とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第七十五話
                              
                                
	
  
 
 
 
「おはよう」 
 
「……何故、今日が通院日だと知っている」 
 
「母さんから聞いたわ、貴方の付き添いをしたいとお願いしたの」 
 
「お前からお願いしたのか!?」 
 
 
 季節は、初冬。聖地で過ごした激夏も過ぎてしまえば嘘のように早く、秋も順調に深まって来ている。熱い空気は凍りつき、肌寒い風が吹いている。 
 
母親候補が二人いようと、父に等しき頼もしい大人がいようと、愛らしい妹達が出来ようと、可愛らしい子供達が出来ようと、俺は今日も剣道着を着て過ごしている。 
 
高町桃子にプレゼントされたこの剣道着も、あらゆる死闘を経て年季が入ってきている。洗濯やクリーニングは完璧ではあるのだが、汗や血が滲むと貫禄も出てくるというものだ。 
 
 
その点、女性は違う。同じ孤児院育ちではあっても、空条創愛はニットスカートにニットカーデと、秋仕様の細身リブニットに合わせて女の子らしい服装を着ている。 
 
 
「精神的な不調は抱えていても、毎日忙しく働いているようね」 
 
「いっその事身体的な不調であれば、休んでいたんだけどな」 
 
 
 憎まれ口に聞こえるが、感情的な温もりがないだけで本人なりに気遣ってくれているのは分かる。幼少時代を共に過ごさないと分からない、温度感ではあるけれど。 
 
骸骨のように痩せ細っていた青白いガキンチョが、今では同性が羨む綺麗な黒髪の少女となって隣を歩いている。月日を隔ててこれほど美しく化けるのだから、女というのは恐ろしい。 
 
しかしながら今、俺が抱えている問題は内面にある。どれほど外見を繕ったところで、内面まで磨くのは難しい。人の心を持たない存在に、心の変化を望むのは酷というものだ。 
 
 
どれほど美しく磨かれても、少女の瞳は秋空のように冷たく霞んでいる。 
 
 
「他人事に向き合っているから、精神的な不調に陥るのよ」 
 
「言いたい事は実によく分かるが、生憎と他人事では済ませられないからな」 
 
 
 ガリの指摘通り、精神的な改善を行う手段は確かにある。何もかも捨てて一人となり、我が人生を邁進すればいい。やる事がなくなれば、剣を振るしかなくなる。 
 
剣士への拘りは無くなったが、何も無くなってしまえば最後に選ぶのはやはり剣だろう。価値を見失っていた先日とは違い、ディードによって初心を思い出した。 
 
初心と言っても、原点といった大層なものではない。チャンバラごっこを楽しんでいた子供の頃の自分、ただ純粋に剣を楽しんでいた思い出を取り戻しただけだ。 
 
 
そんな幼少時代、俺の剣を見ていたのがこの女だった。 
 
 
「再会した途端に、俺に付き纏うのか」 
 
「貴方が留守にしている間、仕事に集中していたの。しばらく自由に時間を使えるわ」 
 
 
 イエスともノーとも言わないのは、俺の決定に従うからだ。その点が、忍達とは違う。俺が拒絶すれば、大人しく引き下がるだろう。昔から、そういう主体性のない女だった。 
 
かと言って意思が弱い訳ではなく、次の日になればまた会いに来る。断られたら何処が悪かったのか省みて、次に活かす。そうした努力の矛先が、俺であると言うだけだった。 
 
忍達のような好意であれば共感の一つもするのだが、自分の人生として俺を選んでいるというだけだ。恋人が出来ても、結婚しても、何らかの形で俺の傍に居ようとするだろう。 
 
 
親に捨てられた時に自分の価値を失い、俺と共に生きる事で人であろうとする。この女にとって、俺は人生哲学であった。 
 
 
「ちゃんと聞けてなかったが、結局のところ仕事は何をしているんだ」 
 
「著作家よ」 
 
 
 
 ――意外な返答が帰ってきて、思わず足を止めてしまった。 
 
 
 
「どういう仕事なんだ、それ」 
 
「文章を書く事を仕事としているのよ」 
 
「なんだ、小説でも書いているのか」 
 
「小説だけに限らないわ。エッセイやコラム、文芸や作詞もやっているもの。人脈作りの意味も兼ねて、翻訳の仕事にも着手しているわね」 
 
「人間関係を否定している女が、他者への言葉を綴るのか」 
 
「自己表現に過ぎないわ。起点言語から目標言語へ、自身の言葉で綴っている。多数の文章の記憶を、言語の使用経験を元に記述している」 
 
 
 つまり、こいつは他人に関する様々な習慣の違いに関する知識を持って、自己表現を文章化しているのだ。幅広くかつ深い知識が必要だが、双方の文化を熟知する事で自己を表現出来る。 
 
相互理解を何一つ望んでいない女が競争社会で生きている為に、高度な語学力で自己表現をして他者からの共感を得ている。孤独ではあるが、孤立していない。面白い生き方を選んだものだ。 
 
剣士として生きていくには敵を含めて他人が必要だが、著作家は自己表現をする事で他者から必要とされる。自己表現力がなければ、他者に必要とされず生きていけない世界。 
 
 
剣士の価値観とは真逆のようで、実に近く寄り添っている。男と女のような、関係だった。 
 
 
「俺が剣士として生きていく人生を選んだ為か」 
 
「ええ、そうよ。私は著作家として、自分の筆を振るっている」 
 
「健全に生きているな」 
 
「自己完結しているのであれば、誰にも迷惑はかけないもの」 
 
 
 自分独りだからこそ他人に迷惑をかけず、他人から迷惑をかけられる事もない。親に捨てられた少女は世界を自己完結させて、自分の人生を淡々と歩いている。 
 
否定は出来ないが、さりとて肯定も出来ない。敵を斬り続ける人生であろうと、仲間や家族といった人達がいる。羨ましいとは思うのだが、憧れるような事はない。 
 
心境の変化はやはり、確実に訪れている。病院への道中は長いので、暇潰しがてらに俺は前に話したことの続きをガリに語った。本人も気にしていたのか、黙って耳を傾けている。 
 
 
夜の一族の事のような秘密にしなければならないことを除いて、俺は一通り話した。他人が聞けば正気を疑うようなファンタジーでも、剣士を肯定する女は真実を以前と同じく平然と受け止めた。 
 
 
「母さんや音遠には、私から話しておくわ」 
 
「好きにしろ。他言するような連中じゃないし、下手に探られるよりマシだ」 
 
 
 俺の人生を他人に話すと告げられても、特に不満は無かった。このまま他人になるのであれば話は別だが、海鳴に居を構えると聞いた時点で諦めてしまった。絶対、いつかバレる。 
 
お嬢様となった幼馴染は俺の身辺調査に余念がないし、母を名乗る保母は俺の行動範囲を把握しようとしている。一人であれば取り繕えるが、実の娘まで出来てしまっては白旗を上げるしかない。 
 
結婚話まで出ているデブに娘が出来たことが発覚すれば、どんな反応を示すだろうか。対抗してとっとと相手の男性と子作りしてくれればいいのだが、引退しそうにないから厄介だ。 
 
 
婚約者や妹達、母に娘、聖騎士に騎士団とまで出揃ったところで、俺という人間の幼馴染はこう評した。 
 
 
「波乱万丈ね」 
 
「一言で片付けやがったな」 
 
 
 しかしながら振り返ってみると、結局はその一言に行き着く気がした。感慨にふけるほど優しい思い出ではなく、感傷に浸るほど残酷な記憶でもなかった。 
 
仲間を得て剣を捨て、家族を手に入れて意欲を失った。何がやりたかったのか、辿り着くのは一言だ。本当に、たった一言で済む。 
 
 
生きたかった、それだけだ。 
 
 
「剣を捨てる気はないのね」 
 
「必要だ」 
 
 
 海鳴へ戻ってそろそろ一ヶ月、天狗一族を筆頭にした強敵揃いと戦って痛感した。情熱はなくても、俺が手にしているのは剣。他の武器ではなく、剣を選んで戦っていた。 
 
 
「剣で斬るつもりなのかしら」 
 
「剣を言い訳にするつもりはない」 
 
 
 情熱を取り戻すには人を斬るしかない、天狗はそう言った。その言葉は正しく、そして間違えている。あいつが言っていたのは、『剣士』になる為の手段でしかない。 
 
剣士に戻って情熱を仮に取り戻しても、剣を手にした他人に過ぎない。俺という剣士になることは絶対に無いだろう。他人を無感情に斬り殺すだけの兵器でしかなくなる。
 
所詮は人でなし、自分らしさなどと言うつもりはない。だが、娘達はこんな俺を父だと慕ってくれている。あの子達が望んでいるのは俺であって、剣士ではない。 
 
 
剣士と俺という存在は、両立しなければならない。剣士になれたとしても、父を失ってしまってはあの子達が困るだけだ。 
 
 
「何の為に、剣を振るうのかしら」 
 
「楽しいからだ」 
 
 
 まだ自覚していないかもしれないが、ディードはきっと剣を振るうのが楽しくて無我夢中になっている。孤児院にいた頃、チャンバラごっこは本当に楽しかった。 
 
剣士にとって強くなる事は決して、必須ではない。必要であるかもしれないが、強くなくとも人は斬れる。殺すというのであれば、それこそ剣である必要すらない。 
 
他人を傷付けると分かっていても剣を振るうのは、結局楽しいからだ。必要だから剣を取り、楽しいから剣を振るっている。 
 
 
剣に対する情熱を失ったのは―― 
 
 
「貴方の剣を預かる先生に、打ち明けるのね」 
 
「きっとフィリスを悲しませるだろうけど――俺は、そうするつもりだ」 
 
 
 ガリは黙って、俺に手を伸ばした。気遣う言葉なんて必要ないと、白く冷たいその手を差し伸べる。俺は黙ってその手を取り、二人並んで歩いた。 
 
少女の手に、温かさはなかった。彼女は俺の孤独を癒やしても、他人を温める想いはない。傍で歩いていても一緒ではなく、俺達は一人同じ道を歩むだけ。 
 
 
間もなく冬、少女の吐息はほのかに白みがかっている。 
 
 
「誰からも嫌われようと、私だけは貴方の傍にいるわ」 
 
「……」 
 
 
 
「たとえ貴方が――大切な人を斬るつもりだとしても」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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