とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第八十四話
――レヴァンティンは修理可能だが、竹刀は修復不可能だと断言された。俺の剣は壊れたのではない、死んだのだと断じられた。その時俺がどう答えたのか、今でも覚えていない。
刀身が灰になり、柄しか焼け残っていない。ミッドチルダの魔法技術でも、灰になった刀身は戻らない。恥を承知の上でシグナムから幾重にも詫びられたが、笑って受け取った。
シュテル達はナハトヴァールならば灰から再生出来ると必死で慰めてくれたが、首を振った。ミヤさえ再生したナハトなら可能かもしれないが、その行為は決闘の結果を否定する事になる。
ミヤは不慮の事故で壊れたが、"物干し竿"は死闘の末に死んだのだ。こいつは、レヴァンティンを斬ってくれた。その行為を否定したくはなかった。
「本当にすまなかった。この道場から借り受けた御神の魂を、死なせてしまった」
「それほどこの子を大切に思ってくれたのであれば、私から何も言う事はありません。
この子を連れて帰ってくれてありがとう、良介さん」
未練を一切残さずに、焼け残った竹刀の柄を高町美由希に返却した。竹刀一本で何をご大層に言うのか、関係者で無ければ分からぬ思いだろう。
デブの襲撃で負傷した美由希の怪我は治っていたが、返却された竹刀の柄を見る美由希の表情は痛々しかった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、彼女としては純粋に悲しんでくれているのだろう。
所有してもいいと言われたのだが、丁重に断った。随分と長く共にしてきたが、いい加減休ませてやりたかった。俺の無茶苦茶にずっと付き合ってくれたのだ、もういいだろう。
二度と会うことは無いと思うと無性に胸が痛むが、こいつの帰る場所はここ以外ありえない。
「剣はどうするつもりなんですか?」
「続けるよ、お前達に勝つために」
「安心しました――この子の気持ちを無碍にするのであれば、またあなたを斬らなければいけませんから」
美由希らしからぬ物騒な事を口にするが、気持ちは十分過ぎるほどによく分かった。剣士で無ければ理解出来ない感情だろう、俺達はお互いに握手した。
再戦を誓い合って、道場を後にした。兄貴や妹は顔を出さなかったが、気持ちを汲んでくれたのだろう。心の整理がついたら、また会いに来ようと思う。
剣の意欲を失った心の冷えた秋が過ぎて、まもなく冷たい冬が訪れようとしている。心は一新されたが、手元には何も残らなかった。
竹刀を元の持ち主に返して、俺は再び一人になった。
「……あのよ」
「ああ」
「お前には、アタシがいるからな」
「――お前は、それでいいのか」
「いいんだ、もう決めた。死んじまったあいつの分まで、アタシがお前の剣になってやる。お前のデバイスとして正式に登録しろ、死ぬまで付き合ってやる」
自由になったアギトは、旅立たなかった。此処に定住すると決めて、清々しく笑っていた。俺の剣になると決めた彼女は誇らしげに、胸を張っていた。
ミッドチルダで正式登録すれば、烈火の剣精の所有者は決定される。所有者変更自体は手続きを行えば出来なくは無いが、本人の所在は固定化される。
本当の自由を失ってしまうのだが、自分が決めた自由なのだと鼻歌を歌っていた。やる気に燃える彼女に憐憫や同情の念は無く、自分の意思なのだと高笑いしていた。
俺はありがたく受け入れて、烈火の剣精アギトを自分のデバイスとして認定した。
「健康状態、精神状態共に良好ですね。通院期間を延長しましょう」
「……前半と後半の診断結果が噛み合っていないと思うのだが」
「身体も心も健康なのは、貴方を大切に思う人達が支えてくれているからです。支えが無くなれば、今の貴方は倒れてしまうでしょう――そんな顔をしていますよ、良介さん」
決闘が終わって診断に訪れた俺に対し、フィリス先生は静かに通院の延長を決定した。彼女に剣を預けていた分、彼女なりに剣への想いを汲んでくれていたのだろう。
決闘時にも随分と無茶をしたのだが、全てを正直に話してもフィリスは何も咎めなかった。ただ一言お疲れ様でした、と労ってくれたフィリスは本当にいい女だと心の底から思えた。
落ち込んでいたつもりは無いのだが、自分なりの気持ちが顔に出ていたのだろうか。フィリスだからこそ分かる、気持ちの表れだったのかもしれない。
染み入る思いで、彼女に気持ちを打ち明けた。
「人を斬れない竹刀なんてずっと馬鹿にしていたんだが」
「はい」
「俺が斬られないように、あいつはずっと俺を守ってくれていたんだよな」
「あの子に対して殊勝な気持ちを少しでも持っているのであれば、日々を大切に生きてください。この国で剣が必要とされなくなっても、貴方にはまだ必要だった。
あの子の分まで、私が貴方の心を支えます。医者として、一人の人間として、私が貴方を守ります」
「……ありがとう、フィリス」
「胸を張ってください。あの子は、貴方を勝たせてくれたのですよ」
――お前達の勝利だ。破壊されたレヴァンティンを手にして、シグナムは自分の敗北を告げた。同じ剣士に折られた事は一度も無かったのだと、他ならぬ本人が言っていた。
シグナムの最後の技は強烈だった。あの剣技こそ究極、技の理念を極めた一の太刀だと思い知らされた。対抗出来たのは、アギトと竹刀の想いが上回ったからでしかない。
剣は失ったが、勝利は与えられた。心を無くしたが、支えが出来た。フィリスとしばし抱きしめ合って、病院を後にする。
自分なりのけじめは、これでついた。
「人の気持ちを思い遣れる、良き医師ですね」
「……人の世を破壊するのではなかったのか? 封印を失った今、あんたは自由に世界を破壊出来る」
「心を失った我が子を置いて何処に行けというのですか。私はいつまでも、貴方を見守っていますよ」
竹刀に封印されていた怨霊は解放されたというのに、世界へ一切飛び立たずに俺の元に在り続けている。世界の理を恨む負の念は今も健在だというのに、どういう訳か世界を蝕まない。
俺の花嫁を名乗るアリシアの存在も大きかった。何しろ俺の分まで、彼女が大泣きしたのだ。剣士が剣を失う絶望を、人でなしに代わって泣いてくれた。
同じ幽霊が悲しみの念を撒き散らしているのだ、怨霊であれど多大な影響を受ける。生来は優しい女性であったのだろう、オリヴィエは必死でアリシアを慰めてくれていた。
花嫁と姑の幽霊だと思うと少し思うところがあるのだが、自分に代わって悲しんでくれる彼女達の気持ちは嬉しかった。
「剣士さん」
「どうした、妹さん」
「お疲れ様でした」
剣を振ると決めた以上、俺の戦いは終わらない。けれど、一つの区切りがついた――護衛を勤める月村すずかは一言、大切な事を告げてくれた。
悲しみを共有して慰めるのではなく、喜びを共有して祝うのではなく、戦いが終わった事を冷静に告げてくれる。彼女のような存在は、本当に貴重だった。
彼女は徹底して何も変わらずに、俺の傍に今も居続ける。決闘にも参戦せず、剣にも拘らず、俺を守るべく専念する。世界がどうなろうと、彼女が変わる事は無いだろう。
剣のない人生を、彼女は共に歩み続ける。
「おかえり、良介」
「ただいま、アリサ」
全てが終わって家に帰ると、メイド服を着たアリサが出迎えてくれた。決闘の結果も聞かず、剣を持っていない事にも、彼女は言及しなかった。
主人を問い質す粗相を、彼女は決して犯さない。それでいて、自分が知りたい事の全てを把握する情報力を持っている。何もかも筒抜けだろう、彼女には頭が上がらない。
何を言えばいいのか、よく分からなかった。剣士を続けると言っても了承するだろうし、剣を失ったと聞いても受け入れてくれるだろう。
ならば、何を言えというのか。
「今日はあたしがご飯を作ったの、ちゃんと残さず食べなさいよ」
「お前は、俺の母親か」
「あたしは、あんたのメイド――何が起きても、あたしが何とかしてあげるからね」
……男が女に言うべき事だと思うのだが、アリサの会心の笑顔を見ていると何も言えなくなる。思わず笑ってしまい、ようやく自分が笑ったのだと気付かされる。
竹刀を失っても悲しみが無かったが、悲しみがない事に冷たさを感じた。まもなく訪れる冬のように、自分の心に温かみがない事に嫌気がさしていた。
アリサの笑顔を見て、その認識が間違えていたことに気付いた。悲しみが無いのではない、悲しく思う気持ちさえ出なかった。
それほどまでに、失った事が辛かった。
「随分と怠けていたけれど、明日から仕事に復帰してもらうわ。くよくよしている暇は無いわよ」
「喪に服するという習慣がないのか、うちの組織は」
「頭が悪いくせに悩みこんでいても答えなんて出ないわよ、あんたは」
辛辣だった。いや、現実的というべきか。何にしても、聖地から帰還してずっと平和に過ごしてきた休暇は終わってしまったようだ。言われてみれば、仕事自体は何もしていない。
休暇のつもりで海鳴に帰って来たはずだったのに、何だかんだバタバタしていて気持ちなんて休まらなかった気がする。休暇が終わると聞いて、今始めて絶望した。
冬の季節――寒さに凍える暇も無く、忙しくなりそうだった。
<続く>
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