とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第二十四話
剣には近代スポーツ等によくある体重別という概念そのものがない。柔よく剛を制すという言葉は柔道だけではなく、剣術や剣道に共通して言える事でもある。
敵の体格が自分より上であっても、剣士であれば劣等感を覚える事はない。剣士は敵さえ斬れば勝利、斬るべき場所に拘りは一切ない。一刀両断は行えなくても、容赦なくぶった斬れる。
刃とは、それほど恐ろしい。仮に子供のチャンバラであっても、武器があれば戦える。圧倒的体格の敵であろうと、刃を持っていればあらゆる場所が急所になり得る。
この教訓を俺は師匠の知識よりも、幼少期の実体験で学んだ。
「まちなさい!」
――孤児院時代、俺は体格には恵まれていなかった。俺は顔つきの悪さで怖れられ、アイツは体格の良さで"恐れられていた"。あらゆる子供達が踏み潰され、蹴散らされ、黙らされていた。
ガリとは違って、アイツは多くの異名を持っていた。トラックだと叫ぶ奴もいたし、大牛だと吠える人間もいたし、戦車だというガキまで居た。アイツはそれほどまでに大きな、"女"であった。
子供の肥満自体は、別に珍しい事ではない。生活が豊かな時代になって、子供の肥満は激増していると聞く。アイツが怖れられていたのは、孤児院という極貧な環境で育った怪物だったからだ。
精神面のストレスから過食になるケースも多い。アイツの場合、少なくともガキの頃は常に怒りを撒き散らしていた――貧しい孤児である自分の理不尽を、呪って。
アイツは、飢えていた。あらゆるものに、飢えていた。親がない、家族がない、金がない、物がない、服がない、家がない、何もない。だからアイツは、自分以外のあらゆる他人から奪い続けた。
欲しい物は何でも奪い、何でも手に入れる。喰らい尽くして力を手に入れて、また奪う。孤児院の先生達や保母連中も何度も叱責や注意をしたが、奴は決して止めなかった。他人は敵であり、噛み付いた。
持て余した大人達が押し付けたのが、俺の母を名乗る陽巫女。子供の教育にはとことん厳しい女だが、陽巫女は過度なテコ入れは行わなかった。別に、放任主義を気取っていたのではない。
群れを統括するボスは、子狼同士の喧嘩に加担はしない。
「はい、まったぞ」
「くっ――いたい!?」
孤児院の硬い床を踏み抜く勢いで追いかけて来た女――俺が"デブ"と呼んでいた敵に一度背を向け、そして振り返りざまにプラスチック製の剣を振るう。巨大なデブの顔に、痛みの皺が刻まれる。
怯んだ隙を狙って、タックル。ただでさえたたらを踏んでいたデブは、真正面からタックルを食らって背中から倒れる。自分の体重による衝撃で、デブは口から泡を吐いた。
そのまま上に飛び乗って、すかさずビンタ。喧嘩に、男も女もない。その証拠に真下から俺を見上げるデブの顔は、怒りに燃えている。戦意を喪失するどころか、むしろ燃え上がらせていた。
強引に大暴れして、伸し掛かっていた俺を振りほどく。流石にこの条件では、体格の差が物を言う。俺を振りほどいたデブは、勢い任せに巨体を持ち上げて立った。
「きょうこそ、あんたをころしてやる!!」
「ききあきた」
先程のお返しとばかりに、デブがタックルで襲い掛かってくる。確かに衝突すれば、小さい俺では吹き飛ばされて終わりだ。アイツに逆にのしかかられたら、死ぬまで暴行を加えられるだろう。
当時剣術の知識がなかった俺だが、不幸中の幸いにも母親を気取るチャンバラごっこの相手がいた。あいつの真似をして、俺は突進してくるデブの脚を打ち据える。
脚は斬れなかったが、勢いは落とせた。苦渋に歪むデブがふらついた時、今度は手元を狙って剣を落とす。泣き声を上げたデブに対して、俺は部屋にあった椅子を蹴飛ばしてぶつける。これで完全に止められた。
黙ってやられるデブではない。分厚い腕を勢い任せに振るって攻撃、俺はガードをせず相手の懐にあった椅子に飛び乗ってジャンプ。
頭上から、剣を振り下ろした。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!!」
「うるせえ!」
「げほっ!」
「ガリ、もういいぞ」
「わかったわ、いつもどおりとりあげておくね」
悲鳴を上げるデブの顔を、遠慮なく蹴り飛ばす。血と唾を撒き散らして転がるデブを鼻で笑って、ガリをこの場に呼ぶ。心得たもので、ガリはそのまま歩み寄ってデブが持っていた物を全部取り上げた。
同じ孤児の連中から奪ったお菓子や食事、おもちゃの数々。罵詈雑言をあげるデブの頬を叩いて、黙らせる。身ぐるみはいでやりたいが、こんな奴の衣類なんて欲しくもない。
略奪品を全て押収して、俺は一息ついた。戦いはこれで終わりだ。そう、これで完結――持ち主に返したりはせず、全部自分のものにする。俺は食料を食い、ガリにお菓子を渡した。
食事なんて殆ど取らないくせに、ガリはこの時だけとても大切そうに包み込んで少しずつ食べる。一口一口ごとに美味しいと、何故か俺に伝えてくる。実に、鬱陶しい。
「かえせ……アタシのものだ、かえせえええええええええええ!」
「ほしいなら、うばってみろ」
「ころしてやる、ころしてやる、ぜったいにころしてやる!」
「おまえのようなよわっちいおんなになんぞ、まけるか」
「あたしは、おんなじゃない! つよいんだ!」
「まだいってやがる。ぱんつまでぬがされてもまだこりねえのか、ばかおんな」
「みんな、みんな、アタシをこわがってるのに、くそくそくそ……よわいおんなあつかいしやがってぇぇぇ!」
スカートめくりの比じゃない暴行だが、当時誰一人批判しなかったあたりがデブの人望の無さを物語っていた。まあ実際俺もデブには興味なかったので、その場に放ったらかしたのだが。
デブが口に出して言っているように、大人顔負けの暴君とブタより醜悪な肉体に誰一人デブを女の子扱いする人間はいない。あいつを女扱いできる資格が与えられるのは、あいつに勝てる人間だけだった。
あいつは女の子扱いされるのが、嫌だったのではない。弱者だと思われるのが嫌だったのだ。ある意味で、デブはガリよりも聡い子供だったのかもしれない。大人になって弱さに気付いた俺よりも早く、社会的弱者である事を呪っていた。
だからあいつは、地獄の底で吠えていた。
「おまえよりつよくなってやる」
「やれるものならやってみろ」
「おまえよりえらくなってやる」
「おまえなんかになれるか」
「おまえをころしてやる」
「おまえにはむりだ」
「おまえから――ぜんぶ、うばってやる」
――今のは夢で見たのではない、単に思い出しただけだ。昨晩姫君達と夜遅くまで語り合ったため脳は休眠を求めており、貪り尽くすように眠った。朝になった寝ぼけた脳は、余計な記憶を思い出させた。
ガリに続いて、デブ。俺の幼馴染には、碌な奴がいない。当然である、俺自身がロクデナシだったのだ。そんな奴の相手が、一般的な子供に務まる筈がなかった。
デブとの思い出に、甘酸っぱい記憶なんてありはしない。孤児院という戦場の中で、あいつと俺は常に戦っていた。何の強さも手に入れられない奪い合いで、とことん不毛だった。
あの孤児院はもうなくなったとガリから聞いているが、あいつは結局どうなったのだろうか。
「起きるか」
朝の訓練と洒落込みたかったが、生憎と手元に剣がない。鍛練も、師範格である守護騎士達から禁じられている。精神的に不安的な人間に、力は与えられない。ドクターによるストップは、家族より権限が強い。
渋々、起き上がる。剣以外のことで日常を過ごす時間が多くなっているが、それでも剣の時間が無くなるのは手持ち無沙汰だった。ただ、寂しさや悲しみが浮かんでこない――やはり、重傷だ。
手元に剣がなくても、不自由を感じない。剣に縋っていない証拠ではあるが、自分の精神的な冷静さこそがフィリスの懸念でもある。自分の静けさこそが、医者にとっての不安である。
剣士として成り立っているのであれば、人を斬る以外に剣は必要ないということか。
「他人から過度な影響を受けている。味方にも――そして、敵にも」
聖地だけの話ではない。海外から戻った時は友人知人から殺されかけたし、その海外ではマフィアやテロリスト達と戦った。敵にも味方にも殺されかけて、俺はその度に殺すべく剣を振るったのだ。
誰も殺していないのは、俺の中の良心や優しさが理由ではない。他人を殺せる技量が俺にはなかった、それだけだ。人を殺す技術はなく、人を斬る知識が与えられたにすぎない。
極めて変な話ではあるのだが、敵が軒並み強かったのにも救われた。もしも俺より弱い敵がいたのであれば、俺はその敵を殺してしまっていたかもしれないのだ。
敵の強さに救われているなんて、つくづく狂った話だと思う。
「ちっ、面倒臭いがあの女に相談するしかないか」
今日も午後から、フィリスの診断が待っている。今度は家族を連れて、本格的なカウセリングが行われる。ガリだけでは役者不足なので、保護者を呼ばなければならない。
あいつに直接頼むのは絶対イヤなので、ガリから伝えるようには言っておいた。あいつは今日の診察時間も知っているので、連絡は届いている筈だ。
午後まで、多少時間がある。結局カレン達の執拗な尋問で朝方まで話し込んでしまったが、おかげさまで何とか機嫌も直してくれた。まだ多少眠いが、起きるとしよう。
一人でいても悩んでしまうだけなので、まずは本日の予定を確認するべくアリサを呼んだ。
「おはよう、良介。夜の一族の人達と時間を過ごすのは、人間には大変ね」
「まったくだ、吸血鬼の時間だからな。各国で、時差はあるけれど」
「午後からカウセリングが入ったから、聖地での業務は代行を頼んでおいたわよ」
「たった一日でもう仕事が入っているのかよ」
「当然よ。何しろあんたは"聖王"様なんだから」
業務と言っているが、"聖王"として必要な務めは聖王教会と時空管理局との連携により不在でもどうにかなっている。三役の方々やリーゼアリア達がいれば、俺がいなくてもどうにでもなる。
とはいえ、"聖王"でなければ務まらない仕事も多少はある。この世の中神様が居なくても回っているが、神という概念そのものが消えた事は歴史上一度もない。宗教だって廃れていない。
特に聖地で起きた数々の難事は、人知を超えた出来事であった。救世主であるローゼや聖女様も頑張ってくれているが、信徒達には神が必要な場合もある。
一声かけるだけでも、福音となるのである。
「代行というのは、もしかして」
「ディアーチェよ。アンタがカウセリングを受けていると聞いて、自ら志願して出向いたわ。よく出来た子ね」
「俺の娘だから当然だ、と言いたいのだが、やはり自慢したくなってしまうな」
そしてロード・ディアーチェは、正当な俺の後継者である。聖地では自ら進んで治世に赴き、ローゼ達との連携もあって悩める人々を救い続けた。
そして何より、あの子には王としての器がある。俺のような名声に守られたメッキではなく、本物の王としての資質。人々が崇めたがる威厳が、神への信仰に次ぐレベルで存在しているのだ。
本当であればあの子が適任なのだろうが、親としてはまだ早いという欲目がどうしても浮かんでしまう。まだ手元に置いておきたいので、聖王オリヴィエに押し付けようとしている気持ちもある。
ディアーチェであれば、安心して代行を任せられる。
「その子供達もアンタの事を心配して、付き添いたいそうよ」
「病院に?」
「病院もあるけど、日常的に一緒に過ごしたいと言っているわ。護衛のすずか達と事前に相談して、一人ずつ交代でつくと張り切ってる」
「俺の周囲がどんどん厚くなっているな、おい」
シュテル、レヴィ、ディアーチェ、ユーリ、ナハトヴァール。どの娘も可愛らしくも、一騎当千の強者である。ユーリなんて、次元破壊兵器でも傷一つ付かなかった無敵の魔導師である。
本来あまりごちゃごちゃ多く人と行動したくはないのだが、自分の娘であれば話は別である。毎日一緒に生活しているが、子供達と過ごす時間は多くはない。
生まれた時は俺の事情で距離を置いてしまい、聖地で合流しても事件に追われてそれどころではなく――日常へ帰った今だからこそ、時間を取り戻すべきかもしれない。
一般家庭の親達とは違って、俺は子育ての苦労はない。ユーリ達は非常によく出来た子供達だ。ならばせめて、優しくしてもバチは当たるまい。
「逆に、なかなか一緒に行動できない人もいるけど」
「? 誰のことだ」
「忍さんと、那美さん。朝から晩まで補習で、夜は沢山の宿題で頭を抱えているわ」
「よーし、いいぞ。那美は別にして、忍はそのままフェードアウトしろ」
俺とは違って女学生だ、三ヶ月も休校していれば補習の嵐は避けられない。留年が避けられただけでも儲けものだろう。二人共頭は悪くなく、素行もいいので何とか許されたようだ。
三ヶ月も休んでおいて素行も何もあったものではないが、その辺は勉強量で埋めるしかない。二人の進路は明確には知らないが、少なくとも学校くらいは卒業しなければならないだろう。
しばらくは、身動き一つ取れないと言っていい。忍は別段側にいても不快ではないのだが、居ないなら居ないでそれに越したことはない。あいつが居なくても、俺は余裕で生きていける。
「午後からの仕事はお流れになったけど、その代わり昨日済ませるはずだった予定が今日の空いた時間に入ったわよ」
「昨日の予定……?」
「ナカジマ家との、顔合わせ。今夜のディナーを共に過ごしたいそうよ。予約も入れておいたから、家族水入らずで過ごして」
「……考えてみれば軽いランチより、晩飯の方が大変そうだな」
顔合わせも何も迷子になった妹達を全員見つけたのは、俺である。顔合わせ自体既に済んでいるはずなのだが、何が何でも家族で食事したいらしい。その辺の感覚がよく分からない。
カウセリングを理由に辞退出来そうではあるのだが、どうせ後回しになるだけで立ち消えしないのは目に見えている。クイントの手強さは、身に染みている。ゲンヤのおっさんにも世話になっているからな。
子供の数が多いので、さぞ賑やかになりそうでグッタリする。元来、俺という人種は子供の世話をするような人間ではないのだ。そういうのは、桃子達の分野だろうに。
――桃子か……アイツの事もどうにかしないといけないのだが。
「食事と言えばシグナムさん、朝食も取らずに出ていったの」
「? 何かあったのか」
「シグナムさんが稽古をつけている道場に先日、道場破りが来て弟子達が倒されたそうよ――世の中、アンタみたいなバカが他にも居るのね」
"おまえよりつよくなってやる"
――アイツは、そう言っていた。
<続く>
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