とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第三十四話
                              
                                
	
  
 
 
 フリースタイルのグラウンド技。俺の腰を強烈にロックした上で、足首を交差させて固められている。こうされると、下半身の動きがほぼ全て封じられてしまう。 
 
この状態で思いっきり締められると上半身をまるで生かせず、拘束される。後は力勝負となるのだが、豊満な女性の肢体から与えられる感触は幸福ではなく、地獄そのものだった。 
 
御堂音遠は幼少時巨体の人間だったが、見た目麗しい女性となり肉体は引き締まっている。贅肉は筋肉となり、脂肪は胸と尻に還元された。洗練された肉体から生み出される筋力は、大人顔負けどころではない。 
 
 
怪物だった。 
 
 
「ルール上は三本試合ですが、敗北を認めるのであれば解放いたしますよ」 
 
 
 試合形式だが異種格闘技戦である以上、一本が宣言されるのは意識を落とされた後となる。この試合における絞め技の判定は、それほどまでに厳しい。 
 
デブは勝利を確信しているのではない、勝利条件を理解しているだけだ。孤児院時代の奪い合いは、両者共に相手を倒すまで決して止めなかった。俺達はそれほどまでに、飢えていた。 
 
お互いに成長し多くを持つ立場となったが、戦いにおいては常に勝利を求めている。試合のルールに縛られず、戦場の掟に忠実となって、相手を倒す。 
 
 
締め上げる力は圧迫が目的ではなく、圧殺を望んでいる。 
 
 
「拒否されるのであれば、このまま締め落とします」 
 
「グググッ……!」 
 
 
 単に飛び込むだけのタックルでは相手に回避されて、逆に反撃される。子供の頃は馬鹿の一つ覚えだっただけに、成長しての変化に手痛いしっぺ返しを食らってしまった。 
 
下半身を封じられて、両手が床に押し付けられた状態。その上相手に力で押さえ付けられているのであれば、このまま蟻のように押し潰されるだけだ。 
 
確かにがっちりと締め上げる相手をひっくり返すのは、不可能に近い。技が未熟であれば隙も生まれるだろうが、技量も十分かつ天性の肉体を持つ女を力任せに返すのは至難の業だ。 
 
 
だが、こいつはこの期に及んで分かっていない。この試合は素手同士ではなく、対戦相手は剣士であるという事を。 
 
 
「力で剣士を押さえつけられると思うなよ――"陰中陽"」 
 
「この動き、剣さばき――ガッ!?」 
 
 
 剣士とは、正眼に構えて剣を振るだけが能ではない。座った状態であっても敵の太刀を受け流し、その力を利用して相手を斬る技も存在する。どのような態勢でも斬るのが、剣士である。 
 
フリースタイルのグラウンド技はどれほど見事であっても、対戦相手が素手であるからこそ完璧となる。対戦相手が剣士であれば、剣という余白が必ず生じるのである。 
 
下半身を封じられても剣を手から放せば余白が生じて、腰は動かせる。剣ごと締め上げていたデブの力を利用して、俺は手放した剣を跳ね上げた。 
 
陰中陽、居合術をベースに再編成した剣術がデブの顔に剣を突き立てた。 
 
 
「この程度の負傷で怯むとでも思っているのですか!」 
 
 
 眼下を強打されたのに瞼さえも震わせず、目元より血を滲ませて俺のバックに回る。両手を床につかせるのだと悟った俺は、腰を流れるように旋回させて竹刀で一閃。 
 
横へ1回転したデブに合わせて斬った剣は痛手こそ与えられなかったが、デブを怯ませて勢いを殺した。その隙を見計らって、俺は剣を取り直して立ち上がる。 
 
畳み掛けるような掌打が飛んでくるが、動きとしては雑である。竹刀を突き立てて止めて、低い体勢から足元を払う。たたらを踏む程度だが、バランスは確かに崩れた。 
 
この時を、狙う。 
 
 
「これが、陰陽進退だ」 
 
 
 攻撃を仕掛けた敵が反撃してくるその瞬間を狙って、更に防御して制する技。剣とは音楽である事を、フィアッセ・クリステラより学んでいる。師匠がその実感を、知識で補強してくれた。 
 
体勢が崩れたのだと嬉々として攻めず、体勢を立て直したその時を狙って貫く。攻撃されると焦る敵の焦燥を狙うのではなく、攻撃されなかったと安堵した敵の油断を文字通り突く。 
 
陰陽進退、音楽と知識で成り立つ剣術はデブの胸を突き刺した。グラビアモデルばりに大きな胸を刺されて、デブは苦痛に美貌を滲ませて膝をついた。 
 
 
俺はそのまま竹刀を振り上げて―― 
 
 
 
「一本!」 
 
 
 
 手元を、震わせた。主審からの宣言は俺に勝利の高揚ではなく、勝利に対する冷水をこれ以上ないほど浴びせてくれた。剣を握る手から、冷たい汗が滲み出る。 
 
試合だと聞かされていたのに、女を倒した後も攻撃しようとしていた。疑問の余地など、一切なかった。何の感情もなく今、デブを斬ろうとしていたのだ。 
 
その一部始終を、膝をついたデブが全て見ていた。女は、男の心境を一切知らない。病院へ通っている事は調査できても、精神に問題があることは関係者以外は分からない。 
 
 
目の前で起きた現実だけが、真実――剣士が敵を斬らないのは、情け以外にあり得ない。デブは眼下より血を流し、噛み締めた唇から血を滲ませて、怒りに震える足で試合場を降りた。 
 
 
「本当に、貴方は強くなったのね。あの子をあれほどまでに圧倒するなんて驚いたわ」 
 
「あいつだって、別に弱くはないさ」 
 
 
 フリースタイルの格闘技者は実際、古風な剣士には苦手な相手である。多分あいつもそれを狙って、今まで鍛え上げてきたのだろう。 
 
あいつにとって誤算だったのは、俺が空まで飛ぶような強敵と戦ってきた事である。頭上だの足元だの関係なく、あらゆる手段と技術を駆使して俺を苦しめてきた。 
 
あいつの技術は驚くほどよく出来ているが、対応できないレベルではない。強くはあっても殺されないのであれば、師匠より与えられた知識と敵から与えられた経験で対処出来る。 
 
 
強くなったのだと言われても、実感はない。そもそも強いと感じられるかどうかは、心にかかってくるのが――その精神に、大いに問題がある。 
 
 
「剣士としては何の問題もないのだと、貴方を知る幼馴染として言っておくわ」 
 
「気持ちだけは、受け取っておこう。ただ、多くの一般人はそう思っていない」 
 
 
 毎日を平凡に生きる人達であれば歓声の一つでも上げてくれていたのだろうが、海鳴に生きる一般人はお人好しの分際で見識が高い。今の試合で起きた事を、正確に読み取っていた。 
 
俺をよく知る忍達は苦笑い程度で済ませてくれているが、俺を案ずる家族達は心配そうに見つめている。友人達が俺なら大丈夫だという信頼、家族達は大丈夫でも心配だという愛情で。 
 
思いを馳せる。真剣ならば、デブを斬っていた。殺し合いならば、デブを殺していた。そのような仮定自体には、何の意味もない。何故なら、これは試合だからだ。 
 
 
そしてそんな可能性を無くす為に、この場にいる全ての人達は訪れている。過去から今、そして未来にかけて、共にに歩む覚悟を持った人達が居てくれている。 
 
 
彼らがいれば、何の心配もない。だから、俺は自分の事だけに集中できる。フィリスの診断は当然のように、正しかった。情熱も何もなく、俺は人を斬れる剣士になっている。 
 
高町美由希の為だという前提でありながら、デブを斬ろうとした時に彼女を想わなかった。他人の為に斬るという理由も、結局剣士としてある為だけの条件でしかないのだろう。 
 
剣士としては正しいのだと、ガリは言ってくれている。他人に興味がなかった過去の俺を知るからこそ、今を肯定してくれている。ならばこの先は、どうすればいいのか。 
 
 
いずれにしても、戦いはまだ続いている。治療を終えたデブが再び、試合場に立った。 
 
 
「私とした事が、貴方に言っておくのを忘れておりました。二本目の試合でありながら申し訳ありませんが、一言言わせて頂いてもよろしいでしょうか」 
 
「何だよ」 
 
 
「私は貴方の幼馴染ではなく、貴方の敵として立っております。そのご覚悟でこの試合に望んで頂きますように、お願い申し上げます」 
 
 
 ――敵として見ていないから、自分を斬らなかった。剣士としての常識を正しく認識しているからこそ、デブは前提を誤認していた。頭の痛いすれ違いである。 
 
殺すつもりで挑めれば、何の問題もない。そんなつもりではないのに、覚悟だけが勝手に固まっている事が問題なのだ。このややこしい前提を、どうすれば理解してもらえるだろうか。 
 
何故斬るつもりで来ないのか、デブは真剣に憤っている。一般人には異端であっても、剣士に対しては正しい憤りであるだけに、俺はデブを責められなかった。 
 
この二本目を取れば俺の勝利なのだが、俺自身の勝利とは為りえない。病は克服できず、剣士としても失格。デブを殺せば俺の負けだが、デブを殺さなければ剣士として負けなのだ。 
 
 
「相互に、礼」 
 
 
人が勝つのか、剣士が勝つのか――この戦いに、どう望めばいいのか。 
 
 
「始め!」 
 
 
 再び、タックル。同じドジは踏まないと心を引き締める中、デブが迫りくるのは正中――両足を取ると見せ掛けて正中を狙う、胴タックル。異端の、正面タックルであった。 
 
だが、俺は既に反省している。先程の試合のミスは、明らかに俺の油断。そして油断とはタックルに対してではなく、認識に対する油断。デブ本人を見誤っていた。 
 
柄を落として相手のタックルを受け止めると、がぶりの体勢から俺の動きを制してくる。よく練られた動きだが足腰に注意が向けられて、手元への認識が疎かになっている。 
 
剣先を翻し直上から斜め下に振り下ろし、敵本体ではなくて敵の動きを切る。手先ではなく剣先で動きを制されたデブは目を見開くが、歯を食いしばってグラウンドへの攻撃に移る。 
 
 
寝技に持ち込まれると、剣で斬ろうとしても剣先が鈍る。突っかかる相手に蹴りを入れると、デブもまた先の試合と同じく足を取ろうとする。同じ手は通じない。 
 
 
断空剣、足の先まで刃と出来るのが剣士。顎を捻って回避するが、頬先が血飛沫を上げて斬れる。美貌を傷付けられてもデブからは怒りが見えず、勝利を求めて貪欲に攻めてくる。 
 
狙いは足。軸足を刈り取り相手を投げる、柔道の技。断空剣の後で足元が疎かな俺へは有効な手段、剣を真横に振るって敵の接近を許さない。デブの前髪が数本切れて、宙を舞う。 
 
しかしデブは怯まず、そのまま左腕狙いの攻撃。側面を固められると、剣という刃の切れ味がどうしても鈍ってしまう。あくまで四肢を狙う姿勢に舌打ちする。 
 
実際師匠の話だと、グラウンド技のバリエーションはこの世に数多くある。昔ながらの体格を活かした攻撃は、斬るか斬らないかで揺れる剣士には有効的だった。いい加減、決めなければ。 
 
だが、先に覚悟を決めたのは相手だった。柔道や相撲でもよく見られる、脚をかけて倒す技。 俺は瞬時に飛んで、 
 
 
頭上から剣を振り下ろした。 
 
 
「"タックル返し"」 
 
 
 自分に、何が起きたのか。分かったのは―― 
 
 
二階の観客席にまで投げ飛ばされた、瞬間だった。 
 
 
「ガ、ハッ……い、いまの、力はッ……!?」 
 
「――今の私は貴方に相応しい女だと、言ったはずですよ」 
 
 
 特定の技法によって力を操作して、作用を発生させる技術体系が存在する。 
 
この作用を起こす技巧は作用自体を望む効果が得られるように肉体を調節し、動作の組み合わせによって技の発動が可能となる。 
 
こうした技術を―― 
 
 
「体内に『気』を循環させて『気』をコントロールする。私はこの技術を、"気功"と呼んでいます」 
 
 
 ミッドチルダでは、『魔法』と呼んでいる。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
  | 
	
  
 
 
 
  小説を読んでいただいてありがとうございました。 
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。 
メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  [ NEXT ] 
[ BACK ] 
[ INDEX ]  | 
Powered by FormMailer.