とらいあんぐるハート3 To a you side 第九楽章 英雄ポロネーズ 第十六話
異世界ミッドチルダにも車があってうちの女ゲーマーがブツブツうるさかったが、観光案内兼護衛任務に就く上では非常にありがたかった。いくらなんでも徒歩でうろつき回れない。
ルーラーと修道女のツテを頼りに、聖王教会より観光車を一台借り受けられた。民間のレンタカー会社があるのかどうかは聞かなかったが、安全に借りられるのであればそれに越した事はない。
特に今回の依頼人はお忍びで訪れたご隠居三名、表立って歩き回させる訳にはいかない。観光名所に来ておいて今更ではあるが、移動中くらいは人目の配慮をしておくべきだ。
護衛兼観光案内役としてファリンとうちの娘達、補佐役として妹さんとザフィーラ。少女と子犬なら大人しく連れて歩けば、依頼人も目を尖らせたりはしないだろう。念の為、同行して貰った。
傍から見ればどう見ても護衛には見えず不安だろうが、ファリンとナハトに頼んだ依頼人だ。どう考えているのか分からないが、その程度は考慮済みだろう。ようするに、任務を果たせばいいのだ。
運転手はマイア、観光名所として名高い広大なベルカ自治領では必須だと運転免許も取得していたらしい。観光案内のお手伝いとあって、本人も実に張り切っている。前向きなのはいい事だ。
俺達は観光案内役として依頼を受けた側、待ち合わせなぞせず迎えに行くのは当然である。宿泊先の宿まで観光車で迎えに行くと、すぐに依頼人が姿を見せてくれた。
「おじーちゃん、おばーちゃん!」
「おお、わざわざ迎えに来てくれたのかい。ありがとうな、ナハトちゃん」
「本当に、いい笑顔をする子だね……見ているだけで心が洗われるよ」
「すまないね、君達。急に無理なお願いをしてしまった」
「こちらこそ、ご依頼ありがとうございました。私が彼女達の責任者、宮本良介です。本日はよろしくお願いします」
……正直いつまで経っても敬語には慣れないが、抵抗だけは無くなりつつある。目上の人間を敬う礼儀というより、弱者が強者に示す態度としては当然と言えた。弱いからこそ、尊厳を示す。
はしゃいだ声を上げるナハトを抱き上げている、年配の女性。ファリンの話だと彼女がミゼット、老年に差し掛かった年頃だろうが、衰えを感じさせない。包容力のある微笑みは魅力的ですらある。
ナハトを抱き上げるミゼット女史を傍で温かく見守っている、顎ひげの老人。彼がラルゴ老、ご高齢ではあるが一つ一つの皺さえも巨木の年輪のような深みを感じさせた。無条件で頭を下げたくなる。
責任者を名乗る俺と向かい合うのは、レオーネさん。背が高く、ご壮健な体格の男性。恐らくまだ現役であろうことは、俺を見つめる視線からも窺えた。
御三方を観光車に乗せて、出発。午前中はまず観光車でベルカ自治領を御案内、シュテルが観光車ガイドを務めて車内を華やかに沸かせる。運転手のマイアも紹介、照れた様子でご挨拶。
貫禄あるレオーネさんはディアーチェが尊厳を持って応対、教授と生徒のような適度な距離感で話している。好々爺のラルゴ老はナハトやファリン、ユーリ達が本当の家族のように喋っている。
後部座席の妹さん達が車内の安全に務める中、必然的に俺はミゼット女子のお相手を務める事となった。
「皆、とても良い子達だね。坊やが――おっと」
「いえ、かまいません。責任者を名乗っておりますが、皆さんから見れば私もまだまだ若造でしょう。
言うまでもありませんが、父親を名乗ってこそおりますが、あの子達とは血の繋がりはありません」
ナハトやユーリ達が車内で俺を父と呼んでいる事もあるが、何よりこの一団そのものが異様だ。彼らから見れば子供ばかりの面々、気に掛かって当然だろう。
御老人であれ、初対面で信頼なんて預けない。依頼人であっても、距離感があって当然。それでも内情をこうして話しているのは、ナハトヴァールがこの人達に懐いているからだ。
自分の娘が信頼している相手だ、父の俺が敬意を見せなくてどうするのか。我が子の信頼を疑う親などいない。
たとえ後で裏切られたとしても、我が子が信用した相手を信じてやりたかった。桃子が俺を、高町の家に迎え入れてくれたように。
「縁もゆかりも無い子達を、坊やが育てているのかい。どうやら、この地の生まれではないようだね」
「ご慧眼でいらっしゃる、その通りです。何でも屋のように仕事を引き受けているのも、その一環です。この聖地で、何とか居場所を築いてやりたい。
身寄りもない子供達が単身生きていくには辛い世の中、こうして助け合って何とか生きております」
「……あたしら大人には、耳の痛い話だね」
「ご気分を害されたのなら申し訳ありません。誤解のないように言っておくと、悲観はしていないのです。あの子達も私も、前向きに今を生きている。
外見ではお分かりづらいでしょうが、彼女達には優れた才能がある。年不相応の実力も秘めている。必要なのは、機会だと思っています」
「なるほど――だから今、この聖地に訪れた」
「……本当に、お理解の早い方で驚きました。お察しの通り、私達は今聖王教会が求める聖女の護衛を希望しております」
「彼女達の後見人をお願いするつもりなんだね。時空管理局には頼らなかったのかい?」
「役人否定をするつもりはありませんが、時空管理局には頼れませんでした。相談はしてみたのですが――なにぶん、定かな身元もないようでは……」
「――本当に、訳有りなんだね……すまないね、立ち入ったことまで聞いてしまって」
「いえ、話を聞いて下さっただけで嬉しかったです。こちらこそ申し訳ない、依頼人の貴方に身内の相談などしてもらって」
欺瞞である。彼女はナハト達を思い遣ってくれているのに、俺はローゼ達の事を話して欺いている。完全にすれ違っていない分、余計に性質が悪い。申し訳なかった。
ただ話していて、シュテル達の親権について深く考えていなかった事に気付かされた。これからも彼女達の父であるつもりだが、社会的な立場も必要なのは事実だ。
娼婦の話では、聖女は人格者であるらしい。ローゼの後見人を頼むついでに、シュテル達の親権問題についても相談してみよう、自治領であれば、親権も手に入れられるかもしれない。
ただ気になったのは時空管理局の冷遇について話した時、ミゼット女史が辛そうに唇を噛んだ事だった。
昼食は景観ある景色を前に美味しいランチを囲んで華やかに歓談、午後からはベルカ自治領を代表する名所を回ってご隠居方に存分に楽しんでもらった。
しかし観光案内を引き受けておいてなんだが、ご隠居方は名所そのものよりも、大はしゃぎしているナハト達との観光を喜んでおられた。というかあいつら、自分達で楽しんでどうする。
レオーネさんは見識の深いディアーチェやシュテルをいたく気に入られたのか、ご自分で名所であるベルカの歴史を語って二人に教えていた。説教や説明好きな御老人であるらしい。
午前中身寄りの相談をしてくれたミゼット女史は同情した訳でもないのだろうが、ナハトやユーリ達を可愛がってくれている。ヒーローとして自信満々に護衛するファリンに、拍手して下さった。
俺やラルゴ老は、遠くから彼女達の様子を微笑ましく見つめている。
「すまないね、君とミゼットとの話を聞いてしまった。君さえ良ければ、儂が相談に乗ろう」
「ご冗談を。今日初めてお会いした人間ですよ」
息を呑んだ。ご隠居の立場こそ知らないが、これほどの貫禄、只者ではないのは既に分かっている。観光をしていても、彼らの立ち振舞は完璧に等しい。まるで俺達が守られているようだった。
今日の観光案内兼護衛にしても、彼らから見れば稚拙極まりなかっただろう。自分達が仕事をしているのではない、仕事をさせて貰っているのだ。怒りよりも、自分の不出来に悔しささえ覚える。
一人前の顔で聖女を護るなどと口にしても、このザマだ。本当の大人から見れば、俺達は所詮背伸びをしている子供だった。金を貰うのさえ、心苦しい。
大人にとって相談とは、単なる愚痴の言い合いではない――自分達子供の問題を、解決するという事。親権を、引き受けるということに他ならない。
「警戒する君の気持ちは分かる――といっても、儂には家族と呼べる人間はいないんじゃが」
「……ひたむきだったのですね、ご自分の人生に」
「愚直であっただけじゃよ、気が付けば年を食っておった」
大きな羨望と、ほんの少しの寂寥を感じさせた。人生の重みも何もかも違うが、かつての俺はただ一人で生きていく事を望んでいた。剣だけを追求した、孤高の人生。消えてしまった、夢。
俺のような空想で生きていたのではなく、この人はきっと本当に夢を叶えたのだろう。高潔な理想を胸に生きて、多くの夢を現実とした。夢を叶え続けた人生の果てに、彼は独りでいる。
胸を張って欲しかった。貴方は立派だと言いたかった。なのに自分の胸からこみ上げるのは、どうしようもない悲しさだった。過去の自分を憐れみ、未来の自分を恐れている。
観光地を明るく満喫する観光客の家族連れを、シュテル達を見つめてラルゴ老は目を細める。
「人生に先が見えると、どうしても後を振り返ってしまう。多くの人達と接して来たつもりだったが、気がつけば自分は独りじゃった。
後悔はない、自身の人生を邁進した結果じゃ。けれど、それでも考えてしまうんじゃよ――別の生き方があったかもしれないと」
「だから、家族を求めておられるのですか」
「代用品のつもりはないよ。君も、彼女達も、自分の意志で強く人生を歩んでおる。けれど君達にはまだ、家族が必要じゃろう。
ふふ、儂も老いたものよ。おじーちゃんと呼ばれて、これほど幸福を感じる日が来るとは」
何となくだが、気付いた。老いを感じているのではない、迷いが見え隠れしている。後悔は本当にしていないのだろうが、少なくとも疑問を持っている。
彼の仕事は分からない。だがもしこの聖地へ来た目的がその点にあるのだとすれば、恐らく彼は失望を感じたのだろう。栄光に輝いた人生に、迷いを見出すほどに。
聖地は今、あらゆる人間の欲望に染まっている。栄光も堕落も含めて、人間の全ての一面が現れている。他人とは鏡、本性の見えた人間を前に老いた自分を見てしまった。
他人に不信を抱いた彼にとって、ナハトヴァールは希望そのものだったのだろう。あの子の笑顔は、全てを癒してくれる。救いを、与えてくれる。
「申し出、ありがとうございます。恐らくあの子も、貴方のような人だからこそあれほど懐いたのでしょう」
「君が悲観していた時空管理局にも少々のツテがあってな、このような言い方は何だが多少の無理強いはきく。どうかね?」
「本当にありがたいのですが、なにぶん急な話なので」
「ほっほっほ、そうじゃろうな。何しろ儂は自分の身元も明かしておらんからの、不審に思うのも無理はない。
今は話だけにしておいてくれ、年寄りの愚痴や我儘を聞かせてしまったね」
「事情はお察ししております。私はただ、お忍びの旅の中で私達を気にかけて下さった好意には感謝しているのです。
よろしければ、今後もあの子の相手をしてあげて下さい。きっと喜びます」
「よければ、君も来なさい。儂らもしばらくこの聖地におる、このような形に限らず幾らでも相談には乗るよ。
何しろ無駄に長く年を食っておるからの、人生経験くらいは語れる。ほっほっほ」
「人生、まだまだこれからですよ。あの子の成長を是非、見守ってあげて下さい」
人生の苦労も、人間の醜さも何も知らず、ナハトヴァールはお日様の下で笑っている。世俗に汚れた俺やラルゴ老は名所の景色も見ずに、子供の笑顔を堪能していた。
幸いにも、時間だけはある。苦楽は共に出来ずとも、大いに語らうことは出来る。聖地に来てからずっと皆に頼られていた分、頼りになる大人がいるのはやはり頼もしい。
老人と少年、ベンチで並んで語らう俺達は――他人からは、家族のように見えるだろうか。
ベルカ自治領での観光案内、一日を終えてご隠居方にはご満足頂けた。結局何も起こらず、人目にもつかず、順調に観光名所を巡り会えて正直ホッとさせられた。いつも何かあるからな。
満足頂けた成果は自分にあるとは思っていない。ナハト達が居なければ、この依頼は達成出来なかっただろう。マイアも運転だけではなく観光案内に一役買ってくれて、大層喜ばれた。
今後とも是非と求められて、マイアは自分の宿と交流所の事をお伝えすると、是非来て下さるとの事だった。後は宿へ送り届けるだけだったが、ご隠居方に誘われて夕食を共にする事となった。
日も暮れつつあり遠出も出来ず、依頼人の宿から近い高級レストランでご馳走になった。ナハトなんて大喜びで、ハンバーグをぱくついてはご隠居方に微笑みを誘っている。
「宮本君。助けて貰った事には感謝しているが、あまり彼女達に危ない真似をしてはいけないよ」
ご隠居方を半ば引率する立場のレオーネさんより、食事中だが厳しいご指摘を受けた。ナハトヴァールとファリンのライダーごっこの件、だけではないのだろう。
宿からこのレストランへ来る途中、幾つもの店先に白旗が掲げられていた。ディアーチェ達の奮戦と、ヴェロッサ達の今日の貢献によるものだ。少しずつ、ベルカの地に浸透している。
ファリン達も白旗を掲げて、正義の味方として町を守っている。自警団といえば聞こえはいいが、社会的立場がなければ所詮ごっこ遊びにすぎない。注意は当然だった。
俺としては十分理解に及ぶものだったが、関係者及び現地人としては黙ってられなかったのだろう。マイアが珍しく反論する。
「今の聖地では喧嘩や決闘騒ぎが横行しております。通報してもなかなか急行してくれず、皆さんも困っています。
お客様を始めとした皆さんがそんな聖地の現状を憂慮して下さり、先程ご説明した交流所を立ち上げて下さったんです」
「ふむ。しかし聖王教会騎士団もそうだが、管理局の対応はどうなっておるのかな?」
「知らぬ存ぜぬの一点張りに近しいです。最近は管理局がわざわざ騎士団の方々に連絡して、それから来て下さるケースが増えています」
「なんと……責任の押し付け合い、では無さそうだが」
「この聖地は自治領であり、治安維持は現地が務めております。教会と管理局の関係は密接ですが、現地派遣となるとどうしても自治権を持った側の裁量となってしまいます。
となれば派遣された局員としては治安維持を優先して関係悪化を招くより、聖王教会との治安維持を優先するでしょう。管理局が事を納めれば、騎士団の面子を潰してしまう。
平和な時分であればどちらであろうとかまわないのでしょうが、今はご覧頂いた通りの状況。聖王教会の威信が問われる現状で、管理局が出張る訳にはいかないのです」
マイアの憤りとシュテルの指摘に、レオーネさんが苦渋に表情を歪めた。管理局の不甲斐なさに憤っているのか、若者達の横行を嘆いているのか。
俺達の目標は聖女の護衛であり、聖地の安定は言わば手段だ。手段とは社会的貢献と認知があって初めて正当化されるものであり、実績さえ乏しい今はごっこ遊びにすぎない。
だからこそ俺は反論しなかったが、実際に頑張って成果を出しているマイア達からすれば納得は出来ないだろう。大人がだらしないから、子供が動くしかない。それもまた現実だからだ。
今やレオーネさんの生徒となっているディアーチェは、生徒らしく先生にきちんとした主張を行う。
「本日各所で見て頂いた聖地の現状、その先々に掲げられた白旗をレオーネ氏もご覧頂けたと思う。あの白旗こそ我らの理想であり、聖地の安寧を示す大義そのもの。
子供の児戯と軽んずるレオーネ氏の見識は、未だ世間に認められておらぬ我らには反論出来ぬ。さりとて、指を咥えて見ている訳にもまいらぬ。
せめてあの白旗を見て人々が安心できるように尽力を尽くすゆえ、しばしの間であれどどうぞ見守り頂きたい」
「ディアーチェ君。ならばこそ昼間私が言った通り、正しい立場で社会に貢献するべきだ。君達には才能があり、立派な実力も備えている。
私から君達を、管理局へ推薦してもいい。不満に思うのであれば尚の事、組織の内部から変えてもらいたい。君達の若さこそ、我々の希望なのだよ」
「……お気持ちは嬉しく思う。しかし我々は、父の志を――」
「いい加減にしてくれ!!」
大声が上がる。俺達じゃない、俺達が座っている席の窓から外、向かいのお店から御主人らしき男性が二人の男達に引っ立てられていた。
御主人を真ん中に睨み合う二人の男達、紅いジェケットを羽織った者と几帳面な服装をした者。装備こそしていないが、遠目から見ても物々しい雰囲気を感じさせる。
誰がどう見ても、堅気ではない。俺達の世界にいるヤクザやチンピラ風情とも、気配が異なる。俺は息を呑まずにはいられなかった。
猟兵と、傭兵――俺達の敵、聖地を荒らす強者達。俺達ごっこ遊びとは違う、本物の兵隊。
「私は自分の腕一本で、この店を成り立たせてきた。君達の支援や援助は必要ない!」
「昨日までは、自分一人上手くやってきたんだろうよ。だが今日はどうなんだい、店主さんよ。売り上げはあったのか」
「!? ま、まさか、客が来なかったのは……汚いやり方を!」
「勘違いしないでくれ。この男のような粗暴なやり方を、我々は賛同していない。我々はむしろ、彼らのような卑怯なやり口からあなた方を護るべくやって来た」
「ふん、傭兵風情が偉そうに。人助けと称して、護衛料をふんだくってるだけじゃねえか。おっと、ツケもたんまりしてやがるか」
「社会に迷惑をかけているお前達とは違う、我々傭兵には、ルールがある。商売が成り立つ上で、相互関係を求めるのは当然だ」
「言うじゃねえか、"イーグレット"の犬の分際で、俺らに噛み付くのか」
「"紅い"顔で泣き喚くだけの"鴉"が、偉そうに吠えるな」
凄まじい睨み合いに、和やかだった夕餉の空気まで歪んでしまっている。観光で賑わっていた人達、聖地に住む人達の多くが恐怖と――明らかな諦観を持って、戦々恐々と見守っている。
猟兵と傭兵のぶつかり合いという戦争状態においてさえ、半ば日常化しているこの有様。異常だった。日常の中の非日常が、許されつつある。人々が既に、諦めていた。
管理局も、騎士団も、誰も来ない。日常であれば口出す必要も、手出しさえも無用ということだ。確かに騒ぎそのものがじき収まるだろう、双方どちらかの、勝敗によって。
誰が勝とうと負けようと、割りを食うのは庶民だけ。今日も一人店を占領されて、支配権争いは明日も続いていく。
折角楽しく過ごされていたご隠居方が、視線を落としている。余所者に、口出しはできない。立場があるのであれば、尚更だろう。大きな権力は強者ではなく、弱者も傷付けてしまうからだ。
憤然と立ち上がるファリンやディアーチェ達を、今は咎めもしなかった。大人は無力だと、目の前の人々が如実に物語っている。子供が、立ち上がるしかないのだ。
――本当に?
「ミゼット女史、ラルゴ老、レオーネ氏。我々は、皆様より観光案内と護衛を依頼されました」
ファリン達を静止して、俺は立ち上がった。何故止めるのか、ディアーチェ達が驚きを目に俺を見つめている。彼女達の気持ちはよく分かるが、俺は静止した。
ディアーチェ達であれば、難なく制圧出来るだろう。ごっこ遊びの正当性を訴えられる。けれどこのままでは、大人は報われない。彼らの正義が、否定されてしまう。
今日一日話してみて、よく分かった――この人達はきっと、正しく生きてきたのだ。
「本日皆様が健やかにこの聖地を過ごされるように、楽しくそれでいて安全に依頼を遂行してきた次第です。その任務はまだ、終わっておりません」
「! 坊や、まさかお前さん……話し合いで!?」
「無鉄砲な真似はしませんよ。一般市民として、注意してくるだけです。シュテル、今すぐ管理局と騎士団に通報しろ」
「しかし、父上。先ほど申し上げた通り――」
「彼らだって、聖地を守る責任感と義務感はあるさ。ただ周りの人たちに迷惑をかけないように務める、それも大人としての義務なんだ」
義憤に燃えるディアーチェ達を諭すように言う俺の言葉に、ご隠居方は顔を上げる。どうか、俯かないで欲しい。貴方達はナハト達の家族でありたいと、願ってくれた人達だ。
子供の正義が許されるのは、大人が許してくれているからだ。では大人の正義は、一体誰が許してくれるのだろう――それはきっと、大人の正義に憧れる子供達そのものだ。
子供の夢を、大人が汚してはいけない。だったら大人の正義だって、子供が応援してあげるべきだろう。大人は悪い事も多くするが、いい事だって多くしているのだ。
俺が守りたいのは、此処――子供も、そして大人も生きている、この聖地なのだ。
「しばし、席を外します。妹さん、白旗は持ってきているね」
「はい、剣士さん。参りましょう」
我ながら、間抜けとしか言いようがない。拮抗状態にある二人の強者達を前に、白旗を掲げて現れたのだ。何の喜劇なのかと、自分でも笑ってしまいそうになる。
少女に白旗を持たせた小僧を見て、強者達二人は睨むよりむしろ訝しげな顔をする。そんな二人を通り過ごして、俺は腰を抜かしてしまった御主人に手を差し伸べた。
「大丈夫ですか、御主人」
「き、君達は……?」
「見ての通り、一般市民です。迷惑な連中ですね、場も弁えず店先で喧嘩をするなんて」
俺の何気ない一言に彼らはいがみ合うのをやめて、御主人の前に立つ俺に歩み寄ってくる。俺は背中の竹刀袋も抜かず、単純に見返すのみだった。
怖くないといえば嘘になる。ここでは無法が成立している。殺されたらさすがに罪に問われるだろうが、言い換えると殺されさえしなければどんな危害でも許される危険がある。
赤い鴉の猟兵は、人を殺しかねない鋭い視線を向けてくる。
「今何か言ったか、小僧」
「いい大人が喧嘩なんぞするなと、言った――っと」
そのまま力強く、襟首を掴み上げられた。何という握力、首まで握り潰されかねない。妹さんが飛び出そうとするが、目で制止する。やり返せば、喧嘩だ。
確かに苦しいが、何てことはない。俺は弱者、強者に歯向かえば潰される。道理が分かっているのであれば、理不尽だと思わない。むしろ、笑ってやる。
苦しげでありながら、余裕綽々の表情が気に入らないのだろう。より一層、締め付けられる。
「何が可笑しいんだ、てめえ。このまま殺されたいのか」
「っ……どんな理由で俺を殺すんだ。一体、何が気に入らないんだ。店先で騒ぐなと、言っただけだ」
「口出しするんじゃねえ。舐めた口も叩くな。とにかく、お前が気に入らねえ」
「子供だな」
「! 何だと……!?」
「自分の腕一本でてめえの城を築いた、この主人の方がよほど立派だ。あんたに、この店を占拠する資格はないよ」
「ぶっ殺――ぬっ!?」
手はず通り、妹さんが猟兵の顔面に白旗を突きつける。振り払うことも出来なくはなかったが、間違いなく喧嘩に発展するだろう。出来れば、穏便に済ませたい。
喧嘩沙汰になって穏便も何もあったものじゃないが、大人ぶるガキにこそ大人の正義を示さなければならない。そして今、大人達が見守っている。
この聖地に、人々の前に今――白き旗が、掲げられた。
「白旗……まさかここ最近我々傭兵の仕事を掻っ攫い、人々を救済しているチームの!?」
「なっ――て、てめえらか! 俺らのシマを、好き勝手に荒らしているのは!」
「いつからここが、お前達の支配地になった。この聖地は此処で生きている、この人達の居場所だ!」
そこまで言って、彼らもようやく気付いたらしい。争い事を聞きつけて集まった多くの人達、観光者達が目の覚める思いで聞き入っている。自らの正義を確認するようにお互いを見つめ合う。
そうだ、皆気付いてくれ。貴方達は、正しい。自分達の居場所を、自分達が主張するのは正しいんだ。弱者であろうと、強者に黙って踏み躙られる必要はないんだ。
自分達の正しさを、自分達が訴えなくてどうするんだ!
「この店は、この主人の居場所だ。奪うというのであれば、自分達の正しさをこの人達の前で訴えてみろ!」
「ぐっ……!」
「くそっ、この野郎……!」
御主人が、涙を流して感謝を述べる。人々が拍手を送って、俺達を応援してくれる。観光客達が、強者の理不尽に怒りの声を上げてくれる。
ミゼット女史、ラルゴ老、レオーネ氏も遠くから賛同してくれている。ファリンやディアーチェ達は拳を握って声援、ナハトも笑顔で手を振ってくれていた。
白い旗が、聖地にたなびいている。白旗を掲げる俺達に手を上げれば、自分達の正しさを踏み躙る事になる。強者の理論が、弱者の正義に怯んでしまっていた。
それでも彼らは戦場に生きる戦士達、屈するのをよしとしない。猟兵のプライドを、傭兵の誇りを無くすと分かっていても、敗北だけは許されなかった。
ならば、来るがいい。暴力を前にしても、俺は彼らの正義を訴えてやる。
「――そこまで」
「ノ、"ノア"!?」
猟兵の首に突きつけられた、白銀のナイフ。ゴツイ猟兵の影に潜んでいる、怜悧な目をした少女。人々が騒ぎ立てていた声を、失っている。俺も目を剥いた。
いつの間に、なんてレベルじゃない。周辺観衆の目が多くある中、誰にも悟られずに接近した。気配も全く感じず、彼女は不意に姿を現した。気配の遮断か、俊足によるものか。
ノアと呼ばれた、小柄な少女。ショートの銀髪を切り揃えており、男と同じく赤いジャケットをラフに羽織っている。無感情だが、透明で綺麗な瞳を俺に向ける。
「迷惑をかけた。謝罪する」
「ふざけんな! てめえが邪魔しなければ、こいつを――」
「もし手を出せば、そっちの子に殴られてた」
俺の傍に控えている妹さんに、驚きも隙もない。妹さんは"声"を聞ける、この場で唯一彼女だけがノアの接近に気付いていたのだろう。
むしろ俺が驚いたのは、妹さんが露骨に警戒を強めている事だ。ノアの一手一足を用心深く窺っている。こんな妹さんは、初めてだった。
過去格上のチンクを相手にしても怯まなかった妹さんが、ネコのような雰囲気の美少女に身構えている。
「君、面白いね」
「貴女と、同じです」
「同類、初めて見た」
「私もです」
「な、何、くっちゃべってやがる! そいつを殺せ、その傭兵を追っ払え!」
「くそ、まさか"白猫"まで……こうなったら仲間を呼んで、制圧を!」
「そこまでです」
「はいはい、ストップ。ノア、よくやったわね」
人々が、その声一つで道を開けた。猟兵にも、傭兵にも負けじと囃し立てていた彼らが、簡単に引き下がった。人々の間を抜けて、威風堂々と現れる。
子供の面倒を見るのは大人達、猟兵と傭兵の責任者。支配下に置いた地の騒ぎを聞きつけて、今こそ彼らが舞台の上に現れる。文句なしの強者達――絶対の、支配者。
紫がかった赤い髪の女性と、青い髪の麗人。対照的な二人だが、圧する気配は同一。カレンやディアーナ達と同じ、王者の覇気。
モノが違う。存在が違う。何もかも違う。夜の一族の覇者達と同格の、強者達。麗しき女性であるがゆえに、殊更に震え上がらせられてしまう。
猟兵は赤い髪の女を前にしただけで、額に地面を擦りつけてひれ伏した。咎めるかと思いきや、気さくに笑って許す。快活な大人の微笑み、抜群のスタイル、美しき女豹に小物は平伏してしまう。
逆に青い髪の女性は厳しく叱責、傭兵は涙を零して謝罪。冷たい容貌には似つかわしくない可憐な声、世にも美しい極上の青い宝石にこの場にいる誰もが魅了されてしまっていた。
先程まで白旗の正しさに沸き立っていた聖地が、これほど容易く制圧されてしまった。彼女達が現れた、ただそれだけで。
「あんたが、"白旗"ね。こいつが迷惑をかけて悪かったわ」
「私からもお詫びと、賛辞を。先程のお言葉、ご立派でしたよ」
飲まれなかったのは、奇跡的と言っていい。夜の一族の世界会議に参加していなければ、今すぐ何もかも放り捨てて逃げてしまっていただろう。
知らなかった、優しさがこれほど恐ろしいなんて。知らなかった、寛容がこれほど恐ろしいなんて。戦ってもいないのに、この二人がただ恐ろしかった。
二人は、俺の手を握る――握らされる。
「私は『紅鴉猟兵団』副団長、エテルナ・ランティス。ほら、あんたも」
「エッテ、まだ副団長とか言ってる――ノア・コンチェルト、よろしく」
「傭兵師団『マリアージュ』を率いている、オルティア・イーグレットと申します。後日改めて、お詫びに伺います」
「良介――宮本良介だ」
こうして、場は収まった。彼女達は当事者を連れて立ち去り、主人の店は何とか守ることが出来た。通報した管理局や騎士団も、ようやく現れる。彼らの面子は守れただろう。
事態そのものは収拾ついたが、彼らを追い詰めることは出来なかった。むしろ完全に立て直されたと言っていい。誰がどう見ても、支配権は向こう側にあった。
正義は我にあり、その理論は全く通じなかった。単純に威圧されただけで、弱者の正義はこうも潰えてしまうものか。
エテルナ・ランティス、オルティア・イーグレットか――あれ、"イーグレット"? いやでも、傭兵師団とか言ってたし――と、局員がこっちへ来る。
「御主人及び関係者より、話は聞かせてもらった。宮本良介と言ったな、君は」
「はい、そうです。えーと、状況を説明すると」
「その必要はない、連れて行け」
――手錠を、かけられる。えっ、手錠!? 一切、手出ししていないのに!? 騒ぎを食い止めようとしただけなのに!?
御主人を見ると驚き慌てて、必死で取りなしている。しかし局員は一切聞き入れず、乱暴に突き飛ばした。何だ、こいつら!
騎士団を見るが、説明を求めようともしない。あの団長さんまでどういう訳か、俺を犯罪者のように睨みつけている。何故だ、どうして彼らにあそこまで憎まれている!?
何なんだ、こいつらの態度。俺の名前を聞いただけで――あっ。
『時空管理局より大々的に公募されている案件がある――それが、この依頼。
時空管理局顧問官ギル・グレアム提督の聖地案内と、護衛任務』
――まさか……まさかあいつ、聖地入りする前に、現地の管理局や騎士団に俺の事を告げ口したのか!? ふざけんな、越権行為じゃねえか!
プランの事を話す必要はない。単純に、一言でいい。名誉顧問官が『こいつに気をつけろ』だと一言注意を促せば、それだけで彼らは目の色を変える。目の敵にする。
確かに法は破っていない。あいつはただ一言言っただけ、表面上は噂話をしただけになる。だが、こんな真似が許されるのか!?
グレアム、リーゼアリア。また負けた、またあいつらに権力で追い詰められた。自治領ならば法を超えて俺を裁ける、その算段のつもりか。ふざけてる、完全な癒着じゃねえか。
「剣士さん!」
「いくら子供といえど、抵抗するなら容赦は――」
「"ギア2nd”!!」
「車に追いつく速さだとっ!? ま、待て!」
釈明する機会も与えられず人々が抗議を訴える中、容赦なく車に乗せられてあっという間に連行された。俺が求めていた世論は、まるで通じていない。何もかも、力で押さえこまれている。
猟兵団にねじ伏せられ、傭兵師団に脅かされ、騎士団に制圧され――時空管理局に、犯罪者とされた。弱さこそ、最大の罪だと言わんばかりに。
これが強者の論理、勝者の正義――証明しようとした大人の正義なんて、ありはしない。今日俺がやったことは全て、無意味だった。
<続く>
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