね」
「……あ」
――貴方なんて、本当に死んでいればよかった。彼女の娘である高町美由希の私怨、歪んでしまった優しい気持ちを今彼女の母から返された。
俺と出会わなければ良かったかもしれない。美由希に殺されそうになった時、ずっと思い悩んでいた苦悩を、すくい上げてくれたのだ。
仲直りして正式に本人から謝罪を受けたし、俺達の間に遺恨はない。けれど犯してしまった過ちと、起きてしまった悲劇は覆せないのだ。
そうした娘と息子の過ちを、母が正してくれた。
「くっそ……説教でもしてやろうとしたのに、何も言えなくなったじゃないか」
「ふふふ、叱らないだけマシだと思ってほしいわ。本当に心配したんだから」
言いたいことは言えたのだが、なんだか俺が救われた形になってしまった。さすが剣士の母、単純に負かされたままでは終わらないようだ。
この後語ったのは、思い出話。別け隔てのない苦労話と、懐かしいだけのよもやま話。
仲の良い親子が、平和なひとときの中で語っているだけだった。
――高町家を出たのは、日も暮れた夜。夕食とお風呂に誘われたのだが、山のようにあったお弁当箱を押し付けて逃げてきた。てめえらで、食いやがれ。
結局店は閉めるそうだが、今年中の期限ではなくなった。なのはが一人前の店長になるまでは、何とか切り盛りしていくようだ。引き継ぎという時間が、猶予であった。
解決というには程遠い結果――でも、桃子やなのはは納得していた。
「おとーさん」
「お父さん、迎えに来ました。一緒に、帰りましょう」
「ナハト、それにユーリも――わざわざ来てくれたのか」
今日も元気にユーリと一緒に行動していたのか、ナハトヴァールは俺に飛びついて背中に乗ってくる。ユーリは苦笑して、俺と並んで歩き始めた。
高町家に泊まるという選択肢もあったし、その予定もない訳ではなかったのだが、ユーリやナハトは何の疑問も持たず、俺が帰ってくると確信していたようだ。
考えなしなのか、本質を見極めたのか。ユーリやナハトを見ていると、どちらなのか未だに分からない。圧倒的な力を持つこの子たちのことは、俺もまだ分かっていない面が多い。
どうして分かったのか聞いてみると、ユーリは不思議そうに首を傾げつつ言った。
「分からないはずがないですよ。ねー、ナハト」
「おー!」
「いや、それがどうしてなのか聞いているんだが」
「だってわたし達は、"お父さんの"子供ですから」
「なのだー」
何の根拠もないことを、自分の力以上に明快に宣言できるユーリ達。それこそが根拠であるとばかりに、笑っている。
血も繋がっていないというのに、俺を信じて待っていた桃子。家族というだけで、これほど心が強くなるものなのか。
ユーリやナハトがどんな子なのか、シュテル達から聞いた話以上には分かっていないが、この子達がこういうのであれば俺もそうするとしよう。
何があろうと、この子達を信じるのみだ。
『良介、大変よ!』
「うわっ!? こらアリサ、問答無用でミッドチルダの通信機器を使うんじゃない!
というか何故、スイッチも入れずに通信画面が展開されるんだ!?」
『だってあんた、気分次第でシカトするでしょう。あたしからの場合、容赦なく繋がるようにしておいたの。いいから、よく聞いて』
「何だよ、うるさいな」
『教会が厳重に保管していた「蒼天の書」が、何者かに盗まれたわ!』
ちょっと待て、今プライベートの大きな問題が解決したところなんだぞ。今解決したばかりのこのタイミングで、これか!?
問題の数が一つも減らないことに、俺は頭を抱えて座り込んだ。
<続く>
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