とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第六十二話
八月下旬、世間様で言うお盆休みが終わった。八神家、月村家、そして俺。全員揃って親兄弟の居ない不孝者で、故郷と呼べる場所は此処だけ。帰省ラッシュに縁もなく、いつも通りの日々。
同居人の神咲那美だけは九州に実家があるそうだが、現在寮から出ている状況。実家には残暑見舞いを兼ねた電話連絡だけして、月村家のメイドとして励んでいる。
守護騎士達やミヤ、アギトやローゼにとっては、初めての夏。炎天下の続く毎日にさすがの強者達も苦戦を強いられており、心頭滅却とはいかないようだ。
ここ最近大きな動きは――毎日次々と来る妖怪軍団を除くと特に無いが、本人としてはめでたい事があった。月村忍の夏季補習が、終わったのである。
「やった、これでもう学校に行かなくていいよ! 毎日侍君とイチャイチャ――あれ、侍君は?」
「図書館に行きました。調べ物があるそうで、毎日ずっと勉強されているんですよ」
「学問は私から全てを奪うつもりなの!? おのれ、菅原道真ー!」
「忍さん、罰当たりですよ!?」
――なんぞという馬鹿女の相手は那美に任せて、俺は勉強の日々に勤しんでいた。無類の勉強嫌いだと思い込んでいたが、どうやら単なる食わず嫌いなだけだったらしい。
剣に何の関係もないと容赦なく切り捨ててきたが、実際の戦闘においては体と頭の両方を働かせる必要性を痛感した。剣以外の戦場にも多く関わっている、もう不要だと切り捨てられない。
日々忙しいので勉強時間は多くないが、今までの毎日がそもそも無駄な時間だらけだったのだ。アリサのスケジュール管理により、多くの自由時間を得られている。時間を有効に使っている。
今後の人間関係もあり、語学は必須科目。カレンやディアーナの教え方は分かりやすくて助かってはいるが、自習も大事だ。フィアッセには読み書きも学び、彼女との英会話を楽しんでいる。
ただ図書館にまで来ているのは勉強目的ではあるが、調べ物があって通っている。
「『遷延性意識障害』、重度の昏睡状態を指す病状。脳外傷後1年又は酸素欠乏後3ヶ月を経過しても意識の兆候が見られない患者は回復の見込みがゼロに近い、か」
俺が帰国して半月、彼女が怪我をして一ヶ月以上。早いのか遅いのか人それぞれだが、時間は経過している。だが、フィリス・矢沢の意識は今も戻っていない。
今多くの問題が山積みになっている状態ではあるが、基本的に解決の道筋は立ちつつある。問題解決に向けてのハードルは高いものばかりだが、少なくとも解決策はあるのだ。
唯一見通しが全然立たないのが、フィリス。根本的な改善策が、今になっても見つからない。対処療法だけで、現状を維持している状態だ。
一応言っておくと、焦りや不満はない。そもそも植物人間状態となった患者を生存維持するだけでも医療費がかかるのに、今は蘇生療法まで行っているのだ。
カレンが手配してくれた最高峰の医療チームと最新医療機器導入、海鳴大学病院への多額の出資により、フィリスはほぼ健康状態にまで回復している。これは、奇跡に等しい。
フィアッセの護衛を務める事で彼女も少しは立ち直ってくれて、毎日根気強く呼びかけている影響も大きい。俺も時間を見ては会いに行き、一方的だが話をしている。
植物状態からの脱却を目指した治療と看護、重度後遺障害となった事故被害者への支援と介護。大袈裟に言えば、彼女は大統領クラスの手厚い治療を行っているのである。
「"植物状態"というのは脳の広範囲が活動出来ない状態にあり、辛うじて生命維持に必要な脳幹部分は生きている状態を指すのか。
脳医学の研究医にも診てもらったが、障害が残りそうな損傷も見受けられなかったもんな」
高望みをしているのではない。階段から派手に転げ落ちて、命があっただけでもめっけもんだ。植物人間状態というのは最悪だが、かろうじてまだ奇跡が起こる余地は残されている。
植物人間状態の治療は過去の回復例を見る限り、年単位での長期治療を強いられている。だからこそ医療費の負担が大きく、家族に絶望を与えるのだ。
日本は世界各国と比較しても弱者に優しい国ではあるが、優しくし続ける程の力はない。補助輪はつけてくれるが、ちゃんと走れるようになるかは本人次第とされている。
フィアッセを筆頭に彼女の家族が絶望に陥ったのは蘇生の絶望的な可能性と、この多額の医療負担だ。本人達がどれほど必死になっても、稼げる金には限度がある。
それらの点は俺、というより夜の一族のおかげで問題はなくなった。後は、本人次第――
フィリス・矢沢の目を、覚ませてやるだけだ。
「こういう時こそ医者の出番なのに、肝心のお前が寝込んでいてどうするんだよ」
問題は、彼女の意識を戻す方法だ。身体が奇跡的に回復しつつある以上、目処が立たないのは精神的な問題だろうと思われる。医者の見解も、ほぼ一致している。
そもそもフィリスが階段から転げ落ちるような失態は、犯さない。人間である以上失敗は当たり前だとしても、大怪我するような行為は絶対にしない。廊下も走らない女だからな。
俺の訃報が原因で取り乱したのだと、リスティは俺を責め立てた。その通りだと思う。信じて海外に送り出した患者が、ドイツの地で撃たれて死んだのだ。取り乱すのは無理もない。
精神的なショックに肉体的なショック、二つの衝撃がフィリスの精神を破壊してしまった。構造は修理出来ても中身が危なければ、回復には至らない。
「……心の問題も、カウンセラーの仕事じゃねえか。フィリスめ、とことん職務放棄してやがるな」
ふと思う。フィリス本人も無意識であるにしろ、疲れていたのではないかと。人生に悩んでいたとか、精神的に病んでいたとかではなく、もっと単純に疲れていたかもしれない。
職務熱心なのは無論の事、たまの休暇もはやてのような患者の見舞いを自主的に行っていたらしいからな。あいつがプライベートを楽しんでいる姿を、見たことがない。
患者の元気な姿を見るのが自分の幸せという、医者の鑑のような女だからな。仕事を人生の生き甲斐にする奴なんて腐るほどいるだろうけど、それでも休むのは必要なのだ。
そういう意味では植物人間状態でさえなければ、入院も悪くはないと思う。医者が入院するなんて笑えないが、あいつの場合はそれくらいしないと休まないからな。
身体は元気で、意識だけが寝込んでいる今の状態。ある種理想的ではあるのかもしれないが――それでも。
「お前を心配している奴が大勢いるからな。今度は俺が、お前を元気にしてみせる」
人助けのつもりはない。これは単なる恩返し、誰でもやっている当たり前の行為だ。今まで恩知らずだった分、ようやく返しに来ただけだ。
図書館に通い詰めて医学書を見ても、専門家には到底勝てない。そもそも世界中から集められた最高の医者が手をこまねいているのだ、ド素人がどうにかなる領域じゃない。
直接的な改善策を求めているのではなく、改善に繋がる糸口を見つけたかった。戦いと、同じだ。まずは敵を知ることで、敵を倒す戦略を組み立てる。
剣で挑むか、魔法を唱えるか、それとも医学書を広げるか、単にそれだけの違いでしかない。あいつを治すためなら、何だってやってやるとも。
八月の、下旬。まず取り掛かったのは、一番厄介な問題の解決であった。
「ほんのり牛乳風味の、純正ソフトクリーム――もしかして安い女だと思われています、私?」
「並ばせておいてから文句を言うなよ!」
海鳴町と隣町を結ぶ大通りに最近建てられた、有名なアイスクリーム屋さん。ご近所様でも評判の良いお店は、主婦層に人脈を広げている湖の騎士の耳にも入っていた。
真昼間からエアコンの利いた部屋で雑誌を読んで涼んでいる駄目騎士を連れ出して、そのアイスクリーム屋さんに誘ったのである。
奢りなのは暗黙の了解なのだが、一応好意に対して文句を言われると、何だか釈然としない。デートするつもりではないにしても。
「そもそもどうして、私がこの店に興味を持っていることを知っていたんですか。ハッ、ストーカー!?」
「八月。学生は夏休みでも、社会人は普段の日。あの屋敷に住んでいる大人の中で、毎日ゴロゴロしているのはお前だけだぞ」
「ち、違います!? 私ははやてちゃんの騎士として、あの子の傍に仕えているんです!」
「那美を雇ってから、あいつが八神家のお世話役を務めているじゃねえか。最近はやては何処でも、那美を連れて出かけているぞ」
「うう、だって、だって、あの子が私の仕事を取るんです!? はやてちゃんは、私の子供のようなものなのに。可愛い顔をして、憎たらしい……!」
「姑の嫉妬は見苦しいな」
駄目だこいつの一言だった。まあ一応弁護してやるとこいつが無能というより、那美が働き者なのだ。あの子は本採用となり、八神家のメイドとなった。
月村忍に雇われている形だが、八神家は今月村家にお世話になっている身。その面倒役として、あの子が八神家にお仕えする雇用形態となっている。
八神家は主である八神はやてを除いて、基本的に余所者には厳しい。神咲那美は言わば例外であり、あの子は六月より騎士達と懇意に接している。
六月に起きたさまざまな事件を通じての関係で、メイド役として正式に八神家に加わった時も概ね歓迎されていた。本人の気質も大きいと思われる、人に好かれやすい人柄なのだ。
家事面はノエルやアリサには及ばないが、比較する対象がそもそも間違えている。小さな主婦のはやての仕事を取らず、あくまでお手伝いとして心がけて家事を手伝っている。
能動的だが受け身なその姿勢が八神家にいたく好まれており、時として頑固者であるヴィータやシグナムからもはやての世話を任される信頼ぶりだ。
――割りを食ったのが、その立ち位置にいたこの主婦ニートである。
「酷いんですよ、あの子。今週に入ってとうとう、料理当番まで私から奪ったんです! 信じられますか!?」
「味はこの際置いておくにしても、暑いからって素麺とか冷麺ばかり出すお前が悪い」
「どうしてですか!? 真夏にあっつい野菜カレーなんて作るあの子のほうが、空気が読めていないじゃないですか!」
「健康的な汗というのがあってだな……冷たい麺ばっかり啜ってても、元気が出ないんだよ」
料理当番だって奪ったのではなく、家族会議に寄る全員一致で交代案が可決されただけだ。民主主義は時に数の横暴となるが、こいつの場合改善する機会を自分に不意にしただけだ。
ヴィータあたりはボロカスに言っているが、こいつの料理は言うほどメシマズではない。十分改善できるのだが、しないのだ。しても、改善するベクトルを間違えるのだ。
だったら人に聞けばいいのに、他人の口に合わないと自分を追求するのがこいつの悪い癖だった。根本的にまずいのに、表面上でどうにかしようと四苦八苦してしまう。
参謀タイプにありがちな、悪癖であった。
「ああ、それと。この店について俺に教えてくれたのは他でもない、お前のデバイスだぞ。情報提供ありがとう、クラールヴィント」
『Sie sind willkommen』
「デ、デバイスまで、私を裏切ったの!? 酷いわ、信じていたのに!」
嘘つけ、つけていると暑いからって放り出していたじゃねえか。洗面台の上に転がったままのこいつを見て、無骨者の俺でさえ涙ぐんでしまったぞ。
一緒に雑誌を読んで知ったのか、クラールヴィントは自分から率先して教えてくれた。実にいい奴だ、海外でも随分助けられたもんな。
俺のデバイスにしたいと口に出して言ったら、何故か猛烈に腹を立てたアギトに蹴られてしまった。おかげで、こうして別行動である。真夏なのに、熱い奴だ。
誘った時は乗り気ではなかったくせに、アイスを食べながら俺に愚痴をこぼすシャマル。可愛らしくもあるが、金髪美人が愚痴るというのはどうにもシュールだった。
「それで、お前を誘った件だが」
「? こうして、デートに誘ったのでしょう。こうしてご機嫌取りをして、次は何処に誘い込むつもりですか」
「人聞きの悪い――というより、なんか楽しんでいる素振りがあるような」
「……最近家族の目があって、家に居づらいの」
「うわ、生々しい!?」
この主婦、絶対出会い系とかに手を出すタイプだ。このままだと誘いのメールとかあれば、こっそり出かけそうな精神状態に陥っている。
嫌だ、仮にも憧れの騎士が風俗とかで汚れていくのを見るのは絶対に嫌だ。妙にリアルに想像できてしまうから、余計に嫌だ。なまじ美人なだけに、そういうのが似合いそうだし。
このまま気分良くデートが成功したら、最終的にホテルとか連れ込めそうなので怖い。もうこれ以上のドロドロは、お断りだった。
誘ってみたのは、正解だったかもしれない。とにかく使命とか何か仕事を与えないと、絶対堕落する。悪女なら救いはあるが、自堕落女は腐っていくだけである。
俺は図書館で調べ上げた資料と、フィリスに関する現状の医学報告書を見せた。
「湖の騎士シャマルと、風のリング「クラールヴィント」。癒しと補助が本領のお前達に、仕事を頼みたい。
はやてから一度は聞いているとは思うけど、長年あの子の面倒を見てくれた医者が遷延性意識障害に陥っている。何とか助け出したい」
「資料を、確認させてもらいます」
真夏の暑さにグロッキーではあっても、過去ベルカの戦場で名を馳せた騎士の一角。俺の依頼だからと頭から拒否せずに、一つ一つ資料を確認していく。
単純に読み上げるのではなく、理解に努める。要所要所で質問を交えるその指摘は的を得ており、今回の仕事において急所となる部分ばかりだった。
医学書を読んでいなければ返答に困っていたのもあり、事前に予習した甲斐はあった。結果に結びつかなければ、何の意味もないが。
資料を全て確認し終えて、シャマルは顔を上げる。
「魔法でどうにかなると考えているなら、即刻改めることをまず指摘しておくわ」
「時空管理局の連中にも以前、同様の相談を持ちかけている。連中も同じことを言っていた」
「法の組織ではあるけれど、優秀な専門家も多く所属している組織。相談を持ちかけた判断は、悪いものではないわ。
あっち側に相談する相手が限られていたという事情もあるのでしょうけど」
他の連中にも事前に相談していたと聞かされても、シャマルは特に気分を害する素振りは見せなかった。むしろその選択は当然だと、受け止めている。
プロ意識はあれど、頑なではない。生来騎士という本分もあるのだろうが、元より思考が柔軟なのだろう。形式に拘らず、形態を問題にしない。
仕事として話を持ちかけた以上は、仕事として応える。そこに、俺個人に対する好悪は微塵も出さない。
そういう人間だと分かっていたからこそ、外野の私的感情を持ち込まれないように二人っきりとなった。
「遷延性意識障害の患者を診た経験はあるか」
「残念ながら、診断された結果として診たケースはないわね」
「何だかよく分からない言い回しだな」
「怪我をして意識を取り戻さなかった人達は大勢、診てきたわ」
頭の怪我が災いして、意識不明の重体となった戦士。なるほど、戦場ならば珍しくはないのかもしれない。戦争へ出向いた経験がないので、迂闊なことは言えないが。
悲しいのはむしろ、悲痛な顔をしていないシャマルの表情だった。望んで診たのでもなく、嫌がっていた素振りもない。淡々と、それでいて回復を願って、処置していたのだろう。
本人はあまり触れられたくないのだろうが、俺が望んでいるのはまさにそういう経験だった。
「ハッキリと聞くが、治す方法はないか」
「私個人が見てみないと断言することは出来ないけれど、早期解決は難しいわね」
予想の出来た、返答だった。時空管理局に相談しても、難しい顔をされたのだ。百戦錬磨の騎士だからといって、万能では決してない。
覚悟はしていたので、別段悲観的にはならなかった。今まで改善策が何一つ出なかったのだ。相談相手に無理強いする方が、どうかしている。
今日は相談相手として、誘ったのだ。神様にお願い申し上げたのではない。
「この患者を見ている医療チームには、俺から話を通せる。スタッフとして加わってくれないだろうか」
「ごめんなさい、お断りさせてもらうわ。経歴のない人間に加えるのは、かなりの無理強いを強いることになるでしょう。
仮に加わっても、相当な長期療養になるわ。私は八神はやての騎士、自分の主を優先する」
「……そうか、悪かった」
落胆はしたが、失望はしていない。素直な返答に、正直嬉しかった。少しは信頼してくれているからこそ、安請け合いをしなかったのだ。
万が一何らかの事態でフィリスとはやて、二人が危機的な状況に陥ったとする。その場合仕事としてフィリスを選ばざるをえず、騎士としてははやてを優先しなければならない。
究極の選択は結局、一方の放棄に他ならない。仮にそうなれば容赦なくフィリスを放り出せるのだろうが、それは俺の信頼を踏み躙る行為に繋がる。
だからこそこの仕事は引き受けられないと、言ってくれたのだ。信頼とは、踏み躙るものではないのだから。
「この人は貴方にとって、大切な人なの?」
「命の恩人だ」
「そう、一生の借りがあるのね」
命の大切さは、命を奪う人間が一番良く知っている。皮肉にも程がある、事実だった。ましてシャマルは命を救う側でもある、その極端は一生彼女を苦しめ続けるのかもしれない。
シャマルは資料を手にしながら、呟いた。
「貴方は、魔法使いでしょう。その人を自分で救おうとは思わないの?」
「俺の法術は他人の願いを叶える力だ、自分の望みは叶えられない。その本人は今、寝ているしな」
「怪我は治っているのだとすると、心の領域ね。貴方って運がいいのか、悪いのか……頁の改竄により今、あの子が目覚めている。
彼女を交えて今晩、もう一度話をしましょう」
「何か、思い当たる点はあるのか?」
「闇の書には、夢を見せる力があるの。まだ可能性の段階だけど、この人が眠りについている状態ならば――夢を通じて、その人の心に触れられるかもしれない」
可能性を提示しながらも、シャマルの顔色は晴れない。その評定の意味を、俺は正しく理解していた。
他人の心に触れる――それは恐らく、最大の禁忌なのだろうと。
<続く>
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